第五百三十一話 僅かな隙の攻防戦
炎から脱した忠行。その姿を確認したその時、あり得ない光景が広がっていた。
「なっ・・・・・!?」
何とそこにあったのは真っ黒な海。竜次先生達の炎を受けても何故蒸発しなかったのか
分からなかったが、それ以上に不可解なのはクトゥルフの姿。
「・・・・・・・・・・。」
醜い姿はどこに行ったのか。そこには小さな体が一つだけ置かれている。
俺達と同じような背丈。だが、皮膚には変わらず顔がいくつも浮かんでいた。
「ふぅ・・・・・。」
あの強大な力を体一つに収めた忠行が上にいる俺達の方を向く。
あの不気味な海水を取り込んだことであの姿になったのか。その要因はいくつも考えられるが、
今はどうでもいい。
「久しいな・・・。この姿になったのは・・・・・。」
奴はもう一段階ギアを上げてきたことだけは確かな事実。
あの巨大な体での圧倒的な物量は確かに強力だったが、動きが鈍かったのが
大きな弱点でもあった。それをカバーするために人間の体に全てを押し込めたのだろう。
奴の背中からは俺と同じ様に触手が伸びており、手数も変わりそうにない。
「だが、まだ乾いている。深海の水を体に取り込んでも、体の火照りが収まらん。」
奴がずっと呟いている体の渇き。どうやら足元にあるのは太陽の届かない深海から
呼び出した陰の力が込められている深海の水。それを取り込んでもなお
乾いていると呟いているその意味は・・・・・たった一つ。
『お前を喰らいに来るぞ。』
奴はこれまで配下を動かして俺の命を狙ってきた。寿命が残りわずかだったため、
不用意に寿命を削る訳にはいかないと大きな動きを取ってこなかった。
『・・分かっている。』
後は俺を喰らうのみという状況までたどり着いたため、こうして直接手を下しに来たが
結局俺の血肉を一切喰らう事が出来てない。
奴が呟く渇きの意味するところは俺の血で喉を潤し、体の火照りに水を差す事。
そしてこれまでまともに食事を取っていなかった体に俺の肉を与える事で
飢えていた体に餌を与えるつもりだ。
「・・龍穂。」
だが、そんなことはさせないと純恋達が俺の隣に立つ。
もう・・・・・抑えることはしない。覚悟を秘めたみんなの姿を、俺は見てしまったからだ。
「さあ、この渇き。そして飢えた体に水を差そう。そうすれば・・・わしは王になる。」
人の姿となり、身軽になった忠行は膝を曲げてこちらに跳ねようとする。
此方に飛んでくるつもりだろう。あからさまな予備動作は俺達に警戒を与える。
ただ跳ねるだけなら簡単にいなせる。何なら空気の壁を———————————————————
「よこせ。」
瞬く間だった。一瞬で、奴は俺の目の前に飛び込んで来た。
(まず・・・・・。)
体は反応できていない。このままだとやられる。奴が俺の向けて人差し指を向けてくると
指の腹に出来た苦悶の顔がこちらに向けて口を開けている。
『本領発揮か。ギアを上げろ。』
だが、自らの意志に反した腕が奴の腕を払いのける。その瞬間、頬を掠めたの黒い水。
奴が体に取り込んだ海水をこの至近距離で打ち込んで来た。
「くっ・・・!!!」
九死に一生。決して油断はしていなかった。奴の動きに俺の脳が反応しなかった。
だが、決して窮地を脱した訳じゃない。奴の間合い内に入っており、このまま俺を狙う事も
出来れば仲間達を襲う事も出来る。
『来るぞ。集中しろ。』
先程はハスターが俺の体を動かしてくれた事でいなせたが、次も反応できるかは分からない。
急いで空気操作の質を上げ、奴の予備動作一つ一つを空気の微弱な流れを感じ取りつつ
何とか対応しようと試みる。
「徒手空拳は得意ではないだろう。」
右腕、左足。手刀に前蹴り。滑らか且つ、緩急のある瞬発的な動きで忠行は俺を攻め立てる。
空気の動きで動きを先回りし、何とか受け止めるが慣れない徒手空拳での対応に
足が後ろに向き始める。押されている。その自覚は多いにある。
間を与えない奴の攻撃に、鞘に触れる事さえ叶わない。
「龍穂!!!」
攻め込まれている俺を見た純恋達が一斉に魔術や神術を打ち放つ。
この場面での援護は本当ならありがたいが、これだけの速さを持つ奴の意識が
純恋達に向けば簡単に命を奪われるだろう。
「邪魔だな。」
凄まじい一撃達が四方から忠行に向けて飛び込んでくるが、奴は焦ることなく右手を
上げると手のひらや腕に空いた口から同等の魔術や神術が一斉に放たれる。
「なっ・・・!?」
あまりに簡単にいなされた景色を見た純恋達は驚きを隠せず、動揺した一瞬の隙を
奴が逃すはずがない。わずかにずらされた足元。それは純恋達に向けて飛び込むための
予備動作。俺の目の前で、しかも拳で純恋達を摘み取ることで俺の精神を壊すつもりだ。
「やらせるかよ・・・!!!」
そんなことを、俺が許すはずがない。純恋達への迎撃を行うため、天に向けて右腕を伸ばした
隙を逃すわけがなく、握りしめた手の平の中に込めた空気の塊を親指で弾き
奴の足を貫こうと試みる。
「ふん。」
だが、奴は足を横にずらしつまらなそうに簡単に避けられる。
『それだ。』
そう、それでいい。奴が足元をずらしたわずかな隙。その隙だけで俺は生き返る。
すぐさま予備動作に切り返そうとした奴の周りに空気の弾丸を作り上げる。
術式もくそもない空気操作での弾丸の雨を、奴に向けて撃ち放つ。
皮膚に触れれば簡単に穴を開け、そのまま肉に潜り込み貫くほどの威力を持った弾丸に
忠行も徐々に後退し始めた。
(これだ・・・!)
