第二十七話 届いた名前
翌朝
宿を出ると朝の空気が凛と冷えていた。石畳の上を巡礼者の白い集団が静かに歩いている。その流れに沿うように二人も大通りを歩いた。
神殿の正門は街の中心部にあった。白い石の柱が左右に並んでいた。
ヒマリが入り口の前で立ち止まった。
「……おおきい」
「ああ」
「……入っても、いいの?」
「神殿は訪れる者を拒まない……誰でも入っていい」
「そうなんだ」
ヒマリが深呼吸を一つして、アーシュの隣につき、正門をくぐった。
*
受付にいた神官に図書館に入りたい旨を伝えると「紹介状をお持ちですか」と問われた。やはり、紹介状は必要らしい。
一瞬、フィネスの顔が頭を過ぎり、わずかに頬が緩んだ。
「ああ、用意してある」
アーシュは懐からリュッカの書いた紹介状を取り出し、手渡した。
受け取った神官が封を開けた。、最初は事務的な目だったが、中身を読み始めた所で、ほんの一瞬だけ目が止まった。それからまた読み進めた。
「入室に関しては現時点で許可が出せますが、禁書庫の閲覧許可については神殿長の許可も必要となります。数日、お時間をいただきますがよろしいでしょうか」
「構わない」
「宿のご滞在先をお教えいただけますか」
アーシュが宿の名を告げると、神官が帳面に書き留めた。
「結果が出次第、宿の方へ使いを出します」
手続きはそれだけだった。
帰り際、ヒマリがこそりとアーシュに言った。
「……あっさりしてたね」
「手続きは、そういうものだ」
「……断られるかとおもってた」
「あの紹介状でダメならみんなダメだ」
「すごいんだね、リュッカさん」
ヒマリが、少しほわっと笑みを浮かべていた。
「もう用事はおわりなの?」
「ああ」
「じゃあ、まちを見てまわれる?」
「そうしよう」
「やったあ」
朝の光の中、ヒマリが小さく跳ねるように歩き出した。アーシュはその後ろを少し遅れて歩いた。
*
その頃神殿の内部では。
一人の神官が、受け取った紹介状を手に廊下を早足で歩いていた。
本来ならば、先に司書長へ届けるところだが、差出人と来訪者の名を見て、この神官は届け先を変えた。
向かった先は神殿長の私室だった。
*
神殿長であるルミアは、窓際の小さな机で書き物をしていた。
神殿長の朝は早い。朝の祈りが終わればすぐに仕事が始まり、今日も各地の神官からの報告書への返答を淡々と書いていた。
扉が静かにノックされた。
「入れ」
神官が入ってきて紹介状を差し出した。
「紹介状が届きました。図書館への入場許可と、禁書庫への閲覧申請のようです」
「……それは先に司書長に見せるべき書類だろう。何故、私のもとに持ってきた」
咎めるように言うルミアに、神官が「書かれている名前をご覧ください」と言う。
訝しげな顔で紹介状を広げたルミアの表情が固まった。
差出人はリュッカ・シルヴァーン。
よく、知っている名だった。そのリュッカが紹介状を書いた相手がいる。これはただごとではない。
ルミアは一度だけ息を整えてから、視線を神官に戻した。
「なるほど、よく持ってきてくれた……」
「は。失礼します」
神官の背中を見送ると、ルミアは逸る気持ちを抑えながら紙を広げた。
冒頭を読んだ。
そこに来訪者の名があった。
アーシュ・タチバナ。
ルミアの息が止まった。もう一度、読んだ。
紙を持つ手がわずかに震えていた。
側仕えの神官が心配そうな顔で見ていた。ルミアは窓を開け、新鮮な空気を取り込んだ。窓の外には白い尖塔と朝の青空が広がっていた。
やがてルミアが口を開いた。
「……ヴィラがそろそろ来るはずだったな」
「は。今朝方ご到着になりました」
「呼んでくれ」
「しかし、ヴィラ様は来られたばかりで――」
「呼んでくれ」
神官が深く頭を下げた。
「……承知しました」
*
ヴィラが来るまでの間、ルミアは窓の外をずっと見ていた。
アーシュがいる。
この街に、今、いる。
あの夜、何も言わずに消えてから五年もの間、ルミアはアーシュを探し続けた。手がかりを集め、各地の神官に問い合わせ、それでも何も分からなかった。
仲間の中で、唯一自由に動けるヴィラは誰よりも長く、そして広い範囲を探し続けた。今日この街に来ていたのは定期報告のためだ。
ルミアとヴィラ、そしてリュッカはずっとアーシュを探し続けていたのだ。
バンと音を立て、扉が勢いよく開いた。
「ルミア! 何があった!」
ヴィラが入ってきた。暗く濃い青の短い髪に金色の目。首筋と手の甲に鱗の名残が薄く光っている。
ドラゴニュートと呼ばれる、竜の血を受け継ぐ種族の女性だ。
「来ましたか、ヴィラ」
「急に呼ぶからなにかと思ったが、なんでもなさそうじゃねえか……あのなあ、俺は今日、久しぶりに街についてなあ――」
ルミアが、紹介状をヴィラの前に差し出した。
ヴィラが受け取り目を落とした。
リュッカの名を見て目を見開いて、そしてアーシュの名前に気づいた瞬間、尻尾をバンと床に打ち付けた。
