第六百十話 力の形
千夏の提案通り、保憲の名を空の術式に上書きする火嶽。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
一体どんな変化があるのか。何も変化がないのか。それによってとるべき行動が変わってくる。
それに、契約が切られたとなればクトゥルフが自分達を必死に探し回る可能性は
十分に考えられる。最低限の防御は出来るが、一分持つかどうかは分からない。
それでも比較的近くに兼定が陣取っており、戦場に踏み込む時間は十分に稼いでくれるだろう。
次の一手に行動を移すには兼定が援護を向けるまでの一瞬の隙をどういなすかが肝心と
なってくる。当然、火嶽以外の全員が辺りに警戒を向けていた。
「・・・・・ん?」
何が起きるか分からない状況の中、この状況に似使わない疑問符が純恋の口から放たれる。
「・・純恋さん。」
ここは気を抜く場面ではないと注意しようとした千夏だが、隣にいる桃子も気の抜けた様な
表情で戦場を見つめている事に気が付く。
「千夏さんは・・・分からないんか?」
「分からない・・・?どういうことですか?」
「何か・・・見られてんねん。私達に気付いて欲しいって伝わるくらい。
視線に神力を込める人なんて初めて見たわ・・・・・。」
龍穂の母親である稲見は自らの視線に神力を込めた。厳密に言えば辺りを照らす月明かりを
反射した視線にほんの少し神力を込め、純恋達を見つめていた。
「私には感じられませんが・・・・・。」
純恋だけではなく、桃子まで感知した事実を見て千夏は辺りを警戒する。
だが、ここまで戦場で戦ってきた二人がその視線に殺気が混じっている事に気が付かないはずがない。そもそもその神力を感じ取った時点で異変に気が付くはず。
それに術式が込められていたとしても、陰陽師の資格を得ている二人がそれに気が付かない
はずがない。
「おかしいな・・・・・。」
もっと情報が必要だと千夏は二人の言葉を待っていると、その鍵となる言葉を桃子が呟く。
「うん・・・。これ、優しいわ。」
「優しい・・・?」
「敵はない。むしろ何だか・・・見守っているというか、何かを伝えたいような
柔らかい神力・・・。単なる力やけど、その形だけでここまで意志を伝えてくるのは
初めてやわ・・・。」
神力、魔力も同じだが、進化の過程で用途が大きく二つに別れている。
一つは人間の生活に根付いた動力としての役割。電力など、無くてはならないエネルギーとして
使われる、もしくはそのエネルギーを生み出す動力としての使用方法。
日ノ本のような他国からの侵略をあまり受けてこなかった国家は独自の文化を持っており、
古くから神力を動力として扱う技術を持っていた。八百万の神を要する国家だからこその
技術だが、海外は大きく異なる。
魔力を動力として扱う国が大半であり、その中でもその力を持つ者に大きな差があったため、
魔力に依存しないエネルギーの開発も同時に行われており、力を扱う技術の無い
国家が魔力をかき集める機器を手に入れ、それを自らが扱う動力に変えるための技術も
生まれている。用途は様々だが時代が進むにつれ、その力の扱いやあり方などが議論されて
来たが、力の有無によって思想が異なり、落とし所さえ見つかっていないのが現状だった。
「形・・・・・。」
そしてもう一つ。それは敵対勢力への攻撃手段として用いれる言わば敵意の塊としての
使用方法。近代ではちー達のような魔力神力に依存しない銃火器などの兵器が多くみられるが、
それ以前を見ると、力の主な使用方法は殺傷が多くを占めている。
射程距離が長く、威力も高い。剣や槍、弓などが意味を成さないほどの利便性を持った
力は敵国への侵攻や防衛など多岐にわたり使用されて経緯を持つが、
それもまた力の差が激しく、術式として放てる者の方が少なかった。
それは人間が神と離れ、独自の歴史を築き上げてきたことや、地球の力である魔力を扱うための技術を敵国から危険視される事で侵攻を受けた際、真っ先に闇に葬られたことで
伝承する者がいなくなったことが原因とされている。
それらの影響を受けかなかった日ノ本は独自の発展を遂げたが、だからこそ敵意の塊である力、
特に神力の感知にかなり鋭く、護国人柱であり、その力を磨いてきた二人には
神力の中にあるはずの敵意が一切込めれていない事に気が付くことが出来た。
「一つだけ確かな事は、私達に向けられている神力はクトゥルフのものやない。
やけど気がかりなのは・・・見たことの無い力、この持ち主に心当たりがない事やな。」
「第三勢力・・・は考えづらいですね。」
