第六百八話 機を待つ者達の思考
振るうたび、得物を握る右手に熱が帯びていく。
「・・・・・・・・・。」
徐々に伝わっていく熱。それは手では収まり切らず、俺の腕を伝い体へ信仰を進めていく。
体の一部分だけに残る熱。だが、それは決して違和感として感じることは無く、
むしろ心地よく感じている。
それは何故か。分かっているからだ。この熱を与えているのが誰か。
得物に入っている魂の持ち主が俺に何かを訴えかけようとしている。
「・・兼定さん達が介入してくれている今が攻め時です。」
傍で戦う楓が状況を伝え進言までしてくれるが、それは先ほどまでの狂気を前提に
動く指示ではなく、俺の指示をただ待つ姿勢を示している。
「・・・・・そうか。」
俺を近くで支え続けてくれたからだろうか?狂気を手放しつつある俺の様子を正確に見抜き、
的確な声掛けをしてくれている。
「どうしますか?」
兼兄は確かに踏み込んだ。だが、見る限り特別攻め込む気配を見せない。
俺と兼兄が同時に攻めれば勝機はある。だが、それをクトゥルフが許すわけがない。
だからこそ攻めない訳ではないだろう。恐らく、何かを待っている。
「このまま行こう。」
俺は奴を攻めきれない。例え狂気をまとったとしても。だが、それは奴も同じ。
余裕を見せてはいるが、それを全て向けられても耐えきれる自信はある。
空気操作を狭くした結果、威力のある攻撃を放つ事は出来たが大気の全てを引き出した
感覚は未だない。そんな不本意な余裕が生まれている今であれば手数が増えても対応は
出来る。兼兄が待っているのは恐らくそれ。クトゥルフに対して効果のある何かか、
それとも狂気をまとっても大きな成果を上げられない俺への何かか。
「分かりました。」
それが無事終えることができるまで手を緩める事も締める事も出来ない。
膠着状況で戦い続けるのが最善。
『・・・・・何か、不満か?』
ここまで来て、自分の中にある蟠りが大きくなっている事に気が付き、それをハスターに
指摘される。
『結局、俺は一人じゃ何もできないんだな。』
狂おうが何をしようが、俺の心から離れない仲間の姿。離れてくれないなんて思わない。
むしろ共に居たいと思える大切な仲間達。だが、みんなを守っていては勝てない。
それを理解させるための狂気。それでも、俺はみんなを忘れられず、そして護られている。
『分かっていた事だし、何度も反芻してよく理解してる。それでも・・・・。』
勝利をもぎ取れない。自分の無力の限りに絶望すら感じる。これだけ危険な戦場でも、
俺を助けようと全力で戦ってくれている。力のある兼兄や毛利先生だけではなく、
簡単に命を奪われる様な人達でも、全てを賭けて俺の援護に回ってくれている。
(みんな・・・・・。)
それに・・・純恋、桃子、千夏さん。視界が悪く、クトゥルフの力が溢れる戦場にいても
何処にいる課手に取るように分かる。俺を助けに来てくれたのだろう。
式神契約を結んだみんなはどんな状況で、どこであろうと俺にとって何よりも大きな
存在感を持っている。期待に応えたい。命を懸けた皇のためにも、これ以上みんなを
傷つけないで全員で生きて帰りたい。だが、それをしてしまえば勝利は遠のく。
仲間を信頼できないのかと言われればそれまでなのだが、見捨てると判断した瞬間、
俺の脳が最悪の結末を想像してしまう。俺の目の前で倒れた綱秀。そして・・・
一度敗北まで追い詰められた時に見た、傷ついたみんなの姿が俺の判断を鈍らせる。
『・・どうするんだ?』
どうする・・・。仲間を護るか、見捨てるか。選べるはずの無い選択肢を突きつけられ、
思わず体が固まった瞬間、目の前にすさまじい水の一撃が俺を襲おうと迫っている事に
気が付いた。
「龍穂さん!!!」
聞こえてくる楓の声。普段であれば反応が遅れる所だが、周りに空気操作を行っていないため、
反射的な対応は十分に可能。
少し不意を打たれただけ。だが、このような隙をこの先クトゥルフは逃してくれない。
