第六百三十六話 クトゥルフ、再び
「・・・・・龍穂。」
ヘッドセットから聞こえてきた兼兄の声。その声を聴いた全員が警戒を強めながら
耳を傾けるが、聞こえてきたのは変化ではなく朗報。
「ルルイエの破壊に成功した。後はクトゥルフだけだ。」
残された奴の配下であるルルイエの破壊。それは奴にとってしてみれば決定打だろう。
「奴は必ず姿を現す。警戒を怠るな。」
後はクトゥルフだけ。肝心の姿が見えないが、必ず姿を現す。いつ、どこに姿を現すかは
見当もつかないが、もはや小細工が通用させるにはあまりに成熟しきった戦場において
姿を現すのなら候補は三つ。一つは後衛、数を減らすのなら一番はここ。
決して謙太郎さん達を侮ってはいないが、実力で劣るのは間違いなく後衛。
だが合流は容易であり、兼兄達もそれを察して援護を断ち移動体制を整えさせている。
次に兼兄達。一度敗北を叩きつけた竜次先生達にもう一度苦汁を飲ませるのなら可能性はある。
だが一人一人の実力が高く、後衛より確実に時間を稼ぐことができるため
俺達と合わせた挟撃も選択肢に視野に入れることができる。
「・・・・・・・・・・・。」
辺りを見渡す。酷く・・・・・静かだ。波の音さえ聞こえない。月明かりが照らしているとはいえ、
視界の悪いこんな状況じゃ視覚から得られる情報は限られている。
「・・龍穂?」
五感の内の一つが遮断される事で、他四つが研ぎ澄まされる。
情報を得るため、残された感覚で補おうとする人間の本能。隣で呟いた純恋の声が鮮明に
聞こえるほど、聴覚は研ぎ澄まされている。
「・・・・・警戒しろ。」
後衛に辺りを警戒させたことで、移動にかかる時間はさらに短くなる。それに兼兄も警戒している
事から例え奇襲を仕掛けたとしても、被害は軽微に抑えられる。
数を減らせず、一度敗北した者達にもかなりのリスクがある。そうなった時、俺であれば腹を括る。
「狙われるのは・・・俺達だ。」
立ち回りを生かせないのなら、主力を叩いてしまえばいい。負け筋を潰した結果、
残された勝機を追うしかなくなる。そうなれば俺達を襲うしかない。
俺との早期決着こそ、奴が求める道であり、それすなわち日ノ本を手中に収めるための
大きな一歩となるのだから。
「・・合流を優先しますか?」
俺を囲むように立ち位置を変え、四方への警戒を行いながら得物を構える千夏さんが尋ねてくる。
敵の思惑の全てを掴んだわけではないが、ある程度の予測が出来た時点で行動するべき。
此方から仕掛けることができない以上後手に回る事は確実であり、対処を考えるのなら
相当な人手が必要になる。
「いえ、ここで迎撃しましょう。」
だが集まってしまえばその場にいる全員が奇襲を受けることになる。それを俺が全て
受けきれば問題はないが、その大前提を基準に行動するのであれば幅の広い選択肢が生まれる。
「怖いでしょうが、俺が何とかします。周りのみんなには奴の行動を外から見てもらいたい。」
視界は悪いが、闇を得意とする兼兄とニャルラトホテプがいる。
俺達の姿は見えずとも、何が行われているのかぐらいは把握してくれることだろう。
俺が時間を稼ぎ、周りにみんなには打開策を考えてもらう。戦闘の渦中では精神的に視界が
狭くなるものだ。余裕を持った状態で外からの情報を得てもらい、俺達が落とす情報を
合わせた上で星空全体の動きを決めてもらう。
「姿を消したクトゥルフは奇襲ぐらいしか優位を取る術がない。そして、俺達は
その奇襲を受けることぐらいしか対処は出来ません。であれば、出来るだけ利用してやりましょう。」
盤石なのは俺達の方だ。だからこそ、堂々とした立ち回りを行う。日ノ本のみならず、
世界の歴史を振り返っても奇襲が正解した例は少ない。
戦は始まる前から決着がついていると言われるほどに前準備の時点で勝負が決まってしまう。