この戦いに踏み入れる事だけでも困難であるが、この世の地獄のような戦場に用意に
足を踏み入れる者など地球上に果たしているのか。
「・・ちー。」
得物を手に持ちながら辺りを見渡すちーとゆー。その額にはあり得ないほどの汗が
張り付いており、千夏の声が耳に届いていない。
「・・・・・・・・・。」
自分達より遥かに場慣れしている二人がこのありさま。死の匂いはいくらでも嗅いで来たはず。
ルルイエの遺跡の中でも同じような姿を見ていた千夏はただ死に怯えているのではなく、
別の何か、脳の奥深くに刻まれたトラウマによって正気を乱されているのだと察し、
言葉ではなく体に触れるを選択した。
「・・・!!!」
ちーの肩に優しく触れた瞬間、今にも飛び跳ねてもおかしくないほどに驚きつつ
ゆっくりと千夏の方を向く。
「・・火嶽君。」
恐怖に慄きながらも指示を遂行するため必死に辺りを警戒する二人を見た千夏は
一つの決断を下す。
「何でしょう。」
「今から私が言う名を覚えていただきたい。そして、私達が龍穂君の元へ向かった後、
安全な場所でその名を塗りつぶして欲しいのです。」
二人のトラウマ。ルルイエの遺跡内部とこの状況の共通点がそうさせているのだと
千夏は予想し、そして正気を保っていた状況からひとまずは安全地帯に身を置かせる事が
良いのだと判断する。
「・・俺達は戦場に踏み入れる資格はないと言う事ですか?」
「その言葉を放った時点はあなたはその資格がありません。しっかりと状況判断が
出来ない人を連れていくのは龍穂君にとって足枷にしかなりませんから。」
ちー達の様子に気が付いていないのなら、連れて行く事さえ出来ない。
あり得ない判断だと思ってた火嶽だが、千夏の視線でその意図に気が付き、素直に受け入れ
千夏が指名した名の横に分かりやすく小さく点を打つ。
「純恋さん達が感じた視線。それが誰なのか分かりませんが、少なからず戦場に
変化があった証拠。その変化をもたらしたのが・・・。」
自分達であって欲しい。いや、そうでなければならない。第三勢力かは分からないが、
新たな戦力が堂々とあの戦場に踏み入れる事が出来る様な大きな変化を起こせるのは自分達だけ。
「・・純恋さん、桃子さん。」
「・・・・・行くんやな。」
純恋の問いに、千夏は大きく頷いて見せる。
「戦場に起きた変化はここからでは把握できません。ですが、何か起きているのなら
私達が行くべき道が開かれる絶好の好機が訪れているのだと思われます。」
子孫の力が封じられれば兼定の負担が減る。その隙を逃さず、道を作り出すはずであり、
その瞬間に全力を注ぐと千夏は決断を下す。
「もうしわけ・・・ないね・・・・・。」
覚悟を決めた姿を見たちーは三人に向けて謝罪を述べる。千夏が体に触れたことで
僅かながらに視野が広くなったことで状況の把握が出来ていた。
「あの力・・・。クトゥルフの力は私達にとって恐怖そのものなんだ・・・・・。
あれを強く感じた時、誰かが死ぬ・・・。そして、私達も死にかける・・・・・。」
どのような場面でも下せる冷静な判断が武器となっていたちー達を襲っていたのはまさかの経験不足。海外での活動を行ってた白達は、これまでの悲惨な経験を場数で乗り越えていたが、
早くから日ノ本へやってきていたちー達はその経験が浅く、トラウマを掘り返される事に
なっていた。
「謝るのは辞めてください。まだ、戦いは終わっていない。」
一方火嶽はその経験が無く、トラウマ自体が少ないことからまだ体が動かせていた。
自分達と同様、ちー達を失う事を龍穂は良しとしておらず、戦場から離れることも
最善の選択の一つだと千夏は返し、二人の前に立つ。
「・・・・来た。」
そして現れる影溜まり。月明かりに照らされた不自然な影は純恋達を誘うために揺れている。
「では、指示通りに。よろしくお願いします。」
道は出来た。戦場でやるべきことは未だ分からないが、龍穂を支える事だけは理解している。
クトゥルフの体に起きた異変。そして、龍穂の狂気。それらの素早く把握し、立ち回ることが
勝利への何よりの道だと三人は心に刻み込み、影の中に足を踏み入れる。
その背中を確認した火嶽は怯える二人を両腕に抱え、青く光る翼を羽ばたかせ空へと飛び立つ。
暗闇に光る青い翼が照らしていたのは、なんと攻め込む兼定と春の姿。
そして、あれだけ海の戦場で優位を勝ち取っていたクトゥルフが手数で押されている姿が
火嶽の瞳に映し出されていた。
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