第七二話 闇ギルド『月影』
闇ギルド『月影』。主な鎬は、上流階級に属する者だけを客層とした高級娼館の経営。秘匿された夜の社交場を提供し、一時代を築くまでに至ったとサリアは語る。
「現在『月影』は、ある不始末によって活動休止状態で御座います。この洋館は娼館でありますが、現在、私共が抱えている娼婦は誰一人としておりません。名実共に失業状態に御座います」
正直、闇ギルドと聞かされて、心境は複雑だ。思い出されるのはリーディニで出会ってしまった闇ギルド『アゲハ』。最悪の事態は免れたものの、危うい場面もあった。
俺の認識では闇ギルドは絶対的な悪だという位置づけである。もし、闇ギルド『月影』の再興に助力して欲しいという事なのだとしたら、俺は断ろうと心に決めていた。
「その不始末と言うのは、先代が他国の貴族令嬢を攫い、欲望のままに犯すといった極悪非道極まりないものでした。この事件が明るみになり、闇ギルド『月影』は完全に信用を無くしました」
サリアは淡々と説明しているが……俺は衝撃を受けていた。余りもに悪辣な行為に言葉も出ない。
「無論、私共と致しましては当然許されざる行為ではないと認識しております。よって、被害に遭われた他国の貴族様には、多額の賠償金、先代の身柄の引き渡し、そして闇ギルド『月影』の無期限活動休止を申し出て、現在は和解に至っております」
正直、その条件が妥当なのかは俺には判断できない。もし仮に、俺に娘がいたとして、俺の娘がその被害に遭っていたら……。ただの想像なのだけれど、俺は胸が締め付けられ、心が怒りに震えた。
「リュウヤ様には、事実を包み隠さずお話するべきだと判断しております」
サリアの言葉に引っ掛かりを覚えて、俺は彼女を見詰めた。サリアは、注視していなければ判らないほど小さく息を吐き出し……衝撃の事実を口にする。
「一連の不祥事は、全てこの私が画策し、先代を失脚させる為に行いました」
その瞬間、俺は立ち上がり、怒りのままに叫んだ。
「テメェ! 一体、何をやったのか、判ってんのかッ!」
叫ぶ。怒りのままに。視界が赤く染まると錯覚するまでに、俺はブチギレていた。
俺の怒声に、サリアはただ黙って俺を見詰めている。
「テメェの出世欲か、なにか知らねぇけどッ! 周りを巻き込むんじゃねぇ! その子の気持ちは! どれだけ辛い思いをしたのか、テメェには判ってんのか!」
俺がそう言った瞬間、サリアはギッと俺を睨み付けた。
「リュウヤ様こそ、お判りになられるのですか? 男に身体をいいように扱われ、女の意志を無視した暴虐の数々を。それがどれだけ辛く苦しいものか、本当にお判りになられているのですか!」
淡々と話していたはずのサリアは、言葉を紡ぐにつれて、激情を露にしていく。
すると、ロノアが耐え切れず、間に割って入る。
「お二人とも落ち着いて下さい。リュウヤ様も、どうかお座りになって」
ロノアが水を差したことによって、少しだけ落ち着きを取り戻した俺は、渋々ソファーに腰を下ろした。ただ、ロノアに言われたからじゃない。サリアの言葉が胸に突き刺さったという理由もある。そして同時に気付いたのだ。サリアの瞳の奥に見えた深い悲哀、憤怒に。
「……声を荒げてしまい、申し訳御座いませんでした、リュウヤ様」
「……いや、俺も悪かった、です」
互いに非を謝罪する俺とサリア。ロノアが冷静になった俺たちを見て、ふぅと息を吐く。そしてサリアに向き直る。
「サリア様。何故、自身を貶めるような発言をしたのですか?」
……え? どういうことだ?
