第十二話 はじめてのおつかい
宿の扉を出ると、昼前の街は、人で賑わっていた。
水路沿いの道を、荷車が行き交っている。日除けの布の下では、商人たちが声を張り上げていた。砂漠の真ん中とは思えない、活気のある街並みだった。
ヒマリは、アーシュとヴィラの間を、少し緊張した顔で歩いていた。
「まずは、何から買う?」
ヴィラが、ヒマリに聞いた。
「えっと……ごはんの、ざいりょう?」
「お、しっかりしてんな。じゃ、食いもんからだ」
三人は、市場の方へと歩いていった。
*
食料品の並ぶ一角は、特に賑やかだった。
乾いた豆、干し肉、平たいパン、粒の大きな穀物。それから、砂漠の街らしく、保存の利く乾物が多かった。
アーシュが、店先で干し肉の具合を確かめている。ヴィラは、その隣で果物を選んでいた。
ヒマリは、少し離れた場所で、店の様子を見ていた。
買い物の経験は一度だけ――ずっと前、旅の途中の宿場村で、青い髪紐を自分で買った時だ。
あの時は、アーシュがそっと見守っていてくれた。
だが、今日は様々な店を巡り、多くのものを買うことになる。預かったお金の中で、自分で判断しなければならない。
「ヒマリ」
アーシュが、声をかけた。
「豆と、穀物を、買っておきたい。お前が、店の者に値を聞いてみろ」
「……わたしが?」
「ああ。これも、練習だ」
ヒマリが、ごくりと、唾を飲んだ。
それから、豆を売っている店の前に、おずおずと、歩いていった。
店主は、恰幅のいいドワーフの女だった。ヒマリが近づくと、にっと笑った。
「いらっしゃい。何が欲しいんだい?」
「……あの、お豆を、ください」
「どれくらいだい?」
「えっと……」
ヒマリが、アーシュを振り返った。アーシュが、指で「これくらい」と、量を示した。
「……このくらい、ください」
「あいよ。袋は持ってるかい?」
「……あ、しゅうのうに、入れます」
「収納魔法を使えるのかい! 若いのに、大したもんだね」
店主が、感心したように言った。
ヒマリが、少し、慌てた。ヴィラに言われたことを、思い出した。
「……まだ、ひよっこ、なんです。魔法使いの、弟子で」
「ほう。師匠について、旅をしてるのかい」
「……はい」
「いい師匠についたねえ。収納が使えるなら、旅も楽だろう」
店主は、それ以上は、詮索しなかった。豆を量り、ヒマリの差し出した収納の口に、さらさらと流し込んだ。
「銅貨六枚だよ」
ヒマリが、収納から小袋を取り出して、銅貨を、一枚ずつ、数えた。六枚。店主の手に、乗せた。
「はい、たしかに。まいどあり」
ヒマリがぺこりと頭を下げた。それから、アーシュたちのところへ戻ってきた。
「ひとりで、買えたよ」
「上出来だ」
ヒマリの頬が、少し、緩んだ。
ヴィラが、その頭を、くしゃりと撫でた。
「いいぞ、ヒマリ。その調子だ」
*
食料品を一通り買い揃えてから、三人は、別の通りへと移った。
布や日用品を売る通りだった。
ヴィラが、薄手の布が並ぶ店の前で、足を止めた。
「ヒマリ、砂漠用の服をもう一着作っとけ」
「うん」
ヒマリが、布を、一枚ずつ見ていった。白っぽい色、薄い茶色、淡い水色。どれも、軽くて、風を通しそうな布だった。
ヒマリは、少し迷ってから、淡い水色の布を選んだ。
「どう、かな」
「ああ、いいんじゃねえか。涼しげで、お前に似合う」
「えへへ」
店主に頼んで、寸法を測ってもらう。仕立ては、夕方までにできるという。ヒマリは、銅貨を払って、出来上がりを受け取りに来る約束をした。
それから――ヒマリの足が、ふと、止まった。
通りの先に、雑貨を売る店があった。
色とりどりの小物が、並んでいる。編んだ紐、木彫りの小さな細工物、貝殻でできた飾り、陶器のカップ。
ヒマリが、その店に、吸い寄せられるように、近づいていった。
「どうした、ヒマリ」
「……あのね」
ヒマリが、アーシュを見上げた。
「みんなに、お土産、買いたい」
「みんな?」
