第七三話 グローセン・バッカードという悪魔
以前、『月影』の先代が事業を拡大しようと画策した事があったという。しかし、商才の無かった先代は、貴族に手回しすることもせず、事業拡大に踏み切り……失敗。多くの貴族から裏から手を回され、先代の目論見は阻まれたそうだ。
その結果、『月影』は大きく衰退。危機的状況に陥ったという。その状況に目を付け、手を貸したのが、件のバッカード伯爵だ。当時はまだ当主では無かったものの、圧倒的な権力・資金力を用い、『月影』再興に手を貸したのだそうだ。
「それが凡そ一八年前で御座います。あの男によって、『月影』は消滅せずに済みました。しかし……」
グローセン・バッカードという男は、己の快楽に従順な悪魔だった。ここで言う悪魔とは、悪辣非道という比喩的表現であり、本当に悪魔であるという訳ではない。
『月影』の危機的状況を救ったバッカードは、多大なる影響力を持つことになった。屋敷の女を己の欲望赴くままに犯し、虐げ、暴虐の限りを尽くしたという。
大きな借りを作ってしまった先代は、バッカードに頭が上がらくなってしまった。そして、事業拡大の失敗という一つのミスだけで、自信を喪失してしまった先代は、バッカードの言いなりに……。そこから『月影』は狂ってしまったという。
「先代はバッカードという悪魔に取り憑かれてしまったのです。それ以前は己の覇道を夢見るどこにでもいる平凡な男だったのですが……。あの男の従順な下僕となり、指示されるがままに見た目麗しい女性を拐かし、あの男に献上するまでに堕ちてしまったので御座います。己が娘を差し出すまでに……」
「お嬢様……」
ミラが心配そうにサリアに寄り添う。
「ええ、大丈夫よ。これはリュウヤ様にお話ししないといけないの」
サリアは弱々しい微笑をミラに向けた。
「その娘というのが……私で御座います」
衝撃の事実を語るサリアは、張り裂けそうな胸を抑え、俺を真っ直ぐ見詰めていた。
「……まさか……そんな……あり得ないだろ……? 自分の娘を……差し出したっていうのか……?」
俺は直ぐに理解出来なかった。いや、直ぐでなくとも時間を掛けても絶対に理解出来ないだろう。自分の娘を差し出すなんて……。
「どうやらあの男は夢魔族と関係を持った先代を羨ましく思っていたようです。それに先代の忠誠を試す為に、娘である私を差し出させたのです。そして、先代の目の前で私を……」
「サリアさん……サリアさん、もういいよ……もういいから……」
俺は胸が苦しくなってサリアを留める。それ以上は話さなくていい。それ以上、彼女の辛そうな顔は見たくなかった。
サリアは少し気持ちを落ち着けるかのように、息を深く吐いた。
「それからは先ほどお話した通りで御座います。一六年間、私は『月影』に縛られてしまいました。そして、多くの女性を地獄に堕として来たのです。ミラが……屋敷の女がどう私の事を思っていようとも、私のしてきたことは決して許されることではありません。地獄に落ちるべきなのです。ただその前に……あの男だけはこれ以上、野放しには出来ません」
あの瞳だ。俺が最初に感じたあの瞳。復讐に燃える昏い瞳。
「ここにあの男を失脚させるだけの証拠が御座います」
サリアが合図すると、ミラは胸に抱える様に大量の羊皮紙の束を持ってきた。
俺はそれを受け取り、眼を通すが……直ぐにそれ以上、読むことを止めた。
「これは、バッカード伯爵の日記ですか?」
「そうで御座います。あの男の直筆の日記……いえ、陵辱記録で御座います」
そう。その羊皮紙の束は、バッカードが記した記録だ。どう女性を弄び、陵辱したかを示すもの。狂気的な内容に、胸糞が悪い。
「これを王城に持ち込めば、バッカード伯爵は失脚するんじゃないですか?」
「事はそう簡単なものではないのです、リュウヤ様。この証拠を持ち込んだとしても、あの男は容易に隠滅させてしまうでしょう。太いパイプが御座いますから。それに……あの男を失脚させるだけではいけないのです」
失脚させるだけではいけない? 他にも何かまだあるのだろうか。俺は続きを待った。
「あの男は、今回の不祥事にて、すぐさま『月影』から手を引きました。先代同様、始末されることを危惧したのです。まぁそのおかげで、と言えば少し違うかもしれませんが……あの男が手を引いたことにより、屋敷の女を解放することが出来ました」
あぁ、なるほど。バッカードが多大なる影響力を持っていたままなら、娼婦たちは未だに解放されていないだろう。この狂気的な日誌を読む限り、バッカードが手放す訳がないだろうし。
