第五七話 対ヘカトン
満月の夜。閉じ込められた俺たちの前に立ちはだかったのは、迷宮の番人、伝説の魔物と謡われる巨人――ヘカトン。
誰もがその巨躯に驚き、慄き、恐怖する。誰もがここまでだと諦念の地に至る中、インクウェルを代表するパーティーが伝説の魔物に挑む!
先陣を切ったのは、インクウェルでただ一人のミスリル冒険者――バルバトスだ。
その筋骨隆々とした体格に見合わない素早さで、ヘカトンに迫る。
「オッラァァアアア!」
雄叫びを上げ、大剣を振るうバルバトス。血管が浮き出るまでに膂力を込めた一撃が、ヘカトンの脚部に炸裂する。が……。
「チッ!」
舌打ちを一つ。即座に離脱するバルバトス。直後、彼が居た場所に巨大な拳が通過した。
――ゴォォォオオ! と唸る拳圧に、バルバトスの身体が流されてしまう。空中で身動きが取れないバルバトスに再び、ヘカトンの拳が迫り来る。
あわや直撃……その寸前で、丸々とした影が割り込んだ。
「グッ……中々、きくのう」
巨大なヘカトンの拳を受け止めたのは、ブリストンだ。バトルアックスで辛うじて受け止めている。
「すまん、ブリストン!」
「構わんッ! お前さんは自由に動け! わいがカバーしちゃるわい!」
叫ぶブリストン。圧倒的なヘカトンの膂力に、地を削りながらも辛うじて抗う。
まさかこの小さき者に己の拳が受け止められるとは想像だにしていなかったヘカトンは、憎々しげにブリストンを睨み付ける。
ヘカトンの意識がブリストンに向けられた。その瞬間を見逃さず、クロマが仕掛ける。
二刀流のクロマ。まるで山を登るかのように、剣をヘカトンの背に突き刺し、回転しながらヘカトンの背を駆け上った。
「フッ」
鋭い呼気を放ち、首筋に斬撃を放つ。が……。
「硬い……」
クロマの斬撃は浅く傷を付けるだけに留まった。分厚い筋肉に阻まれ、痛痒を与えられていない。
首元に這う羽虫に不快感を表すヘカトン。標的をクロマに変え、首を回し、視界にクロマを捉えた。その瞬間――。
ゴォウ! 燃え盛る炎がヘカトンの眼球を捉えた。視界を潰され、クロマの姿を見失うヘカトンは、苛立たしげに雄叫びを上げた。
サッと離脱したクロマが、俺とシャロンの近くに音も無く着地する。
「済まん」
それだけを口にすると、クロマは再びヘカトンへと向かって行った。
勿論、ヘカトンの視界を防いだのは俺の火球だ。それもシャロンの風魔法をブーストした。
「斬撃は分厚い筋肉に阻まれ、致命傷は与えられていない。それに魔法への耐性もかなり高いようね」
「そのようですね。俺の魔法も目くらましにしかなりませんでした」
険しい表情で分析を口にするシャロンに俺は淡々と答えた。
「そうね……ただ、ヘカトンはそこまで身のこなしが軽やかって訳でも無いわ。これは長期戦になりそうね」
確かにヘカトンはその巨躯もあってか、素早さは無い。一撃一撃が重い、完全なパワーファイター型。だからこそ、直撃だけは避けなければならない。少しの判断ミスが即、死へと繋がってしまう綱渡り状態だ。
それが判っているからこそ、バルバトスたちは慎重に攻めている。無理に追撃を加えることなく、ヒットアンドアウェイを繰り返し、少しずつ体力を削る作戦のようだ。
バルバトスが大剣で脚部を斬り付ければ、ブリストンがカバーに入って、ヘカトンの拳撃を往なす。さらにクロマが常に視覚外から追撃を加えていく。
流れるようなコンビネーションは流石だった。時折、シャロンが指示して俺が火球を放ち、牽制する。そのシャロンの指示は的確で、常にヘカトンに標的を絞らせないようにしていた。
《マスター、解析が完了しました》
激しい攻防が続く最中、ラファから待ちに待った報告が届く。
《種族名「ジャイアント」、固有名「ヘカトン」、希少種であり、等級はB。強靭な筋線維を有し、放たれる剣戟は一級品。圧倒的なパワーが傑出している魔物です。しかし、その巨躯も相まって、行動力は皆無。攻撃方法は、近接攻撃のみ。魔法の類は一切使えないようです。また、魔法耐性もありません》
ふむふむ……。シャロンが言っていた「魔法の耐性が高い」というのは間違った分析なのか。
《はい、マスター。ただ、固有名「ヘカトン」の体力は尋常ならざるものがあります。一般的な魔術師では、固有名「ヘカトン」を撃破するだけの魔力は持ち合わせていません。さらに、固有名「ヘカトン」は、特殊能力「再生」を有しており、その体力の多さに拍車をかけています》
特殊能力「再生」……? まさか……!?
