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第六四話 セレンスティア


 控室の一室で、たっぷりとお説教された俺は、疲労困憊になりながら、とぼとぼと廊下を歩いていた。

 随分と長時間に渡って怒られてしまったが、その代わり、「怪力」、「頑強」の二つの新スキルを手に入れることが出来た。


「怪力」……筋力アップ

「頑強」……守備力アップ。


 中鬼族(ホブゴブリン)という低スペックな身体には、この二つのスキルはとても有り難い。説教された分は回収できたかな。


 それでも疲れた事には変わりなく、重くなった足取りで祝賀会会場へと戻ることに。

 ただ、ここで問題発生。会場のホールの場所が判らなくなってしまった。王城は広く、まぁ簡単に言ってしまえば、迷子である。

 高二になって迷子とは……とほほ。こんなことじゃ陽の事は笑えないよな……。


「あれ? どうかしましたか?」


 がっくりと項垂れながら歩いていると、ふと声が掛けられた。

 質素な服装の少女だ。多分、侍女か何かなのだろう。ともすれば、この人に道案内を頼むべきだな。


「すみません。少し迷ってしまって……。祝賀会が行われている会場ってどちらですか?」

「あぁ、冒険者の方でしたの。ご案内致しましょうか?」


 ニコッと微笑む橙髪の少女。よくよく見れば、とても綺麗な顔立ちをしており、まさしく美少女であった。

 この異世界には比較的容姿端麗な者が多いが、目の前の彼女は群を抜いて可憐である。


「出来れば、案内してもらえると有難いです」

「では、こちらへ。参りましょうか」


 美少女の案内に従って付いていく。


「此度の祝賀会のお客様は、かの事件の生還者の方々とお聞きしました。貴方様も迷宮(ダンジョン)に?」

「ええ、そうです。不運にも閉じ込められてしまって。まぁ運よく脱出出来ましたけど」

「まぁ、すごいですわ。お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「勿論です」


 どうやらこの少女は、あの事件の話を聞きたがっているようだ。まぁそれだけ衝撃的な事件だったしな。この異世界は元の世界に比べて、娯楽は少ないようだし、こういった類の話は好きなのだろう。


 案内してもらう駄賃として、あの日に起こった事を掻い摘んで話した。勿論、魔人の事は秘密事項の為、省かせてもらったが。

 俺の話を聞いている少女は、「そのような事が……」「えぇ!? それでどうなったのですか?」と、興味津々で耳を傾けてくれた。

 あまり話し上手ではない俺だけど、美少女が目を輝かせて楽しそうにしているものだから、ついつい調子に乗って話してしまう。聞き上手なのだろうね。


「やはり迷宮(ダンジョン)は恐ろしいところなのですね。私もいずれ迷宮(ダンジョン)に参りませんといけませんので、貴重なお話を聞けて良かったです」

「参考になれば幸いですよ。もしかして冒険者を目指しているのですか?」


 ふと気になって聞いてみる。こんな可憐な美少女が冒険者を目指すなんて、ちょっと想像できないからな。


「いえ、冒険者を目指している訳ではございません。ただ、もうじき成人の儀を迎えるに辺り、一度迷宮(ダンジョン)に参らなくてはいけませんの」

「へぇ~、この国にはそんな風習があるんですか。大変ですね」

「いえいえいえ、これも務めですので。もしや冒険者様は、この地に来て間もないのでは?」

「はい。大体半月くらいですかね。このインクウェルに来てからは。あ、というか俺、冒険者じゃないんですよ」

「あら、そうでしたの。これは失礼しました」


 礼儀正しく頭を下げる少女。ご両親の教育の賜物なのか、物凄く礼儀正しい。


「いえ、気にしないで下さい。あ、そう言えば、自己紹介がまだでしたね。俺はリュウヤって言います」

「これはこれは、またしても失礼致しました。私は、セレンスティアと申します。セレンとでもお呼びください。以後、お見知りおきを」


 セレンスティアか……うん、覚えた。絶対に忘れないぞ。


「あぁ、ここにおりましたか、セレンスティア様。お探ししましたぞ」

「爺や、どうかなさいましたか?」


 焦ったようにキョロキョロして辺りを見回していた老紳士が、セレンを見つけ駆け寄って来た。……というか『爺や』?


「陛下にセレンスティア様を執務室へとお連れするように仰せつかっております」

「お父様が? 一体何用かしら?」


 セレンが小首を傾げている。というか……お父様? 国王の事を今お父様って言ったよな? という事はつまり……セレンスティアは……王女様!?