奴の弱点。それは攻撃に対し、防御に出る瞬間が必ずある。
今まで攻勢に耐えていたのでうやむやになっていたが、体に縛った子孫達を失う事を
恐れて身を守る行動をとる。
ただやられるわけにはいかないと、攻勢に出るための一歩を踏み出そうとする足を
狙い続け、口を開こうとする皮膚に弾丸を打ち込む。
そのたびに身を躱し、体からあふれ出した海水を操り弾丸を包み込む。
兼兄達と同じく、攻勢を一切許さない姿勢を貫きながら俺は一歩ずつ踏み込み、
間合いを取りつつ鞘に手を伸ばす。
(頼むぞ・・・・・!!)
ゆっくりと鞘から引き出した六華の刀身は、無銘とされているにはもったいないほどの
丹精に折り重ねられた鋼と洗礼された刃紋が刻まれており、
陰に隠れて武器を作り上げてきた雑賀家の傑作の一つだと感じさせる名刀だったはず。
だが、それらが嘘だったかのように一切の模様も無く純白に染まっている。
俺の両親。父さんと母さんの魂が込められた刀身が何故純白なのかは分からない。
だが、六華や金盞花を握った時以上の安心感が手から腕に伝わり、
奴に避けられる事や皮膚を割くことができるなどと考える間もなく自然と体が
刀を振り抜いた。
「・・・・・!!!」
感覚がない。全ての刀にあるはずの肉を断ち切る感覚が手や腕から伝わってこない。
そして何より、空気の抵抗が一切感じられなかった。空気操作などしていないのに。
体に起こった異変の答えは出てこなかったが、俺の視界にはその結果が映し出されていた。
「そこに・・・いたのか。」
奴の皮膚。そして腹部の肉を切り裂き血を流す忠行の姿。この場において油断など
しない忠行が分かり切った一太刀を避けられなかった事実。
『ぼやっとするなよ。』
あり得ることが無い現実を直視できていないのは俺ではなく忠行の方。
「分かってる・・・!」
手に入れた・・・いや、与えられた有利をものにしない訳にはいかない。
俺と、俺の仲間のために力をくれた両親の期待に応えなければと弾丸を打ち放ちつつ、
もう一太刀を浴びせるために強く踏み出す。体の感覚から得た情報を整理しながら
強く鞘を握る。空気を感じさせないほどの何かと言えば・・・切れ味しかない。
全てを引き裂くただ圧倒的な切れ味。空気操作で感じたことで理解したが、
刀身に触れた空気の分子が引き裂かるほどの切れ味は奴にとって大きな脅威となるだろう。
「ふっ・・・!!!」
踏み込み、振るう。風切り音など放つことの無い空気さえも断ち切る刀。
腕を振るった瞬間から与えられる空気の抵抗がなく、加速を続ける刀身を見た忠行は
大きく身を引くしかなく、再び穴の中へその身を投げた。
「・・・・・・・・・・・。」
やれる。いや、やれた。少し前であればあのまま押し込まれていただろう。
東京結界で抑え込まれていた力を開放した忠行でもやれる。こぼれた確信を拾い上げ、
再び手中に収める。
「やるな。」
だが、それでも奴の力は想像以上。俺単体ではやれるが、奴の立ち回り次第では
先程のような状況をいつ作られてもおかしくはない。
その二つの現実を前に、俺達は立ち回りを考えなおさなければならなかった。
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