第二十四話 奥へ、奥へ
森のダンジョンを三人はゆっくりと歩いていた。
頭上には青い空、足元には柔らかな草。木漏れ日が地面に揺れて、葉の擦れる音が絶え間なく聞こえている。風はあたたかく、湿った土の匂いを運んでいた。
「アーシュ、ここ、ダンジョンとは思えないね」
「ああ。本物の森のようだ」
「いやー、ほんと、空があるってのは、いいもんだな」
ヴィラが大きく伸びをした。
ヒマリは、目をきらきらとさせながら辺りを見回している。歩くたびに足元の草がふわふわと揺れた。
しばらく進んだあたりで、ヒマリがふと足を止めた。
「アーシュ、これハーブだよ!」
指さす先には、見覚えのある葉の形をした植物が群れて生えていた。
アーシュがしゃがんで葉を一枚摘み、軽くこすって匂いを嗅いだ。
「ああ、確かにそうだな。これは肉の臭み消しに使える」
「とっても、いい?」
「ああ、頼む。ただし摘むのは葉だけだ。これは、そうしておけば、また増える」
「わかった!」
ヒマリが慎重に葉だけを摘んでいく。それを丁寧に収納にしまった。
ヴィラがその横で別の草を覗き込んでいた。
「お、これは見たことあるぞ。確か、傷薬の材料になるやつだよな」
「ヘリオラだな。回復薬の材料にもなる」
「やっぱりか。ルミアに手伝わされて摘んだ覚えがあるぜ」
「あ、ヴィラさん! それも欲しいかも!」
「はは、ルミアがいねーから楽だと思ったら、ヒマリに使われんのかよ」
「……おねがいしていい?」
「ああ、いいぜ。こいつを摘むのは慣れてんだ、まかせとけ!」
ヴィラも葉を摘み始めた。
採取を終え、再び森を歩き始めると、あちらこちらに薬草やハーブが顔を出しているのが見えた。ヒマリは、それを見つけるたびに、目を輝かせて駆け寄っていく。
「アーシュ、これは?」
「グリエン。お茶にできる」
「これは?」
「分からん。匂いを嗅いでみろ」
「……うん、いい匂い」
「なら、いくつか採っておけ。いつか詳しいやつに聞いてみよう」
「うん!」
しばらく進むと、低木に赤い実がなっているのを見つけた。
「お、果物じゃねえか。これは……食えるやつだよな?」
「ああ、ポッシュの実だな」
ヴィラは慣れた手つきでひとつもぐと、ナイフで皮をぐりっと剥いてぱくりとかじった。
「うん、甘酸っぱくて、うめえ!」
「アーシュ、わたしも、たべていい?」
「ああ、食べてみろ」
「うん!」
ヒマリも小さな手で実をもぎとった。アーシュが皮を剥いてやると、おそるおそるかじる。
「……すっぱい! でも、後から甘くておいしい!」
ヒマリが顔を輝かせた。
ヴィラが笑いながらヒマリの頭を撫でた。
「だろ? 森の果物ってのは、酸味があるくらいがちょうどいいんだ」
「うん! りんごみたいなのに、みかんみたいな味で楽しいな。いっぱい、とっていきたい!」
「そうだな、これは土産にもなる。多めに採っておこう」
アーシュが頷くと、ヒマリは大喜びで、収納に実をしまい込んでいった。
時折、フォレストウルフの様な魔物や、ゲオルシュのような、ゲル状の魔物が現れたが、さほど強くはなく、ヴィラが剣を抜くまでもなく蹴りひとつで倒していた。
*
森を歩き始めてから二時間ほどが経ったところで、唐突にアーシュが足を止めた。
「……」
「アーシュ?」
ヒマリが不思議そうに見上げた。
ヴィラも、すぐに何かに気づいた顔をした。
「お、これは……ここに入った時に感じたやつか?」
「ああ、似ている」
アーシュは周囲に意識を広げた。
空気そのものが、わずかに揺れたような感覚があった。風の強さは変わらない。木々のざわめきも、さっきまでと同じだ。
けれど、肌に触れる空気だけが、わずかに違っていた。
(視覚的には、継続した森に見えるが……)
先ほどまで歩いていた森と、今、足元にある森。同じ景色のはずなのに、空気の質がわずかに違う。
「ヴィラ、感じたか」
「ああ、感じた」
ヒマリが、二人の顔を、見比べた。
「もわっとした、あわを抜けた感じのこと?」
「泡か。なるほど、ヒマリも感じたか」
「えっと……うん。空気が、ふわって、なった感じだよね」
ヒマリが、自分の指を、ぴこぴこと動かしながら答えた。
「階層をまたいだのだと思うが、ヴィラ、お前はどう思う」
「俺もそう思うぜ。ここに来た時と同じだ」
「ああ。空間が、切り替わったのだろうな」
アーシュは頷いて、もう一度周囲を見回した。景色は何も変わっていない。木の高さも、葉の色も、空の青さも、さっきまでと同じで、後ろを振り向けば、これまで歩いてきた道のりがそのまま見えていた。
