第三十四話 施設の暮らし
ヒマリの話が途切れると、中庭には風の音だけが残った。
ルミアはすぐには次の問いを口にしなかった。幼い声で語られた出来事を、胸の中で静かに受け止めているようだった。
けれど、禁書庫へ向かう前に、まだ聞いておかなければならないことがある。両親を失った後、ヒマリがどこで、どのように過ごしてきたのか。
ルミアはヒマリの顔色を確かめるように見て、それから、できるだけ柔らかい声で言った。
「その後、ヒマリちゃんは親戚の家にいったんですよね」
「うん。お母さんの、妹……おばさんのおうち」
「そのお家はどんなところでしたか?」
「……ふつうだった、とおもう。おじさんも、おばさんも。あと、わたしより小さな子どもがいたよ」
「ええ」
「最初は、やさしく、してもらってた、と、思う」
最初は、という言葉にルミアの眉がわずかに動いた。
「……検診の後ね、かわったんだ」
「スキル検診をしたといっていましたね」
「うん。八歳になったら、みんな、うけるの。どんなスキルをもってるか調べるんだって」
「ええ」
「ほとんどの人は、ひとつ。ふたつ持ってる人は、珍しいんだって」
「……ヒマリちゃんは、二つでしたか」
「うん、しゅうのうと、けんじゃ」
ルミアの手がヒマリの手の上で一度だけ、ぴくりと動いた。本人は気づいていないようだった。
「おじさんとおばさんが、先生によばれたんだ。そのあと、ずっとなんかそわそわしてた」
「そわそわと?」
「うん。そしたらね、後からいろんな人がおうちに来るようになった。スーツきた人。いろんな会社とか、研究所とか。わたしに、スキルを見せて、って検査に来てたんだ」
「……スキルを」
「うん。くりかえし、くりかえし、やるの」
ルミアが息をわずかに吐いた。
「それは……検査ではなく、値踏みですね……」
「ね、ぶみ?」
「……ごめんなさい、今の言葉は忘れてください」
ルミアが少しだけ目を伏せた。
「でね、そのうち国のしせつから、スカウトだって人が来てね、お仕事の料金を払うって言ったら、おじさんがね、サインしたの」
「サインを、したんですの?」
「うん、お仕事のけいやくしょ? にしたんだ」
「保護者が……契約書にサインを……」
ルミアの指が、膝の上で、きつく、組まれた。
「うん。わたしがお仕事をする代わりに、おじさんたちにお金を払うって」
「貴方ではなく、親戚の方々にですか?」
「うん、なんかね、もう会えなくなるから、その分もって言ってた……」
「……!」
ルミアの拳がギリリと音をたて、ヴィラが尻尾をバンと床に打ち下ろした。びくりと体を震わせたヒマリに謝ると、イライラとした顔でこう言った。
「つまりよ、お前のおじさんとおばさんは……国にお前を売ったんじゃねえのかよ」
「ヴィラ!」
「だってよ!」
叔父と叔母に売られた、そう言われたヒマリは目をぱちぱちと瞬いて、よくわからないと言った顔でアーシュを見た。
「……ルミア」
「もう! 困った時に私に振るのも変わりませんのね! ヒマリちゃん。残酷な事を言いますがよろしいですか?」
「うん?」
「貴方の叔父さまと叔母さまは、親権を国に譲ったのです」
「しんけん?」
「親として育てる権利です」
「親……? わからないけど、親はお父さんとお母さん、だけだよ? あ、でもね。『これで、もう、姉さんの子の世話をしなくていい』って言ってた、気がする」
――空気が冷えた。
ルミアが自分の頬に指先をそっと当てた。考える時のあの頃の癖だった。
パキリと、音がした。
ヒマリとルミアとヴィラが音の方を見ると、アーシュの足元がひび割れていた。
「すまない……弁償する」
バツが悪そうな顔で、アーシュが言う。
「……それには及びません。ここの床は、どうにも壊れやすいので」
一区切りしようと、お茶を入れ直し、喉を潤してから続きの話をした。
「その、施設はね、マナの使い方を教えてもらって、スキルをうまく使えるように練習するとこなんだ」
「そうなんですの」
「毎日ね、朝起きたら走ってね、シャワーを浴びたら朝ごはん食べて。そしたらスキルの練習して、マナの制御練習をして。それから……ダンジョンのお勉強をして、ごはん食べて、寝るの」
「……まるで軍の施設のようですわね」
ルミアがほとんど独り言のように言った。ヒマリがきょとんとルミアを見た。
「ぐんってなに?」
「国のために戦う人たちがいっぱいいるところです」
「わたしも、国のためにダンジョンで戦うんだって言われてた。あそこは《《ぐん》》、だったんだね」
ヒマリが少し感心したような顔をした。
ルミアは言葉を失い、ヴィラが大きく息を吐いた。
「……はぁ?」
声が、低かった。
「ヒマリみてえなちっちぇー子どもをよお、将来ダンジョンにぶち込むために集めて訓練してんのか? その日本とかいう国はよお」
「よくわかんないけど、わたしくらいの子どもはいっぱいいたし、みんなダンジョンに行くため訓練してたよ」
「……メシは出てたつってたがよ、働いた分の金はもらえてたのか?」
「お金? それは、おとなになったら払われるようになる、言われてた」
「……は?」
「あのね、施設で訓練しているうちはね、ご飯も、お風呂も、寝る場所も全部、施設のお金でやってもらってるんだって。だからね、お金はそれに使われてなくなるんだって」
「まあ、養成所みてえなとこなら……そうかもな……」
「わたしはね、うまくできなかったし、できないと食べたいなって気持ちになれなくて……気づいたら、あんまり食べられなくなってた」
「チッ……そうかよ」
ヴィラが何かを言いかけて呑み込んだ。代わりに首の後ろをぐしゃぐしゃと、掻いた。
「アーシュ」
「何だ」
「……俺たちさ、ガキを使う傭兵団とか叩き潰して回ってたよな?」
「ああ、そうだったな。子どもたちは、なるべく孤児院に送り込んでいたが」
「ヒマリがいた施設ってやつはよ、あれとそう変わらねえとこじゃねえのか?」
「……どうだろうな」
ヴィラが黙った。それから、口の端をわずかに歪めた。
怒っている時のヴィラの顔だった。