「陛下がお待ちになっておられます。ささ、セレンスティア様、参りましょう」


 チラッと俺の事を見る老紳士。第三者が居ては、呼び出しの内容までは口にできないのだろう。ともかくセレンを急かす。だが、セレンは困ったような表情を浮かべる。


「爺や、申し訳ないのだけれど、私はこちらのリュウヤ様をホールまでご案内しなくてはなりませんの。お父様には少しばかり遅れるとお伝えして頂けませんか?」


 え? セレン!? いやいや、俺の事なんて放っておいて、国王の所に行きなさいよ。


「俺――いや、私の事はお構いなく。どうにかして戻りますから」


 慌ててそう言うが、セレンは一歩も引く様子は見せなかった。


「いえ、そうは参りません。此度の祝賀会の主賓であらせられるリュウヤ様を蔑ろにしては、それこそお父様に叱責されてしまいますわ。爺や、そういう事ですので、お父様に伝えてくれませんこと?」

「し、しかし……」

「爺や!」

「……畏まりました。陛下にはそのようにお伝えしておきます」


 老紳士はセレンの叱責に、サッと一礼すると、踵を返していった。随分と急いでいるのだろう、とても早足だ。うん、廊下は走っちゃいけないっていう常識はこの異世界にもあるんだな。


「まもなく会場に着きますので、リュウヤ様、こちらへ」

「あ、いや、良かったの? あ、すみません、よろしかったのでしょうか、セレンスティア王女様」


 咄嗟に失礼のないよう丁寧な口調に変え、セレンに訊くが、当のセレンは少し不機嫌そうにしていた。


「リュウヤ様、私の様な者に丁寧な言葉遣いは不要に願います」

「え? あ、はい。わ、判ったよ、セレン」


 何とも言い知れぬ威圧感に押され、言葉使いを崩す。すると、不機嫌だった表情は一変し、ニコッと花が咲いたような笑みを浮かべていた。


「ありがとうございます、リュウヤ様。私はこの国の王女の地位を頂いておりますが、庶子なのです。王位継承権は御座いませんし、あまり敬われてしまうのは……」


 王位継承権の無い王女か……。何だか色々と複雑な事情があるんだろうな。


「う、うん。判ったよ、セレン。これから気を付ける。けど、良かったの? 国王に呼ばれているんでしょ?」

「何も問題はありませんわ。お父様であれば、ご理解して頂けると思いますし」


 まぁセレンがそう言うのなら、俺からはもう何も言うまい。


 セレンと他愛も無い話をしながら、廊下を歩くと、どことなく見覚えのある通路が見えて来た。


「あ、多分ここからならもう判るよ。ありがとう、セレン」

「いえいえ、礼を言われるようなことはしておりませんわ。先の通路を右に曲がれば、ホール会場はまもなくです」

「判った。それじゃ、ありがとね、セレン」


 そう言って俺は廊下を進むと、セレンが俺に声を掛けた。


「リュウヤ様、私もお話が出来て楽しかったですわ。また、お話を聞かせて下さるかしら」


 俺もセレンと話すのは楽しかった。聞き上手だし、どんなことにも驚いて、話甲斐があるしな。でも、相手は王女様だ。たまたま王城に招かれたからこそ、お近づきになったけれど、今後は会う事も難しいだろうな。


