第七一話 黒い洋館
「それじゃあ、りゅうちゃん。ノアちゃんをよろしくねっ。ノアちゃんもまた明日」
「ほいよ。任された」
「はい。失礼します」
毎日の日課である迷宮探索を終えた俺たちは二手に分かれる事になった。
色々と物騒な事件が多発している為、俺はロノアを送り届ける事になっている。一番何者かに狙われている可能性が高い陽は、ソフィとせつなと共に一足先に屋敷へと帰るそうだ。
まぁあまり不用意に出歩かない方がいいからね。護衛にはモモ、そして、影ながらフラミアが見守っていることだろう。
陽たちと別れ、ロノアと二人、インクウェルの街並みを歩く。
静かに俺を先導するロノアの背を見ていると、昨夜聞かされた話が思い出される。
ロノアが奴隷であった事。間近に迫った奴隷オークションにて、売り出される予定だという事。ロノアが自由を掴むためには、俺の力が必要だという事。
そして、現在ロノアが一時的に預けられている『ある方』の存在。ロノアが俺たちに近付き、助力を乞うように仕向けた人物だ。正直、あまりいい印象は無い。
因みに、昨夜ロノアから聞かされた話は、ソフィたちには伝えていない。彼女たちは彼女たちで、危険が迫っており、これ以上の負担を強いる訳にはいかなかった。
今日、迷宮探索をしていても、陽の様子に一見変化は無かったように見えた。だが、いつもと変わりなく、ニコニコと微笑みを浮かべていたけれど……それが返って恐怖を無理して押し殺しているように感じられる。寄り道をせず、帰宅することにしたのも、多少なりとも怖さがあったからだと思う。
ソフィもせつなもそれに気付いているようで、陽の事は任せることにした。彼女たちなら上手くフォローしてくれるだろうしな。
そんな事を考えていると、先を行くロノアが立ち止まった。
「リュウヤ様、ここです」
ロノアに連れて来られたのは、インクウェル中心街から程遠い、外壁近くの場所だった。西街と接している為か、どことなく暗澹たる空気が充満しているように思える。
いや、その空気の発生源は、目の前に佇む黒い洋館からかもしれない。柱も壁も屋根も、全てが黒で統一された重々しい洋館だった。
ロノアが重厚な鉄扉に近付くと、まるで見ていたかのようなタイミングで、ガガガと音を立てて開く。
「参りましょう」
ロノアに促されるままに、俺は足を踏み入れた。
黒い屋敷に辿り着くまでには、広い中庭がある。緑豊かな庭園に水飛沫舞う噴水。ここだけ切り取れば、まるで映画に出て来そうな雰囲気があるのに……真っ黒な洋館がその爽やかさを全て打ち消しているかのようである。
黒い洋館の玄関先に辿り着くと、ロノアがトトトと走り、扉を開けてくれる。
「お待ちしておりました」
広い玄関では、とびきりの美女が俺を出迎えた。服装からしてこの洋館の侍女だろう。
フラミアのメイド服はクラシカルタイプで、スカートの裾が長いロングだ。それに対し、目の前にいる侍女は、どちらかと言えば、現世のメイド服に近い感じだ。スカート丈が短く、胸元がこれでもかと言わんばかりに強調されている。というか……めちゃくちゃ大きい……。
「リュウヤ様は、やっぱり大きい方が好みなんですね」
「あ、いや……そ、そういう訳じゃ……」
俺が侍女の胸元を凝視していたからか、ロノアがジト目で俺を見据える。物凄く冷たい瞳だ……。
「ご案内致します。お嬢様がお待ちです」
そんなやり取りの一切合切を無視して、侍女が案内を始め、俺は慌てて後についていく。
黒い洋館の内装もまた真っ黒だ。壁から天井に至るまで黒で統一されている。だが、廊下に敷き詰められた絨毯だけは赤と……まるで魔王城みたいと思ったのは秘密。
侍女の案内に従って、ある部屋へと入った。だだっ広い室内には、ソファーとテーブルだけ。他の調度品は一切なく、何とも物寂しい雰囲気である。
その部屋には一人の女性が待ち構えていた。喪服の様な黒のドレス。少し紫がかった黒髪。身体はとても細く、醸し出している雰囲気は鋭い。
そして……感情を窺わせない色を失った瞳。俺はその瞳を見た瞬間、物凄く帰りたくなった。
俺はその瞳を知っている。絶望している瞳だ。そして……復讐に燃え滾る憎悪の瞳でもある。
「お待ちしておりました、リュウヤ様。お初にお目に掛ります。当館の主人をしております、サリアと申します。以後、よしなに」
「えっと、リュウヤです」
慇懃な態度で挨拶をする女性――サリアに対し、俺は何とも気の抜けた返事をしてしまった。
そんなことは一切気にせず、サリアは俺に席を勧める。礼を述べつつ着席すると、いつの間に用意したのか、すぐさま侍女が茶を給仕してくれた。
「私は、サリアお嬢様にお仕えしております、ミラと申します」
ナイスバディなお姉さんは、ミラと言う名前らしい。うん、覚えた。
ミラはサリアの横に控え、ロノアも同じく横に控える。ソファーに座っているのは、俺とサリアだけだ。ちょっと居心地が悪い……。