「うん。クレと、バウレン村の子たちと……リュッカさんと、フィロルさんと、ルミアさん」
アーシュは、少し、黙った。
帰り道に、寄る場所。いつか、会う人たち。ヒマリは、その一人一人を、思い浮かべているらしかった。
「……小遣いの、範囲でなら、構わない」
「ほんと?」
「ああ。だが、よく考えて選べ。金は、無限ではない」
「うん!」
ヒマリが、店の前に、しゃがみ込んだ。
*
ヒマリは、真剣だった。
一つ一つ、手に取って、じっと見て、それから、また戻す。誰に、何が、似合うか。ヒマリは、それを、一生懸命、考えているようだった。
「……クレには、これ」
ヒマリが選んだのは、髪紐だった。赤みのある、明るい色の紐。
「わたしのと、にてるの。クレ、おそろい、よろこぶかな」
「ああ、喜ぶだろう」
いつかの旅で、ヒマリは、青い髪紐を、自分で選んで買った。それと同じように、クレにも、髪紐を。おそろい、という言葉が、ヒマリは気に入っているようだった。
「あとね、バウレン村の、ほかの子たちには……これ」
ヒマリが手に取ったのは、紐のついた、小さな木の細工物だった。振ると、中で何かが転がって、からから、と、不思議な音がする。
「ふってみて、アーシュ」
アーシュが、振ってみた。からから、と、間の抜けた音がした。
「……変な音だな」
「でしょ。だから、いいの。子どもたち、よろこぶよ、きっと」
ヒマリが、くすくす、と笑った。
モッツや、広場で遊んだ子どもたち。彼らが、この変な音のおもちゃを振り回して、はしゃぐ姿を、ヒマリは想像しているのだろう。
「リュッカさんと、フィロルさんには……」
ヒマリの目が、陶器のカップに、留まった。
素朴な、けれど、丁寧に焼かれたカップ。同じ形のものが、二つ、並んでいた。
「これ、ふたつで、おそろい」
「ああ」
「リュッカさんと、フィロルさん、ふうふ、だから。おそろいの、カップ」
ヒマリが二つのカップをそっと手に取った。落とさないように、両手で。
「いいじゃねえか」
ヴィラが横から覗き込んで言った。
「夫婦でおそろいのカップで茶を飲む。リュッカの奴照れるぞ、絶対」
「ふふ、リュッカさんタジタジになるかな」
「なるなる。間違いねえ」
ヒマリが嬉しそうに笑った。
「ルミアさんには……」
ヒマリが店の奥の方を見た。
布製品が掛けられていた。その中に、薄手のショールがあった。淡い、生成りの色。端に、控えめな刺繍が入っている。
「これ。ルミアさん神殿でおしごといそがしいでしょ。寒い時に、かたにかけられるかなって」
「……ルミアに、か」
「うん。ルミアさん、やさしくしてくれたから」
アーシュは、ショールを見た。
ルミアは神殿長として忙しい日々を送っている。その肩に、このショールが掛かる。ヒマリがそれを思って選んだ。
悪くない、と、アーシュは思った。
*
ヒマリが、選んだものを、店主のところへ持っていった。
髪紐、おもちゃ、おそろいのカップ二つ、ショール。店主が、一つずつ、値を告げる。ヒマリは、収納から小袋を出して、銅貨を、慎重に、数えた。
「……ぜんぶで、いくら、ですか」
「銀貨一枚と、銅貨四枚だね」
「……えっと」
ヒマリが、銀貨と銅貨を、一枚ずつ、確かめながら、店主の手に乗せていった。途中で、一度、数え間違えて、やり直した。店主は、急かさず、待っていた。
「……はい」
「あいよ、ちょうどだ。まいどあり」
店主が品物を布で包んでくれた。ヒマリは、それを収納にしまった。お土産用の場所に。食料とは、別の場所に。
ヒマリがアーシュのところへ戻ってきた。
「……買えた。ぜんぶ」
「ああ」
「お小遣い、まだのこってる?」
ヒマリが、小袋の中を、覗き込んだ。
「……はんぶんは、こえてないと思うけど」
「なら、残っている」
「うん」
ヒマリがほっとした顔をした。
それから、ふと、何か思いついたように顔を上げた。
*
「アーシュ、ヴィラさん」
「ん?」
「あのね……ちょっと、はなれて、まってて、ほしいの」
「あ? なんでだよ」
