第二話 いつかは雨に
ルミナスを出て七日目、街道の土は少しずつ白く乾きはじめていた。
乾いた風に背中を押されながら歩いていると、街道の先に小さな集落が見えてきた。
茅葺き屋根の家が十数軒、緩やかな丘の裾野に並んでいる。バウレン村よりもさらに小さい。周囲には畑が広がっていたが、青々としているはずの作物がどこか元気がなく、土が白く乾いていた。
「……かれてる」
ヒマリが、立ち止まった。
アーシュも足を止めて、畑を見た。確かに、土が乾きすぎている。この時期ならもう少し緑が深くなっているはずだが、葉が薄くて小さい。水が足りていない。
「グラド・ヴァルカンに近づいている証拠だな」
「砂漠の国、なんだよね」
「ああ、雨があまり降らない国だ」
「……たいへん、だね」
ヒマリが畑の縁にしゃがみ込んで、土に指先でそっと触れた。ぱらぱらと土がこぼれた。ほとんど湿り気がない。
「ねえ、アーシュ」
「何だ」
「わたし、お水出せるよね」
アーシュは少しだけ間を置いてから答えた。
「出せるが……畑全部に行き渡らせるのは、まだ難しいだろう」
「わかってる。でも、少しだけでも」
「……まあ、構わないが。村人に一声かけてからにしろ」
ヒマリがぱっと立ち上がった。
村の入り口まで歩くと、畑仕事をしていた中年の男が顔を上げた。アーシュの見た目に一瞬ひるんだ顔をしたが、ヒマリを見て少し和らいだ。
「旅の方ですかね。何か……」
「あの、畑にね、お水をあげたいの。ちょっとだけしかだせないけど、魔法で、だせるから」
男が目を丸くした。
「おお……その年でもう水魔法を使えるのかい?」
「師匠が、教えてくれたの」
男がアーシュを見た。アーシュは何も言わなかった。男は少し考えてから
「作物を傷めたりは、しないかい?」
「たぶん……しないように、する」
「たぶんか」
「師匠が見てるから、大丈夫」
「……では、お願いしていいかな。雨が少なくて困っていたところなんだ」
と、言った。
*
ヒマリは畑の前に立ち、手のひらを前に出した。
目を閉じる。息を整える。マナを集める。
水に変われ。
手のひらの上に、小さな水玉が浮かんだ。それをそのまま前に押し出すと、細い水の流れが畝の間に落ちていく。ぽとぽとと土に吸い込まれていく音がした。
乾いた土の匂いが、ほんの少しだけ湿った匂いに変わった。
「前より、たくさん出た」
ヒマリが少し驚いたような声を出した。アーシュは少し離れた場所から腕を組んで見ていた。
水はすぐになくなる。一度出して、また集めて、また出す。それを繰り返す。ヒマリの額に、うっすらと汗が浮かんだ。
やがて、ヒマリが手を下ろした。
「……ごめんなさい。もうちょっと、たくさん出せたらよかったんだけど」
男が畝の間を覗き込んで、それからヒマリに向き直った。
「いや、十分だよ。ありがとうね、お嬢ちゃん。ごらん、芋の葉っぱが嬉しそうにしているよ」
「喜んでる?」
「ああ。喜んでいるとも。乾き切った土だと、水が行き渡らないことが多いんだけどね……ほら、うまく浸みてるよ。やり方が上手だね」
ヒマリが少し照れたような顔をした。
「師匠が、いいから」
男がアーシュを見た。アーシュはまた何も言わなかった。
*
しばしの休息をとった後、旅の続きに戻ろうと村から出ようとすると、男が駆け寄ってきて干し芋を一袋持たせてくれた。
「お嬢ちゃん、大したものじゃないが、道中にたべとくれ」
「あ、ありがとう。いいの?」
「ああ、芋だけはたくさん育つからね。遠慮なくもっていってくれ」
ヒマリがちゃんと頭を下げた。
村を出てしばらく歩いたところで、ヒマリがぽつりと言った。
「もっとたくさん出せたら、全部の畑にお水をあげられたのに」
「マナは十分にある。後はイメージと制御次第だな」
「制御、得意だと思ってたのに。むずかしいな、水魔法」
「量を出すだけならば、今のヒマリでもできる」
「ほんとう?」
「ああ、だが、濁流となって畑を流してしまうだろう」
「……それ、できるって言わない」
「そうだな」
ヒマリが手のひらを見下ろした。
「雨みたいに、出すにはどうすればいいの?」
「水を出そうとしてるうちはできないな」
「お水と、雨は違うの?」
「水を塊で出すのではなく、細かく砕く。霧のようにして、上へ広げる。そこから雨に変えるといい」
「……水を、こなごなにするの?」
「近い。だが、ただ散らせばいいわけではない」
「うー……むずかしい、ね。いつか、できるかな……」
アーシュは少し考えてから答えた。
「……時間がかかるだろうが、ヒマリならできるだろう」
「いつごろ、だろ」
「それはわからない。だが、今日やったことは無駄じゃない」
ヒマリが少し首を傾げた。
「今日やったことが?」
「ああ。雨にはならなかったが、そうなるように魔法を使って、芋に水を与えた。その経験は決して無駄にはならない」
ヒマリはしばらく黙って歩いた。それから
「……そっか。いつか雨を降らせるために、今日は役に立ったんだね」
と、言った。
アーシュは短く「ああ」と答えた。
それだけだったが、ヒマリの歩幅が少しだけ広がった気がした。
*
その夜の野営は、荒れ地の手前、枯れかけた低木の陰に設営した。
ヒマリがちらりとアーシュを見た。
「ここなら、出してもいい?」
「ああ、人目はない。出していいぞ」
ヒマリが手のひらを前に出すと、空気がゆっくりと歪んで、丸太の家がぽんと地面に現れた。
荒れ地の真ん中に、森で見慣れた家が立っている。その取り合わせが少し、おかしかった。
「なんか、へんなかんじだね」
「そうだな」
「でも、うれしい」
ヒマリが扉を開けながら言った。アーシュはその背中を見ながら、少しだけ思った。
荒れ地の真ん中に、森の家。
確かに、おかしな取り合わせだ。それでも、扉を開けた先はいつもの家の匂いがして、暖炉があって、ヒマリが「うれしい」と言う場所だ。
それは、悪くなかった。