「あの男は『月影』から手を引きましたが……欲望に忠実な男で御座います。直ぐに我慢が出来なくなってしまったのでしょう。あの男は『月影』での甘美な日々を手に入れるべく、自らの手で闇ギルド『アゲハ』を立ち上げたのです」
「ちょっと待って! 『アゲハ』って……」
闇ギルド『アゲハ』。俺たちがリーディニにて襲われた『山の風』が所属していた組織だ。その首魁がバッカードだったとは……。
「無論、闇ギルド『アゲハ』との関係は巧妙に隠されておりますが……『アゲハ』の真の首魁はあの男で間違いはありません」
サリアがロノアを見た。その視線で俺は少しだけ理解した。
「あぁ……ロノアの所有者がバッカードっていう訳か」
「はい。わたしは小さな村で過ごしていました。そこにある日、闇ギルド『アゲハ』が襲ってきて……男は殺され、女は捕まってしまいました」
ロノアはそう淡々と語っていたが……ギュッと握り締められた手が彼女の心情を物語っている。
「わたしは運よく、サリア様によって助け出されましたが……他の皆はもう……」
ロノアはそれ以上話すことは無かったが、何となく察せられた。
「ロノアは助け出されたと言っておりますが、事実は違います。未だ彼女の所有権はあの男のままですし……今は直近に迫った奴隷オークションにて販売する為に、教育と称して私に預けられているだけに御座います」
「サリア様。それでもわたしがこうして酷い目に遭わせられていないのは、サリア様のお力のおかげなのです。サリア様がバッカード伯爵様に掛け合わなければ、今頃わたしは……」
気丈に振舞っていたロノアだったが、耐え切れなくなったのだろう、自分の震える身体を抱き締めた。ミラが慮って、ロノアを背後から優しく抱き締める。
「ロノア様、大丈夫で御座います。私が命に代えてでも、お守り致しますから」
「ミ、ミラ様……」
ロノアはサッと反転してミラの胸元に顔を埋めた。微かに泣き声が聞こえる。
「ロノアを助ける為にも、バッカードを失脚させないといけないんだな。それに『アゲハ』も潰さないといけない」
「ええ、そうで御座います。『アゲハ』はいわば、あの男の私兵団でもあります。今や、あの男に近付くことも難しいのが現状で御座います。そこで、リュウヤ様には……」
「『アゲハ』を潰してくれってことですよね?」
俺がサリアの言葉を引き取ると、彼女は神妙な顔つきで首肯した。
「私たち夢魔族は、戦闘能力が高くない種族です。あの男の私兵でもある『アゲハ』には、現状手も足も出ません。ならば力のある者に助力を乞うべきだと判断致しました」
「それで俺に近付いたって訳ですね。でも、何で俺なんです? バルバトスさんや、シャロンさんたちの方がいいと思うんですけど」
そう。なんで俺だったのか、それがずっと引っ掛かっていた。俺は冒険者でも無いし、自分で言うのもアレだけど、得体の知れない奴だ。そんな俺に目を付けた理由は……?
「勿論、『霊銀の剣』の皆様も候補に入れておりました。しかし、直前でロノア自身が申し出て来たのです。リュウヤ様に力をお借りするべきだと」
ロノアが……? 俺はロノアの方へ視線を向ける。
「はい。わたしがサリア様にお願いしました。わたしは……見てしまったのです。あの満月の夜、魔人に対峙したリュウヤ様を」
俺は思わず天を仰いでしまった。まさか、あの時の事を第三者に見られていただなんて……。
「その反応を見る限り、リュウヤ様は本当に……?」
サリアは今まで半信半疑だったのだろう。俺が魔人を下した事に。だけれど、俺の反応を見て、それが事実だと確信してしまった。あぁ……ここでもうっかりミスだ……。
バレてしまっては仕方がない。俺はサリアに頷き返す。
「あぁ、そうでしたか……。ロノアの言う通りにして良かったわ。リュウヤ様のお力をお貸し頂ければ、『アゲハ』を潰すことも……」
サリアはホッと胸を撫で下ろしていた。
「リュウヤ様、改めてお願い申し上げます。どうか、私たちにお力をお貸し下さいませ」
サリアは居住まいを正し、深く頭を下げた。
「俺で良ければ。ロノアを助けたいって気持ちに嘘はないですし、『アゲハ』の悪行は知っていますから」
闇ギルド『アゲハ』の悪行は知っている。というか、実際に被害を受けたしね。悪者なら心置きなくぶっ潰せる。
こうして、俺はサリアたちに力を貸すことになった。目下の目標は『アゲハ』の壊滅だ。
今すぐにでも殴り込みを掛けたい所なのだけれど、色々と準備をしなくてはならないらしく、計画実行は後日行う事になった。
