第四十三話 ヒマリの杖
杖が完成するまで半月近くかかるらしい。
ただミスリルを加工すればいいというものではない。上質な杖として仕上げるためには、マナの流れを考え、適切な加工と仕上げをする必要がある。
それに、ファリア石は未知の素材だ。最適な加工方法を見つけ出し、賢者の杖の核として仕立て上げるのだから、それだけの時間が要るのだとドルフは言っていた。
その間、ヒマリはそわそわと落ち着かない日々を過ごしてきた。
朝、目を覚ますと、まず『今日、できるかな』と呟く。
アーシュが『まだだ』と返すと、少し肩を落として、それでもすぐに気を取り直して、アーシュの手を取り、共に街の探索に出かける。
ヒマリにとって、炉都の街は、見て歩くだけでも飽きない街だった。
工房を覗いては、職人が金属を打つのを眺めた。光る草を売る店で小さな鉢植えを一つ買った。菓子の屋台で、見たことのない焼き菓子を買って、宿で三人で分けて食べた。
五玉のところにも何度か顔を出した。
ミリルの彫金工房では、細かな細工を見せてもらった。ベナの縫製工房では、布の織り方を教わって、不格好な編み紐を一本作った。グラッドには採掘の話を聞き、トルパには魔導具の仕組みを教わった。
みな、ヒマリを孫のように可愛がった。ヒマリもすっかり五玉に懐いていた。
*
そうして過ごしているうち、気づけば十六日が過ぎていた。
「ヒマリ、迎えが来た。議事堂に行くぞ」
「迎え? 議事堂?」
「五玉が会議をする場所だ。どうやら、杖ができたらしい」
アーシュの言葉を聞き、ヒマリの目が大きく見開かれた。そして、
「行こう、アーシュ! 急いでいこう! ヴィラさんも! ほら!」
「わかったわかった。杖はにげねーよ……って、ヒマリ、引っぱんじゃねえ!」
ヴィラとアーシュの手を引き、迎えとともに議事堂に向かった。
議事堂は炉都の中枢にあった。
岩を削って造られた荘厳な建物で、高い天井から淡い光の草がいくつも吊るされていて、広い議場をやわらかく照らしている。
その中央に五玉が並んでいた。ガリオン、グラッド、ミリル、トルパ、ベナ。そして、その前にドルフが立っていた。
ドルフの手には、布に包まれた細長いものがあった。
「待たせたな、ヒマリの嬢ちゃん」
ドルフが布をそっと開いた。
現れたのは一本の杖だった。
ヒマリの背丈に合った短めの杖。銀色に輝くミスリルが、まるで若木の枝のようにしなやかに伸びている。節くれだった枝ぶりまで本物の木のようだった。
そして、その先端には乳白色の花が咲いていた。
ファリア石を花の形に彫り上げたものだった。五枚の花弁がふわりと開いて、その内側から淡い光の筋がゆっくりと流れている。枝の根本には淡い若草色のリボンがふわりと結ばれていた。
「……わあ」
ヒマリが息をのんだ。
「これは、エルディアの王都ユグドラールにある世界樹を模したものじゃ」
ガリオンが髭を撫でながら言った。
「わしらの賢者が使う杖にふさわしい意匠は何かと、皆で考えてな。ヒマリの嬢ちゃんには、世界樹の花が似合うじゃろうと思ったんじゃ」
「杖に使ったミスリルは、わしがダンジョンで掘ってきたばかりのものじゃぞ」
グラッドが、胸を張った。
「掘れた中でも、寄りすぐりのものを選んだぞい!」
「それを枝の形に打ったのが、わしとドルフじゃ」
ガリオンが続けた。
「ミスリルってのは、扱いの難しい金属でな。木の枝みてえな自然な形に打つのはよ、やたらと骨が折れた」
「男どもはそんなだからね、花はあたしが彫ったんだ」
ミリルがにっと笑った。
「ファリア石がまた、それはそれは硬くてねえ。彫るのに往生したが……いいできだろう?」
「こいつらは作るだけ作って、後のことはおざなりだからの、マナの通り道を整えたのがわしだ」
トルパがぼそぼそと言った。
「ファリア石とミスリルを、ちゃんと馴染ませねばマナが乱れる。これはわしでなければできん仕事よ」
「それでな、根元に結んだリボンがあるべよ? それ、おらが織っただ」
ベナがやわらかく笑った。
「おらたちの賢者様はよ、こんなにもかわいらしいんだからよ、杖にもリボンのひとつくらいなけりゃ勿体ないべ。だからちょこっとつけたんだ」
ヒマリが五人を順番に見た。それからドルフを見た。
みんなが自分のために力を合わせてこの杖を作ってくれた。そう思うと、胸がいっぱいになった。
「さあ、受け取れ。お前さんの杖だ」
ドルフが杖をヒマリに差し出した。
ヒマリが両手でそっとそれを受け取った。
杖を握ったその瞬間、ヒマリは目を見開いた。
「……あ」
手のひらから杖を通って、ヒマリのマナがすうっと流れていった。
