第四十四話 また、巡り
ヒマリの杖が完成した。
目的は果たせたし、この国にだいぶ滞在してしまっている。
居心地が悪いわけではなかったが、流石にそろそろ出立しようということになった。
そうと決まってからは早かった。
五玉やドルフに挨拶をし、ヒマリを置いて行けとぐずられ、それを断って。
旅の支度をしに市場に行けば、どの店でも金を受け取ってもらえず、予定よりもだいぶ多い食料や消耗品を受け取ることになってしまった。
「あんたらは恩人だからな。金はもらえねえよ」
どの店の主人も口を揃えてそう言っていた。ヒマリは申し訳なさそうにし、ヴィラは笑顔で礼を言い、アーシュはどこか居心地が悪そうな顔をしていた。
そして今日は出発の日だ。
宿の前で、サクラに荷物を積んでいく。ヴィラが、あれもこれもと荷を括りつけようとして、サクラにぐいと頭で押し返されている。
「おわっ、なんだよサクラ。これくらい平気だろ」
「グルルルゥ」
「……わかったわかった。積みすぎだってんだろ。ちっ、けちなやつだな」
ヴィラがぶつぶつ言いながら、荷物をいくつか下ろした。サクラが満足そうに鼻を鳴らした。
ヒマリは新しい外套を着て、その様子をくすくすと笑って見ていた。背中には世界樹を模した杖。腰にはベナがくれた若草色の編み紐をお守りのように、結んでいる。
「ヒマリ、その外套、ちゃんと前を留めとけよ。だいぶ風が冷たくなってるからな」
「うん」
ヒマリが外套の前をきゅっと留めた。
*
出立の支度が整い、宿の前から動き出したところで、ドルフと五玉が見送りに来た。
「どうやら間に合ったようだ。ほんとにもう行っちまうんだな……」
ドルフが腕を組んで少し寂しそうに言った。
「ああ。世話になった」
「なに、礼を言うのはこっちのほうだ。ミスリルも戻ったし、最高の仕事をさせてもらった。職人冥利に尽きるってもんよ」
ドルフがヒマリを見てにっと笑った。
「嬢ちゃん、その杖、大事に使ってくれよな。手入れの仕方は教えたとおりだからよ」
「うん。ドルフさん、ありがとう。すごく、すごく、大切にするね!」
ヒマリが杖をぎゅっと抱きしめた。
ドルフがふっと目元を緩めた。それから、ごしごしと目をこすった。
「おっ? ドルフどうした? 泣いてんのかよ」
「……ちっ、なんでもねえ。炉の煙が目に入っただけだ」
「煙……? わたしには、みえないけど……」
「俺にだけ見える煙があるんだよ……」
ヒマリがきょとんとすると、ヴィラが横でげらげらと笑った。
「これ、泣き虫小僧。邪魔だからさっさとどいとくれ」
「んだと、クソババア……いってえ! 本気で殴るこたねえだろ……」
ミリルがドルフを追い払うと、五玉がわいわいと前に出てきた。
「アーシュ、ヴィラ、ヒマリの嬢ちゃん……達者でな」
ガリオンが髭を撫でて言った。
「再生の祭りの日に顔を見せに来ると良い。盛大にやるからの」
「祭りは気になっけどさあ、めちゃくちゃ遠いからなあ……」
ヴィラがめんどくさそうな顔をする。
「せっかくの祭りじゃ、いい酒とうまい肉をたんと振る舞うぞ」
「よし、なら俺は来る。絶対来るからな!」
「現金なやつじゃのう」
ガリオンが、からからと笑った。
ミリルがヒマリの前に来て、外套の襟をきゅっと直した。
「ほら、こんなに着崩して。賢者様がだらしない格好してちゃいけないよ」
「あ……ありがとう、ミリルおばあちゃん」
「あんたも祭りに来ると良いさ。次はもっといい細工を見せてやるからね」
「うん! お祭りみたい! いいよね、アーシュ」
「そうだな、なるべく間に合うよう、旅程を考えておこう」
ベナがヒマリの頭を優しく撫でた。
「ヒマリちゃん、元気でな。外套、似合っててよかっただよ」
「ありがとう。ベナおばあちゃんも、元気でね」
トルパとグラッドもそれぞれ別れの言葉をかけた。湿っぽくなりすぎない、けれど温かい見送りだった。
「またね、ドルフさん、おじいちゃん、おばあちゃんたち」
ヒマリがぶんぶんと大きく手を振ると、五玉とドルフは顔をくしゃくしゃにして両手を振っていた。
*
炉都の坂道を門へ向かって登っていく。
その道すがら、街の人たちが三人に声をかけてきた。
「お、ミスリルを戻した嬢ちゃんたちじゃねえか!」
「ありがとうな! おかげで、また仕事ができるぜ!」
