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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第三十話 蜜色のフレンチトースト

 昼食後、休憩を挟んで一時間ほど歩いたところで、ヒマリの水玉がようやく震え始めた。


 しっかりとした水玉ではない。表面が細かく波打ってぶるぶると、不安定に揺れている。けれど、それは確かにこれまでの「動かない水玉」とは違うものだった。


「アーシュ、見て! ふるえた!」

「ああ」

「もっと、こまかく、しないとだよね」

「焦るな。今日は、震えるだけで十分だ」


 ヒマリは、嬉しそうに頷いて、また、水玉に意識を集中させた。


 ヴィラが前を歩きながらちらりと振り返った。


「あいつ、覚えるの早えなあ」

「賢者スキルのおかげだろうな」

「いやー、それだけじゃねえだろ。本人の集中力もすげえわ」


 ヴィラが、にっと笑った。


「やる気のあるやつはよ、伸びるんだわ。俺も子どもの頃、剣の稽古が楽しくて仕方なかったからな」

「子どもの頃から剣を振っていたのか」

「あったりめえだろ。ドラグニル人だぞ? つか、お前もだろうがよ」

「……ああ、そうだった、な……」


 アーシュは、今は遠きじっちゃんとの日々を思い出し、空を見上げた。



 夕方、結界玉で野営の準備を整えた。


 案の定、ヒマリは昨日同様にぐってりとテーブルに伏せている。


 悪いと思ったが、ヒマリに声をかけて、食材を出してもらった。


 食パンに、ミルク、卵、砂糖、それと――ヴィラとヒマリが集めていたペルロの蜜だ。


「アーシュ、なに、つくるの?」


 蜜を出したのを見て、ヒマリが元気を取り戻したようで、ふわふわとした足取りでやってきて、興味深そうにアーシュの作業を見つめている。


「まあ見ていろ」

「むう、また、それ?」


 少し、口を尖らせたが「楽しみは、取っておくものだ」というと、何か納得したのか、おとなしくソファに向かってぺたりとうつ伏せになった。


 アーシュはミルクと卵と砂糖を深い皿に混ぜた。そこにパンを一枚ずつ両面に浸していく。そこに手をかざし、風属性の魔法で、卵液を奥まで染み込ませていく。


 間もなくして、まるで一晩かけてじっくりと卵液を吸わせたかのようになった。


 フライパンに、バターを溶かして、パンを並べた。


 じゅうと音が鳴り、バターの香りが、家の中に広がっていく。

 もうひとつフライパンを出し、こちらでは厚切りのベーコンを焼いていく。


 バターの香りと、ベーコンの脂の香りが室内に広がっていく。


 ヴィラがソファから飛び降り、アーシュのもとに駆け寄った。


「おいおい、なんだよこのやべえ匂いは! 腹が唸りやがるぜ!」

「大人しく待ってろ……ヒマリもか」

「えへへ……だって、匂いがね、すごく、いいんだもん」


 目をらんらんとさせた二人に見守られながら、パンの両面がこんがりと黄金色に焼き上がった。


 皿に取って、上からペルロの蜜をたっぷりとかけていく。


 黄金色のパンに、琥珀色の蜜がゆっくりと染み込んでいった。


「わあ」


 ヒマリが両手を上げて笑顔を見せた。


 ふわとろのフレンチトーストに、厚切りのベーコンを添え、テーブルに並べた。

 

「食べてみろ。フレンチトーストだ」

「ふれんち、とーすと、っていうんだ……」


 ヒマリがフォークで一切れ口に運んだ。


 その瞬間――


 顔がとろけた。


「……っ、あま……っ、ふわふわ……っ、おいしい……っ、すごく、おいしい……っ!」


 ヒマリが頬を両手で押さえた。それから、もう一口もう一口、と、頬を膨らませながら、食べていった。


 その正面では、口にフレンチトーストを突っ込んだままヴィラが固まっていた。


「……っ、おお……っ、おおおおお……っ、なんだこりゃあ! うめえぞアーシュ! なんだこの、これはよ! どうやったら、パンがこんなうめえもんになるんだ!」

「卵とミルクと砂糖を浸して焼いただけだ」

「それだけかよ! なんで今まで作らなかった!」

「この蜜が無ければ、完成とは言えないからだ」

「それを言われちゃ、しょうがねえわな」


 ヴィラが、ぶつぶつ言いながら、ベーコンを、ぱくりと、口に放り込む。


「うおお、甘いのにベーコンとか意味わからんと思ったが、意外と合うな」

「だよね、甘いのとしょっぱいのとで、ずっと食べれちゃうよ」


 ヒマリは、もう、口の周りを蜜で、べたべたにしながら、夢中で食べていた。


 その顔を見て、アーシュはほんの少し口の端を緩めた。



 夜、結界玉の光のなかで焚き火だけがぱちぱちと音を立てていた。


 ヒマリは今日もまた、満足するまで食べたあと、もぞもぞとベッドの毛布へと潜り込んでいった。


 ヴィラが、火の前であぐらをかいてにやにや笑っていた。


「アーシュ、最近さ、ヒマリのこと甘やかしすぎなんじゃねえか?」

「……そうか……いや、そうだな」

「ま、いいけどよ。あいつ、すげえ嬉しそうだったしな」


 ヴィラが空を見上げた。


「ダンジョンでよ、こんなふうに家でうまいもん食って、結界の中でぬくぬくしてるたぁ、贅沢の極みだぜ」

「……そうだな」

「俺らとの旅の時にも、前世のメシとやらを出しても良かったんだぞ?」

「そう、だな……今思えば、そうすべきだった」

「ま、いいけどな。今こうしてうまい思いさせられてるし」


 ヴィラが火に小枝をくべた。


 アーシュはしばらく火を見ていた。


 ヒマリは今日、自分の力で風魔法の練習を始めた。歩きながら、汗をかきながら、それでも、水玉を震わせるところまで自分の力でたどり着いた。


 明日もヒマリは練習をするだろうし、また少し前に進むだろう。そしていつか、このジャングルの暑さを、自分の風でしのげるようになるはずだ。


 また一つ、ヒマリの「自分でできること」が増えた。

 一人前として前を向いて歩けるように、ゆっくりと、けれど確かに、一歩ずつ進んでいる。


(じっちゃんも、俺をそんなふうに見ていたのかも知れないな)


 アーシュは火に、もう一本小枝をくべた。


 どこかで、夜の鳥が鳴く声が美しく響いていた。



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