第十七話 五玉の想い
翌朝。
ヒマリが朝食のパンをちぎっていると、宿の入り口が急に騒がしくなった。
「いるんだろ! アーシュ!」
「ヴィラもおるんじゃろう!」
「あんた達、勝手に押しかけて宿の人らに迷惑だって思わないのかい!」
「そういうお前も来とるじゃろうが!」
「アーシュ! おらが来たべよ!」
太い声、しゃがれた声、甲高い声、ぼそぼそした声。複数の声が、一斉に響いた。
ヒマリがパンを持ったまま固まった。
アーシュが軽く息を吐いて立ち上がった。
「……まさか、向こうから来るとは」
「俺は予想してたぜ」
ヴィラも、肩をすくめた。
階段を下りると、宿の一階の入り口に五人のドワーフがわちゃわちゃと立っていた。年配の、けれどそれぞれに体格や髭の編み方の違う五人だった。その後ろにドルフが申し訳なさそうな顔で立っていた。
「わりぃアーシュ。爺さん達を抑えきれなかった」
ドルフが頭を下げた。
「アーシュ!」
先頭の一人、背の高い白い顎髭を立派に伸ばした老人が目を見開いた。
「お前、本当に生きとったんか!」
「……ああ」
「わしじゃ! ガリオンじゃ! 覚えとるか!」
「忘れるわけがない、だろう」
アーシュが軽く頭を下げた。
「アーシュー! お久しぶりだなぁ!」
「久しぶり……だな、グラッド殿」
恰幅のいい、髭を二本に分けた老人が、ぐいぐいと前に出てきた。
「殿はやめろ殿は! 昔みてえに気軽に呼んでくれ!」
その横で、小柄な老女が両手を腰に当てた。
「あんた、行方をくらませてんじゃないよ! あたしらがどんだけ心配したか、わかってんのかい!」
「……すまない、ミリル殿」
「殿はおよし。ミリルでいい」
「……ミリル」
さらに後ろから、痩せ細った老人が、覗き込んできた。
「うちの工房にも顔を出さんかったろう。あんたが消えたと聞いて、うちはずいぶん落ち込んだんじゃぞ」
「トルパ殿、すまない」
「だから殿はやめんかい」
最後の一人――やわらかな顔つきの老女が、アーシュを見てにこりと笑った。
「またアーシュと会えて、おらうれしいだよ」
「ベナ殿……」
「殿はよしとくれって、みんないっとるべ!」
五人が一斉に、アーシュを睨んだ。
アーシュがわずかに、視線を逸らした。
「……気をつける」
*
ヒマリは、階段の途中で、その光景をぽかんと見ていた。
五人のドワーフがわちゃわちゃと、アーシュとヴィラに群がっている。涙を流しているのもいる。アーシュの肩を叩いているのもいる。ヴィラとがっしりと握手をしているのもいる。
ヴィラがヒマリに気づいて、手招きをした。
「ヒマリ、こっち来い。紹介する」
ヒマリがおずおずと、階段を下りた。
五人のドワーフがヒマリのほうを、一斉に見た。
「うん? その子は?」
「あら、可愛らしい子だね」
「アーシュ、お前わらすがおったんか?」
「俺の子じゃない。弟子だ」
アーシュが即座に訂正した。
ヒマリが五人の前に立って、ぺこりと頭を下げた。
「……ヒマリ、です」
「ヒマリちゃんか。よろしくな」
「あたしらは、炉都の職人頭でね、皆まとめて『五玉』って呼ばれてんのさ」
「ごぎょく……」
「五つの技を支える玉座、というわけじゃ。鍛冶、彫金、魔導具、縫製、採掘。それぞれを束ねておる」
ガリオンが、自分の胸を、ぽんと叩いた。
「お前さんは、アーシュとヴィラの連れか」
「……はい、アーシュの、弟子です」
「ほう、弟子か。それはそれは」
五人が、互いに顔を見合わせた。それからガリオンがヒマリの顔を覗き込んだ。
「アーシュが弟子に取ったというなら、よっぽどの子なんじゃろう」
「……えへへ」
ヒマリが少し照れたように、笑った。
*
宿の主人が、急いで広い部屋に通してくれた。茶が用意され、菓子も並べられた。
そこまで見届けたドルフが、ふうと溜息をついて片手を上げた。
「じゃあ、俺は工房に帰るわ!」
「まあ、まて」
ガリオンが、ドルフの肩に手を置いた。
「お前も半分こちら側じゃろ。ここにいろ」
「……俺ぁ、ただの鍛冶屋ですよ」