空気の壁を作るため、伸ばした手に誰が触れる感触が伝わってくる。
『全く、本当に誰に似たのかしらね?』
かすかに見える誰かの手。楓は隣にいるが、腕を伸ばしても俺の手には届かない。
では、この手は一体何なのか。迫る海を気にせず、目を凝らし見つめる。
『何か言いたげだが、俺だけじゃない事は確かだな。』
そして見えたのは体。見えた手は華奢で白い肌だったが、海水を阻みにかかるその体は
鍛え抜かれた胴を持っており、どう見ても同じ持ち主とは思えない。
気配すら感じなかった。味方の誰かが影渡りで俺の元へ来たのかと考えたが、
手に持った得物を振り抜いた姿を見て、それは違うと確信する。
『・・居待月。』
予備動作の無い居合。俺が使う居待月は膝を使い構えを取るのに対し、目の前の男は
たったまま斬撃を放っている。暗殺に特化した居合であるはずなのに、
目の前で堂々と放って見せた斬撃は間違いなく低い体勢から放った軌道を見せていた。
『ようやく来たか。』
景色の透ける体と手を見たハスターは喜び交じりのため息を吐きながら呟く。
どう見ても人間ではない。だが、あの斬撃は現世にある海を断ち切って見せた。
『龍彦が時間を稼ぐわ。少し時間をくれる?』
その名は・・・俺の父さんの名前。そして酷く安堵を覚えるこの声。
六華の中にいた両親の魂が形となって表に出てきたんだ。
『さて、可愛らしい彼女さんを・・・ってあら、よく見ればこの子、加藤さんの娘さんじゃない。年子で生まれたから可愛い妹みたいなものじゃないって、話ししたのよ?』
向かってくる海を斬撃でいなす背を見ながら、母さんは近くにいた楓の腕を掴み、
俺達の前に立つ。
『確か名前は・・・楓ちゃん。間違いない?』
「は・・・はい・・・・・。」
目の前の光景を受け入れられず、半分混乱している楓を見て母さんは羽の様に優しく微笑み
傷ついた頬を優しく撫でる。
『龍穂の近くにいてくれたのね・・・。多分、いっぱい迷惑かけたんじゃないかしら?』
細い指が傷に触れると、瞬く間に塞がり跡形もなくなる。これは・・・回復魔術。
千夏さんが使っていた姿を見ているが、このように簡単に傷が塞がるのは初めて見る。
「・・・・・そうですね。」
母さんの言葉を聞いた楓は横目で俺を見ながら喉に引っかかることなく素直に答えて見せる。
八海にいた頃はやんちゃな楓によく振り回されていたので思わず言い返しそうになるが、
こっちに来てからそれ以上の迷惑をかけているので口を閉じる事しか出来ない。
『ふふっ・・・。龍穂の表情を見る限り、そうでもないのかしら?
でも、今はそんなことをしている場合じゃないわね。』
ここは戦場だと、俺達の頭を左右の手で優しく撫でると、半身になり戦っている父さんの
姿をじっと見つめる。
「・・・・・この方は?」
安全になったと判断した楓は小さく尋ねてくる。
「母さんと・・・父さんだ。」
もし、楓が両親を見たことがあるのなら写真ぐらいだろう。八海上杉家にお世話になっていた
両親が加藤家と繋がりがある所か、あの言いかたであればかなり親交があったに違いない。
「・・本気で言っています?」
だが少なくとも楓の家には両親の写真は置いておらず、目の前にいるのが
俺の母さんだと信じることができない楓はド直球に返してくる。
どう説明すればいいかのかさえ見当もつかないが、母さんの言う通りそんなことを
している場合じゃない。
『本当なら他の子達にも見せたい所だけど、一生懸命にやってくれているから今はダメ。
だからあなた達に見せるわ。”仲間達を見捨てた者”の末路を。』
たった一本の得物だけで海の全てを断ち切って見せている姿を見つめながら、
母さんは静かに呟く。あれほどの力があっても、忠行とクトゥルフには敵わなかった。
その理由を今から見せてくれるといった母さんは、必死に戦う父さんの姿を見つめがら
再度口を開き始めた。
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