第六百十一話 最後の機会
「これは・・・・・。」
今まで攻め込んでいたはず。だが、自らの体に起きた異変に状況は一変した。
先ほどまで兼定を抑え込んでいた子孫達の力の大半が失われた。
その事実に、クトゥルフは一瞬体を硬直させた。
(今だ・・・!)
その僅かな隙を兼定は逃さず、手薄になった攻めを避けながら前に出る。
離れた位置からの攻撃でも十分だったが、あえて前に出たのは存在感をクトゥルフに見せたかったからに他ならない。
海水での攻勢に攻めあぐねていた龍穂と楓が足を止めたことに兼定は気付いていた。
そして、その要因を作り出した存在についてもしっかりと把握している。
これ以上の好機はもう来ない。迷う龍穂の元へ純恋達を誘う影を仕込む。
「・・どういう事でしょう。」
「純恋ちゃん達がやってくれたんだよ。見れば分かるだろ。」
「それは理解しています。ですが、どうやら仕掛けられたのはたった一つ。
元々の予定では賀茂家の契約の全てを封じるのは難しく、ある程度で妥協は仕方がなかった。」
「あまり深く考えるな。千夏ちゃん達が上手くやった。それだけことだ。」
兼定は春の不安を晴らそうとするが、その原因はたった一つだけの上書きだけでこの状況を
生み出している事に尽きる。弱点を的確についたのは一つの事実だが、
それは同時にその一点を修復する事で全て元に戻る可能性を秘めた危険な状況ともいえる。
空の術式は五属性を絶妙なバランスによって保たれる非常に高度な技術であるが、
その中身は出力の全てを術式に依存している。
いわば術者を選ばない、使い勝手の良い多様性のある爆弾処理を行える優れた術式だが、
表に出ていない原因はその脆さにあった。
術式の暴発に重きを置いた術式であるためその後の事は一切考えておらず、
空の術式自体も他の力がわずかに込められただけでも絶妙なバランスが一気に崩れ去ってしまう。空の術式自体が古い術式の処理法として作成された技法であるため意図通りの
結末と言えるが、相手は伝説の化け物。子孫達の契約をその場で結び直す可能性を
春は捨てきれず、むしろバラバラに空の術式を使った方が効果があると考えていた。
「・・あれは一時的な対処としか考えていない。子孫達との術式を再構築されたとしても
千夏ちゃん達を龍穂の隣に置くことの方が最優先だ。」
「ですがそれでは・・・。」
せっかくとった優位を逃し、開かれた道が再び閉ざされる。逃げ場の失った力無き者達は
逃げ惑い、絶望の淵に立たされる。そのような経験、そして景色を何度も見てきた春は
希望の中にかすかに匂う溝を煮詰めたような、そしてその先に広がるであろう腐敗臭を
嗅ぎ取っていた。
「だから、俺達がいる。そうだろ?」
不安が解消されないのであれば、自分達の手で何とかするしかない。
純恋達が龍穂の隣に立つのは策の中でも最も重要視されていた。そこに至る過程が崩れたとしても、それをカバーするのは自分達。
「手こずっていた竜次達ももうすぐ片が付くとつい先ほど報告があった。
そうすればまた俺達が一つ優位に立てる。」
「・・そうですね。ですが問題は・・・・・。」
どれだけ盤面を優位にしたとしても、クトゥルフには全てをひっくり返す切り札を
持っている可能性がある。そう警戒する春だが、兼定は可能性から確信へと判断を変えている。
「早めに押し込みましょうか?」
「いや、勝負は決めに行かなくていい。」
そして最終盤面の想定を改め、最善の動きを取るために行動を変える。
「俺と春はここで龍穂達の支援。そして・・・・・最終盤への道を開き続けるぞ。」
最期は龍穂とハスター、そして忠行とクトゥルフとの戦いになると兼定は判断した。
今まで、何故忠行が龍穂を恐れていたか。その理由を完全に理解した末の決断。
龍穂のポテンシャルを恐れていたのは確か。だが、それ以上に魂を縛り損ねた両親の存在を
