厳しいマナー教育
食堂での出来事から数日後。
私は、お父様から呼び出された。
「エリシア。今日からお前にマナー講師をつけることにした」
「……マナー講師?」
突然のことに、私は目を丸くした。
「この前の食事での態度を見ただろう。淑女として、もっときちんとした教育を受ける必要がある」
「でも……私、マナー講師なんて聞いていません」
「今、伝えただろう」
お父様はそれだけ言うと、部屋を出ていった。
そして、その日の午後――。
私の前に一人の女性が現れた。
「エリシア様、初めまして」
女性は姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。
「コルネリア・グラウクスと申します。今日からエリシア様のマナー教育を担当いたします」
「……よろしくお願いします」
私も慌てて頭を下げた。
すると、コルネリア先生は淡々と続けた。
「先ほど、エリシア様のお父様から、エリシア様にはまだ十分なマナーが身についていないため、厳しく教育してほしいと依頼を受けました」
「えっ……」
私は驚いた。
「でも、私……マナー講師が来るなんて聞いていません」
「聞いていないとおっしゃられても、私はお父様から正式に依頼を受けています」
「……」
「それに、今のように年長者に対して意見をすることも、立派なマナー違反ですよ」
コルネリア先生の目が、すっと細くなる。
「私が申し上げたことには、すべて『はい』と答えなさい」
「……はい」
「よろしい」
先生は満足そうに頷いた。
「では、さっそくマナーのお勉強を始めましょう」
**********
「まずは基本の姿勢からです」
コルネリア先生は、私の前でゆっくりと動いて見せた。
「背筋を伸ばし、顎を引いて……この姿勢を保ってください」
「はい」
私は先生の真似をする。
けれど、長い時間その姿勢を保つことは難しかった。
「次はカーテシーです」
先生が優雅に膝を曲げ、スカートの裾を軽くつまむ。
「このようにします」
「はい……」
私も真似をしてみた。
けれど――。
「わっ……」
体がぐらりと揺れた。
「……申し訳ありません」
「そうではありません!」
先生の厳しい声が響いた。
私はびくっと肩を震わせる。
「手の位置はここです。足はその位置ではありません」
「……はい」
もう一度やってみる。
けれど、今度もうまくいかない。
すると先生が私の手を取った。
「ここです」
「……はい」
「何度言えば分かるのですか?」
先生の声は次第に厳しくなっていった。
「お父様からは、厳しく指導するようにと言われています。できないことをそのままにしてはいけません」
「……はい」
何度も繰り返す。
立って。
座って。
お辞儀をして。
また立ち上がる。
少し休みたいと思っても、先生は休ませてくれない。
「もう一度です」
「……はい」
足が痛い。
腕も重い。
それでも、失敗すればまた最初からやり直しだった。
**********
数時間後。
「はい。本日はここまでです」
その言葉を聞いた瞬間、私はほっと息を吐いた。
「次回までに、今日教えたことをしっかり覚えておいてください」
「……はい」
コルネリア先生が部屋を出ていく。
私はその場から動くことができなかった。
身体が重い。
頭もぼんやりする。
それでも――。
「私が……ちゃんとできないから……」
私は自分に言い聞かせた。
お父様は、私が困らないようにマナーを教えてくれている。
先生も、お父様に頼まれて厳しくしているだけ。
だから――。
私が悪いのだ。
**********
しばらくすると、ミリアが部屋へ入ってきた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「……ミリア」
ミリアは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「先ほどから、何か大きな声が聞こえていましたが……何かあったのですか?」
「……大丈夫よ」
私は笑おうとした。
「お父様が、私がマナーができていないからって、厳しい講師の方を見つけてくれたみたいなの」
「そうだったのですか……」
「私、今まできちんと習ったことがなかったから……上手くできなくて」
私は俯いた。
「それで先生が大きな声で怒ったの。だから……私が悪いの」
「お嬢様……」
ミリアは不安そうな顔をした。
「まさか……叩かれたりはしていないですよね?」
「ええ。それはないわ」
私は小さく首を横に振った。
「そうですか……」
ミリアはほっとしたように息を吐いた。
「何かあったら、すぐに私に知らせてくださいね」
「……ありがとう、ミリア」
ミリアが部屋を出ていく。
私は一人になると、ベッドに腰を下ろした。
「……疲れた」
小さく呟く。
窓の外は、もう夕暮れになっていた。
以前なら、この時間にはお母様と一緒に庭を眺めていた。
「お母様……」
胸の奥が、また苦しくなる。
私は目を閉じた。
そして――。
今日もお母様に会いたいという気持ちだけが、心の中に残っていた。




