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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第九話 砂の夜、星の海

 砂の海を歩き続けて、日が暮れた。


 風は止み、空には早くも一番星が見えていた。


 ヴィラが砂を踏みしめながら、両手を頭の後ろで組んだ。


「うー、腹が減ったな。アーシュ、何か食うもんあるか?」

「干し肉とパンならある」

「またそれかよ。せっかく砂漠まで来たんだ、もうちょい気の利いたもんを食いたいぞ」

「文句があるなら、自分でなんとかしろ」

「……お、それもそうだな」


 ヴィラの目が、にやりと光った。それを見て、アーシュが少しだけ眉を寄せた。


「お前、何を考えている」

「いいことを思いついた。砂漠の夜にしか出ねえ獲物がいるんだ。ちょっと狩ってくる」

「……砂漠の夜の獲物?」

「スナモグリオオトカゲっつう、デカいトカゲでな。砂に潜って獲物を待つ習性がある。日が落ちると出てくるんだ」


 ヴィラがサクラの鞍を締め直しながら 、ヒマリの方に顔を向けた。


「あ、トカゲだと思って微妙な顔してんな? それがよ、めちゃくちゃ美味いんだぜ。皮はゴワゴワだが、中の肉は脂が乗っててな、香草で焼くとたまんねえんだ」

「おいしそう」

「お、ヒマリも食いてえか。よし、気合い入れて狩ってくるとすっか」

「いま?」

「いまだ」


 ヒマリが、ぽかんとした顔をした。


 アーシュが、深く息を吐いた。


「……ヴィラ、お前、急に思いつくのが昔から悪い癖だぞ」

「うるせえ、思いついた時にやらねえとな! よし、サクラ、行くぞ!」


 ヴィラがひらりとサクラの背に飛び乗った。サクラが「キュ!」と高い声で鳴いて、砂を蹴って駆け出した。


 砂煙が舞い、ヴィラとサクラの姿はあっという間に砂丘の向こうに消えた。


 あとには、また、砂と風の音だけが残った。


 アーシュとヒマリが、しばらく、その方向を見ていた。


「……行っちゃった」

「ああ」

「ヴィラさん、ほんとに、嵐みたいだね」

「……否定はしない」


 ヒマリがふふっと笑った。



 二人で野営の支度を始めた。


 砂を掘って火床を作り、薪を組み、火を起こす。ヒマリは、もうこの作業に慣れていた。マナで火を灯すのも、迷いがなかった。


 簡単な夕食を済ませてから、家を出した。


 砂の海の上に、いつもの丸太の家がぽつんと立った。

 けれど、二人ともすぐには中へ入らなかった。


 寒かったが、家に入るのは勿体ない気がして、毛布に包まって火を囲んでいた。


 風がない夜だった。


 火の音と、自分たちの呼吸の音以外、何も聞こえない。岩石砂漠の夜とは違う。あの時は隊商の音や薪の爆ぜる音があった。今は、本当に何もない。


 ヒマリが、ふと、空を見上げた。


「……あ」


 星が、出ていた。


 砂漠の夜は、岩石砂漠の時よりも、もっと暗く、遮るものが本当に何もない。空の端から端まで、星が広がっていた。


 砂の海の上に、もう一つの海が浮かんでいるようだった。


「わあ……」


 ヒマリが、毛布を引き寄せて、空を見続けた。


 その時だった。


 空の一部が、わずかに揺らいだ。


「……ん?」


 ヒマリが、目を細めた。


 もう一度、空が揺らいだ。


 それは、星と星の間にある暗闇の中で、淡い緑色の光が、ゆるやかに帯を作って流れていく現象だった。最初はわずかだったのが、だんだんとはっきりしてくる。淡い緑が、淡い青に変わり、また緑に戻る。光の帯が、空一面にたなびいていた。