これまでは、自分の中でぐるぐると渦巻いているマナを宥めるように手に向けて流していた。
なのに、杖を握ると、まるで整えられた水路を流れるように、すんなりと外へ出ていく。
「アーシュ……これ、すごいよ」
ヒマリの声が震えていた。
「マナがすごく、扱いやすい……いつもより、ずっと、楽……」
「ドルフと五玉が作り上げた賢者の杖だからな」
アーシュが頷いた。
「お前のマナは、量も質も桁外れだ。これまではそれを自分の体だけで制御していた。だが、その杖が間に入ることで流れを整えてくれる」
「……うん、わかる。なんか、すーって、いく」
ヒマリが嬉しそうに杖をぎゅっと握った。
その様子を見ていたベナが、ふと、思い出したように布の包みを一つ差し出した。
「リボンだけだと、おらの気がすまねえからよ。ほれ、ヒマリちゃん、これも持ってけ」
「え……?」
ベナが差し出した包みの中には、旅に使いやすいよう仕立てられた外套と、お揃いの若草色の編み紐が入っていた。
「お前さんの旅は、まだ続くんだべ? これから冬になるしよ、暖かいのを着てかんとな」
「ベナおばあちゃん……ありがとう」
ヒマリは外套をぎゅっと抱きしめた。目が少し潤んでいた。
*
杖を握ったヒマリは、うずうずとした顔でアーシュを見上げた。
「アーシュ、わたし、これで魔法ためしてみたい!」
「ああ。だが、ここでは……まずいな」
アーシュが、議場を見回した。荘厳な議事堂の中で魔法を放つわけにはいかない。
「ほっほ、いい顔をするのう」
ガリオンが笑った。
「わしらもその杖から放たれる魔法には興味がある。どれ、街の外にでも、出ようかの」
*
炉都の門を抜けて岩山の中腹まで出た。
あたりは、ごつごつとした岩ばかりの乾いた景色だった。相変わらず草の一本も生えておらず、風が砂埃をかすかに巻き上げていた。
「ここなら何をやっても構わんぞ」
グラッドがにっと笑った。
ヒマリが杖を両手で構えた。
「うーん……何を使おうかな」
「雨を降らせてみろ」
「……えっ?」
ヒマリが目を丸くした。
「でも、わたしまだ、霧までしかできないよ?」
「ダンジョンで鍛え、その杖を手に入れた今のお前なら……できる」
アーシュが、静かに言った。
「水を細かくして、空気に散らす。それを、もっと高く、もっと広くやるんだ」
「……やってみる」
ヒマリが目を閉じた。
杖を空に向けて、ゆっくりと掲げる。
手のひらからマナが杖へと流れ込んでいく。ファリア石の花が淡く光り始めた。その光が枝を伝って、先端からふわりと空へと立ち上っていく。
空気がしっとりと湿り気を帯びていった。
ヒマリの頭上に小さな雲のようなものが生まれた。淡い、白いもや。それが、だんだんと濃くなっていった。
そして――
ぽつりと、雫が落ちた。
ぽつ、ぽつ、ぽつ……。
雨が降った。
ヒマリの頭上の、ほんの小さな範囲。畳、数枚ほどの広さに、さらさらと細い雨が降り始めた。乾いた岩肌に点々と黒い染みが広がっていく。
「……ふって、る」
ヒマリが目を開けて呟いた。
「雨……わたし、雨、ふらせてる……!」
その時、岩山の合間から光が差し込んだ。
降りそそぐ細い雨にその光が当たって――
ヒマリの目の前に小さな虹がかかった。
淡い、けれどはっきりとした七色の橋。乾いた岩山の中にヒマリの降らせた雨と、一筋の光が小さな虹を生み出していた。
「……にじだ」
ヒマリがぽかんと口を開けた。
「にじだ……! アーシュ、にじ、できた!」
「ああ」
「わたしの、雨で……にじ、できたよ!」
ヒマリの顔がぱあっと輝いた。
「おおおお!」
「すげえだ! 雨だ、雨が降ってるべよ!」
「虹まで出おったわ!」
五玉が子どものようにはしゃいだ。ヴィラも口を開けて虹を見上げていた。
「すげえなあ、ヒマリ! グランヴォルトに雨を降らせて、虹まで出しやがった!」
「えへへ……」
ヒマリが照れたように笑った。それから、もう一度杖を掲げて雨を少しだけ強くした。
虹がほんの少し、濃くなった。
アーシュはその様子を満足そうに見ていた。
旅の途中、雨の練習を始めた頃のヒマリは、手のひらに小さな水玉を浮かべるのがやっとだった。それが今は、杖を手にして、岩山に雨を降らせ虹までかけている。
その光景を見た瞬間、アーシュの胸の奥で、また小さく何かが鳴った。
もう、それが何なのかを考えることはしなかった。ただ、その音を静かに聞いていた。
虹の下でヒマリが笑っていた。
五玉がはしゃいでいた。
ヴィラが嬉しそうに、その背中をばしばしと叩いていた。
乾いた岩山に雨が降っている。
それは、ほんの小さな雨だった。
けれどアーシュには、ヒマリが空へ向かってそっと枝を伸ばし始めた証のように見えた。