「そうですね。機会があれば、また俺のしょうもない話に付き合って下さい」

「ええ、楽しみにしておりますわ」


 セレンはニコッと俺に微笑んだ。その可憐な笑顔にちょっとドキッとしてしまったのは、健全な男子であるなら仕方がないだろう。


 セレンと別れ、会場に戻って来た。かなりの時間、兵士に説教されたけれど、まだお開きにはなっていないようだった。

 サッとホールを見渡し、ソフィたちを探す。すると、彼女らは多くの人に囲まれていた。


「もしよろしければ、うちの兵団にお越しになられませんか」

「いやいや、パーキング卿。貴方のところより、私の所の方が待遇も良いです。是非ともうちに来ませんか?」

「あはは……えっと……」


 ふむ、どうやらソフィたちは貴族たちの引き抜き合戦に巻き込まれているようだな。ソフィたち以外にも多くの冒険者が貴族たちと談笑し、交渉しているようだった。


「あら、リュウヤじゃない? 今までどこ行っていたのよ」

「あぁ、シャロンさん。ちょっと野暮用で」


 グラスを片手に近寄って来たのは、シャロンだった。魔石に触って兵士に説教されていたなんて不甲斐ない事を言えるわけでもなく、俺は誤魔化すことにした。


「ふ~ん、まぁいいけど。それにしてもソフィたち、随分と人気ね。貴族様から冒険者まで引っ張りだこよ。『是非ともうちに!』って」

「あの若さで満月の夜を生き残ったんだ。そりゃあ話も来るだろうよ」


 むしゃむしゃと食事を豪快に頬張りながら、バルバトスも近寄って来た。


「まぁ確かに、彼女たちは中々の逸材だしね。声が掛かるのも仕方が無いわ」

「それならソフィたちより、シャロンさんたちの方がいいんじゃないですか? 皆さん、ミスリルクラスだし」


 俺がそう言うと、シャロンとバルバトスは眼を点にし、お互いの顔を見合わせた後、ハハハと笑った。あれ? 俺、おかしなこと言ったかな?


「私たちに声を掛ける人なんていないわよ。というか、掛けられないわ」

「何でです?」

「そんなの決まってるだろ。俺たちを雇う金なんて、そこいらの貴族にはねぇんだよ」


 へぇ~、まぁ確かにミスリルクラスだもんな。雇うにも相応の報酬が必要だろうし。


「この会場に来られている貴族では、私くらいではないでしょうか? あなた方をお雇い出来るのは」


 そう自慢げに語るのは、バッカード伯爵だった。いつの間にか俺たちの方にやって来ていた。途端に、シャロンが不機嫌になる。


「そうですね。バッカード伯爵様であれば、膨大な資金を背景に、ミスリルクラスをお雇いになれるかもしれませんわね」

「ええ、そうでしょうとも。でしたら、シャロンさん、私の元でその力を発揮なさいませんか」


 おいおい、求婚が失敗に終わりそうだから、方向転換して来やがったぞ。


「その申し出は大変有難いですが、お断りさせて頂きますわ。雇われよりも、一介の冒険者であった方が気楽ですから」

「そうですか、それは残念ですね。シャロンさんになら白金貨をお支払いしてもいいと思っていましたが」


 白金貨だって!? おいおい、バッカード伯爵ってどれだけの金持ちなんだよ。


「……申し訳御座いません。いくら積まれても、私は冒険者稼業が気に入っておりますので」

「そうですが、本当に残念ですね。では、お食事だけはして頂いても?」


 バッカード伯爵は断られることが事前に判っていたようだ。だからすぐに手を引き、代わりに食事の誘いをしてきた。多分、事前の申し出を断った事で、シャロンの負い目を勘定しての事だろう。爽やかイケメンなのに、案外腹が黒いのかも。


「おいおい、バッカード伯爵様よぉ。俺を前にしてメンバーの引き抜き交渉するってのは、ちと失礼じゃありませんかね?」


 バクバクと飯を食っていたバルバトスが、鋭い眼光をバッカード伯爵に向けた。


「それは確かに。ご無礼を致しました」


 バッカード伯爵は素直に引き下がった。流石にバルバトスを怒らせてまで、シャロンとの縁を結ぼうとはしなかったようだ。


 少しばかり重苦しい空気が流れる。と、そんな空気をぶち壊すように、陽たちが俺の元に駆け込んできた。


「りゅうちゃぁ~ん! どこ行ってたのよっ。すっごく大変だったんだから」


 陽が駆け込んで来て、俺の胸元に飛び込んできた。


「ひ、陽、ちょっと重い」

「はぁ!? 今何かおかしな事が聞こえた様な気がするんだけどっ?」


 ギロッと俺を睨み付ける陽。というか、離れて欲しい。何だかソフィとせつなが不機嫌だし、バルバトスなんかはニヤニヤとしているし……。それに周りの視線が冷たくて痛いんだ……。


「ほぅ、元気なお嬢さんですね。初めまして、私アトリニア王国の伯爵位を頂いております、バッカードと申します。以後、お見知りおきを」

「あ、え、えっと……お見苦しい所をお見せしてしまって、す、すみません。陽っていいます」


 陽は慌てて俺から離れると、勢いよく頭を下げながらバッカード伯爵に挨拶をする。


「ソフィと申します」

「せつな……です……」


 続いて、ソフィとせつなも一応名乗っていた。


「これはこれはご丁寧に。私がお聞きしたところ、半月ほどでゴールドクラスに昇級したそうで、有望株だそうですね。冒険者組合も期待しているそうで。それに大変お美しい方々ばかりで」