「……なに、これ」


 ヒマリの声が、震えていた。


 アーシュが、空を見上げて目を細めた。


「……レイラインだ」

「れいらいん?」

「地下にな、マナの川が流れている。それが、地表に出るときに空に放たれる」

「マナの、川……」

「ああ。人の目に見えるのは、マナが濃いこの辺りくらいだろう」


 光の帯が、ゆっくりと動いていた。星々の合間を縫って、空全体を撫でるように流れている。風はないのに、光だけが流れていた。


 ヒマリが、立ち上がった。


 毛布を引きずったまま、火から少し離れた砂の上に立って、空を見上げ続けた。


 長い時間、そうしていた。


 それから、ぽつりと、言った。


「……トバスさん」


 アーシュが、ヒマリの背中を見た。


「トバスさんが、言ってたのって……この空のことだったのかな」


 その声は、確信のあるものではなかった。けれど、確信したいような響きがあった。


 アーシュは少し考えてから、口を開いた。


「ヒマリ。お前はどう思う」


 ヒマリが、振り返った。


 光の帯が、その小さな顔の向こうで揺れていた。


「……どっちも、すき、かな」

「どっちも?」

「岩のとこの星空も、すごくきれいだったよ。風がふいて、火がぱちぱち言ってて、みんな笑ってて。あれも、すきだった」

「ああ」

「で、こっちは──」


 ヒマリが、もう一度、空を見上げた。


「……ほんとに宝石箱、みたい」


 その言葉が、砂の上にぽとりと落ちた。


 風はない。けれど、ヒマリの言葉が、確かに空に届いたような気がした。


「だから、どっちもすき。トバスさんも、たぶん、そう、なのかも」

「……そうかもしれないな」


 ヒマリが、少しだけ笑った。それから、また空を見上げた。


 アーシュは、その横顔を、少し離れた場所から見ていた。


 無邪気な顔だった。


 迷いも、選び損ねた残念さもなく、ただ「どっちもすき」と言える顔。


 大人になると、なかなかこういう顔はできない。どちらか一つを選ばなきゃならない、と思い込むからだ。ヒマリは、まだ、どっちもすきと言える子どもだった。そう言える場所に、今、立っていた。


 胸の中で、何かが小さく動いた。


 コトリ。


 とても小さな音だった。けれど、確かにあった。


 アーシュは、その音を、何度か聞いている。


 ルミナスの宿で、ヒマリが「アーシュと二人でくらすみたいで、うれしい」と言った時。


 星を一緒に見ようと、ヒマリが約束を確かめた時。

 そして、今──宝石箱、と言った横顔を見た時。


 その正体は、まだ、よくわからない。


(……何だろうな、これは)


 答えは出なかった。けれど、答えが出ないままでも構わない気がした。


 火がぱちりと爆ぜた。光の帯がまた流れた。


 ヒマリが「おやすみ」と言って家に入ってからも、アーシュはしばらく火の側で空を見ていた。


 光の帯は、夜更けまでゆっくりと揺れ続けていた。それはやがて、夜明けが近づくと共に少しずつ薄れていき、東の空が白み始める頃には、もう見えなくなっていた。


 代わりに、朝の青さが、砂の海の上に広がっていた。


 日が昇って、しばらく経った頃だった。


 砂丘の向こうから、勢いよく砂を蹴る音が聞こえてきた。


 アーシュが顔を上げると、サクラに乗ったヴィラが、こちらに駆けてくるのが見えた。サクラの背には、何かでかいものが括り付けられている。


 そばまで来たヴィラが、呆れたような、驚いたような複雑な顔で家を見上げた。


「うっわ、マジで家持ち歩いてんのな……」

「この辺りは人がいないからな」

「そういうことじゃねえ………って、それよりさ、見てくれよ、アーシュ! 朝飯、穫ってきたんだ! 新鮮なうちに食おうぜ!」


 大声だった。


 少しして、眠そうな顔をしたヒマリが、毛布にくるまったまま家から出てきた。


「なにかあったの……ヴィラ、さん」

「お、ヒマリ起きたか! 見ろよ、これ!」


 ヴィラがサクラから飛び降りて、背中に括り付けていた獲物をどさっと砂の上に下ろした。


 全長は、アーシュの背丈ほどあった。


 太く長い尾、ごつごつとした鱗、頑丈そうな四肢。鼻先が長く尖っていて、目はもう閉じている。


 ヒマリが、毛布から顔だけ出して、ぽかんとそれを見た。


「……おっきい」

「だろ? 夜明け前にようやく一匹捕まえたんだ」

「ヴィラ、お前……」

「アーシュ、こいつ、捌けるよな? 俺は捕まえるのは得意なんだが、調理はからきしでよ」

「……」


 アーシュが、目元を片手で覆った。


 深く、長く、息を吐いた。


 ヒマリが、毛布の中から、おそるおそる尋ねた。


「アーシュ……これ、今から、たべるの?」

「……ヴィラがどうしてもと言うなら、そうなるな」

「えへへ、お前ら、これがめちゃくちゃ美味いんだぞ。アーシュがすぐ作るから、待っとけ」


 ヴィラがサクラの首を撫でながら、上機嫌に歌のようなものを口ずさみ始めた。


 アーシュが、ヒマリと目を合わせた。


 ヒマリは、状況を理解しきれていない顔をしながらも、なんとか毛布から這い出した。それから、笑った。


「……朝から、お肉、なんだね」

「……そうなるな」

「すごいね、ヴィラさん」

「ああ。すごいな」


 アーシュは、観念したように、包丁を取り出した。


 ヴィラが「よっしゃ!」と拳を握り、サクラが「キュー!」と高らかに鳴いた。


 昨夜の静かな宝石箱が嘘のように、砂の上は急に賑やかになっていた。


 アーシュはトカゲの皮に包丁を当てながら、ふと、思った。


(……まったく、嵐みたいな女だ)


 ため息が出た。


 けれど、不思議と、悪い朝ではなかった。


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