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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第七話 分かれ道と、嵐の再来

 朝が、静かに来た。


 夜のうちに冷え切った空気は、日の出と共に少しずつ温まり始めている。けれど、まだ寒さが残っていた。ヒマリが毛布の中で身じろぎして、それからゆっくりと目を開けた。


「……あさ?」

「ああ」

「……さむい」

「もう少しで日が高くなる」


 起き上がると、すでにドワーフたちは出立の準備を始めていた。荷車に荷をくくり直し、獣に水を飲ませ、火の始末をしている。慣れた動きは、昨日と同じだった。


 ヒマリも、もぞもぞと毛布から出て、布で顔を拭いた。それから、収納にテントと毛布を戻していった。


「アーシュ殿、嬢ちゃん、おはようさん」


 ガルダが歩いてきた。手には湯気の立つ椀を二つ持っている。


「朝飯だ。簡単なもんだが、食ってけ」


 差し出されたのは、薄いスープと、平たく焼いたパンだった。素朴だが、温かい。ヒマリが両手で椀を受け取って、ふうふうと冷ましてから一口啜った。


「……あったかい」

「だろ? 朝の砂漠は冷えるからな。腹に何か入れねえと、足が動かねえ」


 アーシュも椀を受け取った。一口飲むと、塩と香草の素朴な味が広がった。悪くなかった。



 食事が終わると、ガルダが大きな手を腰に当てて、こちらを見た。


「で、アーシュ殿。あんたら、これからどっちへ行くんだ」

「北だ。砂の砂漠を抜けて、グラド・ヴァルカン本国へ向かう」

「ほう、本国までか」


 ガルダが少し驚いた顔をした。


「確かに砂地をつっきりゃはええが、難儀な道を選んだもんだな」

「事情があってな」

「ふうん。まあ、あんたなら平気だろうが……」


 ガルダがヒマリに目をやった。


「俺たちはこっから西に抜けるよ。エルディア北部に抜けて、向こうの街に荷を入れるんだ」

「そっか」

「だから残念だが、ここから先は別行動だな」


 ヒマリが少し驚いた顔をした。


「……ここで、おわかれ?」

「ああ。あんたらは北、俺たちは西だ。このオアシスは丁度分岐点になってるんだ」


 ガルダがしゃがみ込んで、ヒマリと目線を合わせた。


「嬢ちゃん。ここから先は、砂ばっかだぞ」

「そうなの?」

「ああ、岩がなくなる分、日差しを遮るもんがねえ。暑さも寒さも、今までより応える」

「……うん」

「水はちゃんと持ったか?」

「アーシュが、いっぱい用意してた」

「そうか。なら、よし」


 ガルダが大きな拳を軽く差し出した。

 ヒマリが少し迷ってから、小さな拳をこつんと当てた。


「はっはっは、上出来だ! がんばれよ、嬢ちゃん。ちゃんとアーシュ殿の足についていくんだぞ」

「うん。がんばる」

「おう、その調子だ!」


 他のドワーフたちも、それぞれにヒマリへ声をかけた。


「嬢ちゃん、薪、助かったぞ」

「達者でな」

「次に会う時は、もうちょっと背、伸びてるかもな」

「俺らよりデカくなってんだろうさ」

「ちげえねえ」


 ヒマリは一人一人にぺこりと頭を下げて、それから少しはにかんで笑った。


 ガルダがアーシュに向き直った。


「アーシュ殿。世話んなった」

「こちらこそだ。助かった」

「いやいや。あんたと飯食えただけで、組合への土産話としちゃ十分だ」


 ガルダが太い手を差し出してきた。アーシュがそれを握った。


 昨日の夕方と同じ握手だった。けれど、今度は別れの握手だ。


「達者でな、アーシュ殿」

「ああ。お前たちもな」


 ガルダの手が、しっかりとアーシュの手を握り、それから離れた。



 荷車が動き出した。


 獣が一歩、また一歩と砂を踏み、荷車の車輪がきしむ。ドワーフたちが歩き出し、その隊列は西へと向かい始めた。


 何人かが振り返って、手を振った。


 ヒマリも手を振り返した。何度か。


 しばらくすると、隊列は岩場の向こうに姿を消した。声も、車輪の音も、少しずつ遠ざかり、やがて聞こえなくなった。


 あとには、また、岩と砂と風の音だけが残った。


 ヒマリが、しばらく西の方を見ていた。


「……行っちゃった」

「ああ」

「賑やかな、おじさんたちだったね」

「ああ」


 ヒマリが、もう一度、西の岩場を見た。それから、ぽつりと言った。


「……静かになると、少し淋しいな」


 その声には、駄々の色はなかった。ただ、感じたことを言葉にしているだけの、静かな声だった。


 アーシュは少しだけ、足を止めた。


 淋しい、と、ヒマリが言った。


 以前のヒマリなら、こういう感情に名前をつけることもできなかったかもしれない。今は、自分の中に生まれた感情を、ちゃんと言葉にして、口に出せている。


 それは、楽しいことだけではない。賑やかさが去った後の、胸の中に残るあの感覚にも、ヒマリは気づけるようになっている。


(……別れを、また一つ覚えたな)


