第百三章 国を開き、国を守る
第百三章 国を開き、国を守る
十二使徒。
その名だけなら。
まだ、何の意味も持たない。
自称かもしれない。
ロレンソが聞き違えた可能性もある。
あるいは、誰かが意図的に作った偽りの名かもしれない。
だから。
帝は命じた。
「証を取れ」
信長も同じだった。
「名などどうでもよい」
そして宗一郎も。
「人と金と命令を繋げます」
三人は。
奇しくも。
同じ結論へ辿り着いていた。
◆
禁裏。
信長と宗一郎が呼ばれた。
同席するのは明智光秀。
そして鷹司家の当主。
冬姫はいない。
今回の話を、あえて聞かせなかった。
狙われた本人ではある。
だが。
十四歳の少女へ、暗殺組織の詳細まで背負わせる必要はない。
帝の前には、これまで集められた記録が並べられていた。
熊野。
紀伊。
志摩。
堺。
平戸。
銀。
船。
毒。
書状。
そして。
同じ印。
帝が口を開いた。
「十二使徒と名乗る一派があるらしい」
信長が鼻を鳴らす。
「随分と大層な名だ」
「まだ実在すると決まったわけではありません」
宗一郎が言う。
「分かっておる」
信長は不機嫌そうに答えた。
「お前は何度それを言う」
「信長様がすぐ決めつけるからです」
「儂を馬鹿だと思っておるのか」
「思ってません」
「今、間があったぞ」
「気のせいです」
光秀が咳払いした。
「御前にございます」
信長が光秀を見る。
「お前は随分と主上側になったな」
「元より臣下にございます」
「儂もだ」
「ならばお静かに」
「光秀」
「何でございましょう」
「お前、最近儂に遠慮がなくなったな」
帝が口を挟んだ。
「話を進めるぞ」
二人が黙った。
宗一郎は少しだけ笑いそうになったが、我慢した。
帝が一枚の紙を取る。
「宗一郎」
「はい」
「そなたはどう見る」
宗一郎は少し考えた。
「まず、三つに分けたいです」
「申せ」
「伴天連」
「南蛮商人」
「そして今回の一派」
信長が眉を寄せる。
「別なのか」
「重なっている人はいると思います。でも全部同じではありません」
宗一郎は机の上へ三つの円を描いた。
「教えを広めたい人」
「商いをしたい人」
「政治へ入り込みたい人」
「一人で二つやっている人もいるでしょうし、三つ全部の人もいるかもしれない」
光秀が問う。
「では、どこから敵とする」
「宗教で線を引いちゃ駄目です」
「では」
「行動です」
宗一郎は言った。
「信じているだけなら敵じゃない」
「教えを説くだけでも、すぐ敵とは言えない」
「普通に商いをするなら、それも敵じゃない」
「でも」
一つの記録を押さえる。
「金を使って家臣を買う」
次。
「武器を渡して争いを起こす」
次。
「領主を操る」
次。
「暗殺する」
そして。
最後。
「国の主を替えようとする」
宗一郎は顔を上げた。
「そこまで来たら」
「宗教じゃない」
帝が続けた。
「侵略だ」
「はい」
信長が腕を組んだ。
「なら簡単ではないか」
「何がです」
「線を越えた奴だけ斬ればよい」
「斬る前に調べてください」
「分かっておる!」
「ならいいです」
帝が二人を見る。
「朕も同じ考えだ」
光秀が顔を上げる。
「伴天連を禁じぬのでございますか」
「禁じぬ」
帝は即答した。
「信じるものまで朕が決める必要はない」
「しかし、寺社から反発が出ます」
「出るだろう」
「本願寺からも」
「それも出る」
帝は分かっている。
伴天連だけを自由にし。
既存の寺社だけを押さえつければ。
新たな争いを生む。
「故に」
帝は言った。
「伴天連だけの決まりにはせぬ」
宗一郎が帝を見る。
「すべての宗教?」
「ああ」
帝は静かに言った。
「寺であろうと」
「社であろうと」
「本願寺であろうと」
「伴天連であろうと」
「教えを説くことと」
「兵を持つことは」
「別だ」
光秀の目が変わった。
これは。
本願寺にも。
延暦寺にも。
そして南蛮寺にも。
同じ線を引くということだった。
「信仰を理由に」
「国の法から外れることを認めぬ」
帝が言う。
「逆に」
「信仰だけを理由に罰することも認めぬ」
宗一郎は。
思わず帝を見た。
現代人だからこそ。
その言葉の意味が分かる。
この時代には。
あまりにも早い。