サリアはサッと顔を背け、小さく答える。その声音は悔恨の色を宿していた。
「私は……事実を述べただけだわ。実際に、先代を貶める為に、その貴族令嬢の事を報告したのは私自身だし……。あの貴族令嬢がどうなるか判った上で、私は何もしなかったのよ。それだけで罪だわ」
ん? サリアの話を聞いて、ますます訳が判らなくなってきた。
「えっと、ロノア。一体どういうことなんだ?」
「リュウヤ様。サリア様は自身が画策したと思い込んでいるのですよ」
「ちが――」
「いいえ、お嬢様。ロノア様の仰る通りで御座います」
サリアの言葉を遮って、ずっと黙っていたままであったミラが肯定する。
「確かにお嬢様は先代様に、その貴族令嬢の事をご報告致しました。しかし、その貴族令嬢を拐かし、犯したのは先代様と……あの男です。お嬢様がお気づきになられた時には、全て終わっていたではありませんか」
「……そうね……終わってしまっていたわ……」
サリアが辛そうに肩を落としていた。それにミラがそっと寄り添う。
「お嬢様は決断されただけで御座います。これ以上、女が苦しむ事が無いよう、動かれただけに過ぎません」
サリアが進んでその貴族令嬢を貶めた訳ではないのか……。確かにサリアが先代に報告しなければ、その令嬢が犯される残酷な結末にはならなかったのかもしれないけれど……話を聞いている限り、何やら事情があるように感じる。
サリアの肩に手を添えたミラが、俺の方へと振り返る。表情には表していないが、その瞳には怒りの炎が宿っているようであった。
「リュウヤ様がお怒りになられたそのお気持ちは私たちにもよく判ります。そして……無残に犯された貴族令嬢のお気持ちも……。私たちは娼婦で御座いました。高級娼館で強制的に働かされていた元娼婦で御座います。そして……奴隷でもありました」
よく見れば、サリアの肩に添えたミラの手が小さく震えていた。
「勿論、好き好んで娼婦をしていた訳では決して御座いません。私もお嬢様も、件の貴族令嬢のように、拐かされ、犯され……奴隷に堕とされたのです。先代様に、あの男に……」
ギリッとなる程までに強く奥歯を噛み締めるミラ。脳裡に去来した惨たらしい過去に必死に耐えている、そんな表情だった。
「ありがとう、ミラ。ここからは私が話すわ。リュウヤ様、ミラが言ったように、私たちは元娼婦で御座います。それも奴隷に堕とされ、性行為を強要された娼婦でした。身体を男にいいように扱われ、犯され……人体実験紛いの行為も強要されました。いつか殺されてしまう、そんな恐怖に囚われ、枕を涙で濡らしたことも御座います。逆らえば殺される……いえ、実際に私は目撃しました。アイツらに反抗して身体を切り刻まれた女性を……」
俺はただ黙ってサリアの独白じみた話を聞く。いや、黙っていたというより、言葉が出なかったと言う方が正しい。聞かされる内容があまりにも過激で、残酷で……。
「私が娼婦に堕とされたのは、一二の時です。それから一二年間、娼婦として性行為を強要されました。夢魔族という種族は、どうやら具合がいいようで……それはそれは多くの男が私の上を通り過ぎ去ったものです。無論、夢魔族は性行為によっても精気を吸収することが出来ますが……奴隷となった際に、スキルの使用は禁止されております」
サリアは震えていた。そして俺は気付いた。彼女が魔導具を持っていたのは、極度の男性恐怖症だったからなのだろう。魔導具を取り出す時に、ミラがとても心配していた様子だったのが思い起こされる。
「私が二四になるとき、幸運にも娼婦から解放され、『月影』の運営に関わる様になりました。それから四年……娼婦の待遇改善に奔走しつつも、アイツらの言いなりとなっておりました。見た目麗しい女性を見つけ出し、報告する。私の仕事は専らそればかりです。そして……」
サリアがミラに振り向く。
「私も、お嬢様が探し出された女性の一人で御座います。人族の寄り付かない夢魔族の里にて、あの男に……純潔を……」
耐え切れなくなったミラが大粒の涙を零していく。ロノアがそっとハンカチを手渡した。
「有難う御座います、ロノア様。リュウヤ様、申し訳御座いません。お見苦しい姿をお見せしてしまって」
「いや、見苦しいだなんて……」
情けねぇな、俺は。こんな時、上手い言葉が出て来ない自分を情けなく思う。
「最初はお嬢様の事を激しく憎悪しておりました。お嬢様の報告が無ければ、私が犯される運命は無かったのですから。ですが、お嬢様も生きる事に必死だっただけだと……お嬢様のお気持ちを知り、私たち元娼婦に寄り添って下さったお嬢様には感謝しております。そして、今回の一連の不祥事により、お嬢様が立ち上がられて、奴隷となっていた娼婦を解放して下さいました」
サリアは生きる為、仕方がなく指示に従っていた。その胸裏に多大な罪悪感を抱きながら。
そして、一連の不祥事を利用し、先代による支配を排除することに成功。囚われた娼婦を解放した……。
深く事情も聞かずに、怒りに任せて怒鳴った過去の自分が忌々しい。上辺だけで判断した自分の短慮さが憎い……。
俺はサッと立ち上がると、そのまま横に移動して、膝を付いた。
「すみませんでした! 貴方たちの事情も知らずに、偉そうなことを言ってしまって」
土下座だ。最大限の謝罪の気持ちを込めて、俺は床に額を擦り付けんばかりに頭を下げた。
「リュウヤ様、頭をお上げになって下さい。私も感情的になってしまい、申し訳御座いませんでした。それに……少しだけ嬉しくも思いました」
え? 嬉しく……?
