第二十九話 異世界人
ヒマリは窓辺から離れていつの間にかアーシュの隣に座っていた。
膝の上で手を重ね、じっと静かに聞いていた。話の中身は全部を理解しているわけではなかった。
けれど、アーシュとルミアの声の温度はちゃんと感じ取っていた。
二人が大事な話をしている、ということが分かった。
だから、黙って聞いていた。
しばらくしてルミアが顔を上げた。
「……では、聞かせてください」
「何をだ」
「五年のあいだ、あなたがどこにいたのか。それと」
ルミアがヒマリに目を向けた。
「この子を連れて現れた理由を」
アーシュがゆっくりと頷いた。
それから話し始めた。
邪神撃退の後、生きる目標を失ってしまって何もかも全てが虚しくなったこと。
何も告げずに消えた後、東にある魔の森に向かったこと。
エンシェントドラゴンに見初められ、管理者として森の中で過ごしていたこと。
途中、ルミアは何度か目を伏せた。
ヴィラはカップを置いて机をじっと睨んでいた。
けれど、二人とも口は挟まなかった。
「夜に焚き火を眺める習慣だけは変わらず残っていてな、その日も静かに揺れる炎を見つめていた」
アーシュが一度息をついた。
「すると、森の奥で空間の歪みを感じた」
「……歪み?」
「ああ。向かってみると空中に罅が入っていた。内側から白い光が漏れていたんだ」
ルミアがカップを置いた。
「……それはまさか」
アーシュがヒマリをちらりと見た。
ヒマリは、アーシュの袖を指先で軽くつまんでいた。
「邪神を叩き込んだ断裂と、似ていたのは確かだ」
ルミアの顔からわずかに血の気が引いた。ヴィラが机の上のカップをわずかに震わせた。
「……冗談だろ」
「あの時のものとは色が違った。似て非なるものだろうと思う」
「別物……ですか」
「ああ、そして断裂は間もなく閉じた。後に残ったのは静けさと――」
アーシュが言葉を区切った。
「この子だった」
ヒマリが顔を上げた。
ルミアと目が合った。ルミアは少しだけ目を細めた。
「ヒマリは、次元断裂の向こう側……異世界から、来た」
「まさか! たまたま、そこにいたのではありませんか?」
「……魔の森の最奥に、たまたま子どもが居ると思うか?」
「それは……」
ルミアが長く息を吐いた。
ヴィラがぽかんと口を開けていた。
「お、おい、ちょい待てよ。異世界ってなんだよ」
「言葉通りの意味だ」
「は……はぁ?」
「この世界とは、別の世界だ」
ヴィラが頭を軽く掻いた。
それから、ヒマリをまじまじと見た。
「……おめえ、そんな遠くから来たのかよ」
「……うん、そうみたい」
「へえ……」
ヴィラが少し感心した顔をした。
それから、ふと思いついたように言った。
「しっかし、おもしれーよな。異世界っつってもよ、言葉は通じんだもん」
「ヴィラにしては珍しく鋭いですわ! やはり異世界人ではなく――」
「いや、通じなかった」
アーシュが短く言った。
ルミアが眉をわずかに動かした。
「嘘つけ。俺らと話せてるじゃねえかよ」
アーシュは一度口を開こうとして閉じた。
それから、もう一度開いた。
「……出会ったばかりのヒマリが話していたのは、俺が前世で使っていた言葉だった」
部屋が静かになった。
「こちらの言葉は通じなかったが、ヒマリの言っていることは分かった。故郷の言葉だからな」
ルミアの指が長椅子の縁をわずかに握った。
ヴィラはまたぽかんとしていた。
「だから、俺が前世で暮らしていた世界から、ヒマリが迷い込んだのだろうと思ったんだ」
「……ぜ、前世?」
「言葉通りの意味だ」
「ちょっと待て、アーシュそれは」
「俺は、前世……別の世界で生きていた記憶をもったまま生まれてきた。こういうのを……転生者というんだったか」
ヴィラの目がまん丸になった。
「てん……?」
「別の世界で死に、この世界に生まれ直した人間ということだ」
「……は?」
「元はヒマリと同じ国の人間だった。確か、ありふれた事故で死んだんだと思う。気づいたら生まれ直していて、狩人のじっちゃんに拾われていた」
ヴィラがカップを握ったまましばらく動かなかった。
それから、急に首をぶんぶんと振った。
「……わかんねえ!」
「そうか、わかれ」
「わかれってよお……つ、つまり、アーシュはよ、中身が別の世界の人間で、こっちで体だけ新しく生まれたってことか?」
「だいたい、そうだ」
「……だいたい、かよ!」
「厳密に話すと長くなる」
「……そっか。まあ、そうか……そうだよな……」
ヴィラが椅子の背にぐったりと寄りかかった。
頭の中で何かを一生懸命整理しようとしている顔だった。
ヒマリがアーシュの袖を少しだけ引いた。
「……アーシュ」
「何だ」
「……にほんじん、っていうのは知ってたけど」
「ああ」
「うまれかわった、っていうのは、しらなかった」
「……言っていなかったからな」
「なんで、いわなかったの」
「聞かれなかったし、言っても、信じなかっただろう」
ヒマリが、少し、考えてから、
「……そっか」
と、言った。納得した「そっか」ではなかった。けれど、怒ったり驚きすぎたりしている顔でもなかった。
ただ静かに胸の中に収めた、そういう「そっか」だった。
ヒマリは、アーシュの袖をつまむ指に少しだけ力を込めた。