俺はヘカトンを注視した。バルバトスたちがヘカトンの隙を縫って与えた小さな裂傷。激戦の最中で判らなかったが、よく見れば煙を上げ、裂傷が再生している……。
ラファ、その「再生」に制限は無いのか?
《使用制限はありません。ただし、特殊能力及び、全てのスキルは、使用者の体力・魔力に深く作用されます。体力及び魔力が減少、又は欠乏してしまうと、全てのスキルは使用不可となります》
それは初耳だ。スキルにも魔力と深い相互関係があったのか。いや、今はヘカトンの事だ。
ということはつまり、ヘカトンの体力・魔力を削り続けるしか、「再生」を止められないということか?
《その通りです、マスター。捕捉として、特殊能力「再生」は即座に組織が再生するというわけではないようです。体組織が再生するにあたり、一定の時間が必要な模様です》
確かに、ヘカトンが受けた裂傷は、即座に完治するというわけではなさそうだ。おおよそ三〇秒といった具合か……。
特殊能力「再生」はとにかく厄介。それに無尽蔵の体力を誇るヘカトンには相性の良すぎる特殊能力だ。だが、多少なりともタイムラグが発生する。なら、「再生」する前に叩き伏せればいい。
我ながら何とも脳筋的な発想だ。だけれど、それしか方法が思い付かない。
「バルバトスさんッ! 奴は特殊能力「再生」持ちです! 再生するまでにかかる時間は、凡そ三〇秒! ヘカトンの「再生」を上回らなければ、勝ち目はありませんッ!」
俺は一〇階層で出に入れたスキル「大声」を使って、貴重な情報をバルバトスたちに伝えた。まさか、こんな所で「大声」が役に立つとは思わなかった。
「おい、小僧ッ! その情報はどこから手に入れやがった!?」
激戦の最中、俺の声に答えたのは、ブリストンだった。まるで怒号じみた声で叫び、尚且つ俺の言葉を全く信用していない。それはそうだ。何せ彼と出会ったのは、ほんの数一〇分前なのだから……。
「ブリストン、手数を増やすぞ! ついてこいよッ!」
だが、当のバルバトスは、俺の言葉に何の疑いも持っていないようで、更に攻撃スピードを加速させた。
「おい、バルバトス!? あんな小僧の言う事を信じるってのか!? 本当かどうか判らねぇ情報に惑わされるんじゃねぇ! 今は耐えるときじゃ! 無為に体力を消耗させるんじゃねぇ!」
血相を変えて叫ぶブリストン。だが、バルバトスはブリストンの忠告を無視し、ギアを一段階上げ、ヘカトンに攻撃を仕掛けていく。
そんなバルバトスに、ブリストンは……。
「あぁ、もうッ! クソがッ! なんでてめぇはわいの言う事聞かんのじゃッ!」
悪態を付きながらも、バルバトスの驚異的なスピードに合わせるブリストン。そこにクロマも加速し、合わせていく。
「しゃねぇじゃねぇか! 俺の直感が、あの小僧の言う通りにしろって言ってんだからよッ!」
バルバトスの直感。なんの根拠もない感覚的な問題だが、バルバトスは己の直感に従う。
俺を信頼してくれたわけじゃない。だけれど、俺は胸が熱くなった。
「貴方が何故、伝説の魔物ヘカトンについて知っているのか、問い質したい気分だけど……」
シャロンが俺を見詰めて言った。
「今はそんなことしている場合じゃないわね。私たちもバルバトスたちに遅れないよう、スピードを上げるわよっ! 魔力残量に注意して!」
「はい!」
シャロンは俺と共に、加速したバルバトスたちの攻勢に合わせるべく、魔法攻撃を次々と放っていく。
俺たちが攻撃スピードを加速させたことにより、ヘカトンの身体には多くの裂傷が刻まれていく。やはり「再生」が追いついていない。
だが、無尽蔵の体力を誇る伝説の魔物だ。小さな裂傷如きではビクともしない。それに……。
「不味いわね……圧倒的に手数が足りないわ。このままだと、私たちの体力が先に尽きてしまう」
シャロンが苦しげに吐露し、顔を顰めた。
確かに、バルバトスたちが怒涛の攻撃を仕掛け、ヘカトンの「再生」は間に合っていない。だが、「再生」が行われていないわけでは無く、見れば煙を上げ、損傷が少しずつ治癒されている。
今はバルバトスたちがフルスロットルで次々と攻撃を仕掛けているからこそ、少しずつではあるが、ヘカトンに痛痒を蓄積させることが出来ている。だけれど、バルバトスたちにも体力に限界はある。
見れば、バルバトスも、ブリストンも、クロマも、皆滝の如く汗が滴り落ち、荒く呼気を繰り返している。
そして、シャロンも。魔力が枯渇しないよう、常に魔素薬水を服用しながら詠唱を続けていた。