「あははは。あ、有難う御座います」


 あからさまなお世辞だと思うんだが、陽は満更でも無さそうだった。


「皆様、ご歓談の所失礼致します。精一杯のおもてなしをさせて頂きましたが、如何でしたでしょうか。お口に合いましたら幸いです。しばらくはこの会場を解放しておりますので、長居される方はそのままお使い下さい。また、お帰りになられる際には、お手数ですが近くの者にお伝えくださいませ。此度の報酬をお渡しいたしますので。では、失礼致します」


 登壇したアルバート宰相が淡々と告げた。どうやらいつでも帰っていいようだ。


「帰っていいみたいだし、そろそろ俺たちもお暇させてもらうか」

「うんっ、そうだね。美味しいご飯も一杯食べたし」

「早く……帰りたいです……」

「ちょっと疲れましたよね」


 陽はまだ元気いっぱいだが、せつなとソフィは、かなり疲れているようだ。人見知りの激しいせつなは、知らない人たちに囲まれて精神的に消耗しただろうし。ソフィも自分が亜人族(デミヒューム)だって事で気疲れしたんだろう。


「という事で、バルバトスさん、シャロンさん。俺たちは帰りますね」

「おう。気を付けて帰れよ。俺はまだ帰れねぇし」

「そうね。私たちは最後まで残っていないといけないわ」


 冒険者の代表の様なものだし、色々と面倒なこともあるんだろうな。


「あ、リュウヤ、これ」


 あっと思い出したかのように、シャロンが俺の手を握った。そして、そっと耳打ちしてくる。


「私たちが滞在している場所よ。もし何かあったらいつでも来なさい」


 それだけを言うと、シャロンはサッと離れた。手には小さく切り取られた羊皮紙。多分ここに書かれているのが、シャロン達が滞在している場所のメモなのだろう。無くさないようにサッと魔法鞄に仕舞う。


「おや、ヒナタさんたちもお帰りになられるので?」


 そう訊いてきたのはバッカード伯爵だ。


「ええ、ちょっと疲れたので」

「そうでしたか。出来ればこの後、お食事でもと思っていたのですが……。仕方ありませんね。もしご都合の付く日がありましたら、一度お食事でも行きましょう」


 おいおい、バッカード伯爵よ。シャロンを口説きながら、まさか陽たちまで目を付けたんじゃなかろうな。


「えっと……時間があれば」

「ええ。これがインクウェルにある私の屋敷の場所です。家人には伝えておきますので、いつでもお越しなって下さい」


 バッカード伯爵は、懐から小さな羊皮紙を取り出すと、陽に手渡した。両手でギュッと包み込むように。


「は、はい……判りました……バッカード伯爵様」


 ん? 陽の様子がおかしい。まるで熱に浮かされたかのように、バッカード伯爵を見詰めている。陽と長い付き合いじゃなかったら、多分気付けていないほど、小さな変化だけど。

