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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第十話 ナハル・ファリス

 砂の海を、何日も歩き続けた。


 日数を数えるのも、もう面倒になっていた。朝起きて、日が昇って、サクラに揺られて、日が落ちて、火を囲んで、また寝て、起きる。それを繰り返した。


 ヒマリの口数は、日に日に減っていた。


 最初の数日は、サクラに乗ることでなんとか体力を保てていた。けれど、二週間を超えた頃から、サクラに乗っていても疲れが取れなくなった。


 日差しが強すぎる日は早めに切り上げたし、風の強い日は無理に進まなかった。ヴィラも、ヒマリの揺れが少なくなるよう、サクラの歩みを抑えていた。


 途中で何度も、休みを挟んだ。


 それでも、砂漠の乾いた空気、強い日差し、夜の冷え込み──全てが少しずつヒマリの体に積み重なっていった。


 どれだけ気遣っても、ゆっくりと体力と気力が削られていく。


 砂漠とは、そういう場所だった。


 頬は乾き、唇はかさついて、目の下にうっすらと隈ができていた。それでもヒマリは、つらいと言うより先に「だいじょうぶ」と言ってしまう。


 そして、ある朝──


「アーシュ」

「何だ」

「あの……あれ、しんきろうかな? まち、がみえる……」


 ヒマリが指さした先には、白い壁の街が、砂の海の中にぽつりと浮かんでいた。


 アーシュも、目を細めて見た。


「いや、本物だ」

「ほんとう?」

「ああ。ナハル・ファリスだ」


 ヒマリの目に、わずかに光が戻った。


 ヴィラがサクラの手綱を引きながら、にっと笑った。


「やっとついたな。あと半日もかからん」

「半日……」

「サクラ、ちょっと急ぐぞ。ヒマリ、しっかり掴まっとけ」

「うん」


 サクラの歩みが、少し速くなった。



 ナハル・ファリスは、外から見ると、白い壁の塊だった。


 砂漠の中に唐突に現れる、人が暮らす場所。壁の外周は土と石を固めた厚い造りで、日差しをしっかり遮るようになっている。門の上には小さな見張り台があり、ドワーフの兵士が二人、退屈そうに立っていた。


 近づいていくと、門の手前で兵士の一人がのっそりと身を起こした。


「旅人か。どこから?」

「ルミナリアの旧都から」

「ルミナリア? 騎獣一頭だけで砂漠を越えて来たのか。難儀したろう」

「ああ」


 兵士がヒマリに視線を移し、それからサクラを見て、横のヴィラの顔を見て目を見開いた。


「いやまて、その珍しい騎獣は……やっぱりヴィラ様か。ということは、そちらはアーシュ殿か!」

「ちっ……気づいちまったか」

「隊商の件で世話になったからな。あんたらのことは覚えてるさ」

「そうかい……っと、こいつが限界なんだ、通っていいかい?」

「おっと、すまんすまん。ようこそナハル・ファリスへ」


 門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 砂漠の乾いた熱が、ふっと和らいだ。


 ヒマリが、ぽかんとした顔をして、サクラの背の上で周囲を見回した。


 街の中には、水路が走っていた。


 石で組まれた細い水路が、家と家の間を縫うように流れている。水は澄んでいて、太陽の光を反射してきらきらと揺れていた。水路の上には小さな橋がいくつもかかっていて、人や荷車がそこを行き交っている。


「水……」

「ああ。あちこちにあるだろう」

「砂漠なのに、お水がたくさん……」

「街の中心に大きな泉があってな、そこから水を引いている」


 水路があるおかげか、街の中は思ったよりも涼しかった。日差しは強いが、湿った空気が水路から立ち上って、温度を和らげている。建物は白い壁で、強い日差しを反射していた。


 ヒマリが、ふう、と小さく息を吐いた。


 外の砂漠から、ようやく、息のつける場所に着いた、という顔だった。



 宿は、街の中心からほど近い場所にあった。


 二階建ての、白い壁の中規模の宿で、入り口には日除けの布が垂れている。看板にはドワーフ文字で何か書かれていた。ヒマリには読めなかったが、どうやら宿らしいと雰囲気でわかった。


