第六百話 狂いきれない理由
狂う、狂う、狂う。思考も体も、全てをクトゥルフをこの世から滅ぼすために向ける。
「ははっ!!!」
他に何もいらない。ただ殺すだけを考える事で勝利はおのずと自らの手中に収まる。
過去も未来もない。これまで培ってきた技術も、背負う使命も。全てが戦いにおいて不純。
殺すか殺されるか。その二つだけが戦場で戦う者に降り注ぐ。
俺にもそれがくるのなら、楽しく殺されかけ、歓喜のまま殺したい。
『そうだ。今は目の前に集中しろ。』
幸い、俺の傍には楓がいる。楽しむことができない反撃を楓が全て排除してくれる。
狂え。正気などいらない。正気など保っていたら目の前の化け物に勝てるはずがない。
仲間達は大丈夫。兼兄達がいる。あの人達なら守ってくれる。
『ここは奴の領地。簡単にはいかない。だが、お前ならやれる。
俺の力を操るお前だからこそ、奴を息の根を止めれるのだ。』
そうだ。俺はこいつを殺す。俺の先祖を全て殺した忠行とクトゥルフ。
俺の両親もこいつらに殺された。全てを断ち切るには殺すしかない。仲間達を護るには
こいつをこの世から抹消しなければならない。
「殺す・・・!!!」
敵意、殺意。意識や感情を全て殺すことに向けなければ勝てない。だが、奴と戦う中で
明らかに俺に意識が向いていない瞬間をいくつも見かける。
恐らく・・・後ろで戦う仲間達に何か仕掛けているのだろう。未だ奴には俺以外を
見る余裕がある。このままだと・・・・・。
「・・怖いですか?」
隣で共に戦う楓が戦いの最中語り掛けてくる。怖い・・・か。
確かに怖い。今まで戦場では必ず空気操作を行ってきた。ハスターの力を得てから、
全ての戦場の様子が手に取るように分かっていた。だが、今は奴の手が届く範囲に絞っている。
俺に向けられる攻撃を察知するためだけの空気操作。陽が落ち、視界が阻まれる夜は
何が起こっているの分からない本当の闇と化していた。
「なら、戦うのみです。戦って追い詰める事だけが龍穂さんの救ってくれます。」
楓は俺の心中を完全に読み切っているのか、さらなる狂気に溺れろと訴えかけてきた。
だが、いくら狂おうとも俺の記憶の中にいる大切な存在が心の底から狂う事を許してくれない。
このままでは化け物に成れない。心の底から人間を捨てなければこいつに勝てない。
全てを賭け、全てを捨てなければ化け物に成れず、大切な仲間達を護れなければ・・・・・。
『・・・・・蛙の子は蛙、か。』
これまでの戦いの全てが無に変わる。そう心の中でつぶやいた時、
ハスターがため息を吐きながら何かを口にした。
「・・・・・・・・・?」
『おい。”繋げた”のだろう。』
俺の中にいるハスターが声を上げる。俺にしか聞こえないはずの念話で俺以外の誰かに
語り掛ける口調で。
『いつまで倅にケツを拭かせるつもりだ?龍穂は見てきたぞ。お前達が捨て去った者達が
どういう思いでこれまで過ごしてきたのかを。真の化け物に成った者が辿った結末が
いったいどういうものなのか、お前達なら全て知っているはずだ。』
倅・・・。となると、ハスターが声をかけている相手は父さんと母さん。
一度倒れ、戦場に意識を失くして俺の夢の中で出会った二人。この二人は俺の得物であり、
母さんが親父に預けた唯一の遺品である六華の中にいるはず。
『全く・・・。お前達とは違う種族である俺がなぜこのような事を言わねばならん。
・・思っていた以上に毒されたという事か。』
何故お前達がやらなければらないと言わんばかりに文句を垂れるハスター。
捨て去った者達・・・。心当たりは確かにある。陰陽師試験の時、封じられていた記憶を
取り戻した真田様と伊達様が見せたやり場のない苛立ちと悲しみ。
それが残された者達が送った末路というのなら・・・。
「・・・・・・・・・・・・・。」
まだクトゥルフとの戦いは終わっていない。負ける気など一切なく、こうして考えているの最中でも奴への攻勢は崩しておらず、勝機を必死で探している。
だがそれでも・・・あの時見た二人・・・・・いや、これまで父さんと母さんに関わってきた
人達の悲しむ姿を見ると、どうしても敗北してしまった時の事を思い出してしまう。
それを狂気の燃料にくべられればいいが、俺はそんなに器用ではない。
それよりももし俺が負けた事を考えると恐怖で足が止まってしまう。
「ッ・・・・・!!!」