恐れていた。歴代の賀茂家の中でも最も忠行とクトゥルフを追い詰めた化け物二人の姿を
見つけた兼定は絶望をかき消すほどの強い希望の光を感じていた。
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一瞬、クトゥルフの動きが鈍る。そして、その瞬間を逃さなかった兼兄が影を使い
攻め込む姿を視界にとらえていた。
『面白いわね。あの術式な一体何なのかしら。』
クトゥルフの体に一体何が起きたのか。ここからでは分からない。
「ぐっ・・・・・!!」
父さんに向けていた海を兼兄達に向けるほどの異常事態。たった一本の刀で戦えてしまうほどの
男を放置してしまえば致命傷を負いかねないのは奴も十分理解しているはず。
『さて、一度戻ってきてもらおうかしら。』
このまま踏み込めば形勢は大きく変わる。誰もが分かるほどの強者に対し、母さんは
呼び戻すための声を上げる。
「な・・んで・・・?」
『このまま倒せるかもしれないと龍穂は思ったのかもしれないけど、それじゃ”意味が無い”の。何故なら私達は既に生を終えた身。生前の術式のおかげでこうして現世に留まれているけど、本来はとっくのとうにあの世に居なければいけないの。』
「それは・・・。それが奴を倒さなくていい理由には・・・。」
『ならないでしょうね。でも、私達はその役目を龍穂に託した。身勝手だけどね。
影定さんに頼んで姿を隠しやすい八海に身を置かせてもらい、青さんには鍛えてやってくれと
頼んだ。そして、その時が来たら手を貸してやって欲しいとイタカに六華を渡して
その中に私達の魂を縛り付ける術式を組んだ。』
仲間達と別れる決断を下し、俺の役目を引き渡すための準備を語る。
やっぱり、この人達は分かっていた。二人で戦えば忠行には勝てない事を。
『何故そうしたか。分かる?』
はっきり言って・・・分からない。もっとまともな選択肢があったはず。
なぜそこまで割り切ることが出来たのか。
『仲間達の存在はもちろんあったけど、それ以上に彼らが築き上げてきた功績が
崩れ去るのが怖かった。私達は日ノ本の闇を必死に駆けてきたけど、彼らは三道省の古参。
日ノ本の未来そのものなのに私達の戦いに巻き込んだことで過去の栄光まで全て無くなる。』
「それは・・・・・。」
生き残った事で真田様は武道省長官まで上り詰め、伊達様も責任を負った事で席から
退いたものの、式神課課長まで上り詰めていた。
もし母さん達と共に戦い、命を落としたとなればその席は別の誰かに奪われていた事だろう。
『・・それだけじゃないな。』
母さんからの指示を受けた父さんもこちら側へ帰ってきており、俺達の前に立つ。
『龍穂ならもう分かっているとは思うが、あいつらが開けた席に座るのは恐らく忠行の
手の者の可能性が高い。俺の血肉を啜れず、魂まで取り逃したのは大きな痛手。
その対価として空席を掴みに来る。容易に想像できるだろ?』
それは・・・確かにそうだ。奴ならそれくらいしてもおかしくはない。
「二人は日ノ本のためを思って・・・・・。」
『そう言いたい所だが、結局の所全ての責任を負う勇気がなかっただけだ。
その点、龍穂は全てを背負ってくれている。』
俺達の横に影が現れ、その中から下にいた純恋達が姿を現す。
「・・・・・龍穂!!」
俺が近くにいたことを確認すると、得物を持ちながら辺りを警戒するがクトゥルフの意識は
既に兼兄へと向いている。
『おっ、全員集まったな。』
俺の狂気が既に抜けている事を確認した純恋達は、体が透けている両親へと視線を移す。
『こんな機会はもうない。少しだけ、話しをさせてくれ。』
純恋達は目を丸くしながら目の前に立つ両親を見つめる。今はただ、話しを飲み込んでほしい。
そうお願いすると訳の分からないまま耳を傾けた。
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