第三十三話 小さな賢者さま
指示役のヒマリを残し、アーシュとヴィラがパズルの床へ降りていった。石板の前で短く言葉を交わし、まずはヴィラが先に動かすことになったようだ。
「ヒマリー! どうすりゃいい?」
「えっとね、いま、空いてるマスのね、左の石板を、右に押して」
「左の石板を……これか?」
「うん、それ」
「よっしゃ」
ヴィラが、ぐっと、肩を入れて、石板を押した。
ずず……ずず……と石が擦れる重い音がして、石板がゆっくりと空いているマスへ動いていく。マスからマスへ。一つ動いた。
「……クッソ、地味に重てえなこれ! なんだよこの重さ、一トンはあんじゃねえか!?」
「ヴィラさん、つぎはね、今あいたとこに、上の石板をおろしてきて」
「上の石板……これだな、よっしゃ」
ヴィラがまた、肩を入れて押す。今度は、上から下へ。ずず、ずず、と、石が動いていく。
「ぐっ……ふう……」
二枚目を押し終わると、ヴィラが額の汗を手の甲で拭った。
「おいアーシュ、次はおまえがやってくれ。さすがに、立て続けは、しんどいわ」
「ああ」
アーシュが交代で、石板に手をついた。
超越種のアーシュには、ヴィラほどの負担はかからない。けれど、それでも楽な作業ではなかった。一マス、一マスを確実に慎重に動かしていく。
ヒマリが踊り場から声をかける。
「アーシュ、つぎはななめ下の石板を、右にうごかして」
「分かった」
ぼんやりと明るい地下の大部屋に、ヒマリの声と石板がこすれる低い音が鳴り響いていた。
*
パズルはゆっくりと進んでいった。
ヒマリの指示は明確だった。「あれを、こっちに」「次は、それを、あっちに」「あ、ちがう、もう一つ右」「うん、それであってる」一つ一つ、丁寧に進めていった。
時々、間違えそうになったが、すぐに修正を入れていた。
「あ、ヴィラさん、それじゃない。その隣の」
「お、わりい」
ヴィラが、押しかけた手を止めて、別の石板に移る。
「ふう、ヒマリ、今どんなもんだ?」
「けっこう、それっぽくなってきたよ」
「まじか。こっからだとよくわからんわ」
ヴィラは石板を押しながら上を見上げてぼやいた。
踊り場のヒマリは、手すりに身を乗り出して真剣な顔で床を見下ろしていた。指で空中に何かをなぞっている。完成図を自分の中で確かめているのだろう。
その様子を見て、アーシュはふと、思った。
ヒマリが、自分達に指示を出している。それも的確にだ。
森の家で粥を一口ずつおそるおそる啜っていた小さな影が、今ではこんなにも、頼もしく踊り場に立ち、大人二人に指示を出している。
胸の奥で、何かが、小さく動いた。
コトリ。
とても小さな音だった。
(……ヒマリに指示を仰ぐ日が来るとはな)
アーシュは小さく微笑み、その音を黙って受け止めた。
*
ヴィラとアーシュが何度も交代しながら、二十手、三十手と、石板を動かしていった。
踊り場の上で、ヒマリは小さく息を吸う。
間違えたら、また最初からかもしれない。そう思うと、喉がきゅっと縮んだ。
けれど、下でアーシュが待っている。ヴィラが「次はどうする」と顔を上げている。
だからヒマリは、もう一度、完成した花の形を頭の中に浮かべた。
やがて、正解までのハッキリとした道筋がヒマリの目に見えた。
(あと、五回動かせば、ゴールだね!)
あと五手、あと四手、あと三手、あと二手。
最後の一手を、ヒマリの指示でアーシュが押した。
ズズズ……と、石が動いて、ぴたりと定められた位置に収まった。
その瞬間――
床全体がぼうっと光った。
石板の模様が淡い金色に輝き、それぞれの模様が隣の石板の模様と繋がっていく。
そして、最後に空いていた、たった一マスの空白から新しい石板が、ぐぐ……ぐぐ……とせり上がってきた。
ヒマリが踊り場で息をのんだ。
せり上がってきた最後の石板が、ぴたりと床と同じ高さに揃った。
その瞬間。
十六枚の石板の模様が完全に繋がった。
床一面に、一輪の大きな花の絵が淡い金色に輝いて浮かび上がった。
「……できた!」
ヒマリが踊り場で両手を上げた。
「アーシュ、ヴィラさん、できたよ! お花!」
「やったなヒマリ! さっすが俺らの賢者さまだ!」
「ああ、よくやった」
アーシュとヴィラが、額に浮いた汗を拭った。
ヒマリが、踊り場からぱたぱたと階段を駆け下りてきた。
花の絵が描かれた床の前で、三人が並んで立つ。
そして――
花の中央から、台座がせり上がってきた。腰丈ほどの小さな石の台座。その上に、見覚えのある形の石板がすっと現れた。
石板の表面に文字が浮かび上がっていく。
「アーシュ、これって、いつもの……」
「ああ。読み上げよう」
アーシュが、低い声で読み上げた。
『木々の洗礼をくぐり抜け、第二の謎をよくぞ解いた。次の試練に進む権利を与えよう』
最後の文字まで読み上げると、石板の文字が淡い金色に輝いた。
その光が、台座を伝って床の花の模様へと流れていく。
花の絵がぱあっと強く輝いた。
次の瞬間、花の模様の中央が淡く青く光り円形の紋様に変わった。それは転移装置の紋様と同じだった。
「……転移装置に、変わった、ね」
「ああ」
ヒマリが転移装置を見つめていた。
それから踊り場のほうを振り返った。
階段の上の踊り場、さっきまで自分が立っていた場所。あそこから、自分の指示で、二人が石板を動かして絵を完成させた。
そう思うと、ヒマリはなんだかふわふわした気持ちになっていた。
「ヒマリ」
アーシュが声をかけた。
ヒマリは、すぐには返事ができなかった。
自分が踊り場から声をかけるたびに、アーシュとヴィラが動いてくれた。
間違えたらどうしようと思いながら、それでも最後まで指示を出した。
ばらばらだった模様は一つの花になって、次へ進む転移装置まで現れた。
自分の言葉で、二人を導けたのだ。
「お前のおかげだ」
その言葉が胸に染みて、ヒマリは頬を少し赤くした。
「……えへへ」
ヴィラが横からヒマリの頭をわしわしと撫でた。
「いやー、すげえなお前。言ったとおりになったじゃねえかよ」
「うん。ちゃんとできてよかったよ」
「俺らじゃ、こうはいかなかった。本当に、助かったぞ」
「うん……」
ヒマリは、撫でられながら、にこにこと笑っていた。
アーシュはそのヒマリの顔を見ていた。
残された問いはまだ多い。
なぜ、ダンジョンの中にこんな仕掛けがあるのか。
誰が作ったのか。
最奥に至るまで、あとどれだけの謎を解けばいいのか。
だが今は、それよりも先に、またひとつ成長したヒマリの姿が胸に残っていた。
淡く青く輝く地下の大部屋で、ヒマリはまだ少し照れたように笑っていた。
小さな賢者さま。
ヴィラがそう呼んだ言葉は、今のヒマリに、とてもふさわしいものに思えた。




