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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第十八話 揺らぐ水鏡


 空洞の天井を覆う光る草が、いちばん淡い色に沈んでいた。夜のあいだ強く光っていた草は、朝になると力を抜いたように白んでいく。炉都の住人は、その明るさで時を知る。


 宿の前で、ヴィラが大きく伸びをした。


「さて、行くか」

「ああ」


 まだ少し眠そうな顔のヒマリが、二人のあいだに立って空洞の上のほうを見上げていた。岩の天井に張りついた草の光は、夜とはまるで違う、おとなしい色をしていた。


「あさになると、ほし、きえちゃうんだね」

「夜になりゃ、また光るさ」


 ヴィラが、ヒマリの頭をぽんと撫でた。


 宿の主人が見送りに出てきた。


「部屋は開けておくから、ちゃんと戻ってくるんだぞ」

「ああ」

「いってくるね、おじさん」

「おうよ、気をつけてな、お嬢ちゃん」


 ヒマリがペコリと頭を下げると、宿の店主が笑顔で手を振った。


 宿を背にして炉都の坂道を上っていく。鍛冶の音は朝から絶えない。火床に風を送る音、槌を打つ音。その音に見送られながら、三人は門をくぐった。



 門の外に出ると、サクラが生き生きとした顔で小さく羽ばたいた。


「サクラ……張り切ってる所わりいが、おめえは留守番だ」


「キュイ?」


 ヴィラが、サクラの首を撫でた。


「ダンジョンの中にゃ、お前は入れねえからな。そこの騎獣屋で待っててくれ」

「……グルゥ」


 サクラが、不満そうに、低く鳴いた。


 ヒマリが、そっとサクラのくちばしに手を当てた。


「サクラ、いいこにしててね。おみやげ、もってかえるから」


 サクラが、ヒマリの手のひらに、ぐいと鼻を押しつけた。それから、ようやく諦めたように頭を下げ、ヴィラに引かれて騎獣屋へと歩いていった。


 アーシュは、それを横目に見ながら、岩山を眺めていた。かつて邪神討伐の旅をしていた頃。ヴィラと二人、別行動でこの街にやってきた。


 あの時も、武器を作るためにダンジョンへ潜ったが、浅層なら初心者でも潜れる程度で、踏破を目指したとしても、中級者程度でも十分という難易度だった。


(ここは資源保護のために原則ドワーフ以外の立ち入りを禁じている。それがなければもっと早くに枯渇していたかも知れないな)


 前回は邪神討伐のため、というのもあったが、サンドワームを討伐したのが効いて、五玉から二つ返事で入場許可が出た。


(おかげで、無事に旅を終えられた)


 今回も旅のために武器を作りに来た。前回と違うのは、旅の先に待ち受けるのが苛烈な戦いではなく、ヒマリの墓参りという事だ。


 戦うための武器ではなく、身を守るための武器を作る。その違いに気づき、アーシュはなんだか不思議な気持ちになっていた。


「わりいわりい。サクラがぐずってよお」

 

 バタバタと賑やかにヴィラが駆け寄ってきた。


「行くか」

「うん!」


 ダンジョンへと続く山道を登り始めた。


  *


 街から歩くこと一時間半。山の中腹の、ごつごつした岩のあいだにそれはあった。


 銀色にゆらめく水鏡だ。


 直径二メートルほどの、まるで水たまりのようなものが、そこにあった。


 ただし、それは地べたではなく、岩肌に張り付くように垂直に立って揺らめいている。表面が、ゆらゆらと波打っている。


 光がその上をすべるように流れ、不思議な景観を映し出している。


 ヒマリがぽかんとした顔で見上げた。


「あっ……これって……」


 ヒマリの声が少し固くなった。


 アーシュはすぐに気づいた。ヒマリの目が水鏡をじっと見ている。その目にあるのは、好奇心ではなく、わずかな緊張の色。


(……同じ物を知っているのか)


 この世界におけるダンジョンというものは、殆どがこの様な水鏡の先に作られているが、その場所自体にあるのではなく、水鏡が転移装置となり、ダンジョンへと誘っているのだと言われている。