どうやらサリアたちには他にも仲間がいるそうで、その人が今『アゲハ』の内情を探っているそうだ。その人が戻って来てから、再び話し合うという事で、今日はお開きとなる。
玄関まで送ると申し出たサリアに固辞を示す。随分と疲れた顔をしていたからね。
一人玄関へと向かうと、背後から声を掛けられた。
「リュウヤ様、本日は誠に有難う御座いました」
振り向けば、ミラが折り目正しく、深く頭を下げていた。どうやら静かに付いて来ていたようだった。
「いや、まだお礼を言われることはしていませんよ。ただ話を聞いただけですし」
そう。俺はまだ何も成していない。ただ協力すると約束しただけだ。
「いえ、それでも十二分に、お嬢様の負担を減らして下さいました。仕える者として、感謝致します」
う~ん。そういうものなのかな? 俺には良く判らないけど、これ以上何かを言うのも野暮と言うものだ。有り難く受け取っておくことにする。
「それで……リュウヤ様。一つご相談が御座いまして」
「ん? 相談?」
「はい。お嬢様は遂に仰られませんでしたが……お嬢様自身を助けて頂きたいので御座います」
ミラの真剣な眼差しに、俺はしっかりと向き直った。
「私たち元娼婦は、お嬢様の手によって解放されました。しかし、お嬢様だけは未だに自由の身とはなっていないのです」
「ということは……サリアさんはまだ奴隷だと……?」
「いえ、お嬢様は既に奴隷では御座いません。しかし、『月影』の運営に関わる際に、裏切らせない為に、あの男がお嬢様の力を封じてしまったのです」
力を封じた……?
「はい。魔宝具と言われる秘宝により、お嬢様の力は封印……いえ、奪われてしまったままなのです。その魔宝具は『吸魔の手鏡』と呼ばれ、対象者の魔力・能力を奪い、己がものにするという魔宝具で御座います」
魔宝具……確か魔導具の上位に位置し、尚且つ現代では制作不可の強力な魔導具だったはず。極稀に迷宮から見つかるという話を聞いたことがある。
「つまり、バッカードがその『吸魔の手鏡』を使って、サリアさんの能力を奪っているっていう事?」
「はい。そして、その『吸魔の手鏡』を使い、あまたの女性を弄んでいる事実も御座います」
ミラの話を聞いて、点が線へと繋がった。バッカードが陽に掛けた魅了は、元はサリアの力……吸魔の手鏡に封じられたサリアの能力だったのだろう。
厄介だな……。という事はつまり、この件は絶対に陽たちには伝えられなくなった。もし、バッカードと相対することになった場合、彼女たちが居る事で不利になる可能性が高い。王城では、微弱な力しか行使していなかったようだが……危険だな。
「吸魔の手鏡から封じられた力を解放するにはどうしたらいいんです?」
「破壊して下さればいいかと。実際は吸魔の手鏡の所有者が、奪った対象者に戻すよう念じればいいのですが……あの男が簡単にお嬢様の力を元に戻すなど考えられません。吸魔の手鏡は貴重では御座いますが……この際、悠長なことは言ってられないかと」
「そうか……判りました。正直、勿体ない気もしますが、粉々にぶっ壊します」
真剣な表情でミラに頷いた。するとミラは嬉しそうに微笑し、深く頭を下げるのであった。
◇◇◇
リュウヤが『月影』の首領サリアと密会していた頃。
西街にある闇ギルド『アゲハ』の本拠地。その一室では……。
「ひぃぃぃいいいいい!」
嬌声じみた悲鳴が響く。ひと際大きな悲鳴を上げた後、その裸の女性は気絶したように、ぐったりと沈む。
「ちッ! ぶっ壊れやがったか」
散々女性を嬲っていたその男は、舌打ちと共に悪態を付いた。
締まった身体、短く刈った髪。凶悪な面構えには多数の切傷。
気絶した裸の女性を蹴とばし、その男は全裸のまま革張りの椅子へとドサッと腰を下ろした。インクウェルでは出回っていない高級葉巻を咥え、紫煙を吐き出す。
苛立つ気持ちを発散させる為に、女を嬲っていたが……遂にその女は耐え切れずに潰れてしまった。息も絶え絶えになり、全身を痙攣させる女性を横目に、男はもう一度舌打ちをする。
――コンコンコン。直後、来訪者を告げる扉の音が聞こえた
「……入れ」
男は深く紫煙を吐き出すと、低い声で許可を出す。
「失礼、アルビレオさん」
入室してきた男は、淫靡な臭いに少し顔を顰める。惨状を目の当たりにし、部屋の主――アルビレオの機嫌が悪いと敏く察知した男は、時間を改めようと考えた。
「ふむ。これは少し後にした方がいいですかね?」
「構わん。気にするな」
