第十六話 ドルフのおやじ
翌朝、ヒマリが目を覚ますと、鉢植えの草が昨日と変わらずぼんやりと光っていた。
「……あさ?」
「ああ」
「ここは、朝か夜かわからなくて、ふしぎな気分になるね」
「外はもう、明るくなっている頃合いだ」
「ふうん」
ヒマリが、ぐっと伸びをした。
朝食は宿の一階で取った。平たいパンと、甘辛い豆の煮物、それから、ドワーフの好む濃い茶だ。
ヒマリが茶を一口飲んで、顔をしかめた。
「……にがい」
「ドワーフの茶は、こうだ」
「みんな、これ、のんでるの?」
「ああ。飲んでいるうちに、慣れる」
ヒマリがもう一口、頑張って飲んだ。顔をしかめて、また一口。飲み干す頃には、もう慣れた顔をしていた。
「ヒマリ、お前、案外大人なんだな」
ヴィラが、笑った。
「えへへ」
朝食を済ませて、三人は宿を出た。
*
ドワーフの店は、空洞の中段から、少し下った場所にあった。
工房を兼ねた、しっかりとした石造りの建物だ。店先には武器や防具、魔導具が並べられている。看板にドワーフ文字で何か書かれていた。
アーシュが扉を押した。
からりと、ベルではなく、木と金属が触れ合う乾いた音がした。
「いらっしゃ……あん?」
奥から太い声がした。
現れたのは背の低い、けれど肩幅の広いドワーフだった。赤茶けた髭を丁寧に編み込んでいる。腕には鍛冶でできた古い火傷の跡がいくつも残っていた。
ドワーフはヴィラを見て――目を、ぱっと、見開いた。
「ヴィラじゃねえか!」
「おっちゃん! 元気にしてたか!」
ヴィラが店の中に駆け込んで、ドワーフとがっしりと握手をした。
「しばらくぶりだなあ! 顔を見せに来やがらねえで、どこほっつき歩いてやがった!」
「俺が忙しかったの知って……って、そうだよ、その原因がここに居るんだぜ。どうだ、ちゃんと生きてたぞ!」
ヴィラがアーシュの背中を、ぽん、と叩いた。
ドワーフがアーシュをまじまじと見た。
「……おお。アーシュじゃねえか。お前、どっかでくたばったとばかり思ってたぞ」
「そうか」
「たくよお、突然消えたんだって聞いてよ、みんな心配してたんだぞ」
「……すまない」
「まあいい。生きてたなら、それでいい」
ドワーフが、にやりと笑った。それから、アーシュの顔をもう一度、まじまじと見た。
「おめえ、すこし愛想がよくなったんじゃねえか?」
「だろ? おっちゃんもそう思うだろ?」
ヴィラが、すかさず乗ってきた。
「ああ、思う思う。前はもっと、こう、岩みてえだったぞ」
「岩、ぴったりだな!」
「……お前ら」
アーシュが、軽く、息を吐いた。
ヒマリは扉の手前で、その様子をきょとんと見ていた。
ドワーフがヒマリに気づいた。
「お、なんだお前さん。アーシュの連れか?」
「あ……はい。ヒマリ、です」
「ヒマリちゃんか。俺はドルフだ。よろしくな」
「ドルフさん」
「アーシュの子……なわきゃあねえな。弟子か?」
「はい、弟子、です」
ドルフが、アーシュを見た。
「へえ、お前、弟子を取ったのかよ」
「……ああ」
「ふうん。よっぽど、見込んだんだろうな」
ドルフは、それ以上は聞かなかった。代わりに、ヒマリに向き直って店の奥の椅子を勧めた。
「まあ、座れ。茶でも淹れる」
「あ、朝のんだやつ……」
「はっはっは、苦かっただろう? 俺はあれが苦手でな、薄いの出してやるよ」
ヒマリが、ほっとした顔をした。
*
茶を飲みながら、ドルフがヴィラにあれこれ聞いた。
「で、他の連中はどうしてる。ルミアは元気か」
「あいつ、神殿長になったぞ」
「神殿長!」
ドルフが椅子から半分立ち上がりかけた。
「あの嬢ちゃんが神殿長か。天族つってもよ、まだわけぇだろ? 凄えなあ」
「だろ? 俺もびっくりしたぜ」
「リュッカは?」
「ああ、あいつな……結婚したよ」
「は?」
ドルフが、目を、もう一度、見開いた。
