第五百八十話 隠される続ける切り札
少し離れただけでこれだ。やはり・・・戦場から離れるべきではなかった。
何か置いて行けばよかったと後悔しながら戦場に向かうが、このわずかな時間が惜しい。
あれだけの衝撃だ。何人か命を持っていかれてもおかしくないと千夏さんの影に
入ろうとするが、その瞬間ヘッドセットから声が聞こえてくる。
「龍穂!!こっちに来るんじゃない!!!」
聞こえてきたのはちーさんの声。あまりにも緊迫した声に足を止めるが、
その声色から伝わる焦りを知れば影に入る以外の選択肢を取ることはできない。
「竜次兄が戻ってきてる!!私達は無事だ!!!」
足を影に落としたその時。必死の声を聴いた俺の体は止まる。あれほどの衝撃を放ったのが
竜次先生であるなら筋が通る。皇の術式で力を取り戻し、治療を半ばで戻ってきたのが
容易に想像できた。
「・・戦場の様子は?」
兼兄の様に無理をして戻ってきたのなら、もう一度後方に戻す選択肢もある。
その容体について聞くことも考えたが、まずは戦況の確認からする必要がある。
「白達が奮戦した後、これ以上多方面からの攻勢はマズいと奴も手を打ってきました。
龍穂君が作り上げていた風の床を突破し、奴は再び海水を動かし範囲攻撃を展開。
前線を維持しようと白達も踏ん張りましたが、実体を持たない水達を前に無駄な消費は
避けるために前線を下げる判断を下しました。皇と合流を果たすために動き出した
影定さんと共に距離を取った我々と業の援護の中、順調に後方に下がりつつあったその時。
竜次先生が大空から忠行に向けて炎を放ったのです。」
なるほど・・・。天空からの不意打ちに気が付いた忠行が白達を追うために向けた水を
反転させ、水と炎がぶつかったのが先ほどの衝撃へと変わったのか。
少し離れた位置の俺が足を止めるほどの衝撃だ。相当な威力の炎が撃ち放たれ、
相当な水が一気に水蒸気に変わったのだろう。
「・・分かりました。」
俺以外にも単体で善戦を維持できる味方の登場はありがたい限りだ。
これであれば戦場を離れた俺には数多くの選択肢が生まれている。
竜次先生のような大胆且つ、強力な不意打ちも良し。戦況を把握しつつ、ゆっくりと立ち回り
影に潜んだ不意打ちも良し。ここから強力な一撃を狙うのも、奴を取り囲むような
範囲攻撃を行う事も出来る。
『さあ、どうする。』
どの選択肢にもメリットもデメリットもある。優位に運ぶためには戦況をより細かく
把握する必要があるが、それ以上に後方の状況にも気を配らなければならない。
「・・前に出るぞ。」
竜次先生が飛び出したとなれば、ノエルさんやアルさんが黙っていない。
あの二人は後方支援を得意としており、多少の傷であれば動き出す事だろう。
俺がここから後方で援護しても、むしろ竜次先生の行動を制限してしまう。
「そちらに向かいます。戦場の詳細を送り続けてください。」
であるのなら、俺も前に向かうしかない。ちーさんが俺に来るなと言ったのは
何かが起きたという情報だけを持っただけで迂闊に踏み込むんで来るなと言いたかったのだろう。俺が離れている状況だからこそ生まれる優位もある。
それを最大限に生かしつつ、戦場に戻れるのが最善だ。
「・・承知しました。」
俺の指示を受けた千夏さんは事細かく、それでいて無駄な情報を一切遮断しながら
情報を送り続けてくれる。竜の姿を前面に出した竜次先生は得物や炎を吐きながら
忠行に襲い掛かるが、白達が後方に下がったことによって余裕を得た水や息を吹き返した
曼荼羅の攻撃を受け押されている。白や業達も支援を送るが相打ちにするのが精いっぱいであり、このままだと良い的になるだけで終わってしまう。
(なら・・・・・!!)