完成した制度にはできない。
だが。
種にはなる。
「宗一郎」
「はい」
「形にできるか」
宗一郎は少し考えた。
「一気には無理です」
「構わぬ」
「まずは簡単なところからなら」
「何が要る」
「記録です」
また。
記録。
信長が嫌そうな顔をした。
「また紙が増えるのか」
「国を作ると紙が増えるんです」
「嫌な国だな」
「諦めてください」
宗一郎は続けた。
「誰が布教しているか」
「どこの寺や南蛮寺か」
「どこから大きな金が来ているか」
「武器を持っているか」
「土地を誰から得たか」
「外国の船と、どんな取引をしているか」
「全部か?」
「全部は無理です」
「ならば」
「大きな金と武器と土地だけでも」
帝が頷いた。
「まず、それでよい」
そして。
信長を見る。
「どう思う」
信長はしばらく黙った。
「悪くない」
「条件は」
「ある」
「申せ」
信長の指が。
地図の海を叩いた。
「海だ」
宗一郎が顔を上げる。
「今の織田は」
信長が言った。
「陸なら追える」
「京も見える」
「街道も押さえられる」
「だが」
「海へ逃げられれば」
「途端に目が鈍る」
今回も。
それを思い知らされた。
紀伊。
熊野。
志摩。
堺。
平戸。
陸の境など。
海の者には関係ない。
「海を」
信長が言う。
「何とかせよ」
宗一郎が苦笑する。
「また俺ですか」
「お前が船に大筒を載せたいと言い出したのであろう」
「それとこれとは違います」
「同じにせよ」
「無茶苦茶だ」
だが。
宗一郎にも分かっていた。
海は。
避けられない。
◆
石山本願寺。
顕如にも。
異変は届いていた。
「伴天連だと」
「そのような噂が京で出始めております」
教如が答える。
「噂を広げるな」
「しかし」
「我らが広げれば、また利用される」
教如が黙る。
顕如は今回の一件で。
嫌というほど思い知らされていた。
情報は。
武器になる。
だが。
武器は。
持ち主へ向くこともある。
「確かなのは何だ」
「冬姫暗殺に、南蛮交易へ関わる者が関与したこと」
「それだけか」
「はい」
「ならば、それ以上は言うな」
教如が少し驚いた。
「父上」
「何だ」
「伴天連を庇うのですか」
「違う」
顕如は息子を見る。
「敵を増やすなと言っている」
そして。
「今回」
「我らも危うく犯人にされるところだった」
教如の顔が険しくなる。
「はい」
「ならば」
「誰が本当の敵か」
「見誤るな」
顕如は。
しばらく考えた。
「それと」
「はい」
「例の船はどうした」
教如の表情が変わる。
「第一陣は、予定通り動いております」
「四十二艘」
「護衛六艘」
「はい」
「止めるな」
教如が驚いた。
「この状況でも?」
「だからこそだ」
顕如は地図を見る。
「我らは我らだ」
「伴天連ではない」
「織田でもない」
「毛利でもない」
「誰かに利用されるために戦っているのではない」
そして。
「石山へ兵糧を入れる」
「これは変えぬ」
教如が頭を下げた。
「御意」
止まっていたように見えた。
本願寺との戦いも。
まだ。
終わってはいなかった。
◆
弥三郎への聞き取りは続いていた。
今度は。
宗一郎自身が向かい合った。
「高槻宗一郎」
弥三郎が言った。
「初めて会うな」
「俺は前から名前を聞いてるけどね」
「それは光栄だ」
「お前のせいで随分と人が死んだ」
弥三郎の笑みが。
少し薄くなる。
宗一郎は座った。
「聞きたいことがある」
「答えるとは言っていない」
「いいよ」
「何?」
「答えなくても」
宗一郎は。
紙を並べた。
「反応を見るから」
弥三郎が黙る。
「高槻技術所」
反応なし。
「学問所」
反応なし。
「火薬」
僅かに目が動く。
「薬」
「鉄砲」
「大筒」
「船」
宗一郎は。
一枚ずつ。
記録を置いた。
すべて。
弥三郎の一派が集めていた情報。
「随分調べたね」
「有名人だからな」
「こんなところまで?」
宗一郎が一枚を抜く。
高槻で教えている。
読み書き。
算術。
測量。
薬学。
鍛冶。
火薬。
農業。
弥三郎は答えない。
「変だと思ってたんだ」
宗一郎が言う。
「冬姫様の婚姻を壊すだけなら」
「ここまで高槻を調べる必要はない」
沈黙。
「俺たちが何を作ってるか」
