第八話 砂の海へ
オアシスを後にして、三人と一頭は北へと歩き始めた。
ヴィラはサクラの背に乗らず、手綱を引いて隣を歩いていた。
「乗らないの?」
ヒマリが、不思議そうに尋ねた。
「俺だけ乗ってちゃ卑怯だろ。お前ら徒歩なんだから」
「ヴィラさん、やさしいね」
「そんなんじゃねーよ」
ヴィラがそう言って、ヒマリの背中を軽く叩いて笑った。サクラも「キュ」と鳴いた。同意しているのか、ただの相づちなのかは分からない。
アーシュは少し前を歩いていた。風向きを確かめる素振りで、けれど、本当はヴィラとヒマリの話す声を背中で聞いていた。
「ヒマリ、お前、徒歩でルミナリアの旧都から来たんだろ」
「うん」
「どんくらいかかった」
「えっと……えと、十四日くらい?」
「ひゃー、お前、よく歩いたな」
「アーシュが、ゆっくりにしてくれてたから」
「だろうな。アイツのペースなら、とっくにグランヴォルトに着いてるわ」
「グランヴォルト?」
「……アーシュめ、肝心なことを言わねえのは相変わらずだな。炉都グランヴォルト、グラド・ヴァルカンの首都で、今回の目的地だよ」
「そうなんだ」
ヴィラは苦笑しながら、横目でアーシュの背中を見た。
「ったく、変わってねえとこは変わってねえが、ヒマリに合わせるあたりは変わったよなあ」
ヒマリが、少し首を傾げた。
「昔のアーシュって、どんな感じで、歩いてたの?」
「あー……」
ヴィラが、空を見上げて少し考えた。
「歩くのが速くてな。ひとりでさっさか先に行っちまうんだ」
「そうなの?」
「ああ。俺たちのバカ話に入ってくることはなかったが、たまに楽しそうな顔もしてた。嫌ではなかったんだろうな」
「……ふうん」
「今のあいつとは、ちょっと違うわな」
ヒマリが、前を歩くアーシュの背中を見た。それから、少しだけ笑った。
「今のアーシュは、ちゃんと、まってくれるし、お話もするよ」
「だろうな」
ヴィラが、にやりと笑った。それから、声を少し落として言った。
「……お前のおかげだな、ヒマリ」
「えっ?」
「いや、こっちの話だ」
ヴィラがヒマリの頭を、くしゃりと撫でた。
*
昼を回った頃、景色が変わり始めた。
岩が、少しずつ少なくなっていき、その代わりに砂が増えていく。最初は岩の隙間に砂が溜まる程度だったのが、やがて岩そのものが砂に埋もれていくようになった。
歩く感触が変わった。岩の上を歩く硬い手応えから、砂を踏みしめる柔らかい抵抗へ。一歩一歩、足が少しずつ沈む。ヒマリの歩幅が、自然と狭くなっていった。
「……あるきにくい」
「砂漠の砂はな、歩いた分の半分しか進まねえ」
「えっ」
「だから皆、獣に乗るんだ」
ヴィラが、サクラの首を撫でながら言った。
「こんな日陰がろくにねえ中を移動するんだぜ? 獣がなきゃつらいってもんさ」
「あ、じゃあさ。ときどき家を出して休んだらどうかな?」
ヒマリがそう言うと、ヴィラが首を横に振った。
「あの家かあ。砂の上だと逆にキツいかもしれん」
「え? どうして? ひかげに、なるよ」
「この暑さだぞ? 屋根も壁もジリジリ焼かれるし、下は熱を持った砂だ。風も通らねえ場所なら、余計に熱がこもるんだよ」
アーシュも頷いた。
「あの家は、森向けだからな。夜ならともかく、昼の砂漠には向かない」
「だからといって、夕方から歩くのもなしだぜ?」
「だめなの?」
「暗くて危ねえし、夜は夜で冷え込みが洒落にならねえからな」
「そっか……むずかしいね、砂漠」
肩を落とし、とぼとぼと歩くヒマリの肩をヴィラが叩き、ニッカリ笑って言った。
「ま、そうしょげんなって。ほら、サクラがお前を乗せてえって言ってんぞ」
「……ほんと?」
「ああ、見ろよ。ヒマリの役に立ちたいなって顔してんだろ。なあ、サクラ」
サクラが、つぶらな眼でヒマリを見た。
「キュ」
ヒマリの頬が、少し緩んだ。
「そっか、ありがとう、サクラ」
ヴィラがヒマリを抱え上げて、サクラの背にひょいと乗せた。鞍の前の方に、ヒマリがちょこんと収まる。
「サクラ、ヒマリは丁寧に運べよ」
「キュ」
サクラが、二歩、ゆっくりと歩いた。
「……ふふ、ちゃんと、ていねいに歩いてくれてるんだね」
ヒマリが、少しだけ笑った。
乗ってすぐは鞍を両手で掴んで身体を硬くしていたが、サクラの歩みが穏やかなのに気づくと、徐々に肩から力が抜けていった。
「……ふわふわなのに暑くない」
サクラの首元に手を置いて、ヒマリが小さく呟いた。
「不思議だろ。俺もよくわからねえが、尻尾のあたりから熱を逃がすらしい」
「すごいね」
「へへ、うちのサクラはすごいだろ」
ヴィラが胸を張った。自分が褒められたかのように、嬉しそうな顔をしている。
アーシュが、横目でその様子を見ていた。
ヒマリが、サクラの背に揺られながら、首元の毛にそっと頬を寄せている。さっきまで「歩きにくい」と言っていた顔に、もう疲れの色はない。
(……これは、助かるな)
アーシュはそう思った。
*
日が傾く頃には、岩はほとんど見えなくなっていた。
代わりに、砂の波が広がっていた。
風に押されてできた砂の畝が、地平線の彼方まで続いている。畝の影が、夕日に染まって長く伸びていた。岩の灰色や赤茶けた色ではなく、淡い金色と橙色が地面を覆っている。
ヒマリが、サクラの背の上で、目を見開いていた。
「……海みたい」
砂の畝の連なりが、確かに波のようだった。風が吹くたびに、砂が表面を細く流れる。それは、本物の海の白波にも似ていた。
「砂の海、ってよく言うな」
「……うん。海みたい」
ヒマリが、もう一度同じことを言った。けれど、二度目の言葉には、最初とは違う響きがあった。
ヴィラがそれに気づいて、横目でヒマリを見た。
ヒマリは、海を見たことがある。
あちらの世界で。両親と一緒に。
ヴィラは、その話をルミアから聞いて知っていた。だから何も言わなかった。ただ、サクラの手綱を握り直して、横を歩き続けた。
アーシュも、何も言わなかった。
ヒマリは、しばらく砂の海を眺めていた。それから、ぽつりと言った。
「……きれい」
その一言で、ヴィラもアーシュも、肩の力を少し抜いた。