恐怖していると理解した瞬間。先ほどの楓の言葉が脳が反芻し、このままではダメだと
頬を叩いてクトゥルフに全力で意識を向ける。怖いのなら戦え。戦う先に安堵はある。
果たして楓が俺がここまで考えると分かっていたのかは分からないが、共に戦う覚悟を
このままでは無下にしてしまうと気合いを入れなおし、得物を握る。
化け物に成る。クトゥルフを殺すためだけの化け物に。そうなればみんなと共に
未来を歩むことができる。
「死ね!!!」
人でなくとも構わない。覚悟に答える様に触手がうねり出し、今までより多く、
そして強大な風の塊をいくつも打ち放つ。化け物に成る、みんなのために。
そう何度も心中で呟き、奴の余裕をなくそうと得物を握りしめたその時。
温かい何かが俺の中に入ってくる感覚が右手から伝わってきた。
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「・・・・・・・・・・・・。」
戦いの中、一瞬動きを止めた龍穂の様子を兼定は逃さない。
「・・止まりましたね。」
隣に立つ春もその様子を逃すこと無かった。吹き荒れる嵐と荒れ狂う海。
攻め込むタイミングを伺うため、一度止まる事など決して不自然ではない。
だが、狂気に包まれているのなら話は別。タイミングを見計らうことなく攻め続ける
本来あり得ない行動を取る姿を先ほどから何度も見てきたからこその異常。
兼定が与えた狂気はニャルラトホテプの力を用いた秘術。脳に細工をし、ただクトゥルフを
殺す事だけを考えさせる作用を相手に与える。
「・・・・・そうだな。」
命ある全ての生物は必ず死への恐怖を持つ。感情を生み出す脳の奥深くに潜むその恐怖は
危険であることを理解すると、自然と恐怖から逃げようと体を動かす本能として
必ず備えられている。その作用と兼定は封じた。以前の封じ込めた記憶の術式の後を追って。
「これも計算の内ですか?」
そしてクトゥルフ、賀茂忠行への怒りを燃えがらせる。その二つだけあれば龍穂は狂える。
これだけ仲間達が痛めつけられ、一人は命を落としかけた。その怒りがあれば
龍穂は狂えると兼定は踏んでいた。
「・・どうだろうな。」
狂った龍穂とそれを支える仲間達。それがあればこれ以上だれも死なずに勝利を収められる。
それは皇も望んでいる。もう一度命を落とすことが無い様に、影に沈んでその時を待つ
皇は誰よりも完全なる勝利を望んでいる。
嫌われるのは慣れている。何が何でも任務を完璧に遂行するには私情を挟むことなど出来ない。
兼定はそう心に決め、大切な者たちに嫌われる恐怖と戦いながら業という道を歩んで来た。
「あなたなら薄々感じていたんじゃないですか?あの子が”化け物になんて成れない”事を。」
死への恐怖を断ち切っているのなら、龍穂は別の何かに恐れている事に成る。
それはこれまでの龍穂を見ていれば簡単に察する事が出来、当然兼定も理解している。
「これまで、龍穂は恐れてきた。仲間と別れることをな。本人は自覚していないが、その根源は純恋ちゃんや千夏ちゃんと別れた幼い時の記憶。封じていたはずだが体が悲しみを覚えて
いたのだろう。だが、そんなことは人生の中でいくつもある。それが大きくなったのは、
楓が一度命を落としかけた場面に居合わせた事だろう。あのような悲しみは二度と味わいたくは
ない。そんな本能が龍穂の中で芽生え、そしてあいつを強くして来た。」
だからこそ、あのような恐ろしい戦場に千夏達を向かわせた。たどり着かせる事が出来れば
龍穂は今以上の力を発揮するだろうと考えた。
だが、その恐怖がまさか龍穂の足を止めることになるのは思ってもいなかった。
「それで・・・あの子達を利用し、さらに強くさせようと?」
「そう言うな。千夏ちゃん達に何かがあった時のために俺達がこうして控えている。」
兼定にとって、龍穂の別の形で恐怖するのは想定内。足を止めたことも龍穂の弱みと同時に
強みであることをよく知っている。クトゥルフも仲間達を狙うが、それこそが
兼定の狙いの一つ。集めた情報、そして龍穂の強化。それが兼定が思い描いた勝ち筋。
その勝ち筋を確実にするには、次なる一手よりクトゥルフの弱体化が望ましい。
そう判断した兼定は率いる白達に向けて指示を出した。
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