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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第十三話 ないしょの贈り物

 ナハル・ファリスに着いて、四日目。


 ヒマリは、すっかり元気を取り戻していた。


 頬の乾きも、目の下の隈も、もう消えている。朝はきちんと自分で起きて、朝食もしっかり食べた。昨日の買い物で、収納の中には食料も、新しい服も、お土産も、香辛料も、ちゃんと収まっている。


「アーシュ」

「何だ」

「きょうはね、泉、見に行きたい」

「泉?」

「うん。街のまんなかにある、おっきいの。お魚がいるって、宿のおばさんが教えてくれたの」

「ああ、あれか」


 アーシュは少し考えた。今日は特に予定もない。グランヴォルトへ発つのは、明日の予定だ。今日は、この街で過ごす最後の一日になる。


「いいだろう。行くか」

「やった」

「お? なんだお前ら泉に行くのか?」


 窓辺で、退屈そうに大剣を拭いていたヴィラがちろりとヒマリを見た。


「ヴィラさんも、いく?」

「暇だしな、付き合ってやるよ」

「やったあ」



 街の中心にある泉は、思っていたよりも大きかった。


 石で縁取られた円形の泉。直径は、家が五、六軒は入りそうなほどある。水は澄んでいて、底の石まではっきりと見えた。この街じゅうに張り巡らされた水路は、すべてこの泉から流れ出している。


 泉の周りには、石のベンチがいくつか置かれていた。木陰を作るための背の高い木も植えられていて、その下で老人が涼んでいたり、子どもが水路に足を浸して遊んでいたりした。


 ヒマリが泉の縁に駆け寄って、しゃがみ込んだ。


「……お魚!」


 水の中に、魚がいた。


 手のひらほどの大きさの銀色の魚。背中のあたりに、淡い青の筋が一本通っている。それが、五、六匹、群れになって、ゆっくりと泉の中を泳いでいた。


「アーシュ、見て、青いの! 背中が青い魚だよ!」

「砂漠の泉に棲む魚だな。詳しい名は、俺も知らん」

「きれいだね……」


 ヒマリが、水面に顔を近づけて、じっと魚を見ていた。


 魚は、人を恐れる様子がなかった。泉の縁に集まってくる人間に慣れているのだろう。ヒマリの影が水面に落ちても、悠々と泳ぎ続けている。


「……さわれるかな」

「やめておけ。驚かせると、かわいそうだ」

「あ、そうだね」


 ヒマリが、伸ばしかけた手を引っ込めた。それから、両手を膝の上に置いて、ただ魚を見ることにしたようだった。


 アーシュは、少し離れた石のベンチに腰を下ろした。


 ヒマリは、長いこと、泉を覗き込んでいた。魚が泳ぐのを、目で追っている。時々、別の魚が群れに加わると、小さく「あ」と声を上げた。


 砂漠の真ん中の街で、水があって、魚がいる。


 それが、ヒマリにはよほど不思議で、よほど楽しいことらしかった。



 しばらくして、ヒマリが泉の縁を離れて、戻ってきた。


「アーシュ」

「ああ」

「お魚、ずっと見てても、飽きないね」

「そうか」

「うん。あのね、いっぴき、ちょっと、ちがう色の子がいた」

「ほう」

「背中がね、青じゃなくて、緑っぽいの。まじってた」

「よく見ているな」

「えへへ」


 ヒマリが、嬉しそうに笑った。


 その時、近くにいたヴィラが、泉のほうを顎で示した。


「ヒマリ、向こう見てみろ。木の根元に、なんか生えてるぞ」


 ヒマリが、ヴィラの示すほうを見た。


 泉のそばの、背の低い木。その根元に、緑の細い葉が、群れて生えていた。


「あれ、なに?」

「こっからじゃわかんねえな。近くで見てみようぜ」


 三人で、その木の根元に近づいた。


 細い葉の植物が、土から伸びていた。よく見ると、葉の付け根に、小さな白い花のつぼみのようなものがついている。


 アーシュが、葉を一枚、指でちぎった。それを軽く揉んで、匂いを嗅ぐ。


「……香草だな。野生のものだ」


 ヒマリの目が、ぱっと、輝いた。


「こうそう……トバスさんの!」

「ああ。これは、肉の臭み消しに使う。乾かして、砕いてな」

「とっていい?」

「ここのは、誰のものでもない。少しなら、構わないだろう」


 ヴィラが、横から、別の草を指さした。


「こっちのも採れるぞ。ほら、この赤い実」


 ヴィラが示したのは、地を這うように生えた、小さなつる草だった。先端に、赤い実が、ぽつぽつとなっている。


「これな、ドラグニルでもよく採れる。乾かすと、ぴりっとした辛みが出るんだ。肉に振ると、うまいぞ」

「ヴィラさん、くわしいね」

「俺は食うことに関しちゃ、くわしいんだよ」


 ヴィラが、胸を張った。


 ヒマリが、くすくす、と笑った。


 それから、ヒマリは、しゃがんで、香草と赤い実を、丁寧に採り始めた。アーシュとヴィラが「これは採っていい」「それはやめておけ」と教える。ヒマリは、それを一つずつ確かめながら、収納にしまっていった。