 ヴィラが布をめくり、ノシノシと中に入っていった。

 まもなくして、大きな声が聞こえてきた。


「おおい女将! 来たぞ! 部屋空いてるか!」

「うるさいねえ……って、ヴィラじゃないか、久しぶりだね。何泊だい」

「三人泊まれる部屋を……そうだな、五泊分だ。連れが、ちょっとへばっちまってよ」


 奥から、エプロンをつけた中年のドワーフの女が出てきた。三人を見回して、ヒマリの様子に目を留めた。


「ああ、こりゃひどい。砂漠を越えてきたのかい?」

「ああ……」

「お嬢ちゃん、お疲れさん。すぐ部屋に案内するから、待っとくれよ」


 ヒマリは、サクラから降ろされる時、もう自分の足で立つのも難しい状態だったため、アーシュが片手で支え、そっと下ろした。


「アーシュ……ごめんなさい」

「謝らなくて良い。砂漠の旅は過酷だ。仕方がない」

「うん……」


 部屋の支度ができたのか、女将が声を上げて呼びに来た。


「日陰側の部屋にしといたよ! 今のその子に、西日の部屋はきついからね」


 案内されたのは二階の部屋。ベッドが三つ、小さな卓と椅子、それから水差しと洗面器。素朴だが、清潔な部屋だった。


 ヒマリは、案内されてすぐ、ベッドに崩れ落ちるように腰を下ろした。


「……つかれた」

「ああ、休め」


 アーシュがヒマリの靴を脱がせ、濡らした布で足を拭いてやった。ヒマリは目を半分閉じたまま、されるがままになっていた。


「水を飲め」

「うん……」


 水差しから水を注いで渡すと、ヒマリは両手で受け取って、ゆっくり飲んだ。それから、もう一杯飲んだ。三杯目を飲み終えてから、ようやく、少し顔色が戻った。


「アーシュ、お風呂入りたいかも……」

「今日は体力がない。今は休んで明日にしろ」

「うん……」


 ヒマリは、収納から毛布を出すと、もぞもぞと潜り込んで目を閉じた。

 間もなくして寝息が聞こえてきた。


 ベッドの脇で、アーシュはしばらく座っていたが、ヒマリの呼吸を確かめると、静かに立ち上がった。



 下階に降りようとしたところで、ヴィラが階段を上がってきた。手には、果物を盛った籠を抱えている。


「ヴィラ、ヒマリを頼みたい」

「出かけるのか?」

「グランヴォルトまでの道の情報を集めたい。それから、薬師を探す」

「薬師?」

「ヒマリの体力回復の薬と、乾いた肌に塗る薬がいる。砂漠を越えた後の必需品だ」

「ああ、なるほど」


 ヴィラがニンマリと笑い、籠から包みを取り出した。


「考えることは一緒だな。ほれ、これだろ?」

「買ってきたのか」

「ああ、あと、こいつもな」

「それは?」

「ヒマリの服だ。砂漠用に薄手のを揃えてやろうと思ってよ。今のままじゃ、また同じことになる」

「……助かる」

「気にすんな。可愛い妹分のためだ」


 ヴィラは部屋に入ると、ヒマリの寝顔を覗き込んで、そっと毛布をかけ直した。


「俺が見てるから、お前は情報収集行ってこい」

「ああ」

「夕方には戻れよ。一緒に飯食おうぜ」

「分かった」



 宿を出ると、街の喧騒が耳に届いた。


 ドワーフの太い声、商人の呼び込み、子どもの笑い声、水路を流れる水の音。砂漠の中とは思えないほどの賑わいだった。


 アーシュは、しばらく通りを歩きながら、街の様子を観察した。


 行き交うのは、ドワーフが多い。次に、人族と、それから一部、ドラゴニュートの姿も見えた。多種族の交易都市だ。武器を腰に下げた者もいれば、薬草を背負った行商人もいる。グランヴォルトから来た商隊らしい一団もいた。


(……ヒマリが好みそうな景色だな)


 アーシュは、ふと、そう思った。


 砂漠の真ん中に取り残された、孤立した街ではない。人がいて、水があり、緑がある。ヒマリが安心して回復できる場所だ。


 通りの角で、薬師の看板を見つけた。


(ヴィラも買っていたが、予備はいくつあってもよいだろう)


 アーシュは、扉を押した。



 夕方、アーシュが宿に戻ると、ヒマリはまだ眠っていた。


 ヴィラが、椅子に腰掛けて、サクラ用の革紐を編んでいた。器用な手つきだった。


「お、戻ったか」

「ああ。情報も薬も集めた」

「お疲れさん。ヒマリは、まだ寝てる」

「ずっとか?」

「ああ、起きたの一回だけだ。薬と水を飲んで、それでまた寝た。よっぽど疲れてたんだろうな」

「だろうな」


 アーシュは、椅子に腰を下ろした。


 窓の外では、日が落ちかけていた。白い壁の街が、淡い橙色に染まっている。水路を流れる水が、夕日を反射して、細い金色の筋になっていた。


「アーシュ」

「何だ」

「さっきな、ふと、思ったんだけど……なんでヒマリの収納使わねえの?」


 突然の問いだった。


 アーシュが、横目でヴィラを見た。


「どうした、急に」

「いやさ、ここんとこずっとメシが携帯食だったじゃんか」

「ああ、旅とはそういうものだろう」

「ヒマリのならさ、時間の進みが遅いとか、そういうの付いてそうじゃね? だったらよ、足が早い食材を持ち歩けるだろ」

「……」

「まともなメシ食えてりゃ、も少しましだったろうなあ」

「……」


 アーシュは、すぐには答えられなかった。


 言われてみると、その通りだった。


「……その手が……あったか」

「お前、まさか考えてなかったのか?」

「……」

「うっそだろお前、自分が使えねえからって、ヒマリのも頭から外してたな?」

「……結果的に、そうなる」

「アホかお前」


 ヴィラが、呆れたような顔で笑った。


 アーシュは、視線を窓の外に逃した。


 自分の頭の中で、旅の支度は「持って運ぶもの」だった。背嚢一つに収まる程度、それが「持てる量」だった。長い間そうやって生きてきた。


 けれど、ヒマリにはその制約がない。


 使えないものは、使えるものの存在を忘れさせる。それは、自分の限界が、ヒマリの可能性まで縛っていた、ということでもある。


(……俺の頭が固かったか)


 アーシュは、内心で小さく息を吐いた。


「明日、ヒマリが起きたら、相談する」

「おう、そうしてやれ。あの子、絶対喜ぶぞ」

「そうか」

「ああ、子どもってやつは、役割を欲しがるもんなんだよ」

「……そうだな」


 ヴィラが、革紐を編む手を止めて、にやりと笑った。


「これで、人に頼ることを覚えたな」

「……うるさい」


 アーシュが、視線を逸らした。


 窓の外で、街の明かりが、一つずつ灯り始めていた。


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