第十三話 ないしょの贈り物
ナハル・ファリスに着いて、四日目。
ヒマリは、すっかり元気を取り戻していた。
頬の乾きも、目の下の隈も、もう消えている。朝はきちんと自分で起きて、朝食もしっかり食べた。昨日の買い物で、収納の中には食料も、新しい服も、お土産も、香辛料も、ちゃんと収まっている。
「アーシュ」
「何だ」
「きょうはね、泉、見に行きたい」
「泉?」
「うん。街のまんなかにある、おっきいの。お魚がいるって、宿のおばさんが教えてくれたの」
「ああ、あれか」
アーシュは少し考えた。今日は特に予定もない。グランヴォルトへ発つのは、明日の予定だ。今日は、この街で過ごす最後の一日になる。
「いいだろう。行くか」
「やった」
「お? なんだお前ら泉に行くのか?」
窓辺で、退屈そうに大剣を拭いていたヴィラがちろりとヒマリを見た。
「ヴィラさんも、いく?」
「暇だしな、付き合ってやるよ」
「やったあ」
*
街の中心にある泉は、思っていたよりも大きかった。
石で縁取られた円形の泉。直径は、家が五、六軒は入りそうなほどある。水は澄んでいて、底の石まではっきりと見えた。この街じゅうに張り巡らされた水路は、すべてこの泉から流れ出している。
泉の周りには、石のベンチがいくつか置かれていた。木陰を作るための背の高い木も植えられていて、その下で老人が涼んでいたり、子どもが水路に足を浸して遊んでいたりした。
ヒマリが泉の縁に駆け寄って、しゃがみ込んだ。
「……お魚!」
水の中に、魚がいた。
手のひらほどの大きさの銀色の魚。背中のあたりに、淡い青の筋が一本通っている。それが、五、六匹、群れになって、ゆっくりと泉の中を泳いでいた。
「アーシュ、見て、青いの! 背中が青い魚だよ!」
「砂漠の泉に棲む魚だな。詳しい名は、俺も知らん」
「きれいだね……」
ヒマリが、水面に顔を近づけて、じっと魚を見ていた。
魚は、人を恐れる様子がなかった。泉の縁に集まってくる人間に慣れているのだろう。ヒマリの影が水面に落ちても、悠々と泳ぎ続けている。
「……さわれるかな」
「やめておけ。驚かせると、かわいそうだ」
「あ、そうだね」
ヒマリが、伸ばしかけた手を引っ込めた。それから、両手を膝の上に置いて、ただ魚を見ることにしたようだった。
アーシュは、少し離れた石のベンチに腰を下ろした。
ヒマリは、長いこと、泉を覗き込んでいた。魚が泳ぐのを、目で追っている。時々、別の魚が群れに加わると、小さく「あ」と声を上げた。
砂漠の真ん中の街で、水があって、魚がいる。
それが、ヒマリにはよほど不思議で、よほど楽しいことらしかった。
*
しばらくして、ヒマリが泉の縁を離れて、戻ってきた。
「アーシュ」
「ああ」
「お魚、ずっと見てても、飽きないね」
「そうか」
「うん。あのね、いっぴき、ちょっと、ちがう色の子がいた」
「ほう」
「背中がね、青じゃなくて、緑っぽいの。まじってた」
「よく見ているな」
「えへへ」
ヒマリが、嬉しそうに笑った。
その時、近くにいたヴィラが、泉のほうを顎で示した。
「ヒマリ、向こう見てみろ。木の根元に、なんか生えてるぞ」
ヒマリが、ヴィラの示すほうを見た。
泉のそばの、背の低い木。その根元に、緑の細い葉が、群れて生えていた。
「あれ、なに?」
「こっからじゃわかんねえな。近くで見てみようぜ」
三人で、その木の根元に近づいた。
細い葉の植物が、土から伸びていた。よく見ると、葉の付け根に、小さな白い花のつぼみのようなものがついている。
アーシュが、葉を一枚、指でちぎった。それを軽く揉んで、匂いを嗅ぐ。
「……香草だな。野生のものだ」
ヒマリの目が、ぱっと、輝いた。
「こうそう……トバスさんの!」
「ああ。これは、肉の臭み消しに使う。乾かして、砕いてな」
「とっていい?」
「ここのは、誰のものでもない。少しなら、構わないだろう」
ヴィラが、横から、別の草を指さした。
「こっちのも採れるぞ。ほら、この赤い実」
ヴィラが示したのは、地を這うように生えた、小さなつる草だった。先端に、赤い実が、ぽつぽつとなっている。
「これな、ドラグニルでもよく採れる。乾かすと、ぴりっとした辛みが出るんだ。肉に振ると、うまいぞ」
「ヴィラさん、くわしいね」
「俺は食うことに関しちゃ、くわしいんだよ」
ヴィラが、胸を張った。
ヒマリが、くすくす、と笑った。
それから、ヒマリは、しゃがんで、香草と赤い実を、丁寧に採り始めた。アーシュとヴィラが「これは採っていい」「それはやめておけ」と教える。ヒマリは、それを一つずつ確かめながら、収納にしまっていった。
昨日、市場で買った香辛料と、同じように。
半分は、自分のコレクションの場所に。もう半分はトバスに渡す分として、別の場所に。
「トバスさんに、あげるの、いっぱいになってきた」
「そうか」
「市場で買ったのと、野生ので、いろんなしゅるい」
「あの男は、喜ぶだろうな。野生の香草は、なかなか手に入らんものもある」
「ほんと?」
「ああ。トバスは、目を輝かせるだろう」
ヒマリが、嬉しそうに、収納をぽんと閉じた。
