第三十話 秘匿された歴史
「つまり、こういうことですか」
ルミアが指を組んだ。
「アーシュさんは、かつて異世界の日本という国にいた」
「ああ」
「そこで、亡くなってこの世界に転生した」
「そうだ」
「邪神撃退後、隠棲していた魔の森で、ヒマリちゃんを保護した」
「ああ」
「偶然にも、前世の貴方と同じ国からきた子だったと」
「そこがな……厳密に言えば違うかも知れない」
「は? 違う? 同じ国と言っていたではないですか」
アーシュは少し考えてから続けた。
「国の名前や言葉、姿形は同じだ。けれど、ヒマリのいた日本は、俺のいた日本とよく似た、別の世界の日本ではないかと考えている」
「……どういうことですか?」
「少なくとも、俺が死ぬまで過ごした日本には、スキルというものは存在しなかった」
「ス、スキルですって!」
ルミアの動きが、止まった。
ヴィラも顔を上げた。
「……は? スキル? なんだそれ」
「超常的な力を使うことができる源だ。ヒマリは理論も知らないのに、誰よりも大規模な異空収納を使うことができる」
ルミアがゆっくりとヒマリを見た。
「……見せて、もらえる?」
「うん。なんか、ちっちゃいの、だすね」
ヒマリが小さく頷いた。
それから、目を閉じて右手をそっと前に出した。
手のひらの上に淡い光の揺らぎが、生まれた。
それがふわりと形を変えていく。空気がわずかに歪んだ。
その歪みの中に、小さな窓のようなものが開いた。
ヒマリがそこに手を差し入れた。
引き戻した手のひらの上に、一輪のシロハナ草が乗っていた。
ずっと前に、街道沿いで摘んで乾かして取っておいた、あの花だった。
「……しゅうのうスキルって、いうんだって」
「私が知っている異空収納とは……少し違いますわね……」
ルミアがしばらく花を見ていた。
それからヒマリに視線を戻した。
「アーシュから習ったわけではないのですわよね?」
「うん。アーシュは素質がないから教えられないって」
「そうでしたわ……」
「あとね、けんじゃも、もってるよ」
「け……」
ヒュッとルミアの喉が鳴った。
「け、賢者スキルですの!?」
「……うん」
ヴィラが目をこすった。それからもう一度、ヒマリを見た。
「……お、おい、アーシュ」
「何だ」
「……こいつ、やべえぞ。スキルっつうのは知らねえけどよ、賢者ってーー」
「ヴィラ!」
「うるせえな、今更だろ? 実物がいるんだぞ? それにアーシュは超越種になったんだ、知っても問題ないだろ!」
「……そうでしたわね」
「賢者はよ、かつて魔王を倒した異世界人の一人が持ってたスキルなんだよ」
「そうなのか」
「ああ、ある程度の立場の連中には伝えられてんだがな……って反応が軽いな! 魔王だぞ? もっと、なんかねえのかよ!」
「邪神がいたんだ、魔王がいたところで不思議はないだろう」
「……ぐうの音も出ねえ」
「その話は置いておきましょう。アーシュ、あなたは禁書の閲覧許可を求めているんですわよね」
「ああ、そうだ」
アーシュが、カップを口に運び、茶を一口飲んだ。
「……ここには、この子を元の世界に帰す方法を探しにきたんだ」
ルミアの手がカップの縁に置かれたまま止まった。
「……帰すんですの?」
ルミアが小さく繰り返した。
「そうだ」
「それで、なぜ、ここに?」
「元々来る気ではあったが、フィネスという、エルフから助言をもらったのが大きい」
「フィネス?」
「エルディアを追放された研究者だ。信用できそうだったので、ヒマリの事を明かして相談した」
ルミアが、ほんの少しだけ眉を寄せた。
その名前には聞き覚えがあった。
神殿にも危険人物としての情報が回ってきていた。古い時代の記録を追い、魔王期の術式に近づきすぎている者。
そういう扱いで記されていた名だ。
「……あの方に、ですか」
「知っているのか」
「情報だけ、ですが。あの変人にヒマリちゃんの事を、明かしたのですか……」
エルディアから届いた書簡には、ただただ、変人で、妙な研究を長年続ける危険人物とだけ書かれていた。
なので、図書館への入館を禁じ、これ以上余計な研究をさせないようにしていたのだ。
だが、実際に会って話をしてきたアーシュから聞いた人物像は、書簡を通して感じたものとだいぶ異なっていた。
「あいつは確かに変わり者だったが、しっかりとした矜持を持つ研究者だった」
「なるほど……アーシュさんがおっしゃるなら、そうなのでしょうね」
「それで、神殿図書館の禁書庫に、異世界人に関する記録が残っているかもしれないと、彼からきいてな 」
ルミアが一度目を閉じた。
なるほど、と内心で思う。
確かに、あの研究者にも魔王期の情報は開示されているのだろう。エルフの魔法研究者、その地位は決して低くはない。神職や王族ほどではないが、ある程度の情報が耳に入っていてもおかしくはない。
だが、だからといって簡単に口にしてよい情報ではない。
「秘匿事項をペラペラと……いえ、アーシュが超越種だとわかっていたから話したのでしょうね……」
「いや、秘匿事項だから明かせないがと、一部伏せて話していたぞ」
「流石にそれくらいの分別はありますか」
ルミアは小さく息を吐いた。
安堵した、というほどではない。
けれど、少なくとも常識的な人物らしいと分かっただけでも、少しは評価を改める余地があった。
「その時代――魔王期の話は、開示できる相手が限られているのです」
「そうなのか。俺は超越種で、ヒマリは……当事者だからか」
「え」
ヒマリが、自分の名が出たことに少し驚いたように顔を上げた。
ルミアはヒマリを見た。
小さな少女。けれど、この子はただの同行者ではない。異世界から来て、賢者という名を持ち、五百年前の記録と繋がるかもしれない存在だった。
当事者。
アーシュのその言葉は、あまりにも短かったが、ひどく的確だった。
「確かに……あそこには、異世界から来た賢者が書いたという資料が残っています。私も少しだけ目を通したことがありますわ」
「読めたのか?」
「表紙と目録だけですわね。中身はよくわからない文字で記されていて、解読するには、女神に認められた特別な資質が必要だと……伝えられて……」
言いながら、ルミアの声が少しずつ小さくなった。
特別な資質。
女神に認められた者。
そう伝えられてきた言葉を、これまで疑ったことはなかった。
けれど今、目の前にはアーシュがいる。
前世で日本という国にいた男。そして、その隣には、日本から来たという少女がいる。
ルミアがアーシュとヒマリを見た。
まさか、と。
自分で言い出す前から、その答えが見え始めていた。
「まさか……資質ではなく、日本語で書かれていたり……して」
ルミアが引き攣った笑みを浮かべる。
「……ありうるな」
「ええ……」
「いつか、自分と同じように召喚された同胞に向けて書いた、そう考えればしっくりくる」
ルミアがカップをゆっくりと置いた。
「閲覧許可、ですが」
「ああ」
「出しましょう」
「助かる」
「ただし、私も同席します。よろしいですか」
「構わない」
「あ! ずっけえぞ! あたしもいいだろ? なあ、ルミアー!」
「うるさいですわよ……仕方がありませんね……許可しますわ」
話が一度落ち着いた。