 不審に思った俺はとにかくこの場を離れる為、陽の手を強引に引っ張った。


「では、この辺で。バルバトスさん、シャロンさん、いずれまた。バッカード伯爵様もごきげんよう」

「お、おう。またな」

「ええ、またね、リュウヤ」

「……」


 それぞれに別れの挨拶をし、俺は早足で祝賀会会場を後にした。


「ちょ、ちょっと、りゅうちゃんっ!? どうしたの!?」

「そうですよ。どうしたんです? そんなに慌てて」


 王城を出た所で、陽とソフィが問い質してきた。陽はいつの間にか普段通りになっているように見られるけれど……一抹の不安が胸裏に過る。


「後で説明する。とにかく直ぐにスフェーンの所に向かう」

「スフェーンさんの……お店にですか……?」


 何故、スフェーンの所に? と言いたげなせつな。でも、口頭では説明できないんだ。気のせいだったらいいんだけど。


《マスター、気のせいではありません。解析した結果、ギャルはどうやら軽度の魅了に掛かっているようです。スフェーンに見てもらうのが賢明だと判断します》


 ラファはそういうなら間違いない。俺は王城に来た時に乗った馬車に急いで乗り込む。

 どうやら御者も同じらしく、すぐさま俺たちをチェリーパイに送ってくれた。


 チェリーパイの前で下車すると、御者に礼を言いつつ、そのままの足でスフェーンの元へ。

 立て付けの悪い扉を蹴とばすように開け、中へ転がり込む。


「スフェーン! いるか!」


 大声で叫ぶと、店の奥からスフェーンが不機嫌そうに顔を出した。


「なんじゃ? そのように慌てて。妾はそろそろ床に入ろうとしたというのに」

「それは悪かった。でも、急用なんだ。とにかく陽を見てくれ」


 ずっと手を握ったままだった陽をスフェーンの前を突き出す。


「ちょっと、りゅうちゃんっ! 乱暴だよっ!」


 不満を口にする陽だったが、スフェーンは陽を見た途端、眼を細めた。


「なるほど。リュウヤが慌てるのも無理はないのう」


 スフェーンは、なおも喚く陽の額に小さな手を当てた。


「スーちゃん? どうしたの?」


 陽もスフェーンの様子に只ならぬものを感じ取ったようで、大人しくされるがままだった。

 スフェーンの手から魔力が流れ出す。「魔力察知」を有していなければ、気付かないだろうごく微量の魔力。

 その魔力は陽の身体全体を薄く包み込むと、何かを絡めとる様に蠢き、収束していく。


「スフェーンさん……すごい魔力操作……」


 せつなが食い入る様に見詰めながら、感嘆を漏らす。それ程までに精緻且つ繊細な魔力操作だった。


「ふむ、これでもう大丈夫であろう」


 収束した魔力の塊を握り潰すような仕草をしたスフェーンが、ふぅと息を吐き出す。


「えっと……何があったの?」


 未だ何が起っているのか理解出来ていない陽は、小首を傾げていた。ソフィも同じく頭上に疑問符を浮かべている。


「あいつだよ、バッカード伯爵。あいつが陽に魅了を掛けたんだ」

「えぇ!? バッカード伯爵が?」


 陽が驚くのも無理はない。陽に自覚症状を与えない程、軽微の魅了だったのだから。


「それにしてもよう気付いたのう、リュウヤ。これ程までに薄い魅了では中々気付かないものじゃぞ?」

「まぁ「魔力察知」にさえ引っ掛からなかったし、ラファでも俺が言うまで気付かなかったっぽいし」

《マスター、申し訳ありません》


 いや、それはしょうがないって。俺も気付けたこと自体、ビックリしているんだし。


「あたし、バッカード伯爵に魅了されちゃったの? もう大丈夫なの、りゅうちゃんっ?」


 陽が心配そうに俺に駆け寄って来た。俺は安心させるように、ポンポンと肩を叩く。出来れば頭を撫でてやりたいんだが、チビの俺にはちょっと届かない……誰がチビじゃ!


「もう大丈夫さ。スフェーンが魅了を解除してくれたみたいだし。手間掛けちまって、悪かったな、スフェーン」

「別に手間と言う程のものではないわ。気にせんでいい」


 ヒラヒラと手を振るスフェーン。


「それにしてもいつ魅了されちゃったの? あたし全然、気付かなかったんだけど」

「わたしも、気付きませんでした」


 陽とソフィは少し気落ちしたかのように肩を落としていた。


「多分だけど、陽があの野郎にメモを渡されただろ? その時だと思う。陽にしては素直に受け取っていたし、変だなぁって思ってさ」

「あ、確かにあたし、何も感じずに受け取ってた。いつもだったら、仲良くない人に手を握られたら、嫌な気持ちになるのに……」


 陽は自分の手を見詰めながら言った。


「だろ? だから、おかしいと思ったんだ。多分、付き合いの長い俺じゃないと判らなかったと思う」

「そっか……そうだったんだ……。りゅうちゃん、ありがとねっ」


 陽は嬉しそうに俺に微笑む。


「ヒナタが掛かっていた魅了は、相手に嫌悪感を抱かないという軽微なものじゃった。じゃから、ヒナタ自身も気付かなかったのじゃろう。そして、気付かぬうちに、徐々に魅了の度合いを高め、知らぬ間に、その奴に傾倒していくようになる。なんともゲスな野郎じゃ」


 口許を歪め、スフェーンは嫌悪感丸出しでそう説明した。


「スフェーンの言う通りだな。今後、なるべくバッカードには近付かないようにしよう。出来れば、ぶっ飛ばしたいところだけど、相手は曲がりなりにも貴族だしな。問題は起こさない方がいい」

「そうですね。貴族様と問題を起こしてしまうのは避けた方がいいでしょう。スフェーンさん、近づかなければ、問題ありませんよね?」

「うむ。問題なかろう。しかし、ふとしたきっかけで出会う場合もあるじゃろうし、リュウヤとセツナには、対応策を授けておく」


 スフェーンが常に同行してくれたら問題は無いんだろうけれど。彼女は風精族(シルフィード)という魔物だ。あまり危険には晒せない。

 今後、バッカード伯爵には注意し、尚且つ俺とせつなが魅了解除できるように、スフェーンに教えを乞う事に決まった。



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