「あのフラフラしてたハイエルフがか? 誰と?」
「フィロルって名前の同族だ。優しいけど、よく喋るタイプの嬢ちゃんでよ。あいつにお似合いのいい嫁さんだったぞ」
「ほう……あいつもようやく落ち着いたか」
「落ち着いたっつうか、落ち着かせられたっていったほうがいいけどな」
「はっはっは、なるほど、尻に敷かれてんのか」
ドルフが感慨深そうに頷いた。それからアーシュを見た。
「で、お前はどうしてたんだ?」
「魔の森で、暮らしていた」
「魔の森って、東部のか?」
「ああ」
「お前、変なとこに居たんだな。そりゃ誰も見つけらんねえよ」
「住めば悪くはない場所なのだが……」
「そう思えるのは、おめえくれえのもんだ」
ドルフが、笑った。
「まあ、こうしてつらぁ見せてくれたんだ、それで十分だよ」
それから、ドルフは、ヒマリのほうに、視線を戻した。
「で、今日はなんの用だ。顔を見せに来るようなやつじゃねえだろ、おめえはよ」
「ああ。ヒマリの杖を作りたい」
「ほう、弟子の杖か」
ドルフが、ヒマリを、職人の目で、じっと見た。
「マナの感じが……」
「……え?」
顔をしかめるドルフにヒマリが不安げな声を上げる。
「いや、悪いってんじゃねえ。逆だ、量も質も良すぎるんだよ。こんなちっちゃい体に納まりきらねえたあ、すげえ子みつけたなあ、アーシュ」
ドルフがヒマリの方に軽く手をかざした。それから、軽く息を呑んだ。
「……ううむ」
「どうした」
「いやな、アーシュが弟子に取るだけは有るなと感心したんだ」
「……まあな」
「分かった。ヒマリちゃんの杖、作ってやろう。だが――」
ドルフがそこで言葉を切った。
顔が少し曇った。
「ちょいと、面倒な話があってな」
「面倒な話?」
「素材だ。ヒマリちゃんのマナを通すなら、生半可な金属じゃ駄目だ。ミスリルが要る」
「ミスリルなら、ダンジョンでいくらでも掘れただろう」
「それがな、最近ダンジョンの採掘ポイントが枯れちまってよ」
ドルフが太い指で机をこんこん、と叩いた。
「三年くらい前まではな、お前が言う通り飽きるほど採れてたんだ。それが、ここ二年くらいでぱったり止まっちまったのよ」
「他の街から、取り寄せるしかない……か」
「ああ。だが、よその街から取り寄せるとなりゃ、値段が跳ね上がる。ヒマリちゃんにちょうどいい品質のをとなりゃあ、とんでもない額になるぜ」
「……そうか」
「なんとかはする。だが、もう少し時間がかかるってことだ」
ドルフが深く息を吐いた。
「あの扉が開けられりゃなあ」
ぽつりと、そう言った。
ヒマリがぴくりと反応した。
「あの、ドルフさん」
「ん?」
「あのとびら、って、なに?」
ドルフがヒマリを見た。それから、ふっと笑った。
「聞こえちまったか。ダンジョンの奥にな、開かずの扉があんのよ」
「あかずの、とびら?」
「ああ。古い時代の誰かが封じた扉でな、鍵がかかってんのよ。それがまた厄介でな、謎掛けだの、仕掛けだのをいくつも解かなきゃねえんだが、だーれも解けやしねえ」
「なぞとき……」
ヒマリの目が、わずかに光った。
「あの扉の向こうに、新しい鉱脈があるんじゃねえかってのは、昔から、ドワーフの間で言われてんだ。だが、解けねえんじゃ、どうしようもねえ」
ドルフが、肩を、すくめた。
「そのダンジョンも、今や立入りが禁じられてるしよお」
「禁じられている?」
「ああ。採掘ポイントが枯れちまって、入っても意味がねえってのもあるんだが、奥のほうで、ちょっと崩落があったらしくてな。何が起こるかわからねえから入るなって、五玉から、お達しが出てんだ」
「ごぎょく?」
「炉都をまとめてる五人だ。鍛冶師、彫金師、魔導具師、縫製師、採掘師。五つの技を支える玉座、って意味でな。まあ、要するに職人頭どもだ 」
ヒマリはふんふんと、頷いた。
