第十章 京奉行
第十章 京奉行
本圀寺の戦いが終わった。
だが、戦が終われば全てが終わるわけではない。
むしろ、そこからが本当の戦だった。
京を守る。
盗賊を取り締まる。
争いを収める。
町衆を安心させる。
寺社との関係を調整する。
そして何より――
「次は襲われない」
そう思わせなければならない。
戦場で勝つだけでは、京は治まらない。
「京は刀だけでは治まらぬ」
宗一郎はそう言った。
「人の腹を満たし、商いを戻し、道を守り、夜に眠れるようにする。それができなければ、どれだけ敵を倒しても意味がない」
その考えは、信長にも通じるものだった。
織田家からは丹羽長秀、羽柴秀吉、中川重政らが動いた。
戦の後始末。
町の秩序。
諸勢力との調整。
仕事は山のようにあった。
そして、幕府側からも人が動いた。
その中に――
明智光秀がいた。
まだ織田家臣ではない。
しかし、幕府と織田家の間を繋ぐ存在として、光秀は次第に重要な位置を占めていった。
宗一郎は、その姿を何度も見た。
光秀は、織田家の武将たちとは少し違った。
織田家の者たちは、信長の意図を理解し、それを実行する。
だが光秀は、信長の意図そのものを読み取ろうとしていた。
「妙な男です」
ある日、半兵衛が言った。
宗一郎は書状から顔を上げた。
「光秀か?」
「はい」
「お前もそう思うか」
「ええ」
半兵衛は少し考えてから続けた。
「織田家臣ではないのに、信長様の意向をよく理解している」
「そうだ」
「信長様が何を求めているのか、まるで以前から仕えていたかのように動く」
宗一郎は黙っていた。
やがて、
「だから危険なのだ」
と言った。
半兵衛の表情が変わった。
「敵になると?」
「敵になった時だけではない」
宗一郎は窓の外を見た。
京の町。
人々が少しずつ日常を取り戻している。
店が開き始める。
荷車が通る。
子供が走る。
その光景を見ながら、宗一郎は言った。
「味方であり続けると思い込むことが、一番危険だ」
半兵衛は黙った。
「人は変わる」
宗一郎は続けた。
「立場が変われば、見えるものも変わる。守るものが変われば、正しいと思うものも変わる」
「……光秀も?」
「光秀だけではない」
宗一郎は苦笑した。
「俺だってそうだ」
半兵衛が宗一郎を見る。
「宗一郎様が?」
「今の俺と、数年前の俺は同じ人間だ。だが、見てきたものは違う」
そして、宗一郎は心の中で続けた。
――何より、俺だけが未来を知っている。
それが、この時代では最大の秘密だった。
光秀が何を考えているのか。
信長が何を考えているのか。
自分自身でさえ、未来の記憶に引っ張られることがある。
だからこそ、決めつけてはいけない。
歴史は一本道ではない。
一つの判断で、別の道へ進む。
「それに」
半兵衛が言った。
「光秀殿は、古き権威を重んじるように見えます」
宗一郎は頷いた。
「そこだ」
「はい」
「信長様とは、そこが違う」
信長は古い権威を壊すことを恐れない。
必要ならば、既存の秩序そのものを作り替える。
だが光秀は違う。
朝廷の権威。
帝の存在。
古来から続く京の秩序。
それらを軽く扱うことはない。
「だからこそ」
宗一郎は言った。
「信長様と光秀が手を組めば、大きな力になる」
「……そして」
「うむ」
宗一郎は頷いた。
「一度歯車が噛み合わなくなれば、大きな亀裂にもなる」
半兵衛は深く息を吐いた。
「先のことは分かりませんな」
「分からない」
宗一郎は静かに答えた。
「だから、見ておく」
未来を変えるということは。
未来を決めつけることではない。
人が何を選ぶのかを見届け、その時々で最善を選ぶことだ。
京奉行としての仕事は続いた。
そしてその仕事を通じて、織田家は京という場所を少しずつ理解していった。
だが――
京を押さえるということは、同時に周辺の勢力と向き合うことでもあった。
その中でも、宗一郎が最も気にしていた場所がある。
近江。
そこには、浅井長政がいた。