「ええ。リュウヤ様は女性の事を道具や物として見ておらず、ちゃんと感情と意志を持った人だと認識しておられて……だからこそ、怒って下さったのでしょう? 私が出会ってきた男性は、女を物としか見ていない方たちばかりでしたから……」
サリアに促されて頭を上げる。俺の目の前にはサリアの泣き笑いのような顔があった。
そのままサリアに促されてソファーに再び座り直すと、彼女が話を元に戻す。
「私たちの生殺与奪権は、上層部に握られておりました。屋敷の女たちは全て奴隷。所有権は先代が持っており……かの者を排除する他、屋敷の女を解放することが出来ませんでした」
「お嬢様が立ち上がれたことで、私たち元娼婦は解放されました。『月影』の財産を使い、解放して下さいましたし、それに多額の金銭を分け与えて下さいました。その資金を元手に今は幸せに暮らしている女も多いのです」
「そうね……人族・亜人族の子たちは、なんとか暮らせるようになってきたわね」
「ええ、ミリィちゃんや、カレンちゃんはお店を始めて、幸せに暮らしておりますわ。経営も順調……といいますか、全てはお嬢様が裏から手を回しているんですけれど」
「ミラ! あ、あなた知っていたの?」
「ええ、勿論知っておりますわ」
ふふふと微笑むミラ。サリアは少し恥ずかしげにプイッと顔を背けている。
残酷な運命を背負わされた女達を、サリアは解放し、更には幸せに暮らせるよう、気を使っていたんだな。サリアの愛情の深さを垣間見た気がする。
「コホン。申し訳御座いません、リュウヤ様。お話を戻しましょう」
「いや、大丈夫です。というか、色々と話を聞けて良かったと思ってますよ。サリアさんの人となりを知れて……俺で良かったら力になりたいって思いました」
「そう言って頂けると……恥ずかしい思いも報われるというものですわ。勿論、ミラには後でお仕置きしますけれど」
「えぇ~、私、お仕置きされてしまうのですか?」
嫌々と首を振っているが、ミラは何だか楽しそうであった。あぁ、暗くなりがちな話を、ミラは敢えて楽しそうに振舞い、軽くしようとしているんだな。ミラも優しい心根の持ち主だ。
話を聞いている限りだと、万事解決しているように思えるのだけれど。先代の悪辣な支配を脱し、娼婦は既に解放済み。よもや俺に助力を乞う必要は無いんじゃ……。
「話を聞いている限りだと、万事解決済みじゃあありませんか? まだ、何かあるのですか?」
俺が訊ねると、サリアは姿勢を正し、神妙な顔つきとなった。
「ええ、御座います。私たちが真の意味で解放される為には、まだ大きな障害が残されているのです」
それは何か……? 俺は視線で続きを促す。
「それは……ロノアにも大きく関係している事で御座います。ロノアの所有者にして、『月影』の先代につけ入り、私たち女を己の欲望に従って、残虐の限りを尽くしたあの男――グローセン・バッカード。あの男を排除しなければ私たちが真の意味で自由になることは出来ないのです」
グローセン・バッカード。そいつが、ロノアの所有者か……。あれ? そう言えば、どこかで聞いたような……。
「そうで御座います。グローセン・バッカード。かの者はこのアトリニアにて伯爵位を頂く貴族で御座います」
バッカード伯爵。先日王城でシャロンを口説いていたあの伯爵……。そして、陽に魅了なんて掛けやがったあの男か!
「あの男は、貴族の……いえ、人族の皮を被った悪魔。己の快楽の赴くまま、他者を虐げる悪魔なのです」
サリアは語る。その瞳に激しく燃ゆる憎悪の炎を宿して。