必要な情報を得て、それに合わせた動きを指示すれば基本的には負けることは無い。
そしてそれは奇襲の難しさを同時に物語っており、セオリーを崩すのは並大抵のことではなく
地形や必要以上の情報を得なければならないが、奴はその二つをほぼ失っているといっていい。
俺の大気や兼兄の闇。毛利先生の月の光など場の支配を俺達が圧倒的に握っており、
戦場に立ち続けたことで得た情報も格段に多い。
後はクトゥルフが行う予想外の行動に対応する事だが、その役目を兼兄達に任せる。
盤石も盤石。後は油断しなければ・・・・・。
「・・負けるはずがないと?」
俺達の視線が音のなる方へ衛門と共に向けられる。俺の心を見透かしたような言葉を
放ったのは・・・海の中から響いてきた。
「不愉快だな。だが、それも仕方のない事か。」
奇襲とあまりにかけ離れた悠々とした動き。海の中から姿を現そうとしているのは
クトゥルフ以外の何者でもない。辺りの大気達も警戒を最大限に高める所か、
すでに動き出している大気もある。
「追い詰められている事だけは確かだ。つけあがるのは当然。」
海が動き出す。大きく盛り上がり下から奴が姿を現そうとしている。
それは俺の領地への侵入と同義。配下達は許さまいと兵へと形を変えて襲い掛かる。
姿を消していた奴は必ず最後の策を持っていているはず。それが惑星の支配と言うのであれば
厄介だが、その詳細を俺達は知らず、対応策もない。
「・・楓、桃子は他部隊への連絡を。」
わざわざ無防備に出てくる事などありえない。隠した策をぶつけてくるはず。
そうなれば連絡を取る隙さえ与えてこないだろう。俺の指示を受けた二人は迅速に後衛、
そして兼兄達に向けて状況報告を行ってくれる。
「千夏さん。」
そして重要な指示を送るため、千夏さんの名を呼ぶ。
「何でしょう。」
「皇はどこにいるか、雫さんから返答が来ましたか?」
最期の戦闘が始まる前に、それだけは知る必要がある。俺達がクトゥルフに勝利を収めた所を
あの人に見てもらう必用があるからだ。
親父の近くには定兄がいて、そしてその隣には風太さんがいる。そして楓の言う事が
本当なのであれば、その隣には雫さんがいるはずだ。
「・・皇は力を失いつつあります。神に成る過程を飛ばした代償により、その存在が
消えつつあるのだと聞きました。」
神に成るにはいくつかの方法があるが、付喪神の様に長年の信仰を受けていない者が神に成る場合、
祀り上げられなくてはならない。それは人間がこの者を神として崇めたいと言う申し出。
その願いが高天原に届くことがあれば、その魂が神と成り代わる。
高天原に届かせるには多くの信仰が必要であるが、その前に体から魂が離れなければならない。
その過程を飛ばし、自らを神とする皇の一族が扱う事が出来る秘術を使った。
だがそれは神にとってしてみれば禁忌中の禁忌。本来受ける過程を飛ばしたことで
信仰を受けられない体になってしまっている。だからこそ、存在が消えつつある。
「今は兼定さんが作り出した影の中で体を休めているそうです。
そんな皇を守るため、影定さんを始めとした八海上杉家とその従者、そして雫さんは
静かに時を待っているとのこと。」
千夏さんは俺に気を使って回りくどく語っているが、簡単に言えば時間がない。
この勝利を、誰よりも自らを犠牲にして俺達を守ってくれた皇に見せなければ意味がない。
「・・・・・分かりました。」
だが、焦っても倒せる相手ではない。敵は焦りの隙間を容赦なく付いてくる。
地に足をつけて戦うのだと、隣にいる純恋も視線で訴えかけてくる。
「どうやら仕掛けに気付いているようだが・・・関係ない。」
姿を現そうとする奴に襲い掛かる大気達の動きが止まる。それは荒れる海ではなく、
奴の体から伸ばされた何かだった。
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