 アーシュは、そう思った。


 言葉にはしなかった。ただ、ヒマリの隣で、しばらく西の方を見ていた。


「……行くか」

「うん」


 二人で、北へ向かって歩き出した。


 風が、岩と岩の間を抜けていく音だけが、足音と共に続いていた。



 しばらく歩いた頃だった。


 日はまだそれほど高くなく、岩場の影もまだ大きい。ヒマリは少し俯きがちに歩いていた。淋しさが、まだ尾を引いているのかもしれなかった。


 と、東の方から、音がした。


 最初は風の音かと思った。けれど、それは違った。


 ジャッジャッジャと、何かが断続的に大地を蹴る音。二本足の、軽快な足音だ。


 アーシュが、足を止めた。


 ヒマリも、顔を上げた。


「……なに?」


 音が、近づいてくる。早い。けれど、馬のような重い音ではない。もっと軽くて、けれどしっかりとした足音。


 岩場の向こうから、それが現れた。


 毛むくじゃらの、二本足の生き物だった。


 体高はアーシュよりやや高い。胴体は丸く、ふわふわとした羽毛のようなものに覆われていて、太い首の先には、頑丈そうな大きなクチバシがついていた。脚は二本で、太く、爪のしっかりした足が砂を蹴っている。眼は丸く、つぶらだった。


 そして、その背に、人が乗っていた。


 黒に近い濃い青の短い髪。金色の目。日に焼けた、健康的な肌。首筋に、薄く鱗の名残が見える。


 ヴィラだった。


 ヴィラは、騎獣の手綱を引いて、勢いよく目の前で止めた。


 砂埃が、ぶわっと舞った。


「いた! やっと追いついたぞ!」


 大声だった。岩場に反響するほどに。


 ヒマリが、ぽかんとした顔で、ヴィラを見上げていた。


 ヴィラが、ひらりと騎獣から飛び降りた。砂を蹴って、こちらに大股で歩いてくる。


「アーシュ!」

「……ヴィラか」

「ヴィラかじゃないだろ! 久しぶりだろうが!」


 ヴィラが、アーシュの肩を、強めに叩いた。アーシュが少しよろけた。


「お前、ほんとに砂漠を徒歩で渡ってんのな。途中の村でそれらしい二人組が砂漠に向かったって聞いたがよ、マジかって頭抱えたぜ!」

「これくらい平気だからな」

「お前はな! お前は! でも、ヒマリは──」


 ヴィラの視線が、ヒマリに移った。


 つかつかとヒマリの前に歩いてきてしゃがみ込んだ。金色の目が、ヒマリの顔をじっと見る。


 ヒマリは、まだぽかんとしていた。


「ヒマリ」

「……う、うん」

「ちゃんと飯食ってるか」

「……たべてる」

「寝てるか」

「うん」

「嫌なことは嫌って言えてるか」

「……ちょっとだけ」

「なら上出来だ」


 ヴィラが、にかっと笑った。


 そして、大きな手でヒマリの頭をくしゃっと撫でた。


「会いたかったぞ、ヒマリ」

「……ヴィラ、さん」


 ヒマリの目に、じわりと何かが滲んだ。


 ヴィラが、それを見て、目を細めた。それから、立ち上がってアーシュを振り返った。


「アーシュ。お前、なんか顔がゆるくなったな」

「……そうか」

「前より人間くさい顔してる」


 アーシュが、視線を逸らした。


 ヴィラが、にやりと笑った。それから、騎獣の方に親指を立てた。


「こいつはサクラ。アーシュを探すためにドラグニルの育成所で借りてたんだ」

「サクラ?」


 知っている響きを聞いて、思わずヒマリが反応した。


「ああ、ヒマリは勇者様と故郷が同じだったな。こいつは、かつて勇者様が乗ったという大鳥馬の血統でな、それにあやかって付けたのさ」

「それで、サクラなんだ」

「ああ、花の名前なんだってな。きれいな名前だが、砂漠でも走れる強い子なんだぜ」


 勇者が乗っていた騎獣の末裔と聞き、アーシュが興味深そうにサクラを見た。


「……強そうだな」


 サクラと呼ばれた騎獣が、つぶらな眼でアーシュを見て、それから「キュ」と鳴いた。


 ヒマリが、ヴィラとアーシュのやりとりを聞きながら、おそるおそる、サクラに手を伸ばした。


「さわっても、いい?」

「いいぞ、人懐っこい子だ」


 ヒマリの指先が、サクラの毛に触れた。


 ふわふわ、だった。


 ヒマリの目が、ぱあっと明るくなった。


「……ふわふわ」

「だろ? 俺もこいつのモフモフが気に入って借りてきたんだ」


 ヴィラが胸を張った。


 ヒマリは、サクラの首元に両手を埋めた。ふわふわの羽毛が指の間を抜けていく。サクラがまた「キュ」と鳴いた。気持ちよさそうだった。



 アーシュは、少し離れた場所で、その様子を見ていた。


 ヴィラが、騎獣の背を軽く叩きながら、何か機嫌よく話している。 ヒマリが、サクラのふわふわに顔を埋めて、嬉しそうに目を細めている。


 さっきまで、岩場には風の音しかなかった。


 今は、女と少女と騎獣の声が、賑やかに響いている。


 淋しい、と言ったヒマリの隣には、もう淋しさはなかった。


 代わりに、嵐のような女が一人、唐突に飛び込んできていた。


(……まったく、相変わらずだな)


 アーシュは、小さく、息を吐いた。


 けれど、その口元は、ほんの少しだけ、緩んでいた。


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