状況は芳しくない。このままではジリ貧だろう。そして、こんな時だからこそ、最悪は訪れるものだ……。
――ゾクリ……。
身体の芯から凍えるような悪寒。心臓が鷲掴みされたかのような凄絶な恐怖。
前に一度、経験した事がある……この感覚。忘れる筈もない……これは……。
「――ウヤっ! ちょっと、聞いているの!?」
シャロンの声に、ハッとする俺。
「ちょっと、どうしたのよっ! あんな的外れな方向に魔法を放つなんて! 危うく、バルバトスたちに直撃するところだったわよっ!」
シャロンがいつになく激怒していた。あぁ、確かに俺は火球を放った。だが、その瞬間に身も凍るようなあの感覚が押し寄せ、的外れな方に放ってしまったのか……。
「火球は……?」
カラカラに乾いた口。掠れた声が口から出る。
「私が強引に射線を変えて、ヘカトンにぶつけたわっ! もう、しっかりしないさいよねっ!」
シャロンの様子を見る限り、彼女は気付いていない……? なら、ヘカトンと激戦を繰り広げているバルバトスたちもきっと気付ていないはずだ。
どうする、どうする……俺……。今、この状況で、俺が戦線を離脱すれば、この綱渡りの状況は、即座に瓦解するだろう。だが、奴を放っておく訳にもいかない……どうする……俺……。
「りゅうちゃんっ!」
「リュウヤさんっ!」
「先輩っ!」
懊悩する俺の耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。振り返れば、こちらに走って来る陽、ソフィ、せつなの姿が。その後に続くユニウスとマルクの姿も確認できる。
「お前ら……」
「やっぱり、りゅうちゃんはここに居たんだね」
「戦況はどうなんです?」
陽とソフィが到着するや否や、そんなことを訊いてくる。
「ちょっと、貴方たち!? 何でこんな危険な場所に来たのよ!?」
シャロンが少し怒りながら、陽たちに言った。すると、陽が真剣な顔つきで、シャロンに向き直る。
「安全な場所なんて、どこにもありませんよ。なら、あたしたちが出来ることをすべきだと思ったんです」
「出来る事って……相手はあの迷宮の番人なのよ!?」
エキサイトするシャロン。だが、陽は淡々と言い返す。
「伝説ですか……それならなおの事、あたしたちも戦わないといけません」
「ルーキーに出来ることなんてないわっ! 私たちに任せて、直ぐに下がりなさいっ!」
シャロンの気持ちも、陽の気持ちも判る。二人の強い視線がぶつかり合った。
……ラファ、陽たちはヘカトンに全く歯が立たないか?
《それは条件次第でしょう。仮にギャルたちだけで、ヘカトンに挑んだ場合、ほぼ勝ち目はありません。しかし、現在の状況を鑑みれば、ギャルたちの戦力は貴重でしょう。それに……》
……それに?
《マスターには、他に成さなければならない事があります。これはマスターにしか成し遂げることは出来ません》
そうか……なら、迷っている暇はないな。俺は覚悟を決める。
「ソフィッ! 陽ッ! せつなッ!」
俺が大きな声で呼ぶと、三人は一斉に俺を見た。しっかりと彼女たちの目を見詰めながら俺は言う。
「後は任せた」
たった一言。それだけ。それにポカンとする陽とせつなだったが、ソフィだけは違い、しっかりと頷く。
「判りました、リュウヤさん」
「頼んだぞ!」
もう一度、彼女たちに告げると、俺は返事を待たずに走り出す。
「ちょっと、どこ行くのよ!」
シャロンの焦った声が聞こえるが……すみません、俺にはいかないといけない所があるんです……。
ヘカトンは、バルバトスたち高ランク冒険者、それにソフィたちに任せれば大丈夫だ。そう俺は自分に言い聞かせる。
一一階層の草原を俺は駆け抜ける。目指すは……あいつだ。
煌々と照らす篝火。薄闇に包まれた草原。その全てを置き去りに疾走する。
そして――見つけた。
「やっぱりな。あんな気持ち悪い冷気は、お前らくらいなもんだ」
俺の視線の先にそれは居た。フラフラと覚束ない足取りでゆっくりと歩むそれ。
人間ではあり得ない不気味な紫の肌。地面を擦るほどまでに長く伸びた白髪。緩慢な歩みと共に揺れ動く前髪からは、ちらりと覗く紅い瞳。
何時ぞやに出会った災厄――それは魔人であった。
「てめぇらだけは、絶対に許さねぇ。駆逐してやる」
静かに闘志を燃やす俺。その脳裡に思い出されるのは、アドルフの最期の姿だ。
溢れ出す怒りをグッと抑え込むように拳を握り締める。
――満月の夜。本当の災厄が、今、俺の目の前に現れた。