アルビレオは短く言った。それに少しげんなりしながらも、男はアルビレオを見る。
高級葉巻を咥えながらも、大層機嫌が悪い。まぁそれも仕方がないか……と男は気にしないことにした。
「リック、用件があるなら早く言え。それと後で新しい女を連れて来い」
「はぁ。まぁアルビレオさんがそう言うのなら連れてきますが……少し女の在庫が減っていまして、あまり無茶をすると、オークションに差支えが……」
リックと呼ばれた男が、アルビレオに苦言を呈す。それにアルビレオはゆっくりと顔を向け、ギロリと睨み付けた。
「……俺に口答えするってのか」
猛獣でさえ射殺しそうな凶悪な双眸。リックはぶるりと震え、首を横に振った。
「いえ……直ぐに用意させますよ」
リックは、このアルビレオという男がどれほど危険な男なのかをよく知っている。些細な口答えをしただけで、どれだけの者が死んでいったか……リックもまたその場に居合わせた一人だ。だからこそアルビレオの凶暴性を身に染みて理解していた。
「ですが、その前に報告があります。北部地域で活動していた構成員の事なのですが……」
「あぁ、『山の風』の奴らか」
リックは痛く感心する。アルビレオという男は、残酷で凶暴な男である一方、一度懐に招いた者に対しては、心を砕く繊細な部分も持ち合わせているのだ。恐怖で支配しつつも、一方では、どんな下っ端にでさえ配慮を欠かさない。闇ギルド『アゲハ』では、アルビレオを慕う者が多い。
「ええ、その『山の風』の連中は、アルビレオさんの指示で口を塞ぎました」
しかし、どんな下っ端にでさえ配慮を欠かさないアルビレオだが、失敗に関しては厳しい。衛兵に捕縛されるという愚を犯した『山の風』を処分することも躊躇わず、指示していたのであった。
「そうか……残念だが、口を塞がなければ、残る者に危険が及んでしまう。必要な犠牲だ」
「ええ、そうですね。衛兵に捕縛されるなど、万死に値する愚行。アルビレオさんの指示は的確かと」
「世辞は良い。報告はそれだけか?」
「いえ、それだけではありません。件の『山の風』が最後に接触した者が判明しました」
リックがそう告げると、それまで右から左に聞き流していたアルビレオがピタリと止まった。
そこで初めてしっかりとリックに向き直ったアルビレオは、続きを促すように顎を動かす。
「リーディニにて、最後に接触していた者は、ヒナタ、セツナ、ソフィという三名の冒険者です。この冒険者に依頼をしていたという情報を掴みました。どうやらこの者たちを標的にしていたようですが、返り討ちにあったみたいですね」
「それで、その冒険者たちは?」
「現在、このインクウェルに滞在しています。足しげく迷宮へと通っており、ゴールドクラスへと昇級したという情報を掴んでいます。巷では『麗しの三柱』などという異名で呼ばれているそうで、どうやら大層美人だとか」
「ほう……それは楽しみだ」
ニヤリと嗤うアルビレオ。それまでの苛立ちは見事に霧散し、甘い情景を脳裡に描いていた。
「それで……如何しますか?」
「決まっているだろう。その女を捕らえ、俺の前に連れて来い。俺の物に手を出したのはそっちが先だ。遠慮はいらん」
アルビレオは醜悪な笑みを浮かべていた。リックは内心はぁとため息を吐く。
もはや信者かというほど、アルビレオを妄信している『アゲハ』のメンバーは知らない。アルビレオが、心を砕いて配慮するのは、ただただ自分の物だからと。決して人扱いなどしていないのだ、アルビレオは。
「では、そのように指示しておきましょう。報告は以上ですが……どうなさいますか? 代えの女は」
「気が変わった。連れて来なくていい。その代わり……」
「ええ、判っています。出来るだけ急がせますよ」
リックは表情には出さないが、ホッと胸を撫で下ろしていた。アルビレオの機嫌が直ったからだ。このままアルビレオの機嫌が悪いままだと、折角オークション為に捕らえた奴隷が潰されてしまう。今視界の端に横たわる女のように。
そうなってしまえば、闇ギルド『アゲハ』の創設に携わったバッカード伯爵の心証を悪くしかねない。それだけは避けるべく、リックはすぐさま取り掛かることにした。
リックが退室すると、アルビレオは唐突に立ち上がった。
横たわる裸の女に近付いていくと、口許を愉しげに歪めたまま、葉巻を裸の女の背に力強く押し当てる。
「ぎゃあぁぁあああ!」
凄絶な悲鳴が響く。アルビレオはその心地よい悲鳴を聞き、醜悪な笑みを浮かべ続けるのであった。自分の物に手を出したヒナタたちをどう嬲って愉しもうかと考えながら。