 ヒマリのいた世界のダンジョンも、おそらくは同じものなのだろう。かつて見たことが有るのかも知れない。だから、こうして警戒してしまっている。


 だが、目の前の水鏡は、普通のダンジョンとはどこか違っていた。


 ダンジョンの出入り口というものは、見るだけで肌が粟立つような、ねじれた気配を感じることが多い。


 だが、不思議なことに、ここの水鏡にはそれがないのだ。


 謎の扉の事もある。おそらくは、なにか特別なダンジョンなのかもしれない。


「ヒマリ」


 アーシュが、しゃがんで、ヒマリと目線を合わせた。


「お前のいた世界のダンジョンと、同じものか」

「……うん、みたことある」

「そうか。だが、よく見ろ。ずいぶん、おとなしいだろう」


 ヒマリが、もう一度、水鏡を見た。


 ゆらゆらと光がすべっていく。それは、急いでもいなければ、暴れてもいなかった。ただ、静かに揺れていた。


「……ほんとだ……怖くない」


 ヒマリの肩から、すこし、力が抜けた。


「不思議なことに、このダンジョンは穏やかな気配を発している」

「ほんとだ」

「そのためか、ここは他のダンジョンよりは、危険度は低い。俺達がいれば、大きな危険はない」

「うん」


 ヒマリが、頷いた。


「アーシュが、いうなら、きっとだいじょうぶ!」

「ああ、安心していろ」


 アーシュが、立ち上がった。


 胸の奥が、ことり、と鳴った。


 怖いものを前にして、それでも「だいじょうぶ」と言える。その「だいじょうぶ」の理由に、自分の名が入っている。


 アーシュは少しだけ目を伏せた。


「おら、つったっててもしょうがねえぞ!」


 ヴィラが、先に立った。


「俺が先に入る。次がヒマリ、しんがりがアーシュだ。いいな!」

「ああ」

「うん」


 ヴィラが水鏡に手を伸ばした。指先がゆらりと水面に沈みこみ波紋が広がった。


「じゃ、お先に!」


 ヴィラが水鏡の中へ身体を進めた。とぷんと、水音が聞こえたような気がした。ヴィラの姿はもうそこにはない。


 ヒマリが、ごくりと喉を鳴らした。


「……いってきます」


 ヒマリが小さな声でそう言った。


 アーシュはその言葉を聞いたとき、なぜだか森を出る朝にヒマリが初めて「いってきます」と言えたあの日のことを思い出していた。


 ヒマリが水鏡へ手を伸ばし、一歩踏み出した。光がヒマリの小さな身体をやさしく包んだようにみえた。


 アーシュは最後に振り返った。


 麓の放牧場にサクラの気配を感じた。


「行ってくる」


 水鏡の中へ足を進めた。



 光が、ほどけた。


 そこは、窟だった。


 ごつごつした岩肌の通路。天井は、手を伸ばせば届きそうなほど低い。壁にはところどころ、淡く光る石が埋まっていて、それが通路をぼんやりと照らしていた。空気はひんやりとして湿っていた。


