第二十二話 心のゆとり
最後の問題もまた、ヴィラの顔を歪ませた。
「『たぬきが成長して二十歳になると、なにになる?』」
アーシュが、それを読み上げると、ヴィラがゆっくりと片手を上げた。
「……ちょっと待ってくれ」
「なんだ」
「まず、タヌキ、ってのがなんなのかわからん」
ヴィラが真顔で言った。
「あれか? また日本の魔物なのか?」
「いや、動物だ。オドケグマに、似ている」
「あー、あいつか。じゃあ、それなりに大きくなる動物だな。成長したらなんになるかって聞かれてもよ、デカいオドケグマだろうとしか言えねえぞ」
「……いや、たぬきは、あれほど大きくはならん」
アーシュが、軽く首を振った。
「それに、日本では、たぬきは化けると言われている」
「化ける?」
「ああ。木の葉を頭の上に乗せて、人間の姿に変わる、と。伝承としてよく知られている」
ヴィラがぽかんと口を開けた。
「……やっぱ魔物なんじゃねえのか?」
「空想上の話だと思う。日本には、そういう動物にまつわる物語が、いろいろある」
「またそれかよ!」
「俺がいた世界では、戒めや娯楽でそういう話がよく作られたんだ」
「まあ、そういうのはこっちでもあっけどさあ。嘘をつくと魔女が来るとかそういうやつだろ?」
「ああ。カッパという魔物が、川で泳ぐ子どもの尻から、玉を抜くという伝承もある」
「なんだよそれ、おっかねえ! ていうか、日本人って魔石みてえなのを持ってるのか?」
「あるわけないだろう」
「なんっなんだよ!」
ヴィラが、頭を、抱えた。
「日本ってのは、ほんと、わけわからんとこだな……」
ヒマリが、その横でくすくすと笑った。
「ヴィラ、わからないことが、いっぱい、あるよね」
「お前は、なんで笑ってんだ!」
ヴィラがヒマリの頭をわちゃわちゃと撫で回して抗議した。
アーシュがもう一度問いを読んだ。
たぬきが成長して、二十歳になると、なにになる――。
たぬき。空想上の生き物として、化けるという伝承を持つ動物。二十歳。日本では、大人として、扱われ始める年齢。
(……二十歳、か)
アーシュが、何かに引っかかりを覚えた。二十歳。日本では、確か二十歳にはなにか特別な呼び方があったはずだ。
ふと、横を見ると、ヒマリが両手で頬を押さえながら目をきらきらとさせていた。
「アーシュ。わかった……かも!」
「ほう」
「あのね、二十歳のことを『はたち』っていうでしょ!」
「……ああ、そうだったな」
引っかかりが取れ、スッキリした顔でアーシュは、頷いた。
(はたち。たしかにそう呼んだな……)
「だからね」
ヒマリが指を立てた。
「『たぬき』が『ハタチ』になるってことはね『ハタチ』から、『た』をぬくの!」
「……たを、抜く? なんでだよ?」
ヴィラが首を傾げた。
「『たぬき』っていう、ことばのなかにね『たをぬく』って、いう、いみが、かくれてるんだよ」
「……は?」
「『たぬき』をね、『た』『ぬき』って、わけるの」
「ああ……なるほど、た抜きで読めっていうことか」
ヒマリが、両手を、ぱっと、広げた。
「うん、だからね、『はたち』から、『た』を、ぬいたらね――」
「……そうか! 答えは『はち』か!」
ヴィラがパチンと手を鳴らし、晴れやかな顔で叫んだ。
石板がぼうっと光を発し、文字が淡い金色に輝いていく。
どうやら正解したようだった。
ヒマリがぽかんとした顔でヴィラを見て、その隣で、アーシュがヴィラをじろりと睨む。
「ヴィラ、お前……」
「あっ……わ、わりい、ヒマリ。手柄を、奪っちまったみてえに、なっちまった」
ヴィラが、決まりが悪そうに頭をかいた。
ヒマリは、目をぱちぱちとさせていた。それから、こてんと首を傾げた。
「ううん、あてられてよかったね!」
「……は?」
ヴィラがヒマリの顔をまじまじと見た。
「お前……気にしてねえのか?」
「どうして? あけるの、みんなのもくてきだよね。だれが、正解しても嬉しいよ?」
ヒマリが不思議そうな顔をした。
「ヒマリ……」
ヴィラがぽかんと口を開けたまま、しばらくヒマリを見ていた。それから、ふっと目を細めて、ヒマリの頭をわしわしと撫でた。
「お前は、本当に! いい子だな~~~!」
「えへへ」
ヒマリが撫でられながら笑った。
アーシュはその様子を隣で見ていた。
ヒマリは、我慢しているわけでも、無理に許しているわけでもない。本当に、皆と協力して謎を解けたのを嬉しがっているだけだ。
(……心に余裕が、できたのだな)
旅をはじめたばかりのヒマリなら、こうはいかなかっただろう。あの頃のヒマリは、自分が役に立たなければ、と、どこか必死だった。あのまま変わっていなければ、きっと、自分の役目を果たせなかったのだと、影で静かに肩を落としていたことだろう。
アーシュはわずかに口の端を上げた。
(……いい子、というのは、確かに、そうだな)
そして――
扉に新たな反応があった。
「アーシュ、みて。とびらが、またひかったよ!」
扉の輪がすべて淡い金色に輝き、そこから植物の根のように細い線がいくつも伸びていく。
それは扉の表面を這うように広がり、やがて赤い扉をすっぽりと包み込んだ。
赤い扉は、いつしか金色に輝く扉へと変わり、まばゆい光を放っていた。
ヒマリが、小さく息をのんだ。
『よくぞ、難問を解き明かした。今、新たな道が解き放たれん』
空間に響いた声は、これまでよりも、朗らかだった。どこか、ほっとしたような、嬉しそうな響きさえあった。
赤い扉がゆっくりと開いていく。
取っ手も蝶番もなかったはずの扉は、まるで二つの板に割れるように、中央から、左右へと滑らかに開いていった。
岩と岩がこすれる、低い音が、空間に響く。
扉の向こうから、ふわりと柔らかな風が吹いてきた。