「何を教えてるか」
「何を外国から買ってるか」
「逆に」
「何を外国から買わなくなったか」
弥三郎の指が。
僅かに動く。
宗一郎は見た。
「そこか」
「何がだ」
「買わなくなること」
弥三郎は。
初めて宗一郎を見る。
「硝石」
「薬」
「金属」
「船の知識」
「火器」
「全部を自前にするなんて、今すぐは無理だ」
「でも」
「少しずつ」
「できることが増えてる」
宗一郎は。
さらに紙を置いた。
「それが困るんだろ」
「誰が」
「お前の上にいる奴らが」
弥三郎は笑った。
「随分な自信だな」
「違う」
宗一郎は首を振る。
「怖がってるのは高槻だけじゃない」
冬姫。
帝。
信長。
その三つの名を書く。
「一番怖いのは」
「これが一つになることだ」
弥三郎の笑みが消えた。
「織田の軍事力」
「朝廷の権威」
「高槻の技術と仕組み」
「それが繋がったら」
「今までと同じやり方で、この国へ入り込めなくなる」
弥三郎は。
長く黙った。
「だから冬姫様を狙った」
「殺せれば」
「信長様は怒る」
「帝も怒る」
「互いに疑えばもっといい」
「婚姻が壊れれば」
「なおいい」
宗一郎は。
弥三郎を見る。
「違う?」
弥三郎は。
答えない。
だが。
宗一郎には。
それで十分だった。
「もう一つ」
「何だ」
「十二使徒」
弥三郎の目を見る。
「誰だ」
「知らん」
「何人いる」
「知らん」
「日本人か」
「知らん」
「南蛮人か」
「知らん」
「伴天連か」
「知らん」
宗一郎が。
少し笑った。
「今のだけ違う」
弥三郎の顔が。
止まった。
「何が」
「伴天連かと聞いた時だけ」
「答えるのが遅れた」
「……」
「伴天連なんだな」
「知らんと言った」
「全員じゃない」
宗一郎が言う。
「一部」
沈黙。
「そして」
「お前は直接、その上の人間には会ってない」
弥三郎が。
今度こそ。
宗一郎を見る。
「何故そう思う」
「お前」
宗一郎は言った。
「知らなさすぎる」
弥三郎の眉が動く。
「もし十二使徒の中心なら」
「もっと知ってる」
「でもお前は」
「金を受け取り」
「人を集め」
「船を用意し」
「命令を実行する側だ」
宗一郎は。
指を一本立てた。
「つまり」
「まだ上がいる」
弥三郎は。
笑わなかった。
◆
その夜。
宗一郎。
半兵衛。
光秀。
官兵衛。
四人が。
弥三郎の証言記録を囲んでいた。
官兵衛は。
現在も秀吉の軍師。
今回だけ。
信長の命で。
この調べへ加わっている。
「弥三郎を崩すより」
官兵衛が言った。
「金を辿った方が早いのでは」
宗一郎が頷く。
「俺もそう思う」
光秀が問う。
「銀か」
「銀だけではございませぬ」
官兵衛が答える。
「船を十一艘動かす」
「人を雇う」
「火薬を買う」
「毒を手に入れる」
「京へ女を潜り込ませる」
「これだけのことを」
「銭を残さず行うことはできませぬ」
半兵衛が続けた。
「人は嘘をつきます」
「ですが」
「米も」
「船も」
「銀も」
「完全には嘘をつけませぬ」
宗一郎が。
笑った。
「やっぱり、そこだよね」
「何がです」
「物を見る」
宗一郎は地図を広げた。
「人だけ追うから逃げられる」
「物を追う」
堺。
紀伊。
熊野。
志摩。
平戸。
そこへ。
線を引く。
「銀はどこから来た」
「火薬はどこで積んだ」
「船はどこで直した」
「食料はどこで買った」
「水はどこで積んだ」
「手紙は誰が運んだ」
「それを全部重ねる」
光秀が地図を見る。
「すると」
「どこかに」
半兵衛が言った。
「必ず」
「同じ場所が出る」
四人は。
黙って。
記録を重ね始めた。
一枚。
二枚。
三枚。
十枚。
二十枚。
やがて。
官兵衛の指が。
止まった。
「ここ」
宗一郎が見る。
長崎ではない。
平戸でもない。
堺でもない。
豊後。
「府内……」
宗一郎が呟く。
南蛮交易。
伴天連。
大友。
海。
すべてが。
交わり得る場所。
だが。
まだ。
決めつけられない。
「何件?」
宗一郎が聞く。
「七件」
半兵衛が答える。
「偶然と言うには」
「少し多いですね」
光秀が。
別の記録を見る。
「だが、大友そのものが関与している証にはならぬ」
「はい」
宗一郎が即答した。