 昨日、市場で買った香辛料と、同じように。


 半分は、自分のコレクションの場所に。もう半分はトバスに渡す分として、別の場所に。


「トバスさんに、あげるの、いっぱいになってきた」

「そうか」

「市場で買ったのと、野生ので、いろんなしゅるい」

「あの男は、喜ぶだろうな。野生の香草は、なかなか手に入らんものもある」

「ほんと?」

「ああ。トバスは、目を輝かせるだろう」


 ヒマリが、嬉しそうに、収納をぽんと閉じた。


 トバスへの分が、また少し、増えた。



 その夜、宿の部屋で。


 夕食を終えて、三人は部屋に戻っていた。ヴィラは、明日の出発に備えて、サクラの鞍の手入れをしていた。


 ヒマリがもじもじと、収納の前で指を絡めていた。


「……あのね」

「ん? どうした、ヒマリ」

「きのう、ないしょで、買ったの……」


 ヒマリが、収納から二つの小さな包みを取り出した。


 一つをアーシュに。もう一つをヴィラに。


「……これ。お土産」


 ヒマリの頬が少し赤くなっていた。


「俺たちにか?」

「うん。アーシュと、ヴィラさんの」


 ヴィラが鞍の手入れの手を止めて、包みを受け取った。アーシュも受け取った。


 ヴィラが先に包みを開けた。


 中から出てきたのはイヤリングだった。


 細い金属の輪に、小さな赤い石が一つ。揺れると、光を弾いてきらりと光る。


「……イヤリング、か」


「うん、ヴィラさん、いつもかっこいいの、つけてるなって思ってて。だから、ヴィラさんに、にあうのないかなって、さがしたの」


 ヴィラがしばらくイヤリングを見ていた。


 それから、何も言わずにそれを自分の耳に着けた。


 元から着けていた他の飾りの間で、赤い石がちらりと揺れた。


「……どうだ」

「にあう! すごく、にあうよ、ヴィラさん!」

「だろ? お前、見る目あるな」


 ヴィラが、にっと笑って、耳をヒマリのほうに向けてみせた。ヒマリが嬉しそうに、それを見ていた。


 アーシュも包みを開けた。


 中から出てきたのは、革と金属でできた小さな飾り紐だった。


「……これは」

「あのね、アーシュの剣につけるの。ここ、すこしさみしいかなって」


 ヒマリが、自分の手で剣の柄頭のあたりを示した。


 剣に付けるストラップだった。深い色の革紐に、小さな金属の飾りが編み込まれている。派手ではない。アーシュの地味な装いによくなじみそうな品だった。


 アーシュは、しばらくそれを見ていた。


 それから、腰の剣を鞘ごと外して膝の上に置いた。柄頭の小さな穴にストラップの紐を通して結ぶ。


 革紐が、柄の下で静かに垂れた。


「……どうだ」


 アーシュが、剣を少し持ち上げてヒマリに見せた。


 ヒマリの顔が、ぱっと明るくなった。


「……にあう! アーシュ、にあうよ!」

「そうか」

「うん! 暗い色だけど……ううん、それで、いいの。アーシュ、っぽい」

「……それは、褒めているのか」

「ほめてるよ!」


 ヒマリが、力いっぱい、頷いた。


 アーシュは剣を腰に戻した。柄の下で革紐が小さく揺れた。


 それを見て、ヒマリが満足そうに笑った。



 ヴィラがイヤリングの位置を直しながら言った。


「しかし、お前よく選んだな。俺には派手なイヤリング、アーシュには地味な紐。ちゃんと、俺らのこと、分かってるじゃねえか」

「えへへ……」

「物を選ぶってのはな、相手のことを考えるってことだ。お前はちゃんと考えて選んだ。いい買い物したなあ」

「ヴィラさん、きのうも、おなじこと、いってた」

「……そうだったか?」

「うん。でもね、うれしいから、いいよ」


 ヒマリが笑った。


 アーシュは、その様子を少し離れた場所から見ていた。


 誰かから、物をもらうことなど、久しくなかった。森に籠もって五年、人と関わらずに生きてきた。物をやり取りする相手などいなかった。


 その前、仲間と旅をしていた頃も、こういうことはあまりなかった気がする。余裕のない旅だった。贈り物をする習慣も、される習慣も、なかった。


 今、腰の剣にヒマリの選んだ飾りが揺れている。


 ヴィラの耳で、ヒマリの選んだ石が光っている。


 ヒマリは、それを見て心から嬉しそうにしている。


 もらった本人よりも、贈った本人のほうが嬉しそうな顔をしていた。


 胸の奥で何かが小さく動いた。


 コトリ。


 アーシュは、その音を黙って受け止めた。



 ヴィラがサクラの様子を見に出て行った後、部屋にはアーシュとヒマリが残された。


 ヒマリは、ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせていた。今日一日、よく歩き、よく笑った。けれど、疲れた顔はしていなかった。


「アーシュ」

「何だ」

「あしたで、この街、おわりだね」

「ああ。明日、グランヴォルトへ発つ」

「もう、げんきだから、だいじょうぶ」


 ヒマリが、両手をぎゅっと握って見せた。元気だ、というつもりらしかった。


「アーシュ」

「何だ」

「グランヴォルト、って、どんなところ?」

「大きな岩山の下にある。炉と工房の街だ 」

「岩山の、した?」

「行ってみれば、分かる」

「むう、教えてくれてもいいのに」

「……楽しみは、とっておけ」


 ヒマリが少し口を尖らせた。それから、すぐに笑った。


「うん。たのしみ、とっておく」


 窓の外では、ナハル・ファリスの街の明かりが、水路に映って揺れていた。


 砂漠の真ん中の水の街。


 ヒマリが体を休め、元気を取り戻し、初めて自分の選んだ贈り物を人に渡した街。


 アーシュは、窓の外の明かりをしばらく見ていた。


 明日からまた、厳しい旅が続く。


 悪くない休暇だった、そう思った。


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