しばらく、ヒマリは、何か考えるような顔をしていた。
それから、おずおずと口を開いた。
「あの……ドルフさん」
「ん?」
「わたし……なぞとき、すきだよ」
部屋が少し静かになった。
ドルフがヒマリを見た。それから、アーシュを見た。それからまたヒマリを見た。
「……お嬢ちゃん」
「うん」
「いやなあ、好きなのはわかるけどよお……」
「うん」
「誰も解けなかった、謎掛けだぞ?」
「……わたしね、ちょっと、わかる、気がするんだ」
ヒマリが自分の頭を軽く、指で示した。
「あたまの中でね、なんか見えるような気がするの。たぶん、わたしなら、解ける、よ」
ドルフがぽかんと口を開けた。
それからアーシュを見た。
「……アーシュ」
「何だ」
「お前の弟子、大丈夫か?」
アーシュは一度、ヒマリを見た。
ヒマリが小さく頷くのを待ってから、声を落とした。
「……実は賢者なんだ」
「は?」
「ドワーフなら聞いたことがないか? 賢者の話を」
「賢者ぁ? おい、嘘だろ」
「ヒマリは当代の賢者だ……誰にも言うな」
ドルフが、椅子から、半分立ち上がった。
「お前さん、なんつう弟子を……」
「長い話になる」
「いや、聞かねえ。聞いたら、頭が痛くなるのが目に見えてる」
ドルフが、額に手を当てた。ヴィラがいい笑顔でウンウンと頷いている。
それから、しばらく考えてから、ぽつりと言った。
「うーむ、お前らが来たって、五玉に話しゃあ、あいつらが泣きついてくるかもしれねえな」
「……何故だ」
「サンドワームの恩を俺達は忘れてねえぞ?」
「ずいぶんと昔の話だ……」
「それくらい感謝してんだよ。そんな英雄が二人来てんだ、それを知ったら『また助けてくれ』ってぜってえ言うわ」
ドルフが、にやりと笑った。
「入場許可なんか喜んで出すだろうし、礼代わりに素材をいくらでもくれるだろうな」
「許可を求めなくとも、向こうが出してくれる、か」
「そういうことだ」
ヴィラが、横から、にっと笑った。
「いいじゃねえか。困ってる奴を助けるのは、俺たちの得意分野だろ」
「……まあ、そうだな」
「ヒマリも、謎を解きたいんだろ?」
「うん!」
ヒマリが勢いよく頷いた。
ドルフがそれを見て笑った。
「うっし、それじゃあ五玉のとこに話を通しといてやる。明日にでも向こうから連絡が来るだろうよ」
「助かる」
「そりゃこっちのセリフだよ」
ドルフが机をぽん、と叩いた。
*
店を出た時にはもう夕方になっていた。
話し込んでいるうちに昼になり、ドルフからドワーフ料理をごちそうになった後も、まだ話は続いたからだ。
話の主役はほとんどヒマリだった。
賢者であることを明かしたため、もう良いだろうと、ヒマリがアーシュの弟子になった経緯を説明すると、ドルフが「ヒマリちゃん、辛かったな」と、男泣きをしてヒマリを困らせていた。
その流れで、これまでの旅の事をヒマリが話しはじめると、ドルフが夢中になって聞いていて、ヴィラから「孫が来たじいちゃんみてえ」と呆れた顔で笑っていた。
「もう、こんな時間か」
「まだ、お昼すぎのような、気がするよ」
「壁の草が朝よりも強く光っているだろう」
「ほんとだ」
「あれは、夜に一番強く光る。あの具合なら、今は夕方だ」
この街ならではの、時間の感じ方を聞き、ヒマリが興味深そうにしていた。
しばらくの間、植物に夢中になっていたが、ふと思い出したかのようにポツリと言った。
「アーシュ」
「何だ」
「ダンジョン、いくの?」
「ああ。話が来たら、な」
「わたしも、いっていい、のかな」
「ああ、お前が、謎を解くんだろう」
「うん!」
ヒマリが嬉しそうに頷いた。
ヴィラが横からヒマリの頭をくしゃっと撫でた。
「楽しみだな、ヒマリ」
「うん。すごく、たのしみ」
ヒマリが笑った。
空洞の中の街に夕方を知らせる鐘の音が響いていた。




