第十五話 炉都グランヴォルト
巨大な岩山の麓に着いたのは、その姿が見えてから、三日後の昼だった。
近づけば近づくほど、山は大きくなった。最後の岩場を越えて、ようやく麓にたどり着いた時には、もう頂を見上げることもできなくなっていた。空のほとんどが、岩で覆われている。そんな場所だった。
山の麓に、門があった。
岩を削って造られた横に広い門だった。両脇に、ドワーフの兵士が二人立っている。けれど、その顔つきはのんびりとしたものだった。
門の脇には、通行証を確かめるための小さな卓もあったが、どうやら、荷車の商人を相手にしているだけのようだ。旅人だけなら、厳しく止める場所ではないらしい。
アーシュは慣れた様子で兵士の元へ近づくと、片手を上げて挨拶をした。
「よう。グランヴォルトへ来たのか」
「ああ」
「商売か、それとも観光か」
「鍛冶の品を、見に来た」
「いいねえ。うちの自慢だ。ゆっくり見ていきな」
兵士はそれだけ言うと、あっさりと門を通してくれた。ヴィラとサクラを見ても、ヒマリを見ても、特に何も聞かなかった。
門の先は、岩を削ったゆるやかな下り坂だった。
「……ここ、くだっていくの?」
「ああ。街は、山の中にある」
「山の、中……」
「岩山の下にあると、言っただろう。ここから中へ降りていく」
「あっ……そっか、こういう事だったんだ……」
ヒマリが、少し緊張した顔で、坂を下り始めた。
*
坂を、しばらく下った。
岩肌に囲まれた道は、最初は薄暗かった。壁に、一定の間隔で、ランプが掛けられている。その明かりだけが頼りだった。サクラのひづめの音が、岩壁に反響して、こん、こん、と響いた。
坂が、だんだんと、広くなっていく。
道の幅が広がり、天井が高くなり――そして、不意に、視界が、開けた。
ヒマリが、足を止めた。
「……わあ」
大きな、空洞だった。
山の内側を、丸ごとくり抜いたような巨大な空洞。天井ははるか頭上にあって、見上げると首が痛くなるほどだった。その天井から、いちばん深い底まですり鉢状に街が広がっていた。
無数の建物が空洞の壁に沿って段々に建ち並んでいる。岩を削って造った家、石を積んで建てた工房。それらが、上から下まで、びっしりと連なっていた。
そして――光が、あった。
建物のあちこちに、ランプが灯っている。橙色の、温かい光。それだけではなかった。岩壁のところどころに、淡い緑や青に光る草が群れて生えていた。建物の隙間にも道の脇にも、その光る草が点々と。
空洞全体が、無数の小さな光で満たされていた。
「アーシュ、見て……!」
ヒマリの声が、弾んでいた。
「ひるなのに、よるみたい!」
「ああ」
「あのね、ランプと、光る草が……星、みたい!」
ヒマリが空洞を見上げて、それから見下ろして、目をきらきらさせていた。
「お外は、お空に星があったけど、ここはおうちのまわりに、星があるんだ。あちこちに、ちりばめられててきれい……!」
アーシュはヒマリの横顔を見ていた。
砂漠で、ヒマリは空一面の星を見て「宝石箱みたい」と言った。星と空、そのどちらもないここで、その代わりにきらめく光を見つけて、目を輝かせている。
(……相変わらず、いい目をしている)
*
空洞の中の街は活気に満ちていた。
坂を下って街に入ると、すぐにそれが分かった。
あちこちから、金属を打つ音が聞こえてくる。かん、かん、と高い音。ごおん、ごおん、と低く響く音。それが、街じゅうから絶え間なく聞こえていた。
工房の入り口からは、赤い火の光と煙が立ち上っている。熱気が道にまで漂ってきていた。
行き交うのは、ほとんどがドワーフだった。
背は低いが、肩幅が広く、腕が太い。男も女も立派な髭や髪を編んだり結ったりしている。荷車を引く者、鉄の塊を担ぐ者、出来上がった品を抱える者。誰もが忙しそうに、けれど、どこか楽しそうに歩いていた。
「……すごい音」
「炉の都と名乗っているくらいだ、鍛冶の音が止むことはない」
「みんな、なにを、つくってるの?」
「武具、魔導具、道具、色々だ」
ヒマリが工房の一つを覗き込んだ。
中では、ドワーフの職人が真っ赤に熱した金属を金床の上で打っていた。打つたびに、火花がぱっと散る。ヒマリがその火花を目で追っていた。
「……かっこいい」
「気に入ったか」
「うん。お外の鍛冶屋さんとは、ぜんぜん、ちがう」
「ここは、職人の街だ。腕のいい者が、集まっている」