だが――
(魔物の気配……だが、少し妙だ。確かめてみるか)
「ヒマリ。あの木に向かって小石を投げてみろ」
アーシュは近くの低木を指さした。先ほど食べた、赤い実がいくつかぶら下がっている木と同種のものだ。
ヒマリは、不思議そうな顔をしながら、えいっと、小さく声を発し、小石を投げた。
ふわりと放物線を描いて飛んだ小石が、こつんと音を立てて木にあたった。
その瞬間。
ガサッ、と、低木の奥から何かが飛び出してきた。
これまでも何度か現れていた、フォレストウルフのような魔物だった。それが、歯を剥き出し、こちらに向かって飛びかかろうとしているのか、体を低く沈めている。
「ヒマリ、下がってろ」
ヴィラが前に出ていた。強く踏み込んで犬の魔物を蹴り飛ばす。魔物は木の幹にぶつかって地面に転がった。しばらく呻いていたが、起き上がってもう一度唸り声を上げた。
「それでくたばってりゃ楽だったのに、よ!」
ヴィラが剣を抜いて一閃した。
犬の魔物は二つに分かれて地面に倒れた。
「ふん。ここからが本番ってことかよ」
ヴィラが、剣を振って血を飛ばした。
アーシュはその魔物を見ていた。
(明らかに、隠れてヒマリを狙っていたな)
これまでの個体と比べて随分と賢く、ヴィラの蹴りを受けてもすぐに立ち上がる程度には頑丈になっている。
「ヴィラさんのキックで倒せなかったね。もしかして、魔物、つよくなってる?」
ヒマリが心配そうに訊いてきた。
「ああ」
アーシュは、頷いた。
「やっぱ、階層が進んだので間違いなさそうだな」
「ダンジョン特有の現象だな。同じ魔物でも階層をまたげば強さが変わる」
「視界には、何も変わったところはねえが、十二階層に下りたってことになんのか?」
「ああ、そうだろうな」
ヒマリがぽかんと口を開けた。
「えっ。かいだんを通ってないのに?」
「ああ」
「のぼってないし、おりてもないよ?」
「そうだな」
アーシュが頷いた。
ヒマリがぐるりと辺りを見回した。視界の中には上に行く道も下に行く道もない。ただ、平らな森が続いているだけだった。
「えーと……」
ヒマリが首をこてんと傾げた。それから、少し考えた後、何かを思い出したのか、はっとした顔をした。
「そうだった。思い出したよ。ダンジョンってね、上がったり、下がったりだけじゃないんだった」
「何だお前、なんか知ってんのか?」
ヴィラが目を瞠った。
「うん。施設で、ならったの」
ヒマリがこくりと頷いた。
「あがるダンジョン、さがるダンジョン、まじったダンジョン。日本に、いっぱいあるから、いろんな、種類を、勉強しておぼえたの」
ヒマリは、少しだけ懐かしそうな顔をして、そう答えた。
「でもね、こうやって、森みたいなとこをね、横に、進んでいくのはね、教科書で読んだだけで、動画を見たことはなかったから、わくわくするよ」
ヒマリがにっこり笑った。
アーシュはその笑顔を見ていた。
ヒマリは施設で習った知識をごく自然に口にした。施設という言葉に影が差すこともなく、ただ、自分が持っている知識として。
(……強くなった、というのとはまた違うな)
ヒマリの中で、施設の記憶はもう傷ばかりのものではないらしい。覚えたことは覚えたこと。それを必要な時にちゃんと使える。そういう距離の取り方を、できるようになりつつあるのだろう。
「勉強してるとかさ、偉いよな、ヒマリはよ」
ヴィラが、感心したように頷いた。
「なあ、アーシュ。アウローラのもこんな感じなのかね?」
「分からん。だが、環境型ダンジョンというのは、こういう作りなのかもしれないな」
アーシュは森の奥の方を見た。
マナの揺らぎは奥のほうから感じた。あれがきっと、十一階層から十二階層へ飛ぶ境界なのだろう。
歩いてきた道を振り返る。背後の景色も目の前の景色と何も変わらない。森がただ広がっているだけだ。
目印になりそうな特別なものはない。だが、マナの気配なら追える。
「ヴィラ。揺らぎの方向は感じるか」
「ああ。あっちだよな?」
「俺もそう感じる。揺らぎの源を辿れば次の層に出られるだろう」
「はは、仕掛けがわかりゃ、普通のダンジョンより楽じゃねえか」
アーシュがヒマリの顔を見る。
「ヒマリ、もう少し進むが大丈夫か?」
「うん、まだだいじょうぶ!」
「そうか。疲れたら早めにいえ」
「うん!」
ヒマリは元気よく頷いた。




