第六百二十一話 狂気の疑い
竜次達との合流を試みた兼定達だったが、クトゥルフの援護も無くあっさりと
すぐ近くまでの接近に拍子抜けではあったが、それでも肌に突き刺さる様な緊張を辺りに
敷いていた。
影が無く、海がいつ襲い掛かってきたもおかしくはない状況。だが、波の音は小さく、
荒立つ様子を見せない。龍穂と同様の警戒を敷かなければならない兼定が動いたというのに
警戒はあまりにザル。
「・・・・・・・・・。」
素直に好機と喜べばいいのか。それとも謀か。一度進むと決めた兼定であっても
あまりの静けさに疑念を浮かべる。
「・・関係ないですよ。」
悪い癖だと春は呟くが、それでも兼定は辺りの警戒を止めない。
それは単にクトゥルフが策を仕掛けているという疑念ではなく、その策を少しでも読むための
行動。
「仕事柄だ。気にしないでくれ。」
「それで戦いに支障が出なければ気にしません。ですが、それで一度やられている。」
業は闇に潜む者。その存在は非公式であり、足取りさえも残せない。
だからこそ、ありとあらゆる要素から情報を得る必要がある。視界、音。常人では
気にしないような細かな動きから情報を取り、それらを駆使して立ち回る必要がある。
完全で、影も残さない完璧な勝利を収めるためであり、情報を全て取り切った場足、勝利は限りなく高い。だが、春の言う通りクトゥルフに出し抜かれている。それは情報を得る過程の
足取りの重さを突かれた以外にない。
神道省にその存在がバレてから、業とは幾度となく戦ってきた。
その特殊な組織体制と、その体制を維持するために築き上げられた戦術を忠行は熟知しており、
兼定の到着の時間を陣地の形成と業以外の戦闘員の排除、そして出来る限り情報を出さず、
また情報を与える様な意味のない行動を行う事で意識を逸らせ、勝負を決める際は
少ない手数で一気に決めに来た。
「割り切るべきです。腹の底から。」
そしてその癖は龍穂に受け継がれており、兼定を倒れさせた一撃を隠すことで
距離を開けさせる事に成功した。また、一度でも術式や力が上回っている景色を見せる事で
無理な攻めをさせない立ち回りを強要させたのは忠行の功績と言っていいだろう。
一度目の敗因。それは単なる力負けではなく、ありとあらゆる情報戦において忠行が
一歩先を行っていたことが勝敗を分けた。だからこそ、兼定に向けて春は幾度となく
無駄な警戒を解けと促していた。
「・・あそこだ。」
だが、それでも兼定は警戒を解かない。決して春の言葉が耳に届いていない訳ではなく、
学んでいない訳でもない。こうして自らを警戒しないクトゥルフの意図を察していた
兼定は、その予想を確信に帰るための行動を取り続けていた。
「苦戦していますね・・・。」
強化された竜次達さえも押し込むほどの力を持ったルルイエ。自らが押し込まれている
というのに、何故援護に向かわせないのか。
向かわせるべきだ。自らが倒れれば全て終わるのだから。多くの脳と心臓を持っていたとしても
策が効かないほどに力を増した龍穂の前では時間の問題。時間をかければかけるほど、
勝利という道から逸れるにも関わらず、動かす気配のない行動は兼定の思考を掻きまわしている。
「行きましょう。」
ここまで来たなら悩む必要はない。竜次達と合流すれば勝機はある。
そう踏んだ春が月詠の力を使いながら踏み込もうとするが、前傾しかけた体の前に
腕を突き出す。
「待て。」
必死に戦う竜次達は迫る兼定達の力を感じ取っている。それは当然、戦うルルイエも同じ。
波立気配のない安全な海の上から動かない気配を感じ取れば、竜次達も疑念を抱くだろう。
引っ叩いても進むべきだと、兼定に向けて腕を振り上げようとしたその時。
後ろから数えきれないほどの風切り音が聞こえてきた。
「一手だ。」
振り返って春が見たのはこちらに飛び込もうとする無数の光達。
踏み込もうとする自分達に対し、第三勢力が仕掛けてきたのかと一瞬よぎるが
見たことのある力の塊をいくつも見て、その正体を理解する。
「・・・・・一手?」
「ああ。たった一手で良い。それだけ見てから踏み込むぞ。」
兼定にとって、たった一体を相手にしてここまでの長い戦いは片手で数えられるほど。
業に入ってからは初めてであり、情報の整理に時間がかかっていた。
クトゥルフと言えどここまで長い戦い且つ、一度勝負を決めに来ていたため
隠し切れなかった情報は多い。だがそれらを全てかき集めても、兼定は確証を得られなかった。
だからこそ、味方の援護を欲した。生命が込められたルルイエでさえも防ぎようのない
圧倒的物量を確証を得る一手として、兼定は選択した。
「竜次、アル、ノエル。」
