第二十八話 五年分の答え合わせ
神殿の奥は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
ルミアが先頭を歩き、その後ろをアーシュとヒマリが、さらに後ろをヴィラが歩いていた。
すれ違う神官たちがルミアの姿に気づいて頭を下げる。
「神殿長、先ほどの書簡のご返答は――」
「明日にしろ。今は急用がある」
「は、承知いたしました」
ルミアが短く応じる声には、ほんの少しだけぴんと張ったものが混ざっていた。アーシュはその背中をなんとはなしに見ていた。
――神殿長、という呼ばれ方。
五年前はまだ神官だったルミアが今では神殿の中枢にいる。そう知らされても正直まだ馴染まない。
口調もそうだ。神官に対して使うキツい口調を聞くたび、アーシュはなんだか落ち着かない気分になった。
今、目の前を歩いているルミアは、あの時のルミアと同じ顔であって、同じ存在ではなかった。背筋の通し方が違う、声の置き方が違う。
神官たちに応じる、その一拍の間の取り方が違う。
(……五年か)
リュッカは結婚し、ルミアは昇進し、それぞれの五年をそれぞれの形で積み上げていた。
自分はその間、何をしていたのか。昼は魔物に睨みを効かせ守護者の真似事をしていたが、夜はただぼんやりと炎を眺めていただけだ。
ちらりと後ろを振り返ると、ヴィラがなんとも言えない顔で歩いていた。
こちらは相変わらずだった。
首筋の鱗はあの頃のまま。歩幅も、目つきも、五年前に最後に見た時と、ほとんど変わらない。
ルミアとアーシュが先に立って話し始めてしまったら、自分が置いていかれるとでも言いたげな、少しだけ尖った目でこちらを睨んでいた。
アーシュと目が合うと、ヴィラはふんと鼻を鳴らして視線を逸らした。
だが、歩幅はぴったりと合っていた。
変わらない奴も居る。
ごくわずかに、アーシュの口角が上がった。
*
通されたのは神殿の奥、庭に面した小さな応接室だった。
部屋の中には白木の長椅子が二つ、低い机を挟んで向かい合っている。机の上にはすでに茶器が用意されていて、若い神官が二人、音もなく働いていた。
湯気を上げた茶が四つのカップに注がれていく。銀の盆に並んだ茶菓子は白い花を模した小さな焼き菓子だった。
窓は大きく開け放たれていて、涼やかな風が室内に入り込んでいる。
その向こうに、手入れの行き届いた庭があった。石畳の小道に沿って白と紫の花が咲き乱れ、中央の噴水から細い水音が立ち昇っている。風がゆるやかに回り込み、花の香りを室内に運んできた。
ヒマリが窓辺に吸い寄せられるように歩いていった。
「……わあ」
小さな声が漏れた。
手を伸ばしそうになって引っ込める。けれど、視線だけはしばらく庭から離れなかった。
紫色の花の上を蝶がゆっくりと渡っていた。その後を少し遅れて別の蝶が追いかける。ヒマリはそれに誘われて窓枠から顔を半分だけ出した。
「あ、あっちには、鳥さんがいる」
噴水の縁に小さな鳥が留まって水を飲んでいた。ヒマリが息を詰めてそれを見た。
鳥がふと顔を上げて飛び立った。白い羽が陽の光を弾いて一度だけ煌めいた。
「……きれい」
ぽつりと言った。
振り向いてアーシュを見た。目が少しだけ輝いていた。
「アーシュ、お庭、みて。綺麗だよ」
「ああ、見ている」
「お花も、鳥も、ちょうちょも、みんないる」
「そうだな」
ヴィラが少し離れた場所でその様子を黙って見ていた。硬い顔がほんの一瞬だけ、ふっと緩んでいた。
本人は気づいていない。
神官たちが一礼をして部屋を出て、扉が静かに閉まった時だった。僅かばかり張り詰めていた部屋の空気がふわりと軽くなった。
「ヒマリちゃん、お菓子もあるのよ。食べながらお庭を見ていていいからね」
ルミアの気配が五年前の柔らかなものに戻った、そうアーシュは感じた。柔らかく、少しだけゆったりとしたあの頃のルミアだ。
*
ルミアが長椅子に腰を下ろした。
背筋はまだ真っ直ぐだった。けれど、肩の線からほんの少しだけ力が抜けていた。
「……さて」
カップを口元に運びかけて止めた。それから、ゆっくりとアーシュを見た。
「改めまして。ずいぶん、お久しぶりですわね。アーシュさん」
声が、少しだけ、震えていた。
神殿長のものではない、アーシュが知っているルミアの声だった。
アーシュはしばらくルミアを見ていた。何と返すべきか、言葉がすぐには出なかった。
自分を探し続けていた二人が、置いて逃げた二人が目の前に居る。胸の奥の少し奥まった場所がざわついていた。返事をしようと思ったが、絞り出すように、
「……ああ」
と言った。
「ああ、って。それだけなのかしら?」
「……いや、すまなかった。黙って、消えて」
ルミアが一度目を閉じた。
そして、長く息を吐いた。それから目を開けて静かに言った。
「いいえ。謝るのは私の方ですよ」
アーシュの目がわずかに細まった。
「何故、ルミアが謝る」
「だってあの時――」
「お前のせいじゃない」
言葉が重なった。
アーシュの声はいつもよりほんの少しだけ早かった。
それは考える前に口が動いたという声だった。
ルミアが口を閉じた。
カップを持った指がわずかに白くなった。
「……でも」
「お前のせいじゃない」
二度目だった。
今度は最初よりずっと静かな声だった。けれど、一度目より深かった。
ルミアが目を伏せた。カップの中の茶が揺れた。
「……アーシュさんを村から連れ出したのは私です」
「確かに、お前が誘わなければ俺は冒険者になろうとは思わなかっただろう」
「だから――」
「決めたのは、俺だ。冒険者になると決めたのは、俺自身だ。ダンジョンに潜ると決めたのも、剣を振るうと決めたのも、邪神を討つと決めたのも全て俺だ」
アーシュは机に両手を置いて、指を軽く組んだ。
「……邪神を撃退した後、俺は超越種になった。それから二年ほどお前たちと過ごしていたが、その間、じわじわと心がすり減って行ったんだ」
ルミアとヴィラがはっとアーシュを見た。
「だが、それはお前たちの責任ではない。四人で過ごした日々は、あの旅は楽しかった。ただ、人ではなくなり、変わってしまった感覚に戸惑い、ついていけなくなってしまった。すべてが嫌になって消えたのはそのためだ」
ルミアの口から言葉の代わりに出てきたのは、ごく小さな息だった。
「……そう、ですか」
「ああ」
「……ずっと、考えていました。私がもっと早く、気づいていればと」
「気づいていても、同じだっただろう。あの時の俺には、誰の言葉も、受け入れられなかったと思う」
「……そう、ですか」
もう一度、同じ言葉だった。けれど、今度は、少しだけ、違う色があった。
ヴィラは長椅子の端でカップをぐるりと回していた。
何か言いたそうな顔だった。けれど、言わなかった。
ルミアとアーシュの間の空気を壊すべきでないと、分かっているようだった。




