心を閉ざす少女
義母と義兄との生活が始まって、しばらく経った。
けれど――。
二人は、決して意地悪な人たちではなかった。
「エリシアさん。無理に私のことを『お母様』と呼ばなくてもいいのよ」
ソフィアは、いつも優しくそう言ってくれた。
「いつか自然にそう呼べる日が来れば、それでいいの」
「……はい」
私は小さく頷いた。
カイルも同じだった。
「僕のことも、無理に『お兄様』なんて呼ばなくていいから」
「……。。。」
二人とも、私に嫌なことを言ったり、意地悪をしたりすることはなかった。
むしろ、私が困っていると声をかけてくれる。
それなのに――。
どうしても、心を開くことができなかった。
二人が悪いわけではない。
頭では、それが分かっている。
それでも……。
心を開いてしまったら、亡くなったお母様を裏切るような気がした。
お母様が亡くなって、まだ半年しか経っていない。
私の心の中には、今もお母様がいっぱい詰まっている。
一緒に過ごした時間も。
優しく笑ってくれた顔も。
抱きしめてくれた温もりも。
何もかも、まだ昨日のことのように覚えている。
そんな私が、簡単に新しい『お母様』を受け入れることなんてできなかった。
それに――。
私は、お父様のことも理解できなかった。
あんなにお母様のことを大切にしていたお父様が。
あんなに悲しそうにしていたお父様が。
どうして、もう新しい女性を迎えることができるのだろう。
私には、それがどうしても信じられなかった。
「……お母様」
誰もいない部屋で、私は小さく呟いた。
返事はない。
それが、胸を締めつけた。
**********
その日、私は久しぶりに部屋の外へ出た。
お母様がいた頃は、よく一緒に庭園を散歩した。
季節の花を眺めながら歩いたり、庭にあるガゼボでお茶を飲んだり。
「エリシア、見てごらんなさい。綺麗な花が咲いているわ」
そう言って、お母様はいつも嬉しそうに笑っていた。
今日も庭園には、あの日と変わらないくらい綺麗な花が咲いていた。
色とりどりの花を眺めながら歩いていると、懐かしい気持ちが込み上げてくる。
「……お母様と、よくここを歩いたな」
自然と足は、いつもお母様とお茶を飲んでいたガゼボへ向かっていた。
もう一度、あの場所でお母様との思い出を感じたかった。
そう思ったのだ。
けれど――。
近づいたところで、楽しそうな話し声が聞こえてきた。
「お父様?」
足を止める。
ガゼボの中にいたのは、お父様とソフィア、そしてカイルだった。
三人で楽しそうに話をしている。
「そうなの? それは面白いわね」
ソフィアが笑う。
「父上、それなら今度――」
カイルも楽しそうに話している。
お父様も、そんな二人を見ながら笑っていた。
「……」
私は、立ち尽くした。
胸の奥が、ズキリと痛んだ。
そこは――。
お母様と私が、何度も一緒にお茶を飲んだ場所だった。
私にとって、とても大切な場所。
それなのに。
今は、お母様のいない場所で、三人が楽しそうに笑っている。
まるで――。
お母様が最初からいなかったみたいに。
「……嫌」
小さな声が漏れた。
どうしてだろう。
ただ三人が話しているだけなのに。
どうして、こんなに苦しいのだろう。
大切にしていた思い出の場所まで、取られてしまったような気がした。
「……お母様の場所なのに」
気がつけば、私はガゼボに背を向けて走り出していた。
「はぁ……はぁ……」
どこへ行くのかなんて、考えていなかった。
ただ、あの場所から離れたかった。
三人の楽しそうな声から逃げたかった。
お母様との思い出が壊れてしまう前に――。
**********
どれくらい走ったのだろう。
気がつけば、私は屋敷からかなり離れた場所まで来ていた。
そこには、あまり人が近づかない小さな池がある。
「……ここは」
私は、立ち止まった。
幼い頃、お母様とここまで来たことがある。
そのとき、お母様は少し怖い顔をして言った。
『エリシア。この池には近づいてはいけませんよ』
『どうして?』
『足を滑らせたら危ないでしょう? ここには一人で来ないでね』
『……はい』
そんな会話をしたことを思い出した。
「……お母様」
胸が苦しくなる。
私は池のそばまで、ゆっくり歩いていった。
水面は静かだった。
風が吹くたびに、水面が小さく揺れている。
私は何も考えず、その水をじっと見つめた。
すると――。
ふと、頭の中にある考えが浮かんだ。
「ここに入ったら……お母様のところに行けるのかな」
口に出した瞬間、自分でも驚いた。
けれど、その考えはすぐには消えてくれなかった。
お母様に会いたい。
もう一度、お母様に抱きしめてもらいたい。
ただ、それだけだった。
私は水面を見つめたまま、動けなくなっていた。
そのとき――。
「お嬢様!」
遠くから、慌てた声が聞こえた。
振り返ると、侍女のミリアがこちらへ走ってくる。
「お嬢様! こんなところにいらっしゃったんですね!」
息を切らしながら、ミリアが駆け寄ってきた。
そして池を見ると、すぐに顔を青ざめさせる。
「ここは近寄ってはいけないと、奥様に言われていましたよね?」
「……うん」
「さあ、お嬢様。もうお部屋に戻りましょう」
ミリアは優しく私の手を取った。
けれど私は、池から目を離すことができなかった。
「……お母様」
小さく呟いた声は、誰にも届かないまま、風に消えていった。