「英雄達の装備を作った縁、忘れたとは言わせんぞ」
「……ちっ……逃げそびれたぜ」
ドルフが、頭をかいた。それから、椅子に、座り直した。
五玉が、笑った。
五人のドワーフが椅子に座ると、急に静かになった。それまでのわちゃわちゃした空気が、ふっと、別のものに変わった。
「アーシュ」
グラッドが、声を少し落とした。
「お前さんが生きとってくれて、本当に、よかった」
「……」
「邪神から護ってくれたと言うにお前と来たら……」
ヒマリがぴくり、と反応した。
「邪神って、前にルミアと話してた?」
アーシュが苦い顔をして、軽く視線を五玉に送った。グラッドがすぐに気づいて頷いた。
「……そうじゃな。アーシュ達四人は邪神を追い払った英雄じゃ。まあ、その話は長くなるからの……」
焦った顔で話を切り上げるグラッドに、ガリオンが補足した。
「アーシュ。わしらには返しきれない借りができた。それだけは忘れるでないぞ」
アーシュが軽く頷いた。
「だが、俺達もあなたたちに世話になった」
「お互いさまじゃ……というか、あの程度じゃいくら釣りを払えばいいかわからんよ」
ガリオンが、にっと笑った。
邪神の話を聞きたいのだろう、ソワソワしているヒマリに、ベナが向き直り声をかけた。
「ヒマリちゃん、アーシュとヴィラはな、昔、おらたちの街をおっきな砂のミミズから守ってくれたんだべよ」
「砂のミミズ……?」
「うんだ、サンドワームっていう、大きな魔物だ。砂漠の交易路をふさいで、街に物が入ってこなくなっておったんじゃが、二人が来て、退治してくれた」
「ドルフさんも言ってたやつだ。アーシュとヴィラが、やっつけたの?」
「うんだ。だから、おら達は、二人にゃ、ずっと頭が上がんねえだよ」
ヒマリの目が、きらきらと光った。
「……すごい!」
「ヒマリちゃん、その通りだ! ヴィラとアーシュは、凄いんだよ!」
トルパが、嬉しそうに頷いた。ヴィラが、頬を掻きながら、
「あんま褒めんじゃねえよ」
と、珍しく照れていた。アーシュは、ただ、茶を飲んでいた。
*
話が本題に入った。
「ドルフから聞いた。ヒマリちゃんの杖を作るとな」
「ああ」
「ミスリルがいるって話だな」
「そうだ」
「ドルフからも聞いたと思うが、今、この国にはヒマリちゃんに見合う品質のミスリルが、ない」
ガリオンが深く息を吐いた。
「採掘ポイントが枯れちまったのは聞いとるじゃろ? 情けない話じゃが、五玉揃って何もできずに頭を抱えとるのよ」
「ドルフから聞いた。開けられない扉の先に、活路があると」
アーシュが本題に踏み込んだ。
五玉の五人が互いに顔を見合わせた。それからグラッドが両手を机についた。
「アーシュ、ヴィラ。頼みがある」
「ああ」
「あの扉の謎を解いてくれんか」
グラッドが深々と頭を下げた。
「あの扉の先に行けば、きっとどうにかなる。これはドワーフとしての勘が告げておる。じゃが、わしらドワーフは……扉の謎を誰も解けなかった」
「ダンジョンは、今、立ち入り禁止だと聞いたが」
「勿論、許可を出す。一般の者を入れんのは、崩落があったからじゃが、今回の件には関係がないしの」
グラッドが、顔を上げた。
「ヒマリちゃんの杖の素材は、責任を持ってわしらが用意する。じゃから、アーシュ。どうか頼む」
アーシュが、ヴィラを見た。ヴィラが肩をすくめて、にっと笑った。
「そもそもよお、杖の主役のミスリルがねえから作れねえって話だろ」
「そうだな」
「それがなくてもよ、困ってる奴を助けるのは、俺たちの得意分野だ」
「ああ」
アーシュが、五玉に向き直った。
「そもそも、俺達はドルフから聞いた時点で行くつもりだった」
「アーシュ、ヴィラ……!」
五玉が一斉に安堵の声を上げた。
*
「ところで、あの扉の先のことだが」
アーシュが、軽く、首を傾げた。
「最低で、何階層あると考えればいい?」
「わからん……が、扉があるのは十階層じゃ。そこから先は誰も知らん」
グラッドが、答えた。