トバスへの分が、また少し、増えた。
*
その夜、宿の部屋で。
夕食を終えて、三人は部屋に戻っていた。ヴィラは、明日の出発に備えて、サクラの鞍の手入れをしていた。
ヒマリがもじもじと、収納の前で指を絡めていた。
「……あのね」
「ん? どうした、ヒマリ」
「きのう、ないしょで、買ったの……」
ヒマリが、収納から二つの小さな包みを取り出した。
一つをアーシュに。もう一つをヴィラに。
「……これ。お土産」
ヒマリの頬が少し赤くなっていた。
「俺たちにか?」
「うん。アーシュと、ヴィラさんの」
ヴィラが鞍の手入れの手を止めて、包みを受け取った。アーシュも受け取った。
ヴィラが先に包みを開けた。
中から出てきたのはイヤリングだった。
細い金属の輪に、小さな赤い石が一つ。揺れると、光を弾いてきらりと光る。
「……イヤリング、か」
「うん、ヴィラさん、いつもかっこいいの、つけてるなって思ってて。だから、ヴィラさんに、にあうのないかなって、さがしたの」
ヴィラがしばらくイヤリングを見ていた。
それから、何も言わずにそれを自分の耳に着けた。
元から着けていた他の飾りの間で、赤い石がちらりと揺れた。
「……どうだ」
「にあう! すごく、にあうよ、ヴィラさん!」
「だろ? お前、見る目あるな」
ヴィラが、にっと笑って、耳をヒマリのほうに向けてみせた。ヒマリが嬉しそうに、それを見ていた。
アーシュも包みを開けた。
中から出てきたのは、革と金属でできた小さな飾り紐だった。
「……これは」
「あのね、アーシュの剣につけるの。ここ、すこしさみしいかなって」
ヒマリが、自分の手で剣の柄頭のあたりを示した。
剣に付けるストラップだった。深い色の革紐に、小さな金属の飾りが編み込まれている。派手ではない。アーシュの地味な装いによくなじみそうな品だった。
アーシュは、しばらくそれを見ていた。
それから、腰の剣を鞘ごと外して膝の上に置いた。柄頭の小さな穴にストラップの紐を通して結ぶ。
革紐が、柄の下で静かに垂れた。
「……どうだ」
アーシュが、剣を少し持ち上げてヒマリに見せた。
ヒマリの顔が、ぱっと明るくなった。
「……にあう! アーシュ、にあうよ!」
「そうか」
「うん! 暗い色だけど……ううん、それで、いいの。アーシュ、っぽい」
「……それは、褒めているのか」
「ほめてるよ!」
ヒマリが、力いっぱい、頷いた。
アーシュは剣を腰に戻した。柄の下で革紐が小さく揺れた。
それを見て、ヒマリが満足そうに笑った。
*
ヴィラがイヤリングの位置を直しながら言った。
「しかし、お前よく選んだな。俺には派手なイヤリング、アーシュには地味な紐。ちゃんと、俺らのこと、分かってるじゃねえか」
「えへへ……」
「物を選ぶってのはな、相手のことを考えるってことだ。お前はちゃんと考えて選んだ。いい買い物したなあ」
「ヴィラさん、きのうも、おなじこと、いってた」
「……そうだったか?」
「うん。でもね、うれしいから、いいよ」
ヒマリが笑った。
アーシュは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
誰かから、物をもらうことなど、久しくなかった。森に籠もって五年、人と関わらずに生きてきた。物をやり取りする相手などいなかった。
その前、仲間と旅をしていた頃も、こういうことはあまりなかった気がする。余裕のない旅だった。贈り物をする習慣も、される習慣も、なかった。
今、腰の剣にヒマリの選んだ飾りが揺れている。
ヴィラの耳で、ヒマリの選んだ石が光っている。
ヒマリは、それを見て心から嬉しそうにしている。
もらった本人よりも、贈った本人のほうが嬉しそうな顔をしていた。
胸の奥で何かが小さく動いた。
コトリ。
アーシュは、その音を黙って受け止めた。
*
ヴィラがサクラの様子を見に出て行った後、部屋にはアーシュとヒマリが残された。
ヒマリは、ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせていた。今日一日、よく歩き、よく笑った。けれど、疲れた顔はしていなかった。
「アーシュ」
「何だ」
「あしたで、この街、おわりだね」
「ああ。明日、グランヴォルトへ発つ」
「もう、げんきだから、だいじょうぶ」
ヒマリが、両手をぎゅっと握って見せた。元気だ、というつもりらしかった。
「アーシュ」
「何だ」
「グランヴォルト、って、どんなところ?」
「大きな岩山の下にある。炉と工房の街だ 」
「岩山の、した?」
「行ってみれば、分かる」
「むう、教えてくれてもいいのに」
「……楽しみは、とっておけ」
ヒマリが少し口を尖らせた。それから、すぐに笑った。
「うん。たのしみ、とっておく」
窓の外では、ナハル・ファリスの街の明かりが、水路に映って揺れていた。
砂漠の真ん中の水の街。
ヒマリが体を休め、元気を取り戻し、初めて自分の選んだ贈り物を人に渡した街。
アーシュは、窓の外の明かりをしばらく見ていた。
明日からまた、厳しい旅が続く。
悪くない休暇だった、そう思った。