「リュウヤ様、此度はわざわざご足労頂き、誠に有難う御座います」
「あ~いや、そういう前置きはいいですよ。それにあんまり謙らないで欲しい。俺は別に貴族とかでも無いですし」
「畏まりました。では、煩わしい前置きは省かせて頂きます」
畏まった口調は素なのか……。まぁ仕方がないか。あんまり得意じゃないんだけど。
「リュウヤ様がこちらへいらした、という事ですので、既にロノアから話はお聞きしていると思います」
「多少は。詳しい話はあなた――サリアさんの口から聞いてほしいと」
「左様でございますか。判りました。では、私からお話をさせて頂きます。まず――」
前置きは要らないと言ったからか、サリアは早速話を進めようとした。それに俺は掌を向けて待ったを掛けた。
「サリアさんの話を聞く前に、一ついいですか?」
話を進める前に、一つ解決しておかなければいけないことがある。
「サリアさんとミラさんですね。お二人は、俺たちの助力が欲しいんですよね?」
「はい、そうでございます。ですから――」
「あぁ、ちょっと待ってって。あ~もういいや、何かメンドくさいし、俺帰るわ」
突然立ち上がった俺に、サリアたちは驚き、ロノアが慌てる。
「ど、どうしたんですか、リュウヤ様? お話を聞いて下さると約束してくれたじゃありませんか!」
必死に俺を留めようとするロノア。まぁ確かにそういう約束だったけど……。
俺はチラッとサリアとミラを一瞥する。
「言っておきますけど、俺はロノアだけは何が何でも助けたいと思っています。彼女は今や俺たちにとってはかけがえのない仲間になっていますから。ただ、彼女を助ける為には、貴方たちの話を聞く必要は無いんですよ。ロノアは近々開催される奴隷オークションで出品されるそうですね? そこでロノアを買う事で助けるという選択肢もあるんです」
すらすらと述べる俺の話をサリアはじっと黙って聞いていた。
「ですから、俺には『今の所は』、貴方たちに力を貸す義理は無いんですよ。そういった事を踏まえて、話をお聞きしましょう」
俺はもう一度、ドサッとソファーに腰を落とした。そして、敢えて冷たい視線をサリアに送る。
冷たく突き放したような言い方になってしまったが……これは必要な事だ。今俺らを取り巻く不穏な空気がある現状、どうしても確かめなければいけなかった。サリアたちが信頼の置ける人物なのかを。
じっと俺を見詰めるサリアだったが……ふと、小さく吐息を漏らすと、頭を下げた。
「リュウヤ様、申し訳御座いませんでした。私たちがお願いする立場だというのに、失礼な事を致しました。伏してお詫び致します」
サリアは懐からある物を取り出し、テーブルの上に置いた。それを見て、ミラが焦ったようにサリアに詰め寄る。
「お嬢様、いけません!」
「いいのよ、ミラ。この御方――リュウヤ様の仰る通りだわ。それにこの御方は私たちの希望でもあるのよ。その御方にこれ以上、粗相をしてはいけないわ」
「し、しかし……お嬢様は男性が……」
「ありがとう、ミラ。でも大丈夫よ。もう怖がってばかりじゃいられないもの。さぁ、貴方もお出ししなさい」
サリアが弱々しい笑みをミラに向けた。ミラは少し悩んだ素振りを見せた後、渋々サリアの指示に従い、ある物をテーブルの上に置いた。
「これでよろしいでしょうか、リュウヤ様。私たちの話をお聞きくださるかしら」
不安げなサリアが俺にそう訊いてきた。俺は先ほどまでの鋭い雰囲気は嘘のように霧散させ、代わりにニコッと笑みを浮かべる。
「はい、勿論です。貴方たちお二方は信頼の置ける人だと判断します。それと、すみません。どうしても必要な事だったので」
「いえ、リュウヤ様の取り巻く現状を鑑みれば、必要な措置であったと思います」
ふむ。どうやらサリアは俺たちの現状を多少なりとも知っているようだな。
「そう言って貰えると有難いです。流石に、魔導具を持たれたままだと、ちゃんと話を聞けないですから」
そう、サリアとミラがテーブルの上に置いたのは魔導具であった。それも「魔力反転」なんていう馬鹿げた代物。そんなものを持たれたままじゃ、おちおち話も出来ない。
「魔力反転」というのは、読んで字の如く魔力を反転・反射する効果だ。反射できる魔力上限はあるものの、相当な代物だと思う。ある程度の魔法は一切通じないのだから。
「では、お話をさせて頂きますが……その前に、リュウヤ様には一切の隠し事をしないという意味を込めて、私本来の姿をお見せ致します」
へ? 本来の姿? よく判らないけれど、とことん俺に誠意を見せてくれるみたいだ。
サリアはそっと目を閉じた。すると――バサッと背中から蝙蝠の様な羽根が突如として現れる。
「この姿が私の本来の姿で御座います。お察しかと思いますが、私は人族ではありません」
痩せ細った印象の強いサリア。だが、それは不足感から来ていたものだと今なら判った。冷厳な雰囲気を纏うサリアと黒の翼。本来の姿となった彼女は、とても綺麗で、そして神秘的でもあった。だから思わず俺は……。
「綺麗だ……」
と、呟いてしまった。
「へ? き、綺麗……ですか? あの、その……お、驚かれないのですか?」
出来る女のイメージが強かったのだけれど……予想外の事には案外弱いらしい。慌てふためくサリアが一層可愛く思えた。
「ふふふ、サリアさん。リュウヤ様は驚かれませんよ。というか、サリアさんが逆に驚くと思います」
楽しそうに微笑むロノア。あぁ、そういうことか。サリアは俺の正体を知らないんだな。
「では、サリアさんがそこまで心を砕いてくれたので、俺もお教えしましょう」
俺はそう言って、仮面を取り払った。紫の肌に、クリッとした大きな紅い瞳。額から生える一本の角。
俺の本来の姿を見て、サリアとミラの見開いた瞳に驚愕の色が浮かぶ。
「え、え、えぇぇ!? ご、ゴブリンでしたの? リュウヤ様は……」
「えっと、一応中鬼族ですよ。小鬼族から進化しましたから」
「そ、そうでしたの……。あ、あの~……やっぱり魔導具を……」
ありゃ。本来の姿を見せるのは失敗しちゃったかな? サリアさん、完全に怯えちゃっているよ。
「サリア様、大丈夫ですよ。ゴブリンは全世界の女性の敵ですが、リュウヤ様は大丈夫です。いきなり襲っては来ませんから。というか、据え膳さえ食わないヘタレですので」
ロノアがフォローしてくれているのか、貶しているのか判らない事を言った。
とうか、幼女はダメなんだ、幼女は。捕まりたくないんだよ、俺は。
「次はわたしの番ですね。わたしも実は人族ではありません。土人族という亜人族です。因みに一五歳なので、これでも成人していますから。リュウヤ様がお考えになっているような事は、わたしにとっては、甚だ心外ですので!」
ビシッと俺を指差すロノア。というか……え? ロノアって成人しているの? こんななりで……?
「土人族は種族柄、女性は小柄なのです。なので、これでもわたしは立派な淑女ですから!」
ご、ごめん。そんなにギロッと睨み付けないでくれ。
と、とにかくこれ以上、土人族について聞くのは止しておこう。何だか藪蛇になりかねないし、話をサリアたちへと戻す。
「えっと……サリアさんも亜人族なんですか? それと、ミラさんも……」
「いえ、私は亜人族では御座いません。リュウヤ様同様、夢魔族という魔物と分類されております。そして、ミラも……」
サリアがミラをチラッと見ると、心得たものでミラは本来の姿を――夢魔族としての姿を現した。
「お二人とも夢魔族だったんですね」
これには正直驚いた。まさかスフェーン以外にも魔物が姿を隠して過ごしているだなんて、知らなかった。もしかして、他にもひっそりと人族社会に潜んでいる魔物がいるのかもしれない。
《夢魔族、等級はC+。魔物の中でも高い知性を有する魔族の一種。背に生えた蝙蝠のような羽以外は、人族と変わらない容貌をしており、魔族ながら人族社会に紛れ潜むという珍しい種族です。種族能力「吸精」により、他種族から精気を吸収し、己が糧とする習性、又、その黒い翼が悪魔と酷似していることから、夢魔族は悪魔の一種とされていますが、実際は全くの無関係であります》
人族社会に紛れ潜む魔物か……。性質上、やむにやまれない事情があるのだろうな。夢魔族と言えば、男性を魅了し、精気を搾り尽すイメージだし。
《一応訂正させて頂きますが。夢魔族はマスターの想像している様な、性交渉のみで精気を吸精する訳ではありません。非効率ですので。「吸精」は主に夢を喰らい、精気を吸収するスキルであり、そこに性別等は関係ありません》
あ、そうなの? てっきり、淫乱な魔物だと……。
《……何をガッカリしているのですか?》
ラファの声音が一段と冷気を帯びている。くわばら、くわばら……。
「あれ? そう言えば、お二人とも名持ち魔物……?」
「名前があるという一点だけを見れば、確かに名持ち魔物という事になりますわ。ですが、私……それにミラの場合は、奴隷に堕とされた際、管理面から名付けられただけで御座います。言わば、仮称とでも申しましょうか。上位者から名を頂いた訳では御座いませんので、名持ち魔物のように強大な力は持ち合わせてはおりません」
ふむ。俺がモモやフラミアに名付け、力を分け与えられた訳ではないらしい。
お互いの最大の秘密を暴露した事で、ようやく話が進む。
「では、リュウヤ様にご助力頂く前に、私たちの素性からお話させて頂きます」
サリアが居住まいを正し、少し緊張した様子で話し始めた。
「私とミラは、現在活動休止中の組織『月影』のメンバーで御座います。『月影』は――」
静々と語り始めるサリア。その内容は、俺の知らない世界の暗部――裏社会にまつわるものであった。