ヒマリはもう一度工房を覗き込んでから、アーシュのところへ戻った。
*
ヴィラがサクラの手綱を引きながら言った。
「アーシュ、宿はどうする。当てはあんのか」
「いや。だが、昔、お前達と何度か来ただろう。覚えている宿に、行こうと思う」
「お、さすがだな。俺はどこだったか忘れちまったよ」
おどけて言うヴィラに、小さくため息をつき、アーシュは続けた。
「長く滞在することになるからな、ルミアが気に入っていた、いい宿に泊まろうと思う」
「長く?」
ヴィラが、首を傾げた。
「どんくらいだ」
「分からん。だが、ヒマリの杖を作るとなれば、それなりにかかるだろう」
「つえ?」
ヒマリがきょとんとした顔で、アーシュを見上げた。
「わたしの、つえ?」
「ああ。お前は魔法使いだろう。杖があったほうがいい」
「つえ……まほうの、つえ?」
「そうだ。グランヴォルトはそういう品を作るいちばんの街だ。だから、ここに来た」
ヒマリの目が、またきらきらと光り始めた。
「わたし、つえ、もらえるの?」
「ああ。お前のための、杖だ」
「……うれしい!」
ヒマリが両手をぎゅっと握った。
ヴィラがその様子を見て、にっと笑った。
「よかったな、ヒマリ。ここの杖はいい品だぞ」
「うん!」
「ま、いい職人を見つけるのも、いい素材を見つけるのも、簡単じゃねえけどな」
「ヴィラ、余計なことを言うな」
「ほんとのことだろ」
アーシュが軽く息を吐いた。
ヒマリは、二人のやり取りを聞きながら、まだ、わくわくした顔をしていた。
*
アーシュが目指した宿は、空洞の中段あたりにあった。
岩を削って造られたしっかりとした建物だった。入り口の脇に、光る草が鉢植えにして飾られている。淡い青の光が看板をぼんやりと照らしていた。
宿の主人は、白い髭を長く垂らした年配のドワーフだった。アーシュの顔を見て、少し目を細めた。
「……おや。あんた、前にも来たことがあるな」
「ああ。何年か前に、仲間たちと世話になった」
「覚えてるよ。無口な魔法剣士だったが、今日はよく喋るじゃないか」
「……そうか」
「ああ、だいぶいい顔をするようになったな」
「……今回も、長く滞在したい。この三人で泊まる。部屋は空いているか」
「空いてるとも。長逗留なら、奥の広い部屋にしておこう。静かだぞ」
主人が、ヒマリと、ヴィラと、サクラを、順番に見た。
「そっちの騎獣は、裏の厩舎を使うといい。水も飼い葉もあるから好きに使え」
「助かる」
部屋に案内された。
岩を削った壁に、木のベッドが三つ。小さな卓と椅子。窓は無かったが、光る草がたっぷりと植えられた長い鉢が、壁一面に据えられていた。
ヒマリが、その光る草に近づいた。
「……これ、おへやの、あかり?」
「そうだ。グランヴォルトでは、この草を照明に使うことが多い」
「やわらかい、ひかり……」
ヒマリが、光る草に、そっと、顔を近づけた。淡い緑の光が、ヒマリの頬をほんのりと照らした。
「お外の星は、とおくにあったけど……ここの星は、すぐそばにあるね」
「そうだな」
「……これも、いいね」
ヒマリがそう言って笑った。
木のにおいと、星のきらきら。それはいい交換だ――ヒマリは、いつかそう言った。
空のない街でも、ヒマリは同じように笑った。
アーシュの胸の奥で、また何かが、小さく動いた。
今回は、その感覚を無理に言葉にしようとは思わなかった。
*
荷を下ろして一息ついた。
ヒマリはベッドに腰掛けて、足をぶらぶらさせながら、壁の光る草をまだ眺めていた。
「アーシュ」
「何だ」
「あした、なにするの?」
「明日は、店に行く」
「お店?」
「ああ。昔、世話になった、ドワーフの店だ。お前の杖の相談をしに行く」
「わたしの、杖の……」
「ああ。だが、今日はもう休め。長旅だったからな」
「うん」
ヒマリが頷いた。それから、もう一度壁の光る草を見た。
「……アーシュ」
「何だ」
「グランヴォルト、すきかも」
「まだ、着いたばかりだぞ」
「うん。でも、すきな、よかんがする」
ヒマリがそう言って毛布を引き寄せた。
光る草の淡い緑の光が部屋を静かに照らしていた。
その光の中で、ヒマリはすぐに寝息を立て始めた。
アーシュは、しばらくその寝顔と壁の光る草を見ていた。
明日から、グランヴォルトでの日々が始まる。
ヒマリは、この街を好きになるかもしれない。
そう思うと、なぜだか少し、うれしかった。