 ヒマリがきょろきょろと辺りを見回していた。


「ここが、ダンジョン……」

「ああ」


 アーシュが、頷いた。


「ここは洞窟型ダンジョンだ。下に潜るほど、階層が進み深くなる」

「した……?」

「ダンジョンってのはな」


 ヴィラが、通路の先を、顎で示した。


「先へ先へと潜っていくもんだ。上に登るのもあるし、下るのもある。ここは、地下二十階層に向けて下りるダンジョンなんだぜ」


「そんなに、下まで下りるんだ。大変だね」


「まあ、五階層ごとに、安全な場所――セーフゾーンがあっからな。そこで寝泊まりもできっから、そこまでじゃねえよ」


 ヒマリが、興味深そうな顔でこくこくと頷いている。


「あの扉のあるところは、十階層らしい。今日は、まず五階層まで潜って、そこで一泊する。明日、十階層を目指そう」


 アーシュがそう説明した。


「ヒマリ。お前の仕事は、覚えているな」

「うん」


 ヒマリが胸を張った。


「みんなが取ったものを、しゅうのうに、しまうの。あと、見て覚えるの」

「そうだ。戦いは、俺とヴィラがやる。お前は、無理に前へ出るな。下がっていろ」

「わかった」


 アーシュの剣の柄の先で、何かがちりんと小さく揺れた。ヒマリがナハル・ファリスで贈った、剣のストラップだった。


「さて。久々のダンジョンだ」


 ヴィラが、にっと笑った。


「昔来た時を思い出すぜ。あん時ゃ、オリハルコンを掘りに来たんだったか」

「ああ」

「十八階層まで潜ってよ、掘れるだけ掘って、二十階層まで行って、転移で帰った。それで終わりだと思ってたぜ。まさか、誰も通れねえ別ルートがあったなんてな」


 ヴィラが、肩をすくめた。


「世の中、何があるか分からねえもんだ。なあ、アーシュ」

「……そうだな」


 アーシュが、頷いた。


 あの頃。ヴィラと二人、オリハルコンを掘りにこのダンジョンへ来た。


 赤い扉はあの頃、既に十階層にあったそうだ。だが、開けられないものは誰も気に留めなくなり、忘れ去られていたし、アーシュたちも気づくこと無く素通りしていた。


 旅の目的のために、オリハルコンで打った剣が必要だった。だから、調達のために潜った。ひたすら魔物を屠り、奥へ奥へと急いだ。


 ヴィラが愚痴り始めた頃に休憩を取り、後はひたすら採掘ポイントを目指し駆け下りていった。


 謎の扉があったなんて当時の自分は知らなかったし、知ろうともしなかった。


(……それだけ余裕がなかったのだろうな)


「行くぞ」


 アーシュが、先に立った。



 通路を進むと、すぐにそれは現れた。


 岩のあいだからずるりと這い出してきたのは、岩の色をした大きな蜥蜴だった。背中の鱗が洞窟の岩と同じ色をしている。じっとしていれば岩と見分けがつかないだろう。


「わ、壁が、動いた……」


 ヒマリがびくりとした。


「下がってろ」


 ヴィラが前に出た。


 蜥蜴が口を開けてヴィラに飛びかかった。ヴィラはそれを半身でかわした。剣が一閃し、蜥蜴が二つに分かれた。


「ふん。こんなもんか」


 ヴィラが剣を振った。


 ヒマリがぱちぱちと手を叩いた。


「ヴィラすごい!」

「まあな」


 ヴィラが得意げに胸を張った。


 アーシュはその蜥蜴の死骸を見ていた。


(……岩蜥蜴か)