様々な術式がルルイエに向かって飛び込んでいく。光るそれはまるで流星、
暗闇の中、重力によって引き寄せられ、摩擦の熱によって最後の輝きを放つ塵の群れを
目にしてルルイエだが・・・防御姿勢を取る様子はない。
「・・”戦い続けろ”。」
このような地獄でなければ、離れている全員が前線に立てるほどの実力者達は放つ
術式は威力も十分。例え竜次達古き英雄達であったとしても、流星群をまともに喰らえば
無事では済まない所か命を落としかねない。
「何を・・・!?」
「良いから。」
そのような状況で何故兼定は見捨てるような指示を出したのか、春は理解できずに
助けに向かおうとするが、月明かりに浮かび出た影が動き出し体を縛り付ける。
竜次達も兼定を信頼し、必死に戦い続けるがこのままであれば勝負が決してしまう。
古き英雄達を失えばルルイエがクトゥルフの元へ向かおうとするだろう。
当然、それを兼定達が許すわけがないが、その背中を龍穂と戦うクトゥルフに晒してしまう。
有利盤面を覆すほどの変化点を、兼定は自ら引き起こし、そして手を出さないと言う
あまりの愚行を前に春は理解に苦しむが、兼定は戦場をじっと見つめるだけ。
ここまで背中を預け合った仲間達を犠牲にしてまで情報を取る気かと正気を疑うが、
這い寄る混沌をその体に込めている男の精神が安定するはずがない。
本人が強がりであり、周りに感じさせないがその精神はいつ崩れてもおかしくはない。
その最後の一押しが一度目の敗北であったとしたらと、春は後悔を抱く。
「どうなる・・・・・?」
正気であればそのような事をするはずがない。家族である竜次達を見放すのではなく、
自らの判断で命を落とさせる様なマネを。
「くっ・・・!!」
月詠の力で流星群を止めようとするが、夜という時間帯であっても影の力はニャルラトホテプ
の方が上。すぐそこまで迫る流星群を止められるはずがない。
それでも、何とかするために影を動かし、急ごしらえの影の壁を作り上げきる。
(間に合え・・・!!)
間違った判断を叱るのはこれが終わってからでいい。今はどうにかして竜次達の無事を
確保するのが最優先。防ぎ切るのは不可能。だが、竜次達なら逃げられるわずかな時間は
稼ぐことができる。
「りゅう————————」
跡は全力で声を上げるだけ。それで反応できるかは賭けになる。
やるだけのことはやる。焦る春の視界に広がっていたのは・・・予想外の光景。
「・・やっぱりな。」
春が作り出した影の壁は破壊されず、竜次達の無事。では、一体誰が流星群達が止めたのか。
「あれだけ海が静かなのは不自然過ぎた。クトゥルフの力を使えるのに何故その力を
使わないのか。」
筋が通らない。ルルイエを呼び出しのは配下という手駒が空であり、龍穂以外を抑えるための
時間稼ぎであるなら海の力を使ってでも必死に止めるはず。
だが、奴はその力をあまり使おうとしない。むしろあえて使う事を控えている所か
兼定達が戦場を離れた時から使用を完全にやめた。
「海の・・・壁・・・・・?」
流星群を止めたのは巨大な海の壁。一瞬にして作り上げられた壁にはすさまじい海流が
作り上げられており、触れた瞬間海の中へ引きずり込まれる仕組みになっている。
「あれば時間稼ぎなら、竜次達もろとも流星群を受けるはず。手駒は失うが、厄介な
奴らをまとめて片付ける絶好の好機だからな。」
兼定が自らの行動の意図を語るのは効果を確認できてから。その姿を見た春は
まだわずかに正気を残していると判断の過ちに気が付く。
「だとするなら、あれにはまだ役割がある。竜次達の足止めではなく、他の重要な
役割がな。」
何も言わず、ただ一人で焦った形にとなった春に対し、咎めることなく只視線を送る。
「まだ確証はない。それを暴きたいが・・・やってくれるか?」
そして出てきたのは共に歩んでくれという願い。あまりに急な展開に春はすぐに答えることが
出来ないが、すぐさま我に返り口を開く。
「・・確証は無くてもいい。どんな可能性があるのか、教えていただきたい。」
焦ったのは自分だが、その行動を取らせたのは間違いなく兼定。
これ以上、無駄な疑いは避けるため、春は確信に触れようと尋ねた。
「恐らく・・・あれはもうルルイエじゃない。奴がこれまで伸ばし続けた深海への触手が
仕掛けの種だろう。」
得物を握り、体を漆黒に染めながら兼定は答える。
「・・あれが”本体”の可能性が高い。それなら、ここまでの違和感が線で繋がり
筋が通る。」
予想外の答えを聞きながら、二人は共に踏み込んだ。
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