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第六百三話 勇気の重み

「・・・・・・・・・・・・。」


ゆっくりと、そして着実に進む千夏達。戦う龍穂の元へたどり着くため、

そしてクトゥルフを討ち果たすための一歩は重い。

これから向かう戦場を嫌でも見続け、そしてその中に入り込まなければならない恐怖に

耐えながらの足取りが軽い訳がなかった。


「・・全体に次ぐ。」


心を奮い立たせている中、兼定の静かな声が耳から聞こえてくる。

それなりに近づいた。いよいよ自分達の番なのかと胸が跳ね上がった。


「・・・・・・・・・・・・。」


いつも冷静な千夏やちー達まで無念を聞き逃さまいと声を上げずに静かに耳を澄ます。

荒れ狂う風と海で多少の話し声は風音などで阻まれており、事前に交わした策の

細かい調整を行っておかしくは無かったはず。


「千夏達の援護を強めろ。龍穂の元へたどり着かせるぞ。」


覚悟は既に決めていた。だが、荒れ狂う戦場に足を踏み込む恐怖が絞めたはずの心を

揺さぶりに掛かる。そしてそれ以上に千夏達を追い込んでいたのは龍穂の存在。

いつも共にいた龍穂が今は離れており、明らかにふさわしくない死地へと足を踏み入れる

事実を視界にとらえる本人が嫌というほど教えていた。


「・・・・・・・・・・・。」


いつもであれば誰かが声を上げていた。純恋か、千夏。はたまたちーが作戦開始の

音頭を取っていたはず。だが、容易に想像できる死の姿が死神となって千夏達の

脳の回転を止めてしまっている。


「ちー。準備は整っているか?」


兼定の返答に、誰も答える事は無い。死地を超えてきた自負は全員にある。

だがここまでの死の匂いが濃く、辺り一面に充満している戦場に踏み込んだ経験はなく、

迫るごとに襲い掛かる恐怖に足がすくんでしまっている。


(・・・・・・・怖いな。)