「ヒマリ。この鱗は素材になる。硬くて、軽い。防具に使える」

「あ、しゅうのうする?」

「ああ。頼む」


 ヒマリが蜥蜴の死骸に近づいた。両手をかざす。死骸がすうっと、消えた。


「できた!」

「上手いもんだな」


 ヴィラが笑った。


 通路をさらに進む。岩蜥蜴は何度か現れた。そのたびにヴィラが、あるいはアーシュが片付けた。ヒマリはそのたびに素材になる部分を収納にしまっていった。


 時おり、天井から丸い毛玉のような魔物が、ぽとりと落ちてきた。コウモリのような羽を持った小さな魔物だった。それもアーシュが手で払うようにして片付けた。


 一階層を抜け二階層へ。二階層を抜け、三階層へ。


 階層が下がるたびに、通路は少しずつ姿を変えた。岩肌の色が変わり、湿り気が増し、光る石の数が増えた。


 四階層に入ったあたりでヴィラがふと、足を止めた。


「なあ、アーシュ」

「何だ」

「魔物、あんまいなくね?」


 アーシュもそれを感じていた。


 岩蜥蜴。毛玉。それから、岩の隙間を走る節足の魔物。次から次へと現れた。どれも、強くはない。アーシュとヴィラの敵ではない。


「魔物、たくさん出たと思うんだけど、少ないの?」


 ヒマリがこてんと首を傾げる。


 ヒマリが言うように、魔物の数は決して少なくはない。むしろ、通常のダンジョンと比べて多く出ているくらいだ。


 だが、アーシュとヴィラは別の捉え方をしていた。


「妙だな」


 アーシュが、足を止めた。


「ここは、ひと月前から、立ち入り禁止だと聞いた」

「らしいな」

「人が入らなければ、魔物が増える。事実、前回よりも魔物の密度が高く感じる……だが――」


 アーシュが通路の先を見た。


「増えすぎていない」


 ヴィラが眉を寄せた。


「ああ、ひと月も放置されりゃあ、もっとやべえことになってるはずだ」

「あ……スタンピード……」


 ヒマリが顔を暗くして俯いた。


「そうだ。ダンジョンの管理が杜撰だと、そうやって魔物を溢れさせて周囲に被害をもたらす事になる」


「うん、わたしの、おとうさんと、おかあさんも、それでしんじゃったもん」

「……そう、だったな」


 アーシュが、言葉を選ぶように、続けた。


「だから、ダンジョンというものは、国が管理している。あまり人が行かないダンジョンには、溢れることがないように、定期的に兵を送って間引いている」


 ヴィラが、腕を組んだ。


「なのに、ここは溢れてねえ。魔物の数も、多いっちゃ多いが……あふれるほどじゃねえ」

「ああ」


 二人は顔を見合わせた。


「……誰かが間引いていたってことか?」


 ヴィラが、言った。


「かもしれない」


 アーシュが頷いた。


「立ち入り禁止のはずのダンジョンに、定期的に誰かが入って魔物を間引いていた。だから、あふれなかった」


「誰がだよ」

「……分からん」


 アーシュが首を振った。


「五玉のジジイ達はんなこといってなかったぞ? あいつらなら、その辺ちゃんと言うだろうによ」

「そうだな。だが、いま考えても、答えは出ないだろう。先へ進もう」

「はっ、確かにそうだ」


 ヴィラが、肩をすくめた。


 ヒマリが二人の会話を、きょとんとした顔で聞いていた。表情は少し落ち着いていた。嫌な記憶を思い出すよりも、今の話を大切に聞こうとしている顔だった。


「ふしぎだね」

「ああ、不思議だ」


 アーシュが、頷いた。


「だが、悪い不思議では、なさそうだ」


(五玉はなにも言わなかった。もしかすると、このダンジョンでは自然な事なのかも知れないな)


 アーシュは、そう思いながら、四階層の通路を進んでいった。



 四階層から下りると、通路がふいに開けた。


 広い空間だった。天井が高い。岩の壁がぐるりと丸く、その空間を囲っていた。壁に埋まった光る石がその一帯を淡く照らしていた。空気が不思議と穏やかだった。


「セーフゾーンだ」


 ヴィラが剣を鞘に納めた。


「ここは四階層と五階層の間にあってな、魔物は出ねえから安心して休めるんだ」


 ヒマリがほうっと、息を吐いた。


 空間の隅に石でできた低い台のようなものがあった。ヴィラがそれを指さした。


「あれが転移装置だ。一度ここに着いちまえば、次からは入口から直でここまで飛べる。便利なもんだろ」

「ぴゅーんって、とぶの?」

「ぴゅーんか、いいなそれ」


 ヴィラがにっと笑った。


 アーシュは空間を見回した。窓はない。空はない。岩に囲まれた地の底だ。だが、それでも――アーシュには、分かった。


(そろそろ夕方か)


 光る草のいちばん強く光る時刻にはまだ早い。歩いた距離、潜った階層、身体に積もった疲れの量。そういったものを合わせて考えると、外の空がそろそろ茜色に染まっている頃合いだろうと推測できる。


 食事を必要としない身体になって長い。眠りもいらなくなった。それでも、時間の流れだけは身体のどこかが覚えていた。


 アーシュはヒマリのほうを見た。嬉しそうな顔で家を出していた。岩に囲まれた地の底。それでも今夜は、屋根の下で眠れるようだ。


 ヒマリが、扉の前で振り返った。


「ダンジョンの中でも、おうち、出せるんだね」

「ああ」

「ちょっと、へんな感じ。でも、うれしい!」

「……そうだな」


 アーシュは短く頷いた。


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