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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ
第二章 開花の旅

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第一話 木が減っていく

 ルミナスの白い塔が見えなくなって、三日が経った。街道はまだルミナリア神聖王国の内にあるが、西へ向かうにつれて景色は少しずつ変わり始めていた。


 空は透き通るように青く、晴れ渡っているが、朝の日差しはそれほど強くなく、気持ちの良い初夏の風が頬を撫でていく。

 

 ヒマリは、アーシュの半歩後ろを歩いていた。

 

 最初の一日はほとんど黙ったまま歩いた。ルミアとヴィラに見送られた時の空気が、まだ体のどこかに残っていたのかもしれない。


 二日目の朝、少しだけ口数が増えた。


 そして、今日はもうほぼいつも通りだった。

 

「ねえ、アーシュ」

「何だ」

「木、少なくなってきてる、よね」

 

 アーシュは前を向いたまま、短く答えた。

 

「ああ、そうだな」

「なんか……さみしいね」

 

 アーシュは少しだけ足を緩め、街道の両脇を見回した。

 

 ルミナスを出てしばらくの間は、農地と牧草地が混在し、街道沿いには背の高い、古い並木が続いていた。それが気づけば低木に代わっていて、草もまばらになり、代わりに岩のごつごつした荒れ地が増えてきている。


「この先は、もっと減る」

「もっと?」

「ああ。砂漠に近づくにつれて、草木は少なくなっていく」

 

 ヒマリがそれを聞いて、少し考えるような顔をした。

 

「じゃあ、砂漠になったら、全部なくなるの?」

「見知ったものは見かけなくなるだろうな」

「……そっか」

 

 ぽつりと言って、またしばらく黙った。

 

 アーシュは、ヒマリの横顔をちらりと見た。さみしいね、と言ったのは本心だろう。この子は出会った頃から森の中で暮らしていた。木の匂い、苔の湿り気、葉の擦れる音。それが当たり前の環境だった。


 それが少しずつなくなっていくのを、体で感じているのだろう。

 

  *

 昼を過ぎた頃、街道沿いの岩場で休憩を取った。

 

 アーシュが背嚢から水の革袋を取り出し、ヒマリに渡す。ヒマリが一口飲んで、岩に腰を下ろした。足をぶらぶらさせながら、遠くを眺めている。

 

「ねえ、アーシュ」

「何だ」

「砂漠の、お話をもっかいしてほしい。アーシュ、いったことあるんだよね」

 

 アーシュも岩に背を預け、空を見上げた。

 

「暑かった。それから、夜は寒かった」

「……それ、前も聞いたよ」

「砂も、飽きるほどあった」

「それも聞いた。ほかに、なにか無かった?」

「……夜になると、音が遠くまで届く」

「音?」

「風の音も、獣の足音も、自分の息の音もだ。余計なものが少ないからだろうな」

「へえ……静かなのか、賑やかなのか、わからないね」

「そうだな……」

 

 アーシュが腕を組んで考え込んでいる。ヒマリは、少しの間それを見つめていたが、やがて待ちきれなくなったように口を開いた。

 

「あのね、トバスさんがね、夜は星がすごいって言ってたよね」

 

「ああ」

「アーシュとね、いっしょに見るって、約束したよね」

「覚えている」

「ほんとかな……」

「本当だ」

 

 ヒマリが足をぶらぶらさせながら、遠くの空を見ていた。その目は、すでに砂漠の夜空を想像しているような色をしていた。

 

 アーシュは、ヒマリの横顔をまた少し見ていた。

 

 約束した、とこの子は言う。あの宿場町の宿で、窓辺に座りながら言ったことをきちんと覚えていた。

 確かに「ああ」と返したのを覚えている。そんなやり取りを、ヒマリはちゃんと覚えていて、ずっと楽しみに持ち続けていた。

 

 それがなんだか、悪くないと感じた。

  *

 夕方、野営の準備をしながらヒマリが魔導具を取り出した。

 青みがかった小さな石。ルミアから預かった、帰還術式を発動させるのに必要なマナを貯める魔導具だ。


 ヒマリは旅の間、毎晩マナを注いでおくと、ルミアに約束していた。

 

 ヒマリは両手で石を包み、目を閉じた。しばらくして、石がほんのわずかに温かくなった気がした。

 

「……できてるかな」

「ああ。昨日よりも流れが滑らかだ」

「ほんと? ちゃんとできてるかな?」

「ちゃんとできている」

 

 ヒマリがほっとした顔をして、石を収納にしまった。

 

「毎日やれば、三年で戻りの分も貯まるんだよね」

「お前のマナの量なら、そうなるだろう」

「……なんか、すごいね。毎日ちょっとずつで、三年で帰れるって」

 

 アーシュは焚き火に薪をくべながら、短く答えた。

 

「続けることが大事だ。忘れるなよ」

「わすれない。ぜったい」

 

 その言い方が妙に頼もしかった。

 

 アーシュは炎を見ながら、これまでの旅を静かに思い返した。


 ヒマリは、相変わらず朝に弱いが、きちんと起きて支度をするようになった。食事は残さず食べるようになった、というか年相応の量を食べられるようになった。


 歩くのも、出会った頃より格段に速くなっている。

 

 そして、何より、よく喋るようになった。

 

 森の家にいた頃、ヒマリは「……うん」しか言えない時期があった。

 それがいつの間にか「わるくない」と言えるようになった。

 今では「さみしいね」と言って「約束したもんね」と笑うようにもなった。

 

 アーシュの中で、また、コトリと何かが動いた。

 けれど、それが何なのかを、まだ言葉にはできなかった。

 

 炎がぱちりと小さく爆ぜた。


  *

 

 その夜、訓練を終えたヒマリがぽつりと言った。

 

「ねえ、アーシュ」

「何だ」

「砂漠だから、いいことって、なにかあるのかな」

 

 アーシュは少し考えた。

 

「ある、とは思う」

「たとえば?」

「……星が、よく見えると言っていただろう」

「そうだよね、やっぱり星なんだよね」

 

 ヒマリが毛布を首元まで引き上げた。

 

「木のにおいはしなくなるけど、そのかわり星がたくさんあるんだよね」

「そうだな」

「木のにおいと、星のきらきら……なんか、いい交換だな」

 

 それだけ言って、ヒマリは目を閉じた。

 

『なんか、いい交換だな』

 

 アーシュはその言葉を、しばらく頭の中で転がしていた。木の代わりに星。失うものがあれば、得るものもある。それをこの子はさらりと言ってのける。

 

 そういう風に物事を見られるのは、才能だとアーシュは思った。

 

 少なくとも、自分にはなかなかできないことだった。

 

 焚き火が静かに燃えていた。

 

 ヒマリの寝息が、やがて聞こえてきた。


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