「なんだよ、旅立っちまうのかい? 残念だが、しゃあねえな。また来いよ!」
工房の前で槌を振るっていた職人が手を止めて手を振った。荷車を引いていたドワーフが、にっと笑って頭を下げた。買い物帰りの女性が子どもを抱き上げて「ほら、英雄様だよ」と、ヒマリたちを指さした。
声は坂道のあちこちから、次々と飛んできた。
ヒマリは最初どうしていいか、わからない顔をしていた。
それから、ぱっと顔を赤くしてアーシュの外套の裾を、ちょっとだけ握った。けれど、隠れはしなかった。おずおずと声のするほうへ小さく頭を下げる。
「あ……ありがとう、ございます」
声をかけられるたびに、ヒマリの頬がどんどん赤くなっていく。それでも、その口元は嬉しそうにゆるんでいた。
最後にはおずおずと、けれど確かに手を振り返していた。
「えへへ……」
恥ずかしそうに、でも、嬉しそうにヒマリが笑った。
ヴィラがその様子を見てにやにやと笑った。
「よかったな、ヒマリ。お前もすっかり英雄様だ」
「もう、ヴィラさん、からかわないで……」
「からかってねえよ。ほんとのことだ」
アーシュはその隣で何も言わずに、ただ歩いていた。
けれど、その横顔は穏やかだった。
*
炉都の門をくぐり、坂を登りきると岩山の麓に出た。
「さて、と」
ヴィラが伸びをした。
「アーシュ、お前らはこれからどうすんだ?」
「ああ」
アーシュが東の方角を見た。
「ヒマリと旅立ってから、半年以上過ぎたからな。そろそろ、一度森の様子を見に行こうと思う」
「森っつうと……魔の森か?」
「ああ。長く留守にした。留守番をまかせた魔物も、気にかかるからな」
ヒマリがぴくりと反応した。
「魔の森……おうちがあったところ?」
「ああ。東へ抜けて、ルミナリア領に出る。ミナストリアから川を渡って魔の森に向かう予定だ」
ヒマリの顔がぱあっと明るくなった。
「森に帰るの?」
「ああ。だが、様子を見たら、また、旅に出ようと思うが、どうだ」
「うん! それでいいよ!」
ヒマリが嬉しそうに頷いた。それから、ふと何かを思い出したようにアーシュを見上げた。
「ねえ、アーシュ」
「何だ」
「その道って……バウレン村、とおる?」
「バウレンか……」
「クレにね、会えるかなって」
ヒマリがおずおずと聞いた。
アーシュは少し考え、言葉を選んでから言った。
「森に向かうルートでは通らないが、また森から出立した後、バウレンを通る」
「ほんと?」
「ああ、エルディア方面に行く予定だからな。その時に、お土産を渡せばいい」
「うん! あのね、クレにはね、たくさん用意しててね、貝殻と、お花の石と、それから……あっ、エルディアなら、リュッカさんとフィロルさんも居るよね!」
ヒマリが、収納に集めたお土産を、指折り数え始めた。あれも見せたい、これも渡したい、と、嬉しそうに。
*
アーシュ達は、この国で旅の起点になっている街、ナハル・ファリスへ向かっていた。
そこから伸びる道が、ルミナリア領へ、エルディア王都方面へ、そして旧都ルミナスへと枝分かれしているからだ。
乾いた岩山の道は、やがて、なだらかな下り坂になっていく。
アーシュは、隣を歩くヒマリを、見た。
新しい外套に身を包み、背に世界樹の杖を負って、お土産の話を楽しそうにしている小さな弟子。
かつては森の中で一人だった。
焚き火の音だけを聞いて夜を過ごしていた。語る相手もなく、ただ、炎の爆ぜる音が相槌のようだった。
あの頃は、それで十分だと、思っていた。
今は隣をヒマリが歩いている。
少し後ろでは、ヴィラがサクラに何かを食べさせようとして、また頭で押し返されている。
それが、なんだか悪くないと思った。
「アーシュ、はやく、はやく!」
気づけばヒマリが少し前を歩いていた。振り返って手招きをしている。
風が吹いた。
ヒマリの杖に結ばれた、若草色のリボンがそっと揺れた。新しい外套の裾がふわりと、なびく。
「ああ、今行く」
アーシュが歩を進めた。
アーシュとヒマリ、それぞれが様々な思いを頭に浮かべ、帰還への旅がまた始まった。
向かう先に待ち受けるのは良いことばかりではないかもしれない。
それでも、アーシュがいれば。
それでも、ヒマリがいれば。
きっと、悪いことにはならないだろう。
二人は意図せず見つめ合い、互いにそう思った。