「わりい……それで、これはなんだ?」
「今朝、受け取った紹介状ですわ」
「……今、どこに居る」
「私からの許可が出るまで、宿に滞在するようですわね」
ヴィラが紙を返した。その手がわずかに震えていた。
「行く」
「待ちなさい」
「行くってば!」
「待ちなさいと言っているでしょう、ヴィラ!」
ルミアがヴィラの前に立った。ヴィラがルミアを見下ろした。目に様々なものが混ざっていた。怒り、安堵、戸惑い、そしてまだ名前のない何か。
「……なんで止めるんだよ」
「その剣幕で行ったら、驚いて逃げるかも知れませんわ」
「はっ! 逃さねえよ」
「自分がどれだけ強い気配を出しているか気づいてませんの? 昔、よくそうやってアーシュに逃げられていたの、忘れまして?」
ヴィラが、歯を食いしばった。
「……そんなこともあったな」
「だから私が先に行きます。貴方は、ここで待っていて」
「嫌だ!」
「ヴィラ!」
「嫌だ、と言った!」
低い声だった。
ルミアとヴィラはしばらくの間睨み合っていたが、側仕えのため息を聞いて、はっと我に返った。
「……分かりましたわ。一緒に行きましょう。ただし、絶対に暴れないこと。いいですわね?」
「分かってるよ」
「でしたら気配を抑えなさいな」
「分かったってば。暴れないよ」
ヴィラの気配が穏やかになったのを感じ、ルミアは小さく息を吐いた。
*
昼の鐘が鳴り、少しした後。
二人はアーシュが滞在している宿に向かい、主人に事情を話して部屋まで案内するよう頼んだ。
神殿長が自ら現れたことに、女将は非常に驚き恐縮していたが、快くアーシュが借りている部屋を教えてくれた。
部屋の向こうにアーシュが居る、ルミアは緊張しながらノックした。
ヴィラは扉の脇に立っていた。まだ何かを堪えている顔だったが、ルミアが視線を向けると小さく頷いた。
中から足音がした。
扉が開いた。
アーシュが立っていた。
ルミアはその顔を五年ぶりに見た。
変わらない顔――いや、変わっているのかもしれないが、今はわからない。ただ、生きていてくれた。それだけが、今は、全てだった。
「……久しぶりですわね、アーシュさん」
声が、少しだけ、震えた。
アーシュがルミアを見て、それから、後ろに立っていたヴィラを見た。
長い沈黙があった。
「……なぜ二人がここに」
「紹介状にあなたのお名前がありましたので」
「そうか」
「無事で……よかった、ですわ……」
アーシュが何か言おうとした時だった。扉の奥から小さな足音が近づいてきた。
「アーシュ、だれか、きたの?」
ヒマリがアーシュの隣に顔を出した。
ルミアと目が合った。
ルミアは一瞬言葉を失った。
ヒマリを見た瞬間、ルミアはその魂に深く、静かな傷がついているのを感じ取った。けれど、それは壊れたままではなかった。まだ傷は残っている。だが、確かに回復へ向かっている気配があった。
(これは……アーシュさんが?)
ルミアはヒマリを見て、それからアーシュを見た。アーシュは何も言わなかった。ただ、ヒマリの前に静かに立っていた。
ヴィラがルミアの後ろからヒマリを見た。
「……なんで、こんなちっちぇー子がいんだよ」
思わず、という感じでぽろりと出た。
「おい、アーシュ。ちゃんと食わせてんのか」
「食わせている」
「ずいぶんと細っちいじゃんかよ……」
「出会った時はもっと酷かった」
「っ――」
ヴィラが言葉を詰まらせた。
ヒマリがルミアとヴィラを交互に見ていた。少し緊張した顔だったが怖がってはいなかった。
「ふたりは……アーシュの、おともだち?」
ヒマリが小さな声で聞いた。
ルミアは少しだけ息を整えてから、膝を折った。ヒマリと目の高さを合わせた。
「はじめまして。わたしはルミアといいます」
声のトーンが神殿長のそれではなくなっていた。
「ヒマリちゃんと言いますのね?」
「……うん」
「私たちはアーシュさんの……お友達です。よろしくね」
ヒマリがルミアの顔をじっと見た。
それからこくりと頷いた。
「……アーシュの、弟子です。よろしく、おねがいします」
ルミアはその言葉を胸の奥で静かに受け取った。
この子は頼る相手を見つけられたんだ。
そう、思った。
*
しばらく、その場には言葉のない時間があった。
立ち話で済む内容ではない。だが、宿で話すわけにもいかない。そう判断したルミアが、静かに言った。
「神殿で、お茶を飲みながらにしましょうか」
アーシュは少しだけ間を置いてから、頷いた。四人はそのまま神殿へ向かうことになった。
石畳を四人で歩く。
気づけば、ヴィラがヒマリの隣を歩いていた。守るように、それとなく近くにいる。自分では気づいていないようだった。
ルミアがそれを見て小さく目を細めた。
アーシュは一歩先を無言で歩いていた。
ルミアはその背中を見ながら歩いた。
五年分の言葉が喉の奥にあった。けれど、今はただ隣を歩けているだけで十分だった。




