第二十一話 五年という月日
エルディアの森は相変わらず賑やかで、けれどどこまでも深かった。
国境の町を抜けてしばらく進むと、街道の両脇の木々が少しずつ高くなっていく。
やがて頭上の枝葉が空を覆い、二人は淡く柔らかな木漏れ日の差す、深い森の中を歩いていた。
魔の森は静謐な空気感だったが、こちらは生命の声に溢れていて、長命の種族が手を入れ続けた命の揺りかごといった趣を感じた。
「……きれい」
ヒマリが木々を見上げながら言った。
「エルフの手が入っているからな。長い年月をかけて整えているんだ」
「木がいっぱい。ずっと、こんなかんじ、なの?」
「里に近づけば、さらに増えるし、ユグドラールには山より大きい木がある」
「ほんとう?」
「ああ、本当だ」
ヒマリがそれを聞いて少し目を輝かせた。
*
国境の街を出てから十日が経ち、里まであと半日ほどの距離まできた。
気配を感じたのは、街道が緩く曲がったあたりだった。
それは木の上にいた。
アーシュが足を止めると、ヒマリも止まり、あたりをキョロキョロと見渡している。
気配は一つ。敵意はない。ただ、じっとこちらを見ているだけだ。
アーシュはマナを薄く広げ、気配をより詳細に探ろうとした。
――その瞬間。
木の上から声が降ってきた。
「……そのマナの質、まさかとは思ったが」
枝の間から一人の男が飛び降りた。
弓を背負い、獲物らしき鳥を腰にぶら下げている。夕食の狩りの途中だったのだろう。
金色の髪、翠玉色をした切れ長の目。
ハイエルフのリュッカ・シルヴァーンがアーシュの前に立っていた。
「生きていたんだな、アーシュ」
「ああ」
「それだけか」
「それだけだ」
リュッカが大きくため息をついた。
「あれから五年だぞ? もっとこう……なんかないのか? 俺達はずっと心配して……」
「迷惑を、かけた」
「迷惑じゃない! 迷惑だと思ってないよ! そういうことじゃなくて――」
リュッカが言いかけて止まった。
アーシュの隣に、小さな影がいることに気づいたからだ。
ヒマリはリュッカをじっと見ていた。アーシュとリュッカのやりとりを静かに聞いていた。
「ア、アーシュ……その、子は?」
「ヒマリだ。事情があって一緒に旅をしている」
「事情?」
「長くなる」
リュッカがヒマリを見た。ヒマリもリュッカを見た。
「……アーシュの、ともだち?」
「ああ、そうだ。リュッカという」
「……リュッカ、さん」
「ヒマリちゃんというのか。よろしくな」
――リュッカの表情が複雑に動いた。
アーシュにはそれが分かった。
リュッカが動揺している。なぜアーシュが子どもを連れているのか、この子が何者なのか、様々なことが頭を巡っているのだろう。
だが、リュッカはそれ以上聞かなかった。
「ついて来い。今夜は家に泊まれ。五年分じっくりと話を聞かせてもらうぞ」
「エルフの感覚で"じっくりと"言われるのは、怖いのだが……」
「行方をくらませるのが悪い。覚悟しておけ」
*
リュッカの家は里の入口、森にほど近い場所に建っていた。
木と石を組み合わせた、エルフらしい造りの家だった。周囲の木々と調和するように設計されており、近づいて初めて家だと分かる。
扉の前まで来たところでガチャリと開き、賑やかな声が聞こえてきた。
「リュッカ遅かったわね。今日の獲物はどこかしら……あら、お客様?」
扉から現れたのはハイエルフの女性だった。リュッカと同じく若く見えるが、目には落ち着いた光がある。亜麻色の髪を後ろでまとめ、エプロンをつけていた。夕食の準備をしていたらしい。
「紹介するよ。妻のフィロルだ」
アーシュは少し止まった。
――妻。
その単語を頭の中で繰り返した。
(リュッカが、里長の娘から結婚を強いられていたのは聞いていたが……)
「……そうか。結局結婚する事にしたのか」
「いろいろあったんだよ」
「おめでとう」
「その言葉はもっと早く聞きたかったよ。けど、ありがとな」
フィロルがアーシュを見て、それから、ヒマリを見た。
「まあ、可愛い子ね。名前は?」
「……ヒマリ」
「ヒマリちゃんね。おなか、すいてない?」
ヒマリが少し驚いた顔をした。それから、
「……うん、空いてる」
と、恥ずかしそうに言った。
フィロルは溢れんばかりに笑みを浮かべ、
「そう、じゃあ今夜はごちそうをたっくさん用意するわね!」
と言い、フィロルは手を差し出した。
ヒマリは一度アーシュを見て、それから、おずおずとその手を取った。
フィロルは急かさず、ヒマリの歩幅に合わせて家の中へ入っていった。
その様子をじっと見つめるアーシュの耳元に、リュッカが口を寄せて小さく言った。
「クク……俺が結婚していて、驚いたか?」
「少し。まさかお前が落ち着いているとはな」
「だからと言って、俺もお前のことを、諦めていたわけじゃないぞ」