「そこを間違えたら駄目です」
府内へ物が集まった。
それだけ。
大友が黒幕。
ではない。
「人を送ろう」
宗一郎が言った。
「誰を」
光秀が尋ねる。
「商人」
「僧」
「船乗り」
「それと」
宗一郎は考える。
「伴天連側から一人」
「ロレンソ殿を?」
「本人は目立ちすぎる」
「ならば」
「彼が信用できる人間を紹介してもらう」
官兵衛が笑う。
「敵かもしれぬ者に、案内させるのですか」
「だからいいんだよ」
「ほう」
「こちらだけで調べれば」
「見たいものしか見えなくなる」
宗一郎は地図を見る。
「伴天連の中にも」
「今回の奴らを敵だと思ってる人がいる」
「なら」
「使える目は使う」
官兵衛が。
少しだけ笑った。
「高槻殿は」
「随分と欲張りですな」
「よく言われる」
「誰に」
「半兵衛に」
「ええ」
半兵衛が即答した。
「毎日のように申しております」
◆
同じ頃。
府内。
一つの南蛮寺で。
男が手紙を読んでいた。
熊野。
失敗。
弥三郎。
捕縛。
平戸。
失敗。
ロレンソ。
離反。
男は。
紙を。
蝋燭の火へ近づけた。
燃える。
「遅い」
南蛮人の男が呟いた。
傍らにいた日本人が尋ねる。
「何がです」
「すべてだ」
男は。
流暢ではない日本語で答えた。
「我らが」
「遅すぎた」
数年前なら。
違った。
大名同士が争っていた。
将軍もいた。
朝廷は。
今ほど前へ出ていなかった。
寺社も。
大名も。
国人も。
それぞれ。
別々に動いていた。
入り込む隙は。
いくらでもあった。
だが。
今は。
違う。
織田信長。
高槻宗一郎。
そして。
帝。
三つが。
近づきすぎた。
「婚姻は」
「止められませんでした」
「分かっている」
「では」
日本人が。
小さな声で尋ねる。
「冬姫を」
「もう一度?」
南蛮人の男は。
睨んだ。
「馬鹿か」
「……」
「一度で」
「ここまで追われた」
「二度目をすれば」
「南蛮寺すべてが敵になる」
「では、どうするのです」
男は。
考える。
焦っている。
だが。
焦っているからこそ。
次を間違えるわけにはいかない。
「消す」
「誰を」
「我らへ繋がる道を」
弥三郎。
もう遅い。
平戸。
遅い。
熊野。
遅い。
ならば。
府内。
「帳面を焼け」
「はい」
「銀の流れを変えろ」
「はい」
「船を散らせ」
「どこへ」
「一つは薩摩」
「一つは土佐」
「一つは」
男が地図を見る。
「石山へ」
日本人が。
顔を上げた。
「本願寺へ?」
「そうだ」
「しかし、本願寺は我らと」
「争う必要はない」
男は。
冷たく言った。
「疑わせればよい」
日本人の顔が。
強張る。
また。
同じことをする。
敵と敵を。
疑わせる。
「だが」
男は続けた。
「今度は」
「我らから手を出すな」
「では」
「物だけ流せ」
「銀」
「火薬」
「書状」
「我らへ繋がる物を」
「石山へ」
日本人は。
意味を理解した。
「見つけさせるのですか」
「ああ」
「織田に」
「本願寺が十二使徒と繋がっていると?」
男は答えなかった。
それが。
答えだった。
◆
だが。
彼らは。
一つ。
知らなかった。
石山本願寺でも。
同じ頃。
顕如が命じていた。
「これから入る荷は」
「すべて改めよ」
教如が驚く。
「味方の荷もですか」
「全部だ」
「何故」
「誰かが」
顕如の目が。
鋭くなる。
「我らへ」
「罪を被せようとした」
「一度あるなら」
「二度ある」
教如が。
息を呑んだ。
「船も?」
「見る」
「銀も?」
「見る」
「火薬も?」
「見る」
「書状も?」
「見る」
顕如は。
静かに言った。
「我らは」
「織田とは戦う」
「だが」
「誰かの駒になるつもりはない」
そして。
奇妙なことが起ころうとしていた。
織田。
朝廷。
高槻。
本願寺。
本来なら。
互いに争う者たちが。
同じ敵を。
別々の場所から。
追い始めている。
敵は。
まだ。
それを知らない。
府内から。
一艘の船が。
石山へ向けて。
動き始めた。
積まれているのは。
銀。
火薬。
そして。
十二使徒の印が押された。
一通の書状。
それは。
本願寺を陥れるための罠。
だが。
その罠は。
今度こそ。
仕掛けた者自身へ。
返ろうとしていた。




