「新しい家族」
馬車は、ゆっくりと王都を離れていった。
エリシアは窓から外を眺めながら、胸元に手を当てた。
そこには、母エレノアの形見の髪飾りがあった。
これから、自分はどこへ行くのだろう。
不安がないわけではない。
けれど、今までとは違う。
隣にはミリアがいる。
そして同じ馬車には、グスタフ、マルガレーテ、レオンハルトがいる。
もう、自分の気持ちを押し殺さなくてもいい。
そう思うだけで、胸の奥が少し軽くなった。
「お嬢様」
向かいに座っていたミリアが、優しく声をかける。
「少しお疲れではありませんか?」
「大丈夫よ」
エリシアは微笑んだ。
「ねえ、おじい様。辺境伯領って、どんなところなの?」
エリシアが尋ねると、グスタフが嬉しそうに笑った。
「そうだな。王都とはずいぶん違うぞ。自然が多くて、空気もきれいだ」
「そうなの?」
「ああ。エリシアが気に入ってくれるといいのだがな」
「私、楽しみです」
エリシアが答えると、マルガレーテも微笑んだ。
「庭も広いのよ。お花もたくさん咲いているわ」
「本当?」
「ああ。それに、エリシア」
レオンハルトが口を開いた。
「領地には森もある。安全な場所なら、私が案内してやろう」」
「はい楽しみです」
それから数日。
馬車はヴァレンシュタイン辺境伯領へ入った。
窓の外には、広い草原が広がっている。
遠くには山々が連なり、その麓には緑豊かな森が見えた。
「わぁ……」
エリシアは思わず声を漏らした。
「きれい……」
「気に入ったか?」
グスタフが尋ねる。
「はい!」
エリシアは笑った。
やがて、馬車は大きな屋敷の前で止まった。
「着いたぞ」
レオンハルトが告げる。
扉が開く。
エリシアが馬車から降りると、屋敷の使用人たちが整然と並んでいた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
使用人たちが一斉に頭を下げる。
その光景に、エリシアは少し緊張した。
「こちらが……エリシア様でございますね」
侍女の一人が、優しい笑顔を向ける。
「はい」
エリシアが小さく答える。
すると、レオンハルトがエリシアの肩へそっと手を置いた。
「今日から、この子もこの屋敷の大切な家族だ」
「かしこまりました」
使用人たちは、もう一度深く頭を下げた。
エリシアは驚いた。
家族。
その言葉が胸に響いた。
「エリシア」
マルガレーテが手を差し出す。
「中へ入りましょう。あなたの部屋も用意しなくてはね」
「私の……部屋?」
「ええ。好きなものを置けるようにしましょ」
「ありがとうございます、おばあ様」
エリシアはマルガレーテの手を握った。
屋敷の中へ入ると、そこには落ち着いた温かな雰囲気が広がっていた。
そして――。
「エリシア!」
明るい声が聞こえた。
振り返ると、二人の少年がこちらへ歩いてくる。
「アレクシスお兄様!」
エリシアは思わず笑顔になった。
「待っていたよ」
アレクシスが優しく微笑む。
「長旅で疲れただろう?」
「少しだけ。でも大丈夫です」
その隣から、ルシアンも顔を出す。
「僕も待ってたんだよ!」
「ルシアンお兄様!」
「これからは同じ家で暮らせるんだね」
「はい!」
エリシアは嬉しそうに頷いた。
兄。
自分には、今まで兄弟がいなかった。
ずっと一人だった。
だから――。
「お兄様が二人もいるって、なんだか不思議です」
エリシアが言うと、ルシアンが笑った。
「すぐ慣れるよ」
「そうだね」
アレクシスも頷く。
「何か困ったことがあれば、僕たちに言って」
「はい!」
そんな三人の様子を、グスタフたちは微笑ましく見つめていた。
その日の夕方。
エリシアはレオンハルトに呼ばれ、応接室へ向かった。
「エリシア。少し話がある」
「はい」
レオンハルトは、エリシアの前に座ると、静かに口を開いた。
「お前がここへ来てくれたことを、私は嬉しく思っている」
「私も……ここに来られてよかったです」
エリシアは素直に答えた。
「それなら、ひとつ聞いてほしい」
「なんでしょう?」
「もし、お前が望むのなら――」
レオンハルトは、まっすぐにエリシアを見つめた。
「私の養女にならないか?」
「……養女?」
「ああ」
エリシアは目を見開いた。
「正式に私の娘になってほしい」
「……」
「もちろん、今すぐ決めなくてもいい。嫌なら断っても構わない」
レオンハルトは優しく続けた。
「私は、お前に何かを強制したいわけではない。ただ、お前がこれから先、安心してここで暮らせるようにしたいんだ」
エリシアの目に、涙が浮かんだ。
「……お父様って、呼んでもいいですか?」
レオンハルトは、一瞬だけ驚いた顔をした。
そして、優しく笑った。
「ああ。もちろんだ」
「本当に……?」
「本当だ」
エリシアの頬を、涙が伝う。
「それなら……私、お父様の娘になりたいです」
レオンハルトは、そっとエリシアを抱きしめた。
「分かった」
温かな声が、耳元に響く。
「今日から、お前は私の大切な娘だ」
「……お父様」
「ああ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくな。エリシア」
エリシアは、父親の胸の中で静かに泣いた。
悲しい涙ではなかった。
嬉しい涙だった。
その様子を扉の外から見ていたグスタフとマルガレーテも、目を細めて微笑んでいた。
「これで、エリシアにも本当の居場所ができたな」
グスタフが呟く。
「ええ」
マルガレーテも頷いた。
その日の夕食。
大きな食卓には、たくさんの料理が並んでいた。
「エリシア、好きなものを食べなさい」
グスタフが言う。
「これも美味しいよ」
ルシアンが料理を勧める。
「食事が終わったら、庭を案内してあげる」
アレクシスも優しく声をかけた。
「ありがとうございます」
エリシアは少し照れながら、料理を口に運んだ。
誰も急かさない。
誰も怒らない。
食べられる分だけでいい。
そう言ってくれる。
「美味しい……」
エリシアの口から、自然に言葉がこぼれた。
「それはよかった」
マルガレーテが嬉しそうに笑う。
エリシアは、ふと母との食卓を思い出した。
母と二人で過ごした、温かな時間。
胸が少し痛む。
けれど――。
今も、自分の周りには温かい人たちがいる。
エリシアは胸元の髪飾りにそっと触れた。
「お母様……」
心の中で呟く。
――私、ここで幸せになれるかもしれない。
食事が終わると、約束通りアレクシスとルシアンがエリシアを庭へ連れていった。
「こっちだよ、エリシア」
「待ってください、お兄様!」
三人の笑い声が、夕暮れの庭に響く。
エリシアは笑っていた。
心から。
そして、その笑顔を見ながら、レオンハルトは静かに思った。
――この子が、もう二度と一人で泣くことがありませんように。
こうしてエリシアは、ヴァレンシュタイン辺境伯家の一員となった。
まだ、心の傷が消えたわけではない。
父アーヴィンを忘れたわけでもない。
けれど――。
ここには、自分を待っていてくれる人がいる。
自分を大切にしてくれる人がいる。
そして、自分の気持ちを否定する人はいない。
エリシアはまだ知らなかった。
この場所で過ごす日々が、彼女の心を少しずつ癒やし、やがて大きな幸せへとつながっていくことを。




