第二十三話 芽吹き
リュッカの家を経ってから十日が経った。
見覚えのある、街道沿いの景色が現れた。
国境の町だ。
行きに通った時と、同じ門、同じ石壁、同じ人混み。
そして、同じく門兵が二人立っている。
ヒマリの足が一瞬止まった。アーシュはその横顔をちらりと見た。ヒマリは俯いていなかった。けれど、唇が少しだけきゅっと結ばれていた。
「ヒマリ」
「……うん」
「今日は、はぐれるな」
「……わかった」
短いやり取りだった。けれど、ヒマリはアーシュの隣にきちんと立っていた。
二人は、門に向かって、歩き出した。
*
門の前は、相変わらず混雑していた。
兵士がこちらに気づいた。
兵士の一人が、アーシュの顔を見てさっと表情を変えた。
もう一人も、一瞬遅れて気づき顔が強張った。二人とも前回ヒマリを詰問した門兵だった。
ヒマリも気づいたらしい。小さく息を呑んだ。
アーシュは二人に向かって静かに歩いていった。
ヒマリはアーシュの隣にぴたりとついていく。前回のように人混みに消えたりはしなかった。
門兵の一人が、さっと道を開けた。
「……ど、どうぞ、お通りを」
震えるような声だった。
もう一人が、深々と頭を下げた。
門を通り抜けるその瞬間、ヒマリは門兵の顔をちらりと見た。
それから、小さく会釈をした。
「……こんにちは」
か細い、けれど確かな声だった。門兵がはっと、顔を上げた。
兵士の目に、おどおどとした怪しい少女の姿はもう映っていなかった。
そこに見えたのは、怖がりながらも顔を上げ、堂々と歩こうとする可愛らしい少女の姿だった。
*
門を通り抜けて、しばらく歩いてからヒマリがぽつりと言った。
「……ちょっと、こわかった」
「そうだろうな」
「でも、言えた」
「ああ」
「……前よりは、へいき、だった」
アーシュは、少し、黙ってから、答えた。
「ああ、上出来だ」
ヒマリがアーシュの顔を見上げた。
「……うん」
それからほんの少しだけ唇を綻ばせていた。
*
町の中は、前回と同じだった。
いや、同じはずなのに景色の見え方が違った。
最初にこの町に来た時、ヒマリは人混みに飲まれて門兵に捕まって、”ごめんなさい"を繰り返した。
しかし、今日のヒマリはそうならなかった。何が違ったのか。町が変わったわけではない。門兵が変わったわけでもない。
変わったのは、ヒマリだけだった。
(……またひとつ強くなったな)
アーシュは、内心で静かにそう思った。
旅の補給をしながら、前に来た時にヒマリと種を埋めた場所を探した。
小さな路地を通り抜けた奥、日当たりが良い空き地だった。
記憶を頼りに向かってみると……あった。
種を埋めた場所に、しるし代わりにマナを込めた小さな石を置いていた。その石がまだそこにあった。
「ヒマリ。ここだ」
ヒマリが駆け寄ってきた。しゃがんで地面を覗き込む。
芽が出ていた。けれど、まだ小さく頼りない。
「……芽、出てた。けど、実はまだまだ、だね」
「木が育つには、時間がかかる」
「……そっか、でも芽が出ててよかった」
「ああ、もう少しかかると思っていたが」
ヒマリが少し考えてから、続けた。
「また、見にこようね」
「ああ」
「次こそ、実が、なっているかも」
「そうだといいな」
ヒマリが土の上にそっと手を置いた。何か、祈るような仕草だった。
「ねえ、アーシュ。魔法で、お水上げて、いい?」
「ああ、いいだろう。最近は水量が安定してきたからな」
「やった」
前にここで種を埋めた時、水をかけたのはアーシュだった。その水を、ヒマリはきらきらした目で見つめていた。
今は、その小さな手が芽に向けられている。
ヒマリは、少しだけ集中した顔をした後、ジョウロの水のような、細く優しい水を降らせた。水滴が葉に触れるたび、小さな芽がほんの少し背筋を伸ばしたように見えた。
「はやく、大きくなってね」
日光を受け、キラキラと輝く水滴を満足そうに見つめている。
アーシュはそれを静かに眺めていた。
小さな芽は風に揺れている。頼りなく、けれど確かにそこに根を下ろしていた。
*
ルミナリアに向かうには遅くなってしまったため、宿をとった。
とったのは前回と同じ宿だ。宿の女将がアーシュを見て、一瞬驚いた顔をし、それから、ヒマリを見て表情を和らげた。
「お客さん。また来てくれたんだね」
「ああ」
「よかった。心配してたんだよ。この子、あんたにべったりくっついてさ、ガタガタ震えていただろう? 次の日もずっと顔色が悪くってさ……」
ヒマリが、ぺこり、と頭を下げた。
「……あの時は、ありがとうございました」
女将が目を丸くした。
前回、ヒマリは声を出せなかった。それが、今は自分から礼を言えている。
「いえいえ。元気になって何よりだよ」
女将が目を細めた。それから厨房の方へ向かいながら、
「今夜は、温かいスープを多めに作るからね」
と、言った。
ヒマリが小さく微笑み、
「やったあ」
と、言った。
*
夕食の後、部屋に戻ったヒマリは、窓辺に座って外を眺めていた。アーシュが何をしているのかと声をかけると、
「……星だよ」
と、小さく、答えた。
「星がね、たくさん、みえるの」
アーシュも、窓辺に近づいた。
空気が澄み渡っているのか、星がよく見えた。
森の中で見る星とは少し違う。町の灯りが少しだけ混ざって、けれどそれでも星はたくさん見えた。
「……トバスさん、言ってたね」
「何をだ」
「グラド・ヴァルカンの砂漠だと、星がもっとたくさん見えるって」
「ああ、言っていたな」
「……いつか、行けるかな」
アーシュは、少し、考えてから答えた。
「……行けるだろう」
「アーシュと、いっしょに?」
アーシュの口がほんの一瞬止まった。
ヒマリが振り返ってアーシュの顔を見上げた。大きいまっすぐな目だった。その目に答えないわけにはいかなかった。
「ああ。一緒にだ」
ヒマリがふわりと笑った。とてもやわらかな笑顔だった。
アーシュは何も言わなかった。ただ、少しだけ胸の奥で何かがことり、と音を立てた気がした。
*
翌朝二人は宿を出た。
女将が朝食を包んで持たせてくれた。
「ルミナリアまで行くんだって? かなり遠いから気をつけるんだよ」
「ああ」
「ヒマリちゃんも、また寄ってきな」
「……うん、またくるね」
ヒマリがちゃんと答えた。
二人は街道を南へ向かって歩き始めた。
新緑の草原がゆるやかに広がり始めていた。