ここまで緊張している千夏やちーの姿を見た純恋と桃子も同じ緊張が体を縛りつけているが、

ほんの一瞬戦場に視線を移した純恋がマイクに向かって声を上げた。


「・・少し待ってほしい。準備、出来てないわ。」


予想外の返答。誰もが目の前の恐怖に慄いている中、冷静な返答を上げた純恋に対し

視線が一気に集まる。


「・・・・・そうか。どんな状況だ?」


「このまま踏み込むのはちょっと怖すぎる。援護より、もっと安全な道が欲しい。」


盤面は優勢に見えるが、肝心な龍穂達の戦場にほぼ干渉できていない。

純恋の要求は真っ当であり、このまま踏み込めば何もできずに終わる可能性があまりに

高すぎた。


「了解。確かに想定以上に成果を上げられていないのは事実だ。俺達も動こう。

今以上に盤面を動かすぞ。」


千夏達が恐怖を抱いているのはこれから向かう戦場の状況や龍穂の不在だけではない。

兼定が作り出した策は、本命の純恋達を龍穂の元へ向かわせる事が大前提に組まれている。

そのために出来るだけリソースを吐かない様な立ち回ろうとしていた兼定だが、

思っていた以上にクトゥルフの制圧力が高く、期待していた龍穂の押し込みが足りなかった。

策の侵攻が進んでおらず、その影響をもろに受けていた千夏達が恐怖に支配されるのは

道理であり、その状況を把握した兼定も力を温存せずに前に出る判断を下した。


「分かった。待っとるで。」


今は何もすることは無い。自分達は味方の動きを待つだけ。


「今のうちに情報を集めて色々話しとこうや。その方がええやろ。」


唖然とした表情で全員が純恋を見つめる。今まで強気な発言をすることは多かったが、

こうして大切な場面で味方を鼓舞する事はあっても引っ張る姿を見せることは無かった。


「・・何かあったの?」


明らかに今までと違う姿を見たちーは心に浮かんだ素直な言葉をぶつける。

いつもの純恋であれば馬鹿にされたと怒るだろうが、静かに戦場に目を移してゆっくりと

口を開く。


「まあ・・・あの時に比べればまだ希望あるからな。こんな所で無駄に突っ込んで

死んだらこれから会う”あの子”になんて顔向けすればいいか分からへん。」


純恋の言葉を聞いた全員がその内容に疑問符を浮かべる。

失われた未来で純恋が体験したもう一つの地獄。その地獄の中で見出した希望。


「あの・・子・・・・・?」


「そや。桃子達が分からんのも訳あらへん。急ぎで全部を話せてないからな。」


希望のための犠牲。本来宿っていた命を犠牲にした今は無き過去が純恋に勇気を与えた。


「・・なんだそれ。」


「こんな所で言う話や無い。終わってから・・・ゆっくり話すわ。」


気になっていたとしても、今は語っている暇はない。


「ひとまずや。このままいっても私達は犬死。きっと仲間達が道を作り出してくれる。

そうなった時、龍穂の元へたどり着いて一緒に戦う事が目的やけどまともにしゃべるか

分からない龍穂相手に連携が取れるかが分からへん。」


狂気に包まれている状態では、共に戦う事さえ難しい。かといって同じ様に狂気を

身に纏えば隣に立てることはあっても、実力が劣っている事をクトゥルフはよく知っている。

命を狙われれば一瞬でこの世から去ることになるのは目に見えている。


「兼定さんが援護するとは言っても、あの様子だとあてにできるかさえ分からへん。

ある程度なんて言わず、自分達でも戦えるように考えなあかん。」


「・・とはいっても、あの中で戦うなど想像がつきません。最低限、龍穂君との

意志疎通が出来なければ、まともに戦う事さえ困難でしょう。」


いくら千夏であっても死地の中での立ち回りは想定できず、思考を止めたような結論が

その口から放たれる。


「道を作るっていうのは、少なからずあの戦場に安置を作り出すってことだ。

それほどの力があるのなら、あの二人が一緒に居てくれさえすれば・・・・・。」


「それは前提を崩しぎや。希望を策の中に練り込めば必ずギャップが生まれるで。

今ある手札を並べなまともな策にならんやろ。」


ない希望にすがるのは絶望への助走。本来あり得ないはずの出来事を希望と呼ぶのなら、

そんなものを策に組み込めば必ず崩れると純恋は語る。


「じゃあ、どうしろってんのさ。」


誰もが恐怖に支配されている。勇気を振り絞り、足を進める事など一切する気がない発言が

次々と飛び出していく。


「・・・・・そうか。」


どうすればちー達を前に向かせられるのか。悩む純恋に対し、隣にいた桃子がその答えを

導き出す。


「桃子、何か思いついたんか?」


「いや、別に無理やり龍穂の合わす必要無いんやなって思って・・・。」


龍穂と戦うのに龍穂に合わせる必要はない。まさか自分達だけで単独行動を取るつもり

なのかとちーが尋ねるが、そう言う意味で言ったのではないと桃子はすぐさま否定する。


「私達が龍穂に合わせるのが難しいんなら、龍穂の方から足並みをそろえてもらうのは

どうやろ。足並みをそろえるからって実力を私達に会わせてもらう必要はないんやし。」


「それでは狂った意味がありません。龍穂君にはクトゥルフだけに集中してもらう必用がある。

そこに私達がいれば足手まといに・・・。」


「でもそれって龍穂の意識を変えるためにやってんやろ?龍穂は優しいからみんなを護ろうと

空気操作で辺りに様子を常に伺っていた。力の消費も激しいし、何より気が散ってしょうがない。だから兼定さんは龍穂を狂わせた。余計な事を考えさせへんためにああさせたと思う。」


龍穂の意識一つ変えるだけに狂わせたと言い張る桃子に対し、千夏は不機嫌そうに耳を

傾けていた。そんな事、言葉で伝えれば済む話じゃないかと内心思っていたが、

この戦場の中であの龍穂が仲間をみすみす見捨てる様な人ではない事を十分知っており、

そうしなければならない理由として最有力である事が否定できない事もまた一つの事実。


「・・それが難しいから兼兄がそうし向けたんだよ。私達にそれが出来ていた今更・・・・。」


もう遅いと言うとしたちーに対し、純恋が戦場を見上げながら手を前に差し出す。


「いや、桃子の言い分。もしかすると通るかもしれへん。」


戦場を見上げた純恋は龍穂の様子を見ながら呟いた。同じく全員が見上げると、

そこにはわずかに動きを止めた龍穂の姿。狂っているのなら動きは止めないはず。

それは龍穂のみに何かが起こった決定的な証拠。


「白、業達に次ぐ。俺の指示に合わせて動いてくれ。」


心配そうに龍穂を見つめる中。兼定の指示がヘッドセットから純恋達の耳に届いていた。



ここまで読んでいただきありがとうございます!

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