第二十三話 広がる青
扉が消え、十一階層へと続く道がぽっかりと口を開いた。ヒマリが、ぱあっと顔を輝かせた。
「アーシュ、あいたね!」
「ああ」
アーシュは開いた扉の向こうを見た。
その奥は暗くてよく見えない。だが、これまでの洞窟の通路とは、明らかに違った。湿った岩の匂いではなく、もっと別の――広い場所の開いた空気の匂いがした。
「行くか」
ヴィラが立ち上がった。
「向こうがどうなってるか楽しみだぜ」
「ああ」
アーシュが頷いた。ヒマリを見ると、ヒマリは扉の向こうをわくわくとした顔で覗き込んでいた。
「ヒマリ、まずは俺が先に行く。お前はその次だ。ヴィラはしんがりだ。いいな」
「わかった!」
「了解」
アーシュが先に扉をくぐった。
(今、何かマナの揺らぎを感じた……)
妙な感覚を覚えた。一度戻って様子を見ようかと思い、後ろを振り返ると、目を輝かせたヒマリの顔が見えた。
(……)
アーシュは足を止め、周囲に意識を広げた。
魔物のものではない。
罠の気配でもない。
ただ、空間そのものが切り替わるような揺らぎだった。
(……なるほど、あの扉はダンジョンの出入り口と同じ転移装置だったのか)
きょとんとするヒマリに小さく頷き、再び前に向かって進む。
緩やかな勾配の岩のトンネルが続いていた。ごつごつした岩肌の通路が、ゆるく上へと、曲がりくねりながら続いている。
(通常ルートは下りだったが、別ルートは登りか)
時間にして五分ほど歩いたところで、先のほうに淡い光が見えてきた。
「アーシュ、向こう、あかるいね」
「ああ」
「なんか……今までと雰囲気が違うよな」
三人がトンネルをゆっくりと進んでいく。
光が少しずつ近づいてくる。岩の匂いが薄れ、代わりに別の匂いが流れ込んできた。
ヒマリがふと、足を止めた。
「アーシュ」
「ああ」
「……これ、なんの、においだろう」
ヒマリの声がわずかに震えていた。怖がっているのではない。何かを思い出そうとしている、そんな声だった。
アーシュも同じものを感じていた。
湿った土の匂い。葉の匂い。木の匂い。それから、かすかに風の匂いもする。
「……まさか」
ヴィラが、後ろからつぶやいた。
三人は、トンネルの出口に辿り着いた。
そして足を止めた。
目の前に広がっていたのは――
森だった。
高い木々が、空に向かって伸びている。地面には草が生え揃っている。木漏れ日が葉の隙間から地面に、まだら模様を落としている。
そして見上げれば、青がどこまでも広がっていて、ヒマリが口をぽかんと開けた。
「……空だ」
空があった。
頭上には、青い空が広がっていた。岩の天井ではない。風が吹き、運んでくるのは岩の匂いではなく、木と、土と、葉の、匂いだった。
ヒマリが、つぶやいた。
「アーシュ……ここってダンジョン、だよね? 森と、空が、ある……」
「ああ……」
アーシュも、声がわずかにかすれた。
ここはダンジョンの中だ。確かに間違いなく、ダンジョンの中だ。
三人は岩山の中腹の水鏡をくぐってここに入った。岩に囲まれた洞窟型のダンジョンを十階層潜ってきた。
それなのに、目の前には森があって空もある。
「これは……」
ヴィラが、空を、見上げた。
「これって、環境ダンジョンってやつだろ? 確か、アウローラの近くにひとつあったはずだ」
「ああ、あの旅で寄ることはなかったがな」
「寄っときゃ良かったな。そうすりゃ、ここが異常か普通かわかったはずだ」
「そうだな……」
ヴィラの声に、感嘆と、戸惑いが、混じっていた。
風がふわりと三人の頬を撫でた。木の葉がさらさらと揺れる音が聞こえた。鳥の声も、どこか遠くから、聞こえていた。
ヒマリがふと、アーシュの服の裾をぎゅっと握った。
「アーシュ……」
「ああ」
「ここ、すごい、ね」
「……ああ」
アーシュはヒマリの頭をそっと撫でた。
胸の奥がまたことりと鳴った。
ヒマリは何かに目を奪われた時、いつもこうしてアーシュの服の裾を握ってくる。それは、子どもが信頼している大人に無意識にする仕草だった。
「扉の先が、こうなってるたあな……」
ヴィラが深呼吸をした。
「いやぁ……世界は広えな。知らねえことがまだいっぱいだぜ」
「ああ」
「つか、この階層もずいぶんと広そうだよなあ」
「……そうだな。まずは歩いてみるしか、ないだろうな」
アーシュは辺りを見回した。
森は深そうだ。視界が利く範囲には出口らしきものは見えなかった。だが、足元の地面はしっかりとしている。
(これならヒマリも疲れないだろう)
「ヒマリ。準備は、できているか」
「うん!」
ヒマリが手を握り直して頷いた。その目にはもう戸惑いはなかった。代わりに、わくわくとした色が戻っていた。
「あかずの扉の向こうは森だった、か。聞いただけでは、信じないだろうな」
「そらそうよ。俺だったらウソつけって、ぶん殴るわ」
ヴィラがどこか楽しげな顔で、宙を拳で殴った。
アーシュはもう一度振り返った。背後には小さな岩山があり、向こう側へと続くトンネルが口を開けている。
大丈夫、帰り道は確保されている。
アーシュは前を向いた。
噂には聞いていたが、アーシュ達には初めてとなる環境型ダンジョン。このどこかに、次層へと繋がる転移装置があるはずだ。
(環境型ダンジョンについてもう少し調べておくんだったな……)
ドルフは何も知らないと言っていた。五玉ですらここから先のことは知らない。何人ものドワーフが扉の前で立ち尽くしてきた。だが、扉の向こうのことを見た者はいなかった。
その先へ今進む。
「行くぞ」
アーシュが足を踏み出した。
ヒマリがその隣でこくりと頷いた。ヴィラがその後ろで肩を軽く回した。
三人は、ダンジョンに広がる青い空の下を未知の奥へと向かって歩き始めた。




