第二十一話 難解な言語
『よくぞ、第一の問いを解き明かした。次の問いも解けるかな?』
空間に満ちた声がわずかに揺れた。そして、石板の表面の文字が、すうっと消えていく。
代わりに、新しい文字がひとつずつ、浮かび上がるように刻まれていった。
「お、文字が変わるのか」
ヴィラが、地面に座ったまま、目を瞠った。
「便利なもんだな。どんな仕組みだ、こりゃ」
アーシュは、石板を、覗き込んだ。
新しい問いが、共通語で彫り直されている。
「『たちつてと、この中から二つを使うと鬼を追い出せる。どれとどれ?』」
アーシュが抑揚のない声で問題を読み上げると、ヴィラの顔がぴしりと固まった。
「……いま、なんつった?」
「『たちつてと、この中から二つを使うと鬼を追い出せる。どれとどれ?』」
「なに言ってるか全然わっかんねえ……」
ヴィラが、頭を抱えた。
「まず『たちつてと』ってなんだよ。歌の歌い出しか何かか?」
「……いや」
「それに、オニってなんだ? また日本にしかいねえ動物かなにかか?」
「鬼というのは、俺の世界に伝わる、空想上の魔物だ。オーガに、近い」
「オーガ? オーガなら、追い出すなんて言わねえで、黙ってぶん殴ればいいだろうがよ」
「謎掛けだから、仕方がないだろう」
「かーーー! ほんっと意味わかんねえ!」
ヴィラが、本気で嫌そうな顔をしてゴロゴロと転がった。
アーシュは、その問いをもう一度心の中で読んだ。
たちつてと。
二つを使うと、鬼を追い出せる。
懐かしい響きだった。前世の子供時代に口ずさんでいた覚えのある音の並び。
(親が、風呂の壁に五十音表を貼っていたな……)
『たちつてと』を使って、どうやって鬼を追い出すのか。
アーシュはそれを考え始めた。
ふと、横を見ると、ヒマリも石板をじっと見つめていた。指先で自分の頬をぽんぽんと、軽く叩いている。考えるときの癖らしかった。
「アーシュ」
ヒマリがぽつりと言った。
「これも、なぞなぞ、だよね?」
「ああ、そうだろうな」
「うーん……たちつてと……」
ヒマリが、その音を、ぶつぶつと、繰り返した。
「た、ち、つ、て、と」
ヴィラが、地面に座ったまま、口を尖らせた。
「お前ら、それだけで何かわかるのかよ。俺には、ただの音にしか聞こえねえぞ」
「日本の文字の並びだ。あいうえお、かきくけこ、と続いていく中の、ひとつの行だな」
「ああ、ガキの頃に文字の勉強で見せられた表みてえなやつか!」
「そうだ」
「それで、どうやったらオーガを追い出すことができんだよ!」
ヴィラが髪をぐしゃぐしゃとかいた。
ヒマリは、騒ぐヴィラをまったく気にせず、ぶつぶつと呟きながら謎解きを続けていた。
「おに、おに……おに、ももたろう、おにがしま、おにごっこ、おにさんこちら……おにはそと、ふくはう……」
ふと、ヒマリの顔がぱっと、上がった。
「あっ……わかった!」
ヒマリがぴょんと跳ねた。
「アーシュ、わかった!」
「ほう」
「あのね、にほんでね、おにを、おいだすときに、いうことばが、あるよね」
ヒマリが得意げに指を立てた。
「『おにはそと』! おまめをまいて、おにを、そとにおいだすの!」
「ああ、節分か」
「うん、そう! せつぶん!」
ヒマリが何度も頷いた。
ヴィラが両眉を寄せた。
「待て待て。意味がわからん。豆を撒く? オニとやらに?」
「うん。にほんでね、せつぶんっていう、ぎょうじが、あるの。まめをまいて、おにはそとー、ふくはうちー、っていうの」
「魔物に豆をぶつけるのか……日本ってのは、本当に、けったいなところだな」
ヴィラが、半笑いになった。
「で、それと『たちつてと』がどう繋がるんだ?」
「えっとね」
ヒマリが収納から紙とペンを取り出し、たどたどしく書いていく。
「『そと』って、ひらがなで、かくと、こう……だけど、『外』って、かんじでも、かけるの。それでね『たちつてと』も『タチツテト』って……こんなふうに、カタカナでも、かけるの」
同じ意味や発音をするという、様々な文字を書き始めたヒマリに、ヴィラが顔をしかめた。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。日本語ってのは、そんなに複雑なのか?」
「ああ。日本語には、いくつも文字の種類がある 」
「……は?」
ヴィラが目を丸くした。
「同じ国の文字なのにか?」
「ああ。ひらがな、カタカナ、それと漢字。同じ言葉を、別の形で書ける」
「……なんでそんなめんどくせえことしてんだよ」
「俺に言うな」
アーシュが、肩をすくめた。
「慣れているから、どうも思わんが」
「日本に賢者がいっぱいいる理由が、わかった気がするぜ……そんな国にいたら、頭が良くもなるわ」
ヴィラがしみじみと頷いた。
「それでね」
ヒマリがぱあっと笑顔になった。
「『タ』と『ト』をくっつけて書くと、漢字の『外』みたいになるの!」
「……は?」
ヴィラがぽかんと口を開けた。
「だから、たちつてとから、ふたつをえらんで、おにを外においだすこたえは『タ』と『ト』のふたつだよ!」
その瞬間――
石板がまた、ぼうっと光った。文字が淡い金色に輝いていく。
光は、石板の縁を伝って地面を走り、赤い扉の表面へと流れていった。扉の中央に並ぶ三つの小さな輪のうち、二つ目が淡く光を宿す。
ヴィラが地面から跳ね起きた。
「正解かよ! やったな、ヒマリ!」
ヴィラがヒマリの頭をわしわしと撫でた。
「アーシュ、日本語ってマジで厄介なのな。日本に生まれなくて良かったぜ」
「慣れれば便利なのだが」
「ぜってえ無理!」
ヴィラが顔をくちゃくちゃに顰め、大声でぼやいた。
アーシュはわずかに口の端を上げた。
(……このヴィラの顔は、なかなか見られるものではないな)
空間に再び声が満ちた。
『見事である。さて最後の問いだ。心して聞くがよい』
「よっしゃ、最後だってさ!」
ヴィラが両手の拳をぐっと握った。
「あと一問だ、ヒマリ。頼んだぞ」
「うん!」
ヒマリがぐっと、両手の拳を握ってヴィラとアーシュに応えた。
石板の文字が再び、すうっと変わっていく。新しい問いが共通語で彫り直されていった。