ヴィラが、首を傾げた。
ヒマリが、もじもじと指を絡めた。
「……ないしょ、なの」
「ないしょ?」
アーシュは、少し考えて――それから、察した。
「ヴィラ。少し、向こうで待つぞ」
「え、なんで」
「いいから、来い」
アーシュが、ヴィラの腕を引いて通りの反対側へと歩いていった。ヴィラは不満そうな顔をしていたが、ヒマリが「ないしょ」と言った意味に、途中で気づいたらしい。
「……あ。そういうことか」
「気づくのが、遅い」
「うるせえな。お前に言われたくねえよ」
「……」
二人は、少し離れた場所で、待った。
ヒマリは雑貨屋の店主に、何か小声で相談していた。店主が奥からいくつか品物を出してくる。ヒマリがその中から二つ選んだ。
何を選んだのかは、アーシュたちの場所からは見えなかった。
ヒマリは、銅貨を払ってその二つを大事そうに、収納のいちばん奥にしまった。
それから、小走りで戻ってきた。
「……おわった!」
「何を買ったんだ」
「ないしょ!」
ヒマリが両手を後ろに組んで、にっこりと笑った。
その顔が、あまりにも嬉しそうだったので、アーシュもヴィラもそれ以上は聞かなかった。
*
帰り道、香辛料を売る屋台の前を、通りかかった。
色とりどりの粉、乾いた葉、硬い木の実。つん、とした香りが、屋台の周りに漂っていた。
ヒマリの足が止まった。
「……トバスさんのにおいだ」
「ああ。香辛料だな」
ヒマリが、屋台の品を、一つ一つ、見ていった。
赤い粉、黄色い粉、黒い粒。見たことのない色と形が、並んでいた。
「これ、なに?」
「赤いのは、辛みのある実を挽いたものだ。黄色いのは……俺も、名は知らん」
「いい、においがする」
ヒマリが、屋台の主に、聞いた。
「あの、これ、すこしください。それと、これも、すこし」
ヒマリが選んだのは、赤い粉と、乾いた葉、それから、小さな硬い実だった。どれも、ほんの少しずつ。
「お嬢ちゃん、料理でもするのかい?」
「……ううん。あつめてるの」
「集めてる?」
「うん。あとね……いつか、あげたい人が、いるの」
屋台の主は不思議そうな顔をした。けれど、それ以上は聞かず、小さな紙片で小分けしてヒマリに渡した。
ヒマリはそれを収納にしまった。
二つに、分けて。
半分は、自分のコレクションの場所に。もう半分は――いつか、トバスに渡す分として、別の場所に。
「アーシュ」
「何だ」
「トバスさん、これ、よろこぶかな」
「……どうだろうな」
アーシュは少し考えてから続けた。
「あの男は香辛料を商売にしている。お前が集めたものを見て、目利きを始めるかもしれん」
「めきき?」
「これはいい品だ、これはそうでもない、と、品定めすることだ」
「ふふ、トバスさん、やりそう」
「ああ。やるだろうな」
ヒマリが、笑った。
それから、収納をぽん、と、閉じた。トバスへの分はその奥にしまわれている。
いつか会う日まで、大切に。
*
宿に戻る頃には、日が、傾き始めていた。
ヒマリの収納の中には、たくさんのものが入っていた。食料、新しい服、お土産、香辛料。それから――誰にも見せていない、ないしょの、二つ。
「つかれたか?」
アーシュが、聞いた。
「ううん。たのしかった」
ヒマリが、首を、横に振った。
「あのね、おかいもの、ね」
「ああ」
「むずかしいけど……たのしいね」
「そうか」
「うん。だれに、なにが、にあうか、かんがえるの……たのしかった」
ヒマリが嬉しそうに言った。
誰に何が似合うのか。それを考えるのは、その相手のことを思い浮かべるということだった。
クレの笑顔。バウレン村の子どもたち。リュッカとフィロルの食卓。ルミアの忙しい横顔。
ヒマリは、買い物をしながらずっと、会いたい人たちのことを、考えていた。
嬉しそうな、それでいて寂しそうなヒマリの顔を見ていると、アーシュの胸の奥で何かが小さく動いた気がした。
コトリ。
アーシュはその音を、黙って受け止めた。
夕日が水路に映って揺れていた。