「だが、一部屋で終わりというわけではないだろうと、わしらは考えとる。あの扉の文言から察するに、扉の向こう側は奥深いじゃろう」
「なあ、元のルートは二十階層までだったろ? てこたよ、同じくらいあるんじゃね?」
「かもしれん。だが、到達後に生まれた別ルートじゃ。それ以上の可能性も考えたほうが良かろうな」
「……準備をしておく」
アーシュが、頷いた。
五玉が互いに頷きあった。それから、ガリオンが立ち上がった。
「わしらはもう帰る。これ以上長居しては宿の主に迷惑をかけるからな」
「茶代はおらたちが持つで。騒がせてすまなかっただよ」
「なあに、五玉が茶飲みに来て楽しんでたって、自慢出来るってもんですわ」
片付けに来た宿の主人が笑い、五玉たちもカラカラと笑った。
「あたしらは待つことしかできないからね。頼んだよ、アーシュ」
「ああ、任せておけ」
「嬢ちゃんも、アーシュが居るならだいじょうぶだろうが、気ぃつけんだよ」
「うん、ありがとう、おばあちゃん」
五玉が帰ったタイミングで昼の鐘がなった。
アーシュとヴィラは、そのままヒマリを連れて、昼食がてら街へ買い出しに出た。
試食がてら、屋台で食事を買い食いしつつ、ヒマリやヴィラが気に入ったものは多めに買っていく。今はヒマリがいる。いつでも熱々のものが食べられるのだ。
他にも霊薬と呼ばれる、傷薬と回復薬をいくつか買い足しておく。アーシュやヴィラは多少の傷ならすぐに治るが、急ぎの時もある。それに、ヒマリが怪我をしないという保証もない。
他にも、ロープや砥石、布切れなどの消耗品も買っておく。どれだけかかるかわからないため、多めに揃えていった。
ヒマリがそれを嬉しそうに一つずつ、収納にしまっていく。お土産用の場所とは別の、ダンジョン用の場所に。
「ヒマリ、たのんだぞ」
「うん、まかせて」
ヒマリが得意げに胸を叩いた。
*
夜、宿に戻ってから、ヒマリはベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせていた。
「アーシュ」
「何だ」
「あした、ダンジョン、いくんだよね」
「ああ」
「どんなところ、なのかな」
「行ってみれば、分かる」
「……むう、また、それ」
「楽しみは、とっておけ」
ヒマリが、少し口を尖らせた。それから、ふと、思い出したように、顔を上げた。
「アーシュ」
「何だ」
「邪神と、戦ったんだよね」
アーシュが、ヒマリを見た。
ヒマリの目は好奇心ではなく、むしろ、慎重な色をしていた。聞いていいことなのか、聞いていけないことなのか、確かめるような目だった。
アーシュは少し、考えた。
「……ああ、そうだな」
「そのお話は、いや?」
「嫌……ではない。だが、今は、待ってくれ」
「……うん」
「必ず話す。長い話になるから、また、いつかだ」
「わかった」
ヒマリが、頷いた。それ以上は、聞かなかった。
その横顔を、アーシュはしばらく見ていた。
聞いていいかどうかを、子どもなりに考えられる子だった。聞かないことを選べる子だった。
(……心配している顔をしていた、な)
邪神との戦い。
それは、ただの昔話ではない。
あの戦いの後、自分は少しずつ、人とは違うものになっていった。
傷が癒え、力が増し、死から遠ざかるたびに、かわりに何かを置き去りにしていった。
魔の森に棲み着いたのは、その事実から逃げるためだったのかもしれない。
日常からかけ離れた場所で、ただ一人静かに火を見る日々は、少なくとも心の平穏が保たれていた。
けれど――今は。
目の前には、聞きたいことを我慢して、毛布を引き寄せている小さな弟子がいる。
「あした、たのしみ」
「ああ」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ヒマリが目を閉じた。
光る草の淡い光が、部屋を静かに照らしていた。
いつか話す。
そう思えるようになっただけでも、昔の自分とは違うのだろう。
アーシュは、寝息を立て始めたヒマリを見て、そっと暖炉の火を細くした。




