第六話 焚き火の輪
日が傾き始めると、オアシスの空気がゆっくりと変わっていった。
昼間あれほどじりじりと焼かれた肌に、ふっと冷えた風が当たる。岩が熱を放ち終え、代わりに空気の方が体温を奪っていく時間だ。ヒマリが上着の襟を引き寄せた。
「……寒くなってきた」
「砂漠は夜が冷える。昼との差が大きい」
「毎日これだと、住んでる人たち、大変だね」
「砂漠の住人には、それに耐える知恵があるから平気だ」
「知恵が……」
それがどのようなものなのか、ヒマリは興味深そうにドワーフ達を眺め始めた。
荷車を中心にして、ドワーフたちが手際よく野営の準備を進めている。慣れた動きだ。獣の世話をする者、荷を下ろす者、調理の準備をする者、と役割が自然に分かれている。誰も指示を出していないのに、流れるように作業が回っていた。
ヒマリはそれを少し離れた場所から見つめている。アーシュの隣で、布の端を握ったまま、じっと観察している。
「アーシュ」
「ああ」
「みんな、すごい」
「慣れているからな。砂漠を渡るのが仕事だ」
「すごい……」
ヒマリの目の中で、何かが小さく動いていた。
*
しばらくして、ガルダがこちらに歩いてきた。
「アーシュ殿。焚き火、こっちにまとめるが、構わねえか?」
「ああ」
「嬢ちゃんも、寒いだろう。近くに来な」
ガルダが大きな手をひらひらと振った。ヒマリがアーシュを見上げる。アーシュが小さく頷くと、ヒマリは布を引きずるようにして、荷車の近くまで歩いて行った。
すでに薪が組まれ始めていた。けれど、その薪を見て、ヒマリが小さく首を傾げた。
「……あれ?」
組まれている薪が、細く少ないためか、火が想像よりもだいぶ小さかったからだ。
「ガルダさん」
「おう」
「これだけ? もっと、たくさん燃やさないの?」
「砂漠じゃあ薪は貴重だからな。一晩持たせるには、これくらいが精一杯だ」
「そうなんだ。これも砂漠の知恵、なのかな……でも……」
ヒマリが、ガルダの後ろのドワーフたちに目を向けた。背を丸めて、太い指先に息をかけている者がいる。荷車の縁にもたれて、ぼんやりと火を待っている者もいる。みんな、寒そうだ。
ヒマリが、唇を一度結んだ。
それから、アーシュの方を振り返り、少し小さな声で言った。
「アーシュ」
「ああ」
「あのね……わたしの、出してもいい?」
「収納している薪か」
「うん。アーシュと集めたの、まだまだいっぱい入ってるから」
「……」
「みんな、さむそう。あったかくしてあげたい。だめ、かな?」
魔の森をでてから、移動の合間に拾い集めた薪がたくさん収納に入っている。
そもそも家ごと収納している以上、薪小屋の蓄えもそのまま残っている。少し分けたところで、二人の旅に支障が出る量ではなかった。
(薪くらいならば、構わないだろう)
アーシュは少し考えてから、頷いた。
「分けてやれ」
ヒマリの目が、ぱあっと明るくなった。
「うん!」
ヒマリが収納から薪を取り出した。両手で抱えるくらいの束を、二回。三回。岩の上にどんどん積み上がっていく。
ガルダの目が丸くなった。
「お、おい嬢ちゃん、それ、どこから出した」
「収納……魔法です」
「おお、その年でもう使えるのか。すげえな嬢ちゃん」
ガルダが感心したように頷いた。
「うん、師匠がいいから。いっぱい入れられるんだ」
「アーシュ殿の弟子だもんな、たいしたもんだ」
ヒマリが少し誇らしげな顔をした。
他のドワーフたちも、薪の山を見て口々に声を上げた。
「おお、こりゃ助かる」
「これだけありゃ、しっかり燃やせるな」
「嬢ちゃん、ありがとよ」
ヒマリは少し照れたように、布の端を引っ張った。
*
薪が組み直された。
今度は、しっかりと火床が作られている。ガルダが元の焚き火から薪を取り出し、組み上げた木の根元にあてがった。煙が上がり、やがて炎が立ち上がった。
一気に空気が変わった。
冷えていた周囲が、火を中心にじわりと暖まる。ドワーフたちが手をかざし、それぞれの場所に腰を落ち着けた。荷車を風除けにして、岩を背もたれにして、思い思いに座っていく。
さっき腕を擦っていた男が、火に近い場所で深く息を吐いた。
「あー……生き返るな」
「ありがたい」
「嬢ちゃんのおかげだぞ」
「あったかいな、いやほんと、あったかい」
次々に、ドワーフたちから声が上がった。
ヒマリが、その輪の中で、少し戸惑った顔をしていた。何かをごまかすように、両手を膝の上で握ったり、緩めたりしている。
頬が赤くなっていた。それは、火の熱だけのせいではなかった。
「……どういたしまして」
小さな声で、そう言った。
「いやあ、嬢ちゃん、いい子だな」
「アーシュ殿、いい弟子を取ったもんだ」
ヒマリが、ますます頬を赤くした。けれど、嬉しそうに、目を細めていた。
アーシュは、その横顔を、少し離れた場所から見ていた。
冷えていた手を擦り合わせるドワーフたちと、その間に座って照れているヒマリ。火を囲んで、皆がそれぞれの場所で、暖を取っている。
ヒマリは、自分から気づいた。自分から、アーシュに相談した。そして、自分の収納から薪を出して、皆を火に呼んだ。
(……星の見える村で、お前は言ったな)
アーシュは、ふと、そう思った。
小さな村の焚き火で、ヒマリは「こたつ魔法」で女の子を一人温めた。あの夜、納屋の中で、ヒマリは小さな声でアーシュに尋ねたのだ。
──これ、旅をつづけたら、もっと、いっぱい、あるかな。
アーシュは「あるだろうな」と答えた。冬場はこたつ魔法がありがたがられるだろう、と。
あの時のヒマリは、その「いっぱい」を、夢を見るような目で口にしていた。
今、ヒマリは、火を囲んでいた。
一人ではなく、多くの人を。
魔法ではなく、自分が出した薪で。
誰かに言われたのではなく、自分で気づいて。
あの夜の「いっぱい」が、こうやって叶っていくのかもしれない。
アーシュは、火を見た。火は、ヒマリが分けた薪を吸い込んで、確かに大きく燃えていた。
*
夕食は、ドワーフたちが用意してくれた。
硬いパンと、香辛料の効いた肉の煮込み、それから干し葡萄。素朴だが、しっかりと味のついた料理だった。ヒマリが一口食べて、目を丸くした。
「……おいしい」
「だろ? 砂漠を越えるからには、メシくらい良いもん食わなきゃやってられねえ」
「香辛料……これ、何が入ってるの?」
「色々だな。砂漠の植物、街で買った乾物。あとは、組合員それぞれの秘伝だ」
「ひでん」
「家ごとに、ちょっとずつ違うのよ。うちのは、嫁さんの家系が代々受け継いでるやつだ」
「すごい……」
ヒマリが、もう一口食べた。それから、ぱっと顔を上げた。
「ねえ、アーシュ。あの、赤い実、入れたらおいしいかな」
「……どうだろうな」
「ガルダさん、ちょっとだけ、いれてみてもいい?」
「お、嬢ちゃん料理わかるのか? いいぞ、試してみな」
ヒマリが収納から赤い実を取り出して、ハンカチを開いた。そこから数粒だけつまんで、小さな鍋に落とした。少し煮立ててから、ガルダがスプーンで一口味見をした。
目が、丸くなった。
「お、こりゃいい。酸味で味が締まったぞ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。嬢ちゃん、才能あるぞ」
「えへへ」
ヒマリが恥ずかしそうに笑った。けれど、目は嬉しそうに細められていた。
アーシュもその煮込みを一口食べた。確かに、赤い実の酸味が後味を軽くしている。
「……悪くないな」
「ね? でしょ?」
「ああ」
ヒマリの顔が、ぱあっと明るくなった。
*
食事を終えると、ドワーフたちは荷車の周りで雑談を始めた。
仕事の話、家族の話、別の街での出来事。それぞれが思い思いに話し、笑い、時に酒を回し合っている。ヒマリはアーシュの隣で、その様子を聞くともなしに聞いていた。
ガルダが、ふと、こちらに視線を投げた。
「アーシュ殿。あんた、最近は、どこにいたんだ?」
「……森にいた」
「森?」
「ルミナリアの東部にある未開地、魔の森と呼ばれているところに家を建て、籠もっていた」
「ああ、あそこか。流石は英雄と呼ばれる男だな」
「ヒマリを見つけて、保護したのも、そこだ」
「ほう」
ガルダが、ヒマリに目をやった。それから、何か納得したような顔をした。
「嬢ちゃん、そんなところに迷い込んじまったのか……アーシュ殿が居てくれてよかったなあ」
「う、うん……おかげで、助かったよ」
「……結果的にそうなっただけだ」
アーシュはそう言って、火を見た。
「あんたも、変わったな」
ガルダが、ぽつりと言った。
アーシュが、横目でガルダを見た。
「……どういう意味だ」
「いや、悪い意味じゃねえ。昔、あんたと話したってやつから聞いただけだが、かなり無愛想な男だって言っててよ」
「……」
「それが弟子を取って、徒歩で砂漠を渡って、嬢ちゃんを気遣ってるし、話しもおもしれえ。聞いてた話とは、ずいぶん違う」
アーシュは、すぐには答えなかった。
火がぱちりと爆ぜた。
「……人は、変わる」
短く、そう言った。
「そうか、そうだな」
ガルダが頷いた。それ以上は聞かなかった。
ヒマリは、二人のやりとりを少し不思議そうに見ていた。けれど、何か聞こうとはしなかった。代わりに、火に手を伸ばして、目を細めた。
火は、ヒマリが分けた薪で、変わらず燃えている。
*
夜が深まると、ドワーフたちは交代で見張りに立つことになった。アーシュも一晩中起きていられると申し出たが、ガルダは笑って首を振った。
「恩人に見張らせるなんて、出来ねえよ」
「そうか」
「薪の礼もある。嬢ちゃんと、ゆっくり休んでな」
アーシュは少し迷ったが、頷いた。
ヒマリが収納からテントと毛布を出して、岩陰に二人分の寝床を作った。家を出さないと決めたので、外で寝ることになる。けれど、焚き火と荷車に囲まれた場所は、思ったよりも安心感があった。
毛布に包まると、ヒマリが小さく息をついた。
「アーシュ」
「ああ」
「今日、すごく楽しかった」
「そうか」
「ガルダさんたち、いい人だね」
「ああ」
「……あのね」
「ああ」
「あったかいって、言ってもらえた」
ヒマリの声が、毛布の中で少しくぐもっていた。
「……いっぱい、言ってもらえた」
「ああ」
「うれしかった」
「そうか」
ヒマリは、しばらく黙ってから、もう一度言った。
「……いっぱい、あったね」
アーシュは、その言葉の意味を、わかっていた。
星の見える村の夜、ヒマリが望んだ「いっぱい」のことだ。
それは、今夜、確かにあった。
「……ああ」
短く、そう答えた。
ヒマリの呼吸が、すぐに穏やかな寝息に変わった。
アーシュは、もう少しだけ起きていた。星を見ていた。岩石砂漠の星空が、昨日と同じように広がっていた。けれど、昨日と、何かが違って見えた。
火の温度のせいかもしれない。
あるいは、人の声と笑い声が、まだ岩場に残っているせいかもしれない。
アーシュは毛布を引き寄せて、自分も目を閉じた。
焚き火の音が、遠くで小さく続いていた。




