第五話 岩陰の隊商
「アーシュ」
ヒマリが、赤い実がぎっしりと包まれたハンカチを片手に、嬉しそうな顔をして戻ってきた。
「ずいぶん採ったな」
「収納に、入れると傷まないから、いいかなって」
「そうか」
慣れた手つきで収納を開くと、大切そうにハンカチを入れていた。
その流れで思い出したのか、そういえばという顔で
「家、出してもいい?」
と、言った。
アーシュはそれに答える前に、少しだけ目を閉じた。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
体の中心から、薄くマナを伸ばしていく。
霧を出した時よりも淡く、広く。岩場の起伏に沿わせ、空気に溶かすように。
──東に、何かが動いている。
複数。生き物。それも、ある程度の数。歩調から見て、人と、それから荷を引く獣。距離は、まだ少しある。
ヒマリが、ぴくりと肩を動かした。
「……アーシュ?」
「ああ」
「いま、なんか……」
ヒマリが、自分の頬のあたりに手をやった。風があるわけでもないのに、何かがそっと触れたような顔をしている。
「……アーシュの、なの?」
「気づいたか」
「うん、なんか……うすいけど、アーシュのにおいがした」
「におい、か」
「ちがう?」
「いや。そう感じるなら、それでいい。マナを少し伸ばしていた」
「前の、井戸の時とおなじ?」
「ああ」
アーシュはマナを引き戻した。
「家は、やめておこう」
「え、どうして?」
アーシュは少し考えた。
理由を全部言わないこともできた。けれど、ヒマリはもう、相談すれば動ける子になっている。だったら、答えても良かった。
「……人の反応があった」
「えっ?」
「東から。たぶん、隊商か何かだ。あと半刻もしないうちに着く」
「ここに?」
「ここに来るだろうな。水場だ」
ヒマリが目を丸くした。
「だから、家を出さないの?」
「砂漠の真ん中に丸太の家がいきなり生えていたら、おかしいだろう」
「……そうだね」
ヒマリが小さく笑った。
「アーシュ、いつもそういうの、ちゃんと考えてるんだね」
「当たり前だ」
「うん」
ヒマリは赤い実を一粒、アーシュに差し出した。
「すっぱいけど、おいしいよ」
アーシュは少し迷ってから、それを受け取った。口に入れると、確かに鋭い酸味が舌を刺した。けれど、後から微かに甘みが残った。
「……悪くないな」
「でしょ」
ヒマリが満足げに頷いた。
*
それから、半刻も経たないうちに、東の岩場の向こうから声が聞こえてきた。
人の声と、それから動物の足音。荷車の車輪が砂を噛む音もする。賑やかなものだった。砂漠の静けさを、まとめて押しのけてくるような音だ。
岩の陰から、最初に現れたのは荷車だった。
二台連なっていて、それぞれを大きな獣──ヒマリの知らない、毛の薄い四つ足の動物──が引いている。荷台には麻袋や木箱が積み上げられ、布で覆われていた。
そして、その横を歩いていたのは、ずんぐりとした体つきの男たちだった。
背は低い。ヒマリよりも頭一つ高いかどうか、というくらいだ。けれど、肩幅はアーシュよりもむしろ広い。腕は太く、髭は豊かで、よく日に焼けた赤茶けた顔をしていた。
ヒマリがびっくりした顔で男たちを眺めている。
(前に、国境のまちでみかけた、小さなおじさんと似てる)
「ドワーフ、だ」
ヒマリの考えていることを察したのか、アーシュが短く教えた。
「お、いたいた、人だ」
先頭の一人が、こちらに気づいて手を振った。声が大きい。
「兄ちゃん、こんなとこまで徒歩できたのか? しかも嬢ちゃん連れてよ」
近づきながら、男が呆れたように言った。けれど、その目に警戒の色はなかった。むしろ、おもしろがるような色がある。
「ああ、ルミナリアの旧都──ルミナスから来た」
「ルミナスだぁ!? 兄ちゃん、無茶するなあ」
「承知の上で旅をしている」
「ははっ、剛毅なやつだ」
男たちは荷車を泉のそばに止めた。獣の口元を緩めてやり、自分たちも水袋を取り出している。慣れた動きだった。
そして、荷車から降りてきた一人が──たぶん年長者だろう、髭に白いものが混じった大柄なドワーフが──こちらをじっと見た。
「……おや」
その声に、他の男たちが一斉に振り返った。
「もしかして、アーシュ殿では?」
アーシュは少しだけ目を細めた。
「……どこかで会ったか?」
「いいや、初対面だ。だが、うちの界隈であんたを知らねえ奴は少ない」
「……」
「ずいぶん世話になったからな。少なくとも俺ら輸送組合は、恩人の顔を忘れねえよ」
男はそう言って、にっと笑った。歯が白い。それから、ヒマリの方に視線を落とした。
「で、そっちの嬢ちゃんは?」
「弟子だ」
「弟子……ほう。英雄殿の弟子か。そりゃ大したもんだ」
ヒマリは少し戸惑ったように、アーシュを見上げた。アーシュが小さく頷いたのを見て、ようやく頭を下げた。
「……ヒマリ、です」
「おう、ヒマリちゃんか。俺はガルダ。こっちはみんな、グラド・ヴァルカンの輸送組合の連中だ」
ガルダが片手をぐるりと回して、仲間を紹介した。男たちが順番にこちらに手を上げる。みんな、よく似た顔立ちをしていた。
「アーシュ殿、徒歩で来たってのは、本当か?」
「ああ」
「いやはや、超越種さんは違うねえ。普通なら水袋抱えて獣引いて、それでもひいひい言いながら越える距離だぞ」
「俺は平気だが、ヒマリには応える」
「だろうな。よく頑張ったな、嬢ちゃん」
ガルダがそう言って、ヒマリの頭をぽんぽんと撫でた。手が大きく、節くれだっていた。けれど、撫で方は驚くほど優しかった。
ヒマリは少しびっくりした顔をしたが、嫌そうではなかった。
「で、今日はここで野営か?」
「そのつもりだ」
「なら、俺たちと一緒にどうだ。メシは余分にあるから、わけてやれるぞ? 嬢ちゃんに干し肉ばかり食わせるのも可哀想だろう」
「……いいのか」
「いいも何も、こっちが誘ってんだ。それに、あんたと一緒なら、夜に魔物が出ても安心だしな」
ガルダがからからと笑った。
アーシュは少し考えた。それから、ヒマリに目をやった。
ヒマリは、もう目を輝かせていた。
「……世話になる」
「おう、よろしくな」
ガルダが太い手を差し出してきた。アーシュがそれを握り返した。
ヒマリは、その様子をじっと見ていた。
アーシュの手と、ガルダの手。
形も、大きさも、まるで違う。
それでも、二つの手はちゃんと重なっていた。