アーシュは、少し間を置いてから言った。
「……フィロルに、怒られるぞ」
「ば、ばっか! そういう意味じゃない! お前を探すことを諦めていなかった、そう言いたかったんだ!」
「それなら、そう言え……」
「まったく……五年ぶりだが、相変わらずで安心したよ」
リュッカがため息をつきながら家に入った。
アーシュは、どこか嬉しそうな、その背中を見ていた。
*
夕食は賑やかだった。
フィロルがまたよく喋るからだ。
トバスとは別の意味でよく喋る。トバスは空気を読み読み喋るが、フィロルは遠慮なくどんどん喋っていく。
エルフよりも気難しいハイエルフが、人族の子どもにこれほど気さくに接するのは珍しい。
アーシュはそう思ったが、リュッカの顔を見て(似た者夫婦というやつか)と、納得した。
あまりにも口が回るものだから、ヒマリが目を白黒とさせている。
「アーシュさんってリュッカがずっと探してた人でしょ。どこ行ってたの」
「東にある魔の森に引きこもっていた」
「どうしてリュッカ達の元から消えたの?」
「何もかもが虚しくなったからだ」
「だから黙っていなくなって、そのまま今日まで音沙汰なしだったの?」
「そうだ」
「リュッカも、他のお仲間さん達も凄く心配してたんだよ?」
「……そうか」
「反省してる?」
「している」
「本当かなあ」
「本当だ」
「リュッカー、これ、信じていいの?」
「アーシュは昔から感情が薄いからなあ。まあ、本当に反省してるっぽいよ」
「ぽい、かあー……本当かなあ……」
「……反省しているとも」
訝しげにアーシュを見るフィロルを見てリュッカが声を上げて笑った。ヒマリもその様子を見ながら、こっそりクスクス笑っていた。
アーシュは憮然とした顔で花酒を口に運んでいた。
*
食事が終わってから、アーシュはリュッカに本題を切り出した。
「神聖王国の神殿図書館に行く必要がある。入館のために紹介状が欲しい。エルフからの物があればまず通ると前に言っていただろう」
「確かに、話したことはあるが……俺はハイエルフだからな、そう簡単に出せないんだよなあ……」
「ヒマリを元の世界へ帰すための手がかりが、そこにあるんだ」
リュッカが少し黙った。それからヒマリを見た。
「元の世界、というのは?」
「長くなる」
「森で言ってたのはそういうことかよ。話してみろ」
アーシュはかいつまんで話した。
次元断裂のこと。ヒマリのスキルのこと。フィネスから得た情報のこと。
リュッカは黙って聞いていた。時々ヒマリを見た。ヒマリは膝に手を置いて静かに、座っていた。
「……賢者スキル、か」
「ああ」
「ヒマリちゃん、マナの流れを見せてもらえるか。そうだな、何か魔法を使ってもらえば早い……ってまだ無理か?」
ヒマリがアーシュを見た。アーシュが頷くと――ヒマリが手のひらに光を灯した。
小さく安定した優しい光だ。リュッカが目を細めた。
「……人の子は、ここまで魔法を使いこなせるものだったか?」
「いいや……」
「凄いな、質も量も規格外だし、綺麗に安定させている。教えたのはお前か?」
「ああ」
「お前の教え方が良かったのか、この子の資質か」
「両方だろうな」
「フッ……ならば、お前に教えた俺の功績でもあるな」
「……かもな」
「冗談だ。そんな嫌そうな顔しなくてもいいだろうに」
「え、今、嫌そうな顔してたの? ヒマリちゃんわかった?」
「……ちょっと、困った顔、してたよ」
「凄いわねあなた達……」
リュッカは腹を抱えて笑った。
それが落ち着くとゆっくりと立ち上がった。
「事情はわかった。紹介状を書こう。明日の朝には用意する」
「助かる」
「ただし」
リュッカがアーシュを見た。
先ほどまでの飄々とした色が少し消えていた。
「一つだけ、聞かせてくれ」
部屋に静かな空気が流れた。
「お前はこの子を本当に帰そうと思っているのか?」
アーシュは少し黙った。ヒマリが眠そうな顔でぼんやりとアーシュを見ていた。
暖炉のの薪がぱちりと小さく爆ぜた。
「……帰すことが正しい」
それから続けた。
「それは、変わらない、だろう……と、思う」
リュッカが何かを言いかけてやめた。
代わりにフィロルが言った。
「ヒマリちゃんが、うとうとしてるわ。今日はもう寝ましょう?」
それで会話は終わった。
フィロルがヒマリの手を引いて、客間へと連れていく。
小さな足音が遠ざかり、扉が静かに閉まった。
暖炉の火が、ぱちりと弾ける。
リュッカは小さく息を吐くと、アーシュの肩を軽く小突いた。
「……相変わらずだな、お前は。けど、少しはマシになってると思うぞ」
呆れたような声だったが、顔は笑っていた。
アーシュはカップの底をじっと見つめたまま、リュッカの言葉をしばらく反芻していた。
※挿絵はちゃっぴに書いてもらいました