奴の警戒を俺に引き付ける。そのための一手をここから打ち放ちながら迫るのが良いだろう。
神を作り上げる必要はない。全力を叩きこむ。
「・・親愛なる牝牛。」
作り上げたのは一つの衛星。ユーピテルの恋人であり、木星を慕う様に回り続ける
四つの衛星の一つであるイオ。ユーノーの神官であったイオをだが、ユピテルに求愛され
身籠ったが、妻であるユーノーに見つかりユピテルによって白い牝牛に変えられてしまった。
その後、彼女は壮絶な運命によって各地を転々とし、ついにはエジプトという遠い地に
たどり着いて人間の姿に戻る。そしてその地の王と婚約を結び、イシースと名を変え
民から慕われたという。
木星と比べ、小さな惑星だが太陽系の中で最も水分の割合が少ない惑星であり、
且つ且つ火山が多く忠行からすれば最悪の相手だろう。
何故なら表面の温度は生命が繁栄できない程高く、それを証拠に溶けた鉄などが
惑星を構成する主成分であり、触れれば火傷ではすまず死につながる。
当然、神力操作によって奴以外に影響を与えることは無い。ゆっくりと進むイオを前に
忠行が必死に曼荼羅で撃ち落とそうとしている。
その隙を突き、攻勢に出る竜次先生の姿は俺の空気操作によって詳細に伝わってくる。
「・・どう思う?」
だが、それでも奴は戦い方を変えない。ひたすらに子孫達の力を使うのみ。
まともに使ったと言えばあの大津波ぐらいだろう。
隠している何かをここまで使わない意味は一体何なのだろうか?
分からない。これほどの窮地に陥っても、温存する切り札にはそれだけの意味があるのだろうか?
『狙いが分かるほど、奴に興味はない。持っている切り札も知らん。あまり深く考えるな。
ここまで隠しきるほどではなく、ここまで出せなかっただけなのかもしれんぞ?』
俺の静かな焦りを、ハスターは嘲けて返す。その対象は俺ではなくクトゥルフ。
敵対しているとはいえ、この状況でも格下に見ているのは余裕と言うよりかはあまりに
舐めすぎている。
「・・一度敗北をしかけているんだぞ。」
『味方のせいでな。あの状況を作り出したのは兼定達だ。
奴が作り出した壁は仕留められる絶好の好機だった。ニャルラトホテプの奴が手を貸したかは
知らんが、あそこで少しでも奴を削り切れなかったのが敗北寸前まで繋がった。』
・・否定はできないが、それだけ奴が強かったという事だ。
ただそれだけ。だが・・・・・その言葉が頭の中で引っかかる。
(あの中で・・・・・何が起きた?)
俺達と子孫達の化け物との戦いは決して短くは無かった。短期決戦というのには十分なほど
だったはず。その時間の中であの五人をあれだけ追い込んだはずなのに、今のあいつはどうだ。
多勢に無勢とはいえ、それほどの力を持っているのなら何故使わない?
「・・・・・・・・・・・・。」
あそこには皇がいる。あの人の命を刈り取るなら、兼兄達を倒した何かを使えばいい。
壁で姿が見えていなかったが、あの場では確実に奴は切り札を切った。
考えられる条件として、ある程度の接近が必要。それに・・・水で囲まれている場が
必要なのかもしれない。
あの場に俺の陣は無く、奴は海を支配している。あくまで予想だが、該当している
状況はいくらでも作り出せるだろう。
一度追い込まれた竜次先生も、それを承知で奴に接近戦を挑んでいる。
奴がイオへの対処を終える前には合流しなければならない。
戦場に戻るため、風を割きながら空を駆ける。後ろから聞こえてくる波の迫る音。
凍てつく海を破壊しながら、そして確実に迫ってきたその時。
その津波の音をかき消すような衝撃音が空気を震えさせた。
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