第七〇話 ロノアの秘密
――深夜。ようやく俺は眠りに付けそうだった。
入浴後、陽たち女性陣は女子会をするといって、部屋に引っ込んでいった。勿論、女子会だから、俺は不参加。早々にベッドへ潜り込んだのだけれど、直ぐには寝付けなかった。
今後の対策をラファと話し合ったり、また考察してみたり。気が付けば、随分と夜も深まっていた。
ようやく訪れた睡魔に身を委ね、ウトウトと現実と夢想の狭間で微睡んでいると、ギィと小さく扉が開いた音が聞こえた。
誰だ? こんな時間に……折角眠れそうなのに……。
俺が寝ていると判れば、入って来た誰かも諦めて明日にしてくれるだろう。そう思って、俺は気にせず、そのまま眠り続ける。
すると、モソモソと誰かが俺の布団に入って来た。
夜這いかッ!? なんてバカな想像が一瞬駆け巡るが……よくよく考えてみれば、それはあり得ない。多分、モモだろうな。俺の寝床によく潜り込んでくるし……。
そう思ってモソモソと動くモモをギュッと抱き締めて、眠いんだから動くなと無言のアピールをする。
柔らかな感触。腕の中に納まる感じは、モモに似ているのだけど……何だか温かい?
「あうぅ~……」
耳元に聞こえる甘い吐息……? え? モモっていつの間に話せるようになったの!?
いや、違う。モモは言葉を発することが出来ない。なら、俺の布団に潜り込んできたのは……誰だ!?
微睡みから覚醒すると、俺は勢いよく布団を剥ぎ取った。そこには暗闇でも判る真っ黒な物体――黒髪だ。
せつなか? ……いや、せつながこんな突拍子もないことをするはずが無い。思っても恥ずかしさが上回って、出来る筈がないんだ。という事は……。
「ロノア……か?」
俺が問い掛けると、黒の物体がゆっくりと動き、可愛らしい顔が俺を至近距離で見上げる。
何でロノアが……? 状況が理解出来ず、疑問符を頭上に浮かべる俺。だが、ロノアも俺同様、目を見開いて驚愕していた。
「え? え? え?」
錯乱するロノア。見開いた瞳が激しく揺れ、小さな顔が徐々に蒼褪めていく。
そして、バッと俺を突き飛ばすかのように勢いよく飛び跳ねると、小さな身体を抱き締めながら距離を取った。
「な、なんで……リュウヤ様が……ゴ、ゴブリンだなんて……」
震える手で口許を抑えながら、掠れた声でロノアが言った。
しまった!? 今、仮面付けてない!
常に付けていた仮面。寝る時だけは邪魔になるので、いつも外して就寝していた。仮面を外す際には、細心の注意を払っていたのだけれど……ここが自分たちのホームだからと安心しきっていた。
恐怖と予想外の出来事に、顔面蒼白で後退るロノア。暗闇でも判る。薄い肌着だけを付けている事から、ロノアは夜這いに……って、今はそんなことどうでもいい!
「ロ、ロノア。落ち着いて」
「ひっ!」
俺が優しく声を掛けるものの、小さく悲鳴を上げた。
このままじゃ不味い。そう思って、俺はゆっくりとベッドから立ち上がる。
すると、ロノアが大きく息を吸った。不味い! 叫ばれる!
今の状況で叫ばれでもしてしまったら、皆にあらぬ誤解を与えてしまう。それで蔑まれるような冷たい眼で見られ続けること間違いなしだ。それだけは避けたい。
俺はロノアの口を塞ぐ為、飛び掛かった。……だが、それが良くなかった。
ロノアがギュッと目を瞑り、身体を強張らせ、叫ぶ!
「きゃあ――」
だが、悲鳴は一瞬の後にかき消された。見れば、いつの間にか背後に立っていたフラミアが、ロノアの口を塞いでいたのだ。
ホッと胸を撫で下ろすのも束の間、フラミアが突然、腕に氷を纏わせた。
まるで刃の様に鋭い氷。フラミアは初めて出会った時よりも冷たい眼でロノアを見下ろし……無表情で首元に氷の刃を振り下ろす。
「フラミア、ストップ!」
俺は慌てて叫ぶ。直後、フラミアの氷の刃がピタッと止まった。
「よろしいのですか? 口封じをしなくても」
やけに冷たい声音だ。全く感情を窺わせない冷徹な声音に、フラミアに拘束されているロノアがぶるりと震えている。
「いい、いい! しなくていいから! とにかく落ち着いてくれ」
「……畏まりました」
フラミアがパッと拘束していたロノアを解放した。すると、ロノアは腰が抜けてしまったのか、その場にへたり込む。
色々と危ない局面があったけど、ともかく一旦落ち着こう。俺は部屋の灯りを付けた。
「ロノア、どうして俺の部屋に……いや、その前に何か羽織ろうか」
とても薄い肌着に、白いショーツ。何がとは言わないが、足元に水たまり。灯りに照らされたロノアの扇情的な姿に、そっと顔を背ける。
何か羽織って貰わないと、落ち着いて話も出来ない。俺は掛布団にしていた毛布を放り投げて、ロノアに被せた。
「フラミア。悪いんだけど、お茶淹れて来てくれないか?」
いつの間にか扉を背に逃走経路を潰していたフラミアに、茶の用意を頼んだ。
フラミアは「畏まりました」と一礼した後、部屋を出ていく。
残ったのは、俺とロノアの二人だけ。何とも言えぬ沈黙が押し寄せた。
このままじゃあ、埒が明かない。未だ細かく震えているロノアに、なるべく優しく声を掛ける。もう遅いかもしれないけど、一応枕元に置いていた仮面を付けて。
「えっと……もう判っちゃったかもしれないけど……出来れば秘密にしてほしい」
ロノアが震えながら、ゆっくりと俺を見上げる。その顔は恐怖に彩られていた。
「騙していたんですか……?」
ロノアの言葉に、俺はグッと胸が締め付けられた。
『騙していた』。悪気はなかったとは言え、そう捉えられてもおかしくはないが……やはり心に来るものがある。
チクリとした胸の痛みを押し殺して、俺は答える。
「言い訳をするつもりはないよ。ロノアがそう思ったのなら、騙していたって事になると思う」
何も言い訳はしない。これでロノアと縁が切れてしまっても仕方がないのだ……辛いけれど……。
カチャリと扉が開く。お茶の用意を持ってきたフラミアだ。
「ロノア様。貴方という人は、悪い人ですね」
フラミアがお茶を淹れながら、ぽつりとそんな事を言った。すると、ロノアはビクッと震える。
「私はずっとロノア様の様子を窺っておりました。節々に不審な行動が見られましたので」
え? 一体どういうことだ?
「ヒナタ様たちと楽しくお喋りをしながらも、気持ちは常にどこかに向いていましたよね。まるで、隙を伺うかのように」
フラミアが冷たい視線をロノアに向ける。
「弱みを握ろうとしたのでしょう? ご主人様を意のままに操る為に」
ロノアは答えない。ただ黙って俯いているだけだ。
正直、話が見えない。俺は全く気付いていなかったけれど、フラミアは一体何に気付いたというのだ?
「フラミア、一体どういうことか、判りやすく説明してくれないか?」
「畏まりました、ご主人様。ロノア様の目的は私には判り兼ねますが……とても不審な行動を取られていたのです。ヒナタ様たちとお話されていても、目線は絶えずどこかに向いており、何かを探しているような素振りが見受けられました」
「いや、それって……ただ見新しいものが多くて、目移りしていただけじゃないの?」
「はい。私も最初はそう思いました。しかし、ご主人様が入浴時に、ロノア様が浴室へ向かったので、後を付けましたところ……ご主人様の衣服を隈なく調べ始めておりました」
……はい? 俺の脱いだ服を調べていた?
「ええ。ロノア様は私の存在には気付いていませんでしたが。私さえ、恐れ多くも出来ないような事ばかりをロノア様が……」
フラミアがその時の様子を思い出したのか、ポッと顔を赤らめた。いや、何で、恥ずかしがってんの? ロノアが何をしていたのか、聞きたいようで聞きたくないんだけど……。
「それからもロノア様の行動を監視していたのですが……女子会終わりに、ロノア様がご主人様の部屋へと向かわれました。ただの夜這いでしたら、メイドとして目を瞑ろうと思っておりましたが……なにやら、とても思い詰めた表情でしたので」
「つまり、ロノアは俺の弱みを掴もうとして、俺の部屋にやって来たってことか?」
俺がそう問い掛けると、フラミアが答える前に、ロノアが叫ぶようにして割って入った。
「ち、違うんですっ!」
「違わないでしょう? ロノア様、例え貴方様がご主人様の親しきお仲間だとしても、ご主人様に害するような者ならば……」
サッと氷点下まで下がった冷たい視線をロノアに向けるフラミア。
「ちょっと落ち着けって、フラミア」
「しかし!」
フラミアはどうやら俺の事になると、途端に沸点が低くなるようだ。それだけ俺を慕ってくれていると思えば嬉しいのだけれど。
なおも言い繕うとしたフラミアを押し留めて、俺はロノアに向き直る。
「ロノアが何を思って、何をしようとしたのかは俺には判らないけれど。その前に……」
俺はベッドから立ち上がった。近付く俺に身体を震わすロノアだったが、逃げる素振りは見られない。
俺はロノアの前に立つと、勢いよく頭を下げた。
「ゴメン! ロノア。ずっと黙っていて」
突然謝り出した俺に、ロノアが吃驚したような表情を浮かべる。
「もっと早く言うべきだった。俺の事を包み隠さず、全てを」
俺はフラミアが言っていたような、ロノアが『弱みを握って、意のままに操ろうとした』とは思えないのだ。それほど長い付き合いでは無いけれど、ロノアはそんな子じゃない。それに、ずっと違和感があったのだけど、悪意を感じられないのだ。ロノアからは。
ともかく、話を進める前に、ロノアには俺の全てを話すべきだと感じた。これまで起こった事をゆっくりと話していく。
ロノアはずっと静かに耳を傾けてくれていた。
全てを話し終えると、俺はふぅと一息つく。喉がカラカラだ。フラミアが淹れてくれたお茶は冷めていたけれど、丁度いい。俺はゴクゴクと飲み干す。
「……俺の話はこれで全部。もし、ロノアが俺みたいな魔物とは相容れないって思うのなら、パーティーを抜けてくれても構わない。辛いけれど、ロノアがそう決めたのなら、俺は何も言わないよ」
魔物は人類の敵だ。これは常識であり、不変だろう。この常識を覆すことは簡単には出来ない。
しばらく静寂が押し寄せる。俺も、フラミアも、そしてロノアも口を閉ざし、黙っていた。
すると、ロノアが徐にゆっくりと口を開いた。
「リュウヤ様って……ホント、変わったお人ですよね」
ロノアが泣き笑いの様な表情で、俺を見上げる。
「そこまで明け透けに語ってくれるとは思っていませんでした。判りました。わたしもお話します」
ロノアはそう言って、一口紅茶を口に含み、喉を潤してから話始める。
「わたしがリュウヤ様たちに近付いたのは、ただポーターとして雇って貰いたかったという訳ではありません。そもそもわたしはポーターではなく……奴隷です」
奴隷? ロノアが奴隷?
驚く俺に、ロノアはゆっくりと肌着を捲り上げる。その白く柔らかそうなお腹には、幾何学模様の奴隷紋が。
「驚かれましたか? わたしは祈年祭で催される奴隷オークションにて、商品として売り出される奴隷なのです」
ロノアはそっと捲り上げていた肌着を戻した。
「わたしがリュウヤ様たちに近付いたのは……ある思惑と言いますか、目的がありました。その目的には力が必要で、頭角を現しつつあるリュウヤ様たちに取り入って、力を貸して貰おうと思ったのです。なので、フラミア様が仰った事は間違いではないのです」
ロノアは淡々と話しているようであったが、どことなく悲しそうな雰囲気を纏っているようだった。
「だけど……リュウヤ様たちと接している内に、その暖かな雰囲気に馴染んでいく内に……弱みを握って、リュウヤ様たちを脅し、言う事を聞かせることが出来なくなりました。いや、したくなかったんです」
「なら、どうしてご主人様のお部屋に?」
フラミアが問い掛けると、ロノアは少し顔を赤らめた。
「それは……交渉しようとしたのです。わたしには力が必要なのは変わりませんし、リュウヤ様たちのお力をお借りしたいという思いは変わりません。ですが、騙し脅すなんて事も出来ない。なら、お力を貸して頂く対価として、わたしの身をリュウヤ様にと」
え? ……えぇ!? まさか……マジで夜這いだったの!?
「そうでしたか。あぁ、それで思い詰めた表情だったのですね。ご主人様を害する訳でも無く、まともな交渉となれば、私が口を挟むことはありませんね。では、お二方。私は退出しますので、お楽しみくださいませ」
ふふふと微笑むフラミアが、意味深な視線を俺に向けながら、本当に出て行きやがった。
状況に理解が追いつかない俺。毛布の端をギュッと握り締め、モジモジとするロノア。
なに、この状況? 一体、どうすればいいってんだよッ!
妙な沈黙の後、ロノアが唐突に立ち上がったかと思えば、ヒラリと羽織っていた毛布を床に落とす。
「で、では。リュウヤ様、始めましょうか。で、出来れば優しくしてくださると……」
「わ、判った。……って、判るかぁ! つうか、始める訳ねぇだろ!」
近付いてくるロノアの頭をパチンと叩く。俺にロリコンの気質はない。
「わ、わたしでは、ダメでしょうか……?」
うるうると見詰めて来るんじゃねぇ!
「ダメとかダメじゃないとかじゃなくて! とにかく、落ち着こうな、な?」
床に落ちてしまった毛布を拾い上げ、ロノアに掛けてやる。何でそんなにシュンとしているのかは、絶対に聞かないからな。
「ゴホン。それで、何でロノアには力が必要なんだ?」
妖しい雰囲気を霧散させるように咳払いを一つ。とにかく事情を訊いてみる事にした。
「えっと……それは……わたし自身を含めて、ある方を助けて頂きたいのです。リュウヤ様には、出来ればその方にお会いして頂きたいんです」
「えっと……その人ってロノアの主人なの?」
「いえ、主人ではありません。わたしの所有権は別の方が所持しています。オークション開催までその方に預けられているといった感じです」
ん~と、正直良く判らない。多分色々と複雑な事情があるんだろうけど。
「わたしも詳しくは判らないのです。ただ……わたしが奴隷から解放される為には、協力者が必要だって聞かされて……」
それで目を付けたのが俺たちって訳だな。
「事情が良く判らないから、何とも言えないけど……ロノアの力になりたいとは思うよ。俺にできる事があるのなら手伝いたい」
現状、色々と不穏なのに、これ以上厄介事を抱え込むのは、バカなことだとは思う。だけど、いま目の前に助けを求めている子がいるんだ。俺には見捨てる事は出来ない。
《マスターは本当に甘々ですね。砂糖よりも甘いです》
仕方がねぇだろ。仲間が困っているんだからさ。
ともかく、ロノアの言う『ある方』に会って、話を聞く必要がありそうだ。最悪の場合、ロノアが奴隷オークションにて売られることになるのだ。それだけは避けたい。もしもの場合は、全財産を払ってでも、ロノアを助けよう。
俺がそう決心していると、隣に座ったロノアが瞳を潤ませて、嬉しそうに微笑んだ。
「有難う御座います、リュウヤ様。リュウヤ様と出会って、本当に良かったです」
そう言って貰えると嬉しい。ロノアはグイッと俺に身を寄せると、耳元で小さく呟く。
「貧相な身体ですけど……精一杯頑張りますね」
……いや、頑張らなくていいから。というか、そこから離れろってば。
翌日。フラミアが『昨夜はお楽しみでしたね』と言ってきたが……楽しんでないからね? 俺はロリコンじゃないから、手は出してませんからね、うん。




