第十一話 わたしのお仕事
翌朝、ヒマリは自分の力で起き上がることができた。
昨日までの、泥のような疲れは、だいぶ引いていた。アーシュが買ってきた薬と、たっぷりの睡眠と、何より砂漠を出たという安心感が、小さな体を少しずつ元に戻していた。
「……あさ?」
「ああ。よく寝ていたな」
「うん……からだ、かるい」
ヒマリがベッドの上で身を起こした。頬の乾きも、目の下の隈も、昨日よりずっと薄くなっている。
「腹は減ったか」
「……うん、すいてる」
「なら、回復している証拠だ」
アーシュが、小さく頷いた。
*
朝食は、宿の一階で取った。
焼きたてのパンと、豆の煮込み、それから干した果物。ヴィラはすでに席について、大きな口でパンにかぶりついていた。
「お、ヒマリ起きたか。顔色、だいぶマシになったな」
「うん。ヴィラさん、おはよう」
「おう、おはよう。ほら、食え食え。ここのパンは美味いぞ」
ヒマリが席について、パンを一口食べた。それから、目を少し見開いた。
「……ふわふわ」
「だろ? 砂漠の真ん中で、こんなパン食えるのは、この街くらいのもんだ」
ヒマリが、もう一口食べた。豆の煮込みも口に運んだ。少しずつ、食べる速度が上がっていった。
アーシュは、その様子を見ていた。
昨日、立つのもやっとだった子が、今朝はちゃんと自分で食べている。子どもの回復は早い、と、改めて思った。
*
食事を終えて、部屋に戻った。
窓の外は、もう日が高く昇っていた。けれど、水路のおかげで、部屋の中は涼しかった。
ヴィラが、椅子に逆向きに座って、背もたれに腕を乗せた。
「で、ヒマリ。ちょっと聞きたいことがあるんだけどよ」
「なあに?」
「お前の収納、あれ、どんくらい入るんだ?」
ヒマリが、少し首を傾げた。
「えっと……わかんない。いっぱい、入る」
「いっぱいって、どんくらいだ。家まで入れてんだろ?」
「うん。家と、薪と、お水と、毛布と……いろいろ」
「で、まだ入るのか?」
「うん。まだまだ、入ると思う」
ヴィラが、アーシュの方をちらりと見た。アーシュは何も言わなかった。
「じゃあ、次だ。中の時間は、止まってんのか?」
「とまってる、と思う……」
ヒマリが、そう言いかけて、ふと、口をつぐんだ。
目を、閉じた。
自分の収納の中を、意識で探る。賢者スキルが、その構造を、内側からゆっくりと教えてくれる。普段は意識しないところを、覗き込むような感覚だった。
「……あれ」
「どうした」
「……場所、わけられる、みたい」
「場所?」
「うん。時間がとまってる場所と……ゆっくり、ながれてる場所と……ふつうに、ながれる場所も、つくれる」
ヒマリが、目を開けた。少し驚いた顔をしていた。
まるで、しまっていた箱の奥に、今まで触っていなかった引き出しを見つけたようだった。
「いままで、しらなかった。お肉とかは、自然に、とまってる場所に入ってたみたい」
ヴィラが、ぱちりと指を鳴らした。
「おお、そりゃ便利だな。じゃあ、あれだ。パン種とか、酒とか、ゆっくり寝かせたいもんは、時間が流れる場所に入れときゃいいんだ」
「ぱんだね?」
「パンを膨らませるやつだ。寝かせると味が良くなるもんが、世の中には色々あんだよ」
「……じゃあ、お肉はとまってる場所、パンだねは、ながれる場所」
「そういうことだ。使い分けりゃ、ずいぶん便利になるぞ」
ヒマリが、自分の手のひらを見下ろした。
それから、ゆっくりと、顔を上げた。
「……わたし、それ、できるんだ」
「ああ、できる」
「みんなの、ごはん……おいしくできる、かも」
ヒマリの目の中で、何かが、ぱっと明るくなった。
*
アーシュは、その様子を、椅子に座って見ていた。
「ヒマリ」
「うん?」
「これからは、買った食材をお前に預ける。お前が収納で管理してくれるか」
ヒマリが、ぱっと顔を上げた。
「いいの?」
「収納魔法は使える者が多いからな。食料や日用品の出し入れ程度なら目立たないだろう」
「やったあ。これからは、荷物、まかせてね」
「ああ、俺にはできないからな。頼んだぞ」
ヒマリの頬が、見る間に紅潮した。口を、きゅっと結んだ。それから、こくりと、大きく頷いた。
「うん……うん! わたし、ちゃんと、やる!」
「ああ、まかせた」
「えへへ……わたしの、お仕事だ」
ヒマリが、嬉しそうに、両手をぎゅっと握った。
その様子を見て、ヴィラがにっと笑った。
「じゃ、善は急げだ。今日は買い出しに行くぞ」
「かいだし!」
「ああ。砂漠を出る前に、食材も日用品も、しっかり仕入れとかねえとな」
アーシュが、懐から布の小袋を取り出した。
じゃらり、と硬い音がした。
それを、ヒマリに差し出す。
「ヒマリ、これを持っておけ」
「……これ、なに?」
「金だ。好きなものを買っていい」
ヒマリが、目を丸くした。
「……わたしが、つかっていいの?」
「ああ。お前が、自分で選んで、自分で買え」
「ぜんぶ……?」
「いや、全部はだめだ。半分くらいまでにしておけ。残りは、食材と日用品に使う」
「……これの、はんぶん」
ヒマリが、小袋を両手で受け取った。ずっしりと重かった。中で硬貨が動く音がする。
その重さを、ヒマリは、しばらく手のひらで確かめていた。
「……だいじに、つかう」
「ああ。だが、けちけちするな。欲しいものは、買っていい」
「うん」
ヒマリが、小袋を、そっと収納にしまった。それから、ふと、思いついたように顔を上げた。
「あ……収納にいれたら、おとしたりしないね」
「そうだな」
「べんり」
ヴィラが、それを見て笑った。
「ばっちり使いこなしてんじゃねえか」
「えへへ」
部屋を出る前に、ヴィラがヒマリの肩に手を置いた。
「ヒマリ、一個だけ言っとくぞ」
「なあに?」
「街なかで収納を使う時はな、『ひよっこ魔法使いくらい』ってことにしとけ」
「ひよっこ……?」
「ああ。店の奴になにか聞かれたら、『時間の流れを、少し緩められるくらいはできる』って言うんだ」
「どうして?」
「売るやつだって、無駄にするやつに売りたくねーだろうし、かと言って、時間止められるとか言ったら、変なやつが目をつけっからな。程々がちょうどいいんだよ」
ヒマリが神妙な顔で、こくりと頷いた。
「アーシュの弟子なら、それくらいできて当然だ。店の連中も、変な顔はしねえよ」
「アーシュの、弟子だから」
「そうだ。『魔法使いの弟子が、収納の練習をしてる』。それで、ぜんぶ通る」
ヒマリが、もう一度、頷いた。
「わかった。わたし、ひよっこ魔法使い」
「おう、それでいい」
アーシュが、扉を開けた。
水路を流れる水の音と、街の賑わいが、部屋の中に流れ込んできた。
「……行くぞ」
「うん!」
ヒマリが、元気よく返事をした。
昨日、立つのもやっとだった子が、今は自分の足で、しっかりと立っていた。
アーシュから預かった小袋は、収納の中にちゃんとしまわれている。
それでも、その重みはまだ、手のひらに残っている